2020年12月27日(日)礼拝説教 ルカの福音書2章21-38節 「万民の救い主」

ルカ2章29-30節
「主よ。今こそあなたは、おことばとおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。

<子どもたちへ>
 今年も最後の日曜日となりました。先週でクリスマスの礼拝や行事も終わって、ああ、次はお正月だ、お年玉どうなるかな? と気になっていますか? でも、救い主イエス様を迎える心は大切に持ち続ける必要があります。今日は、イエス様誕生( すなわちクリスマス) のあと、イエス様に会いたくて会いたくて、それがかなった人たちのお話です。その人たちの名前はシメオンとアンナ。2 人はエルサレムに住むおじいさんとおばあさんでした。家族ではありませんが、いつも神殿で神様を礼拝してお祈りをささげている仲間でした。そして、何百年も前から約束されていた救い主の誕生を、今か今かと待ち望んでいたのです。

 シメオンは神様からあるお告げを受けていました。「シメオンよ。あなたは主のキリストを見るまでは、決して死なない」。それなのでシメオンは、「神様。あなたの下さる救い主キリストにはいつどこでお会いできますか? 」といつもお祈りしていました。ある日のこと、神様がシメオンに神殿に行くように示されました。「何だろう? 」シメオンが不思議に思って出かけて行くと、ある家族と行き合いました。赤ちゃんのイエス様を連れたマリヤとヨセフです。シメオンには分かりました。「この子だ! 救い主だ! 」「抱かせてください、その赤ちゃんを! 」シメオンは赤ちゃんのイエス様をだっこしながら、感激して言いました。「主よ。今こそ私は安らかに天国に行けます。あなたの救い主にお会いできたからです。世界中の人を罪から救ってくださる方、イスラエルから出た栄光ある方に! 」

 そこへアンナも近づいて来ました。アンナは女預言者で、8 4 歳の高齢でした。若い頃夫に死なれて一人で過ごし、いつも神殿でお祈りして神様に仕えていた人でした。「シメオン、その赤ちゃんなのですね。私たちが待っていた救い主は! 」アンナも一緒になって神様をほめたたえました。そして神殿に来ていた人たちに言いました。「みなさん、ついに約束の救い主が来られましたよ! さあ見て下さい、この赤ちゃんこそ、そのお方です。神様は約束を成し遂げて下さいました! 」神様は2 人を通して更に多くの人たちに、救い主の誕生を知らせて下さいました。待っていた人たちに、大きな喜びを与えて下さったのですね。

 今年は、コロナで色々なことがあったことでしょう。でも楽しいこと、大変なこと、すべて含めて神様が共にいて下さいました。救い主を送って下さった神様を信じて、希望を失くさないようにしましょう。救い主イエス様をいつも心に覚えて過ごすなら、私たちにもシメオンとアンナのような喜びを与えて下さいます。感謝をささげて1 年をしめくくり、新しい年を迎えていきましょう。

ルカ2章31-32節
「あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。

< 適用>
 「だれも想像の出来なかった2 0 2 0年」という表現を聞きました。まさにその通りですね。新型コロナウイルス感染症の世界的拡大で、私たちは今年、本当に大きな影響を受けました。学校の休校、緊急事態宣言、経済の深刻な落ち込み。社会のあり方も一変してしまいました。もちろん教会の歩みも影響を受けました。
 小川教会では牧師交代と言う重大な年でしたが、コロナ対応ではそれを上回る大きな変化を余儀なくされました。福音伝道教団内でも、現在も全集会休止中というところがあります。礼拝式が出来るだけで恵まれている、と言える状況です。
 世界全体がコロナの収束を心から願っています。ワクチンと治療薬が出来ること。そしていつか、普通の生活が取り戻せることを切実に待ち望んでいます。でもそれまでにどれだけ我慢し苦闘するのか、誰も確かなことは言えない状況です。現代は、「待つ」ということに慣れていない時代のような気がします。そういう中で私たちは、「神の恵みを待ち望む信仰」を学び直す必要があるのかもしれません。
 先ほど見たシメオンとアンナは、本当に長く長く約束の実現を待つことが出来た人たちでした。しかも実現の恵みを味わい、感謝と賛美に溢れた人たちでした。その姿からいくつかのことを学ばせて頂きたいと願います。

