2020年10月4日(日)礼拝説教 創世記12章1-9節「心を新たに進もう」

<子どもたちへ>
 今年は、新型コロナウイルスの感染拡大のために、なかなか旅行に出かけられなかったと思います。けれども中学校では部活の新人戦が行わたりしています。小学校では、社会科見学などで学年単位で出かけることがあるでしょう。どんな予定が組まれているか知っていますか?早く自由に旅行できるようになるといいなぁと思います。
 皆さんが旅行をする時は、どんな準備をしますか?まず行く先を決めますよね。目的地を考えて、そこで何をするのかを考えるでしょう。場合によっては、何で行くのか(車?電車か?)も考える事になるかな。皆は、そうやって考えている時、ワクワクしませんか。前の日の夜、眠れないと言うこともあるかもしれませんね。
 旧約聖書に出てくるアブラムも旅に出ました。でもアブラムの旅は、楽しく出かける家族旅行というようなものではなく、家族全体の移住先への大移動となりました。しかも目的地はどこか、どこに生活の拠点を持つのか分からない旅なのです。けれどもアブラムは、神様の言葉に従って旅を始めます。

Ⅰ;出発
 神様は、アブラムに神様の示す地へ行きなさいと声をかけました。おそらく、アブラムが生まれ故郷のウルという場所にいたときのことです。アブラムは、神様の言葉に従って移住することをお父さんに説明したのでしょう。するとお父さんのテラは、アブラムと甥のロトとアブラムの妻のサライをつれてウルを出発しました。けれども途中に立ち寄ったハランという町で、テラは住み着くようになってしまいました。アブラムからすとまだ途中の場所で。でもお父さんのテラはハランが気に入ってしまったのでしょう。テラは、ハランで生涯を閉じました。
 さて、アブラムにとっては、再出発の時です。もう一度神様の声がありました。神様は、今住んでいる場所を出発して、神様の示す地へ行きなさいと命じます。アブラムの目指すべき場所、住むべき場所は、具体的には分かりません。妻サライと甥のロトと召使いと家畜たちをつれて一族の大移動となりました。今のように車や電車、バスなどはありませんから、歩いての旅となります。とてもつらい、大変な旅です。けれどもアブラムは、出発をします。アブラムは、旅に出なさいと言ってくださった神様を信じたのです。神様は、旅を始めなさいと言うだけではなく、これからアブラムにどれほど素晴らしいことをしてくださるかも話していました。アブラムは、神様の「あなたを祝福しよう」という約束を信じて、信頼していたのです。

Ⅱ;約束の地
 しばらく旅を続けたアブラムは、カナンという地域に到着しました。すると神様は、この地が目的の場所であると言ってくださいました。そして神様は、アブラムにこのカナンの地をアブラムとその子孫に与えると約束をしてくださったのです。「これでアブラムの旅は終わり」と言いたいところですが、そうではありません。到着したカナンの地域が、すぐにアブラムのものになるわけではないからです。そこには先住民族のカナン人が住んでいました。アブラムは、カナン人の地域を旅しながら生活することになります。
 皆ならどうしますか? 「すぐに手に入らないならいらない、意地悪だなぁ」と言ってしまうでしょうか。アブラムは、そんなことを言わず、神様が言うなら、いずれそのようになると信じたのです。そしてアブラムは、そのような約束をしてくださった神様に感謝をして神様を礼拝するのです。
 神様の約束が、すぐに実現する訳ではありませんでした。けれどもアブラムは、神様の約束を信じて、神様の言葉に従いました。今でも神様は、聖書の御言葉を通して話してくださいます。神様は、僕たちに大切なことを教えてくださいます。皆は、聖書を読んでいますか。神様が、聖書の御言葉によって何を教えてくださるのか気にしたことはありますか。聖書を読みましょう。聖書の御言葉を覚え、神様を信じていきましょう。

祈り
「天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。アブラムは、神様の言葉を信じて、信頼して旅に出ました。僕たち、私たちも聖書の御言葉を読み、神様を信じて信頼して歩んでいけるように助けて下さい。イエス様の御名によってお祈り致します。アーメン。」

<適用>
 アブラムは、「信仰の父」と言われます。それは彼が、天地を造られた神様を信じて歩んだからです。また沢村五郎先生は、聖書人物伝でアブラムについてこう言っています。「彼は理想的な信者であった。その生涯は信仰生活の典型と言うことができよう。これによって私たちは、信仰生活
とはどんなものであるかを学ぶことができる。(聖書人物伝67頁)」今日は、創世記12章1-9節のアブラムの姿を通して、心を新たに歩むため
に必要なことを学びましょう。

