2020年7月26日礼拝説教 ヨナ書3章1節~10節

<子どもたちへ>
 みなさん、学校の遠足や旅行というと、今までどんな所に行きましたか?ここが良かったな、とか、あそこはもう行きたくないとか、色々あるでしょうね沼田の小学校には、とても特徴的な遠足がありました。戸神山(とかみやま)の登山です。小学3年生が必ず行くのですが、なんと、学校から山まで歩きで往復する上、着いてから登山をする、という大変ハードなものですなだらかな山でなく、鎖をつたって急ながけを上ったりします。中にはもう二度と行きたくない、と感想文に書く子もいるほどです。好きな所だけ行ければいいですが、いつもそういうわけには行きませんね。

 さて、預言者ヨナは、行きたくない二ネべに背を向けて神様から逃げ、海でおぼれ死にそうになったのでしたね。神様にお祈りしたら魚に飲み込まれて、お腹の中で守られ、陸に吐き出されて助かったのでした。今日はその続きのお話です。神様はもう一度ヨナに言いました。「二ネべに行って、わたしの言葉を伝えなさい」。今度はヨナはわがままを言いませんでした。「はい、神様。参ります。」と従ったのでした。ヨナは何日も何日も歩いて、やっと大きな町二ネべに着きました。そして叫びました。「あと40 日すると、二ネべは滅ぼされるぞ!」本当は二ネべが大嫌いなヨナでした。心のどこかに「そうなったらいいな」、という気持ちがあったのかもしれませんね。
 さあどうなったでしょうか。なんと二ネべの人たちはヨナの言葉を真剣に聞いて、悔い改めたのです。一般の人々も、大臣も、そして王様も、みんな反省しました。「そういえば、平気で悪いことをしてたよな。」「あんなことしていたら、神様が怒って当然だな。」そう気づいたのかもしれません。みんなえらぶるのをやめて、ボロボロの服を来ました。ご飯の飲み食いもやめました。人間だけでなく動物にも同じようにさせました、そして、神様を信じて「どうぞ赦してください。」と一生懸命にお祈りしたのです。神様はお祈りを聞いて二ネべへの災いを思いなおして赦してくれました。

 神様は、どんな罪人にも悔い改めて滅びから逃れるよう、伝えたいと願っています。嫌いな相手や行きたくない場所にも、私たちを伝えに行かせることがあるのです。ヨナはたくさん失敗してようやくその役目を素直に果たしました。私たちも素直に、そして心をこめて、イエス様を信じれば罪がゆるされるよ、天国に行けるよ、と伝えることが出来ますように。
[祈り]神様、私たちのまわりの人に、神様の救いの御言葉を伝える役目を果たせますように。どうぞお導きください。

<適用>
 冒頭でお話しした戸神山ですが、実は大切なエピソードのある山でした。かつては金山だったそうで、今もところどころに洞窟があるようです。江戸幕府の2代将軍徳川秀忠の時代に、一人の人物が沼田にやってきました。その名は東庵(とうあん)。彼は隠れキリシタンで、幕府の資料に「いるまん(修道士)同然の者」と記されるほどの人物でした。(余談ですが、川場村の郷土カルタにも東庵が登場します。当地では知られた人物です。)足尾銅山からやって来て、川場村を経て沼田の戸神山金山に入りました。そこで彼はキリスト教信仰を伝えました。領主の真田家は、鉱山開発に有益な人物として、東庵の活動を黙認していたようです。彼の働きの2年後、イエズス会の宣教師フェルナンデス神父という人が沼田を訪れました。そこには既に多くの信徒がいて、大変な歓迎を受けたという記録が残っています。当時はキリシタンへの迫害の厳しい時代で
す。往来も容易でない利根沼田に、宣教師が入っていたとは、大きな驚きです!このエピソードを知ってから戸神山を見上げた時、新たな感慨が湧いて来ました。
 福音伝道教団も、足尾銅山から宣教がスタートした群れであり、東庵の宣教との重なりに不思議なめぐりあわせを感じます。時代を重ねての祈りと、命がけの宣教の流れの中に私たちの群れがあることを教えられます。これは覚えておきたいことです。
 さて、神のみことばを届ける働きは、いわば神の代理人、神の使節ということが出来ます。預言者ヨナは3章にきてようやく神の使節としての働きに立ち返ります。神様が救いの福音をどのように届けようとしておられるのか、共に学ばせて頂きましょう。

1. 語る者へのあわれみ (1~ 3節)

