2020年8月9日(日)礼拝説教 出エジプト記14:1-14

<子どもたちへのメッセージ> 赤松由里子師
聖書箇所:マタイ13 章1~23 節 中心聖句:マタイ13 章23 節 説教題:みことばを聞く

 みなさん、種まきをして野菜や花を育てたことがありますか?朝顔を育てた人が多いかもしれませんね。野菜は苗からの場合が多いかもしれません。私は甘いスイカを食べたあと、その種を裏庭に蒔いてみたことがあります。ダメもとと思って、黒くて太っている種を選んで埋めておきました。すると、なんと芽を出しつるが伸びて花が咲きました。しばらくすると、大玉スイカの種から小玉スイカほどの実がいくつも収穫でき、おいしく食べることが出来、とっても満足でした。
 それではいつでもこんな風に収穫できるでしょうか?実は今年も、牧師館の裏庭にスイカの種まきをしました。しかし残念ながら、芽すら出て来ませんでした。去年の種だったからかな?水が足りなかったかな?いろいろ考えられますが、理由はわかりません。でも土が違うと同じように種まきしても、結果がちがうのですね。
 今日は、イエス様がこの種まきにたとえてみことばへの態度を教えて下さった箇所を、学んでいきましょう。

ある農夫さんが、種まきに出かけました。おそらく麦の種でしょう。袋の中にたくさんの種があります。その種をたくさんつかんで、目の前にバーっと蒔きました。日本の種まきとは違いますね。それから畑にするところをスキという道具で耕すのです。種は色んな所に落ちましたよ。
「道ばたに落ちた種」には、すぐに鳥がやって来て食べてしまいました。
「岩地に落ちた種」はすぐ芽を出しますが、岩だと根っこが伸ばせず水分が足りません。すぐに枯れてしまいました。
「いばらの中に落ちた種」は、いきおいのある他の植物に邪魔されて、育つことが出来ませんでした
「良い地に落ちた種」は、ふかふかの土でしっかり芽を出し音を張りました。太陽の光と地面の水分を吸って、ぐんぐん育ち、沢山の実をつけました。
さてイエス様はたとえ話の説明してくれました。種はみことば、蒔かれた土地は私たちの心です。
「道ばた」とは「神様のお話しなんて聞きたくないよ」というカチカチの地面のような心です。悪魔がみことばを奪っていってしまいます。
「岩地」とは、「イエス様を信じます」と言っても何かつらいことが起きると、「神様なんていないのかな?」とすぐに離れていってしまう心です。みことばを信じ続けることが出来ないのですね。
「いばらの中」とは、他のことに夢中になって、いつの間にか神様を忘れてしまう心です。「ゲームがしたいから教会休んじゃおう」とか、「神様を礼拝するよりあっちの用事の方が大事だよ」とか、誘惑は多いですね。いつの間にか…に気をつけないといけませんね。
「良い地」はたくさんの実をつける素晴らしい地で、みことばを素直に聞いて従おうとする心のことです。そういう人はつらいことがあっても負けないのです。神様に喜ばれる人になれるのです。さあ、いかがでしょうか。自分の心はどうでしょう。色んな心が入り混じっているかもしれませんね。
変わらなければ行けない部分があったなら、良い地のように実を結ぶ心に整えて頂きましょう。

インド宣教の証(それでも主は共におられる) ――生きておられる主の御言葉の真実――

 インド宣教とこの小さき者どものために皆様のお祈りとご支援をいただいておりますことを心から感謝いたしております。また現在、コロナ感染問題により、どこの教会でも、様々な難しさに向き合っている時に、本日、小川キリスト教会での宣教報告をお許しいただけましたこと、誠に恐縮のあまりでございます。
 さて、私たちは皆様のお祈りとご支援により、2001年からインドに置かせていただいて参りましたが、良き働きをさせていただくことが出来ずにいることが現実であり、お支えいただく皆様方に、誠に申し訳なく思うばかりでございます。
*インドの宗教・政治と宗教弾圧、私たちの奉仕、教会形成と宣教
インドは、国民人口の約80%がヒンドゥー教徒であり、ヒンドゥー教を最上とする宗教思想に基づく政治団体が、現在政権を執っており、全国民をヒンドゥー教徒にさせるための政策が展開されています。
その中で、イスラム教徒への弾圧、またクリスチャンと教会に対しても弾圧が行われています。外国人による宣教活動は厳しく取り締められており、宣教師としてはインドに滞在するビザを得ることはできません。
そのため私は、最初はYMCAの空手指導者としてビザを得ていましたが、後に学生ビザを得るようになり、数年前からは一般の旅行者としてビザを得てインド滞在を続けてきました。そして私が空手を教えた生徒の家族を中心に、彼らの親戚、友人、また近所の貧しい人々、また様々
な困難を抱える人々を訪問させていただき、宣教を続けさせていただいてきました。そして、その人々を教会にお連れし、その人々が教会につながることを願ってきました。また私たちが所属する現地の教会が、聖書の御言葉を土台として形成されていくことを願い、教会に深く関わってきました。それぞれの地域にある、クリスチャンの群れである教会が、真理の柱と土台として形成されていき、その地域・社会の中で、地の塩・世の光になっていくことが、その地域・社会での宣教のために非常に重要であると信じているからです。しかし私たちの奉仕は、なかなか上手くいかないことが現実です。