Ⅰ;御言葉を握って

創世記12:1-3
「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

 私たちは、「御言葉を握って」心を新たに進んでいきましょう。アブラムは、ある時神様の御声を聞きました。アブラムが何歳の時に神様の御声を聞いたのかは、分かりません。しかし、使徒7章のステパノの説教からするとアブラムは、創世記11章31節に出てくる故郷「ウル」にいた時に神様の御声を聞いていました。
「兄弟ならびに父である皆さん、聞いてください。私たちの父アブラハムがハランに住む以前、まだメソポタミアにいたとき、栄光の神が彼に現れ、『あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地へ行きなさい』と言われました。(使徒7:2)」しかし先ほど見たように、アブラムの父テラは「ハラン」に住みついてしまいました。ハランに住んでいる間、アブラムの心の中には神様の言葉が響いていたことでしょう。
 しかし、12章では再び自分の旅を始めることが出来るようになったのです。アブラムに語られた神様の言葉は、1-3節にあります。彼は、この神様の御言葉をしっかりと握って出発するのです。
 神様は、一つの命令と7つの約束をアブラムに与えました。一つの命令は「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしの示す地へ行きなさい。」と言うものです。アブラムには、向かう先がカナンの方向ということは分かったかもしれませんが、具体的な場所は分かりませんでした。
ヘブル11章8節にあるように、アブラムは「どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」神様の命令は、神様の示す地へ行くという単純なものでした。けれどもこれは、信仰と勇気を必要とします。生まれ故郷や親族を離れて、どこに行くのかも知らないで旅に出るほど無謀なことはないからです。神様への信頼がなければ無理なことです。アブラムは、どこかは分からないけれども必ず神様の示す地に行けるという御言葉を信じたのです。

 また神様は、この命令に従った時に与える約束も語っておられます。2-3節の言葉です。これは7つに分けることが出来ます。①大いなる国民とする。②あなたを祝福する。③あなたの名を大いなるものとする。④あなたの名は祝福となる(あなたは祝福となりなさい)⑤あなたを祝福する者を祝福する。⑥あなたをのろう者をのろう。⑦地上のすべての民族はあなたによって祝福される。
 人間にとってこれ以上の喜びがあるでしょうか。アブラムは、天地を造られた神様から大いなる国民とするという約束、祝福を与えられ、神様からの繁栄が約束されているのです。そして神様は、アブラムがすべての者の祝福の基となると言われました。アブラムは、この神様の約束の言葉を
握って出発しました。

 今私たちもこのアブラムの祝福と救いを受けているのです。なぜならイエス・キリストによって救いが成就したからです。マタイの福音書には「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図(1:1)」とあります。私たちはアブラムの故に救いと永遠のいのちという大いなる祝福を手にしているのです。ですから信仰の父アブラムにならい、御言葉をしっかりと握って歩む者となりましょう。

Ⅱ;信じて祈りつつ

創世記12:4 アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは75歳であった。
   12:7 主はアブラムに現れて言われた。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」アブラムは、自分に現れてくださった主の
       ために、そこに祭壇を築いた。

 私たちは、「信じて祈りつつ」心を新たにして進みましょう。 アブラムは、神様の言葉の通りに旅を始めました。そこには、信仰を新たにするという面もあったと思います。アブラムの故郷「ウル」は、月を神として礼拝する地域でした。そして一時的に滞在したハランは、と言うとやはり月を神として礼拝する異教の地域です。だからアブラムの父テラは、故郷のウルと環境が似ているハランに定住したのだと思います。しかしそれでは、アブラムへの神様の語りかけは完成しません。アブラム自身も異教の神々を礼拝する地域で過ごすことになるからです。神様は、アブラムに再出発をするように促し、彼はそれに従いました。まさにアブラムは、信仰を、そして心を新たにしての再出発となりました。
 私たちも心の点検をしてみてはいかがでしょうか。離れるべき罪はありませんか。神様への信仰の応答を遅らせていることはないでしょうか。信仰を、心を新たにして進みませんか。