 まずはヨナへのみことばに目をとめましょう(1~2節)。1章の冒頭とほぼ同じです。今度はヨナは、ただちにご命令に従いましたイスラエルから二ネべまでおよそ800km、恐らく徒歩で1か月かかるのではと言われています。彼はそこでみことばを語り、二ネべの人々はそれを受け入れました。
 ここで教えられるのは、神様の憐れみ深さです。よなは大きな失敗をしました。しかし、失敗によって全否定されるわけではないのです。神様は、失敗した者をも、チャンスを与えて用いて下さるのです。みことばを語る人と言えば、ヨナのような預言者、牧師、宣教師がまず挙げられるでしょう。しかし、ヨナをはじめ聖書に出て来るみことばの語り手の姿は、不完全で弱さもあり失敗もする、ごく普通の人間の姿なのです。
 イエス様は十字架にかかられる前、弟子のペテロに「あなたは私を知らないと三度言うしかし、立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい。」とおっしゃいました。聖書にはほかにも失敗から立ち直って用いられた人がいます。
マルコの福音書を書いたマルコも伝道旅行から離脱したことがあり、パウロからは一緒に行動すべきでないと非難されました。しかし後には「彼(マルコ)は私の役に立つので連れて来てほしい」(Ⅱテモテ4 章11節)と言われるようになり、福音書の著者として用いられました。

 ヨナよりもっとふさわしい人が他にいないのだろうか?ペテロより信仰の堅い人がいないのだろうか?マルコより頼もしい人がいないのだろうか?神はそんなにも人材不足に苦労しておられるのか?もちろんノーです。人材不足のためでなく憐れみと忍耐のゆえに、あえて「あなたでなければならない」、とその人を選ばれるのです。そして、福音を伝える神の使節としての務めを委ねてくださるのです。イエス様を信じるすべての人にも、同じ務めが託されています。失敗が多い者であったとしても、神様は私たちを再生させ成長に期待してくださいます。語る立場の私たちへの憐れみに、感謝して励んで行きましょう。

2.みことばを聞く側への恵み (4~1 0 節)

 さて、二ネべはどんな町だったのでしょうか。歴史的にはアッシリア帝国の首都として知られています。行き巡るのに3日かかる大きな町で、4章を見ると人口12万人以上の古代都市でした。二ネべの王という表現がありますが、一般的なアッシリア王と言わないのは当時王権が弱体化していたのかもしれないと言われています。王の力の及ぶのが二ネべを中心とした地域に限定されていたのかもしれません。再びその力が台頭してくるのは後のこととなります。

 さてヨナは到着して1日目に、早速みことばを語りました。「あと40日すると二ネべは滅ぼされる」。なんとシンプルで短いメッセージでしょうか。しかし驚くべきことに、二ネべの人々はヨナのメッセージを素直に全面的に受け入れました。
 身分の上下に関わらず神を信じました。王と大臣からお触れが出され、悔い改めを表明し、祈りをささげるよう布告されました。王も庶民も荒布を着ました。荒布は厚手の荒い布でヤギの毛で作られており、悲しみや嘆きを表しました。人から家畜にいたるまで、食料も水も口にしないとは、徹底ぶりがうかがえます。
 二ネべの人々が心動かされた要因はわかりません。少なくともヨナの弁舌ではなさそうです。またヨナの情熱とも思えません。しかし、ひとつ言えるのは、彼らは自分たちの悪の道と暴虐が度を過ぎている自覚があったのだということです(8)。そして神の怒りと裁きを意識せざるを得ない、恐ろしい滅びの予感におののいたのでしょう。そして、そこに、みことばと共に聖霊が働かれたのです。

 イエス様は言われました。「悲しむ者は幸いです。」自分の罪と愚かさを知って神に赦しを求める者は幸いだ、という意味です。漠然と神の存在を信じる、というだけでは不十分です。この罪ある自分を、神は赦し救ってくださると期待し、信頼するのです。二ネべは神の赦しを期待して悔い改めました。わたしたちもイエス様の十字架の身代わりにすがるほかありません。そうする者を、神様は受け入れてくださいます。なんと大きな恵みでしょうか。
 神様は二ネべへの災いを思いなおされました。それこそ神様がヨナを遣わされた理由であり、目的でした。神は当初とみこころを変えられましたが、それは主権者であるお方の決められたことです。ヨナはそれが不満だったようですが、それは4章で取り扱われていきます。「滅ぼされる」とある言葉は「ひっくり返す、方向転換する」の意味があるそうです。二ネべは滅びませんでしたが方向転換しました。その意味でヨナの預言は成就した
のです。

<結論>
 神は私たち信者を通してこのように人々を方向転換させたいと願っておられます。わたしたちはそのための神の使節だと言うのです。願わくは、そのみ思いを神様と共有させて頂けますように。熱い思いを分け与えていただけますように。