1.人間関係の困難に遭遇し、主を見上げ、主の御言葉により回復に向かう
 特に昨年は、今まで長年に渡り深く関わってきた人々から、裏切られるような行為、不誠実な行為、冷淡な対応をされ、また、その人々との関係に危険性を感じ、精神的に大きなストレスを受け続けました。
 そして私は精神的に「うつ」状態になり、「もう死にたい」という気持ちにまでなってしまいました。そのような状況の中で、日々聖書を読み、主の御言葉により、主の導きと絶大な励ましを与え続けていただき感謝でした。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ書41:10)

精神的弱さの中にある私は、ただ主の御言葉にすがり、主を見上げるばかりでした。
しかし私は、その御言葉に信頼し、御言葉に立ち続けることができず、また、その人々を赦し、愛し、その人々のために祈り続けることができませんでした。このように私自身の精神的な弱さと共に、主の御言葉に対する不信仰、そして人々への愛のなさが本当にあらわになりました。私は不信仰であると共に、おそらく『うつ病』なのであろうと思います。そのような中で、預言者エリヤの弱さについて書かれている聖書箇所を何度も繰り返して読みました。
1列王記18章・19章です。
預言者エリヤはカルメル山で、バアルの預言者たちを相手に非常に勇ましく戦い、大勝利を収めたにもかかわらず、その直後、アハブ王の妻イゼベルがエリヤのいのちを取ろうとしたことを恐れて逃げ去り、荒野で、自分の死を願い、「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。・・・」と言いました。
数百人のバアルの預言者たちと戦い大勝利を収めたエリヤが、その直後に、なぜこれほどまで弱くなってしまったのか。エリヤもこの時「うつ病」になっていたのではなかろうか?と考えさせられながら、何度も繰り返して読みました。
そして、人間はたとえエリヤのような偉大な預言者であっても、一人の人間としては本来非常に弱い存在であることを教えていただくことができました。しかし、この非常に弱くなったエリヤを、主は見守り、エリヤに食べ物と水を与えて支え続け、そして「エリヤよ、ここで何をしているのか。」と声を掛けてくださいました。
 私たち人間は本来、とても弱く、すぐに壊れやすい存在である事を、主はご存知であられ、そのように私たちが非常に弱く、すぐに壊れやすいからこそ、主は、私たちを憐れんでくださり、私たちと共にいてくださり、見守っていてくださるのではないでしょうか。そして私たちに御言葉によって、語り掛けてくださるのではないでしょうか。主のかすかな細い声を聞いたエリヤは、その後再び、預言者として力強い働きをしています。主は、壊れてしまった私たちに、回復を与えてくださり、主の御用のために、再び用いてくださることを教えていただくことができ本当に感謝でした。

2.入国管理局での取り調べ
 ところで私たちはインドビザに関係する事で、当初から様々な問題に直面してきました。そして数年前から私たちは、一般の旅行者としてビザを得ること以外には、ビザを得ることが難しくなってしまいました。しかし旅行者ビザでは、長期間連続してインドに滞在することができません。
 昨年9月、私の旅行者ビザの規定に従い、インドを出国しネパールに行く途中、カルカッタ(コルカタ)空港でのインド出国審査で、入国管理局職員から嫌疑を掛けられ、取り調べ室に連行され、取り調べを受けてしまいました。私に対する嫌疑は、「何が目的でインドに来るのか?」「インドで何をしているのか?」ということでした。私が福音宣教をしていることを知られるならば、即座にインドから国外追放にされてしまうところで
したが、ただ主の憐れみにより取り調べから解放され本当に感謝でした。そして私は、ネパールに行くことができました。しかし入国管理局で取り調べを受けてしまった私は、それ以後、危機的状況に置かれてしまい、ネパールからインドに戻る時のインド入国審査で、入国拒否にされる(?)ことへの恐れと不安に押しつぶされそうな精神状態になりました。しかし危機的状況に置かれた私に対し、主は御言葉を示してくださり本当に感謝でした。