1 . 万民のための救い主

 聖書に目を留めましょう。イエス様は生まれて8 日目に割礼を受けました。1 2 月2 5 日から数えれば元日に当たりますね。恐らくベツレヘムにそのままとどまったのでしょう。4 0 日のきよめの期間が満了したので、エルサレム神殿で子どもをささげるためでした。男子の初子は主のものとされ、いけにえを捧げるならわしがあったのです。2 4 節では鳥のいけにえが挙げられていますが、これは貧しい者のための規程でした。イエス様の両親が経済的に豊かでなかったことが分ります。
 ここに登場するのがシメオン老人と老女預言者アンナです。2 5 節でシメオンの言う「イスラエルの慰められること」、3 8 節でアンナのいう、「エルサレムの贖い」は、同じ意味を持つものと考えられます。国家と都に言及されているのは、当時のイスラエルの政治的状況を反映しています。約束の救い主をローマ帝国からの解放者ととらえて待ち望んでいたのです。イスラエルはローマ帝国の支配下にありましたし、ユダヤの最高議会や大祭司、ユダヤ王ヘロデもローマの傀儡にすぎませんでした。ですから人々は、イスラエル民族の主権と繁栄を取り戻すことが大切だ、と考えていたのです。

 2 9 ~ 3 2 節は「シメオンの賛歌」と呼ばれます。それは賛美であると同時に、預言のことばです。ここには神様の備えて下さる救い主が、民族の違いを超えた万民のためのお方であることが示されています。これはシメオンたちが待ち望んでいた以上の「救い」でした。イスラエルだけでなく、異邦人も含む救いでした。これは当時の人々にしたら驚くほど革新的なメッセージでした。聖霊が示して下さって始めて、シメオンはそのように理解しました。
 すべての人は罪を犯し、死と死後の裁きによって滅びに定められていると聖書は教えいます。だからこそ、罪の赦しを与えて下さる身代わりの救い主がすべての人に必要なのです。イスラエル民族にとどまらず私たちも救いに入れて頂ける。これはイエス様が民族の垣根を打ち壊してくださったゆえの恵みです。聖霊に満たされたシメオンが感激に震えた恵みです。イエス様のご降誕の深い恵みに感謝しましょう。

2 . 信頼して待ち望む信仰

 シメオンとアンナは長く救い主の到来を待ち望んでいました。シメオンは年齢不詳ですが、アンナは8 4 歳とあり数十年は祈り続けていたものと思われます。イザヤの救い主預言はイエス様誕生の7 0 0 年ほど前と言われていますし、ユダヤ人たちは世代を超えて気の遠くなるような「待ち方」をしていました。

 鶴瀬めぐみ教会の堀肇先生はこのところをこのように語っておられます。「シメオンやアンナに見られる待つ世界は、自分の願望が中心ではなく、相手( 神) を信じ、希望をもって待つ、というものでした。聖書はこれを『待ち望む』と記しています。…待ち望むということは、今答えや将来が見えなくても待つことを可能にするものです。それは「信じる」ことを土台にしているからです。」
 自分の願望の実現を中心において待つのは、時に辛いことです。箴言13 章1 2 節にはこうあります。「期待が長引くと、心は病む。望みがかなうことは、いのちの木。」私たちはどちらかと言えば、こういう種類の待ち方をして苦しんでいるのかもしれません。

 神様は人智を超えてご計画を進められる愛のお方だ、との信頼が心の土台となっているでしょうか。たとえ今、答えや将来が見えなくても、希望を堅く握って待つことの出来る者でありたいと願います。ここに愛することを加えると、「信仰と希望と愛」となります。第一コリント1 3 章に出て来る「いつまでも残るもの」です。先行きが見えない不確実な中だからこそ、「いつまでも残るもの」を大切にしたいと願います。
 私たち一同が、このような思いを胸に感謝で1 年を締めくくり、希望をもって新しい年を迎えていくことができますようにとお祈りいたします。

< 祈り>
 神様。2 0 2 0 年最後の礼拝式にお導き下さり、ありがとうございました。思いがけない困難な年になりましたが、その中にあっても私たちを守って下さったことを感謝致します。救い主イエス様が、異邦人である私たちをも罪から救って下さったことを感謝致します。また私たちはそれぞれ心に願望を抱いています。コロナに関しても一日も早い終息を願ってます。しかしまず、最善をなさるあなたに信頼することを土台にさせて下さい。希望を失うことなく、今一度愛に生きる力を私たちの内に新しくお与えください。この1 年の深い御恵みに感謝致します。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。