 アブラムは、再出発をしました。しかしこの再出発には、神様の素晴らしい祝福がありました。神様は、アブラムに声をかけ旅をさせて後は知らんぷりをする方ではありません。神様は、アブラムの旅を守ってくださいました。それだけではなく、神様は、アブラムに「大いなる国民にする、あなたを祝福する」と約束をしてくださったのです。「大いなる国民とする」ということは、後継者となる子どもがいることが大前提となります。75歳になっていたアブラムには子どもがいませんでした。妻のサライも高齢でした。子孫が増えるとは到底考えられない状況です。しかし、アブラムは、子孫が増えるという神様の約束を信じて従ったのです。アブラムは、神様の言葉を素直に聞き、すぐに従う人でした。アブラムは、神様の命令と約束を信じ、信仰によって新しい歩みをスタートしていきます。
 そしてアブラムは、祈りつつ進んでいった人でした。カナンの地に着いたとき、そこが約束の場所だという神様の声を聞いたアブラムは、祭壇を築いて礼拝しました。アブラムは、神様への感謝をもって礼拝し、主の御名によって祈り従うのです。アブラムの信仰は、祈りによって確かなものとなっていきます。
 私たちの生活は、今年に入ってから一変してしまいました。今私たちは、「With コロナ」と言われる時代を生きています。新しい生活様式を取り入れて生活をすることが求められています。教会では、外出自粛期間を過ごし、集まっての礼拝だけではなく、インターネットを利用したオンライの集会という方法を取り入れることとなりました。教会のHPでは、説教の動画を見ることが出来ます。そしてこれからは、伝道の方法についてもオンラインを用いることになるのだと思います。私たちの生活の面で言えば、新型コロナに感染しないとはいえない環境にあります。自分が、いつ感染するのか分からず、感染した場合どのような症状になるのか未知の世界です。薬やワクチンが開発されたとしても、感染防止に取り組む生活は終わることはないでしょう。誰もが言い様もない不安の中にあります。少しずつ社会が動き出しているようにも見えますが、私たちは、どのように歩むことが出来るのでしょうか。
 アブラムの信仰の姿がヒントになるのではないでしょうか。アブラムは、神様の言葉に聞き従いました。アブラムは、神様の祝福の言葉を信じ、主に祈りつつ従ったのです。私たちにも、神様の御言葉である聖書があります。神様は、聖書を通して、私たちにどのような生き方をするべきかを教えてくださっています。今私たちは、もう一度信仰と祈りをもって、心を新たにして主を見上げて進んでいきましょう。

 そのような歩みには、アブラムと同じように必ず神様の約束もあるのです。例えば、イエス様は、「まず神の国と神の義を求めなさい。」と言われました。私たちは、神様ご自身を第一とすることが求められています。では、この命令にある約束は何でしょうか。「そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6:33)」という約束です。私たちが、神様を人生の主とし、第一に求めるならば、神様は私たちの必要を満たして下さり、私たちの人生を守ってくださるのです。
またイエス様は、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。」と言われました。私たちは、一人悩み、人生の重荷を孤独に抱え込む必要はありません。罪という問題に押しつぶされることもありません。イエス様は、「わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)」と約束を与えてくださっています私たちが、主に助けを求めて祈るとき、神様は私たちを休ませてくださり、平安と安心を与えてくださるのです。
パウロは、「主イエスを信じなさい。」と言いました。それにはどんな約束が伴っているでしょうか、「そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒16:31)」という約束です。私たちは、まず個人的にイエス様を救い主と信じることが求められます。しかしこの救いは、私たちだけではなく、家族の救いという祝福へと拡大されるのです。神様の言葉に従って歩む時、私たちは主の約束された恵みを受けることになるのです。
 アブラムは、この信仰による一歩を踏み出し、神様の祝福を得ていきます。私たちも御言葉を握り、神様を信じ、信仰と祈りによって心新たにされて、人生の一歩を進んでいきましょう。

祈り
「天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。アブラムは、神様の御声に聞き従い、御言葉を握って、異境の地を離れ心を新たにして進みました。私たちも御言葉に教えられ、御言葉を握って、日々心新たに進んでいるように導いていください。
 アブラムは、不安と恐れのある中、神様の約束を信じて、信仰と祈りをもって歩んでいきました。私たちも、日々不安と恐れがあります。そのような時、御言葉にある神様の約束に目を向け、主の導きを信じ、祈りつつ歩んで行きます。神様どうぞ、私たちに力を与え導いて下さい。私たちの救い主、イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」