私が神を呼ぶと
主は私を救ってくださる。
夕べに朝にまた真昼に私は嘆きうめく。
すると主は私の声を聞いてくださる。
主は私のたましいを敵の挑戦から
平和のうちに贖い出してくださる。(詩篇55:16—18)

「夕べに朝にまた真昼に私は嘆きうめく。」まさに、その時の私の精神状態でした。しかし、「すると主は私の声を聞いてくださる。主は私のたましいを敵の挑戦から平和のうちに贖い出してくださる。」と、主から示していただくことができました。

*さて今日の聖書箇所は、出エジプト記14章です。
 当時イスラエル人は、エジプトの国で奴隷にされ、その重い労働にうめき、泣き叫んでいました。その叫びが神に届き、神はイスラエル人を御心に留めてくださいました。神は、私たちのうめき、嘆き、泣き叫ぶ声、を聞いてくださっておられます。そして神である主が、エジプトに対して合計10種類の災害を下した後、エジプトの王ファラオは、ようやくイスラエル人をエジプトから出て行かせました。その事が13章までに書かれています。

*しかし、今日の箇所14章1節~2節で、主は、ようやくエジプトから出ることが出来たイスラエル人に対して、元の方向に引き返して、海辺
に宿営するよう命じております。なぜでしょうか?
14章4節で、主は、そのご計画と目的を語られています。
「わたしはファラオの心を頑なにするので、ファラオは彼らのあとを追う。しかし、わたしはファラオとその全軍勢によって栄光を現す。こうしてエジプトは、わたしが主であることを知る。」
ここで注目すべき事は、主が、エジプトの王ファラオの心をかたくなにし、イスラエル人の後を追うようにさせることです。主の目的は、ファラオとその全軍勢を通して、主の栄光を現し、主が真の神であることを、エジプトが知るようになることでした。

*主は、ファラオのような未信者の心をも支配することが出来る全能の神です。インドからの出国審査で私に嫌疑を掛け、私を取り調べた入国管理局の職員たちも、主が彼らの心を支配し、そのようにさせたので、その出来事が起きたのでありましょう。すべては主のご計画と御手の中にある事であり、その事を通して、最終的に主の栄光が現わされるためです。
そして、海辺に宿営していたイスラエル人の前には紅海、後ろにはエジプトの軍勢、イスラエル人はまさに絶体絶命の窮地に追い込まれてしまいました。
 私たちの生涯においても、特に私たちが主の命令と教えに従っていく時に、時には、絶体絶命の窮地に追い込まれることがあるのではないでしょうか。しかしそれも、すべては主の最善なるご計画の中にある事であり、その事を通して、最終的に、主の栄光が現わされるためなのではないでしょうか。その現場で、非常に恐れ、錯乱状態になっていたイスラエル人に、モーセは言いました。
(13 節)恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。
………
(14 節)主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。(出エジプト記
14:13—14)
そして主は、紅海を分断され、イスラエル人を救出してくださいました。
イスラエル人の後を追って分断された紅海の中に入ったエジプト軍に対しては、海の水がもとに戻り、エジプト軍は全滅しました。
入国管理局で取り調べを受けたことで、それ以後、危機的状況に置かれてしまった私に対して、主は、この御言葉を与えてくださいました。
主が私のためにも戦ってくださり、救い出してくださることが、主の御言葉によって約束されました。しかしそれにもかかわらず私は、毎日、恐れと不安に押しつぶされそうな精神状態が続き、私の不信仰が再びあらわになりました。

3.ネパール:火葬場でマリファナ(麻薬)を常習する青少年たちへの伝道
 ところで、ネパールの首都カトマンズにおいて、私は、ヒンドゥー教寺院内の火葬場にたむろしマリファナ(麻薬)を常習している青少年への訪問を続け、伝道させていただきました。その中の一人の少年から、私は、激しい嘲笑と挑発を受けましたが、主の守りにより、忍耐させていただくことができ感謝でした。彼らに伝道させていただくと共に、マリファナをやめるよう忠告しましたが、まったく聞いていただくことができず、難しさを感じるばかりでした。しかし彼らの中の一人の青年スニールさん(24歳)に一対一で伝道させていただいた時、彼は素直に聞いてくださいましたので、彼に再び会って伝道させていただきたいと願っていました。しかしその後、彼に再会できぬまま、ついに訪問最終日となってしまいました。その日は日曜日でしたから、午前、教会に行き、午後、火葬場に行きました。しかしスニールさんとは再会できずとても残念でした。しかしその日が最終日でしたので、私は何とか彼に再開したいと思い、夜、再び火葬場に行きました。そして真っ暗な中で、スニールさんに再会することができ本当に感謝でした。スニールさんと彼の親しい19歳の少女スシュマさんが、福音を素直に聞いて誠実な応答をしてくださり、もう一人の青年ビムさん(22歳)も共に聞いてくださり、ただ主の憐れみに感謝しました。スシュマさんは、教会に行きたいと言ってくださり本当に感謝でした。

4.主の憐れみと御介入によるインド再入国(生きておられる主)
 その翌日10月21日、ついにネパールからインドへの出発日が訪れました。インドへの入国審査で、入国拒否にされることへの大きな恐れと不安を抱きながら、ただ主の憐れみを求めて祈るばかりでした。当日、カトマンズからカルカッタへの航空機の出発が遅れました。そしてカルカッタ空港到着時に、次の航空機(ハイデラバード行き)に乗り継ぐために残された時間は30分位しかありませんでした。私が乗せていただく車椅子が来るのを持ち、その車椅子に乗せていただいた時には、残された時間は25分位になっていました。すぐ目の前が入国審査であり、そこには人々が並ぶ列が出来ていました。私の車椅子を押す職員は、その人々の列を超えて先頭に行き、入国審査官とその前に並ぶ人々に、「カトマンズからの航空機の遅れにより、次の航空機出発時刻まで残り25分しかないので優先させてください。」とお願いしてくださいました。私はパスポートなどの必要書類をその職員に手渡し、彼が入国審査官にそれらを提示し、私は車椅子に座ったままでいました。そして入国審査官から何一つ質問されることなく非常にスムーズにインドに再入国させていただくことができました。
 私は車椅子に座ったままで、黙っていましたが、「主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」(出エジプト記14:14)という御言葉の通り、主が私のために戦ってくださり、主がすべての事を成してくださり、私を危機から救い出してくださいました。すべての統治者・主権者であられ、昔も今も生きておられる主の憐れみによる御介入に心から感謝し、主の御名を崇めました。
 そして入国審査を通過させていただいた後、車椅子を押す職員は他の職員と携帯電話で連絡を取りながら、大急ぎで空港内を移動してくださり、他の職員も私を待ち受けてくださり、彼らと航空機に到着することができました。そして私が搭乗するとすぐに搭乗口は閉められ、その約2分後、定刻通り航空機が出発しました。すべてが奇蹟的な出来事でした。

5.主の憐れみと御介入によるインド出国(主の御言葉の真実)
 そのように主の憐れみと御介入で、私はインドに戻らせていただくことができましたが、既に入国管理局で取り調べを受けてしまった私は、いつインドから国外追放にされるかわからない危機的状況に置かれてしまいました。一度国外追放や入国拒否にされると、その後5年間はインドに入国することができないという情報を得、私の不安と恐れはさらに大きくなりました。もしも5年間インドに入国できなくなれば、毎月の家賃の支払いが急にできなくなります。
 我が家の家主さんは既に、私たちのインド滞在とビザ関係の事に嫌疑を掛けているので、家賃を5年間支払うことができなくなれば大変な問題が生じます。また私たちが毎月経済的支援をさせていただく方々への支援も急に停止されます。私たちのインド滞在が危機的状況に追い込まれてしまいましたので、昨年5月から韓国で療養させていただいていた妻は、健康状態が依然として不安定でありましたが、私と共に主に祈り求めることを希望し、12月14日インドに戻りました。決して国外追放にされることがないよう主の憐れみにすがるばかりでしたが、私たちのインドビザの期限が3月21日までありましたので、できることならば、少しでも長くインドに滞在し、奉仕を続けさせていただきたく願いました。
 私たちと共に教会に行く、近所の貧しい母子家庭の11歳の少女を出来るだけ多く教会に連れて行ってあげたいと願っていましたし、また空手の元生徒で昨年5月に結婚したマヘーシュ兄の奥さんが、3月15日に初子を出産予定であり、出産まで私たちにインドにいてほしいと強く要望されていました。しかしその危機的状況の中で、インド滞在を続けることは、私たちの滞在日数が長引くほど、その危険性は益々高まり、今回(3月)インドから出国する時の出国審査では、前回(昨年9月)よりさらに大きな嫌疑を掛けられ、大きな問題が生じる危険性が十分ありました。また過去に、警察と入国管理局の職員が、私たちの所に調べに来たことが時々ありましたが、既に取り調べを受けている私のもとに、彼らが調べに来る心配がありました。そのため私たちの心は、大きな恐れと不安におののき、主の憐れみを祈り求めるばかりでした。
すると主は、私たちに次の御言葉を導いてくださいました。Ⅱ歴代誌20:12、アンモン人とモアブ人、およびセイル山の人々による大軍がユダに攻めて来た時に、ユダの王ヨシャファテが、神に祈り求めた時の言葉です。

私たちの神よ。・・・攻めて来るこの大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、
どうすればよいのか分かりません。ただ、あなたに目を注ぐのみです。(Ⅱ歴代誌20:12)
「私たちとしては、どうすればよいのか分かりません。ただ、あなたに目を注ぐのみです。」まさに
私たちも、そのような状況にありました。
すると主は、次の御言葉を与えてくださいました。
この大軍のゆえに恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、神
の戦いである。(Ⅱ歴代誌20:15)
この戦いは、あなたがたが戦うのではない。堅く立って、あなたがたとともにおられる主の救いを見
よ。(Ⅱ歴代誌20:17)
また詩篇91篇の御言葉が導かれました。
いと高き方の隠れ場に住む者
その人は全能者の陰に宿る。(詩篇91:1)
主はご自分の羽であなたをおおい
あなたはその翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾また砦。(詩篇91:4)
主があなたのために御使いたちに命じて
あなたのすべての道であなたを守られるからだ。(詩篇91:11)

 私たちは誠に欠けばかりの不信仰な者であっても、主は真実であり、私たちを保護してくださっておられます。常に真実であられる主を見上げて、今回(3 月)のインド出国審査に臨ませていただきました。3月16日、マヘーシュ兄の奥さんは、初子を出産できて感謝でした。
 そしていよいよ、3月18日夜、インド出発のためハイデラバード空港に行きました。コロナウイルス問題により、航空機利用者はとても少なくなり、空港はガラガラの状態でした。しかし利用者が少なければ、出国審査で一人ひとりに充てられる審査時間も長くなり、厳しく審査される可能性があり心配でした。しかし、主から与えられている御言葉に拠り頼み、ただ主に拠りすがるのみでした。私は車椅子に乗せていただき、いよいよ出国審査官の前に行きました。そして車椅子を押してくださる職員が、私のパスポートと航空券を審査官に提示して、お話ししてくださいました。
私は車椅子に座ったままで何も質問されず、非常にスムーズに出国審査を通過することができました。妻も何も質問されず、通過することができました。まさに主の憐れみによる、主の御介入と奇蹟でした。
 主が御言葉の通りに、すべての事を成してくだり、私たちを危機から救い出してくださり、主の栄光を現わしてくださいました。昔も今も生きておられ、常に真実であられ、どのような時にも共にいてくださる主を見上げ、主の御名を崇めました。そして皆様のお祈りにも心から感謝いたしました。

*Ⅱ歴代誌20:17で、「この戦いは、あなたがたが戦うのではない。堅く立って、あなたがたとともにおられる主の救いを見よ。」と語られている通り、主は私たちと共にいてくださり、私たちを絶体絶命の窮地から救い出してくださいます。
イエス様も、天にお帰りになられる時に、マタイ28章20節で、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」と約束してくださっておられます。

結び
 私たちの生涯の中で、特に私たちが主の命令と教えに従っていく時に、様々な困難に遭遇し、時には絶体絶命の窮地に陥ることがあるのではないでしょうか。しかしそれも、すべては主の御手の中にある事であり、主はご自身の最善なるご計画の中で、私たちを窮地に追い込まれることがあります。それは、その事を通して、最終的に主の栄光が現わされるためです。
 ですから、いかなる苦境の中でも、主への信仰に堅く立ち、動かされることなく、ただ主に目を注ぎ、主の御言葉に信頼いたしましょう。いかなる時にも私たちと共にいてくださる主が、私たちのために戦ってくださり、私たちを救い出してくださいます。