2021年4月25日(日)礼拝説教 出エジプト記2章1-10節 「モーセの誕生」

<子どもたちへ>

 今日からまた旧約聖書のお話になります。去年は創世記から、ヨセフのお話を中心に学びましたね。麦の束や、太陽と月と星がおじぎする不思議な夢を見たヨセフです。兄弟たちに売られたエジプトで不思議にも総理大臣になり、飢饉(ききん)からエジプトを守る働きをしました。食べ物を買いに来た兄弟たちを赦してあげて、家族をエジプトに呼び寄せたのでしたね。
 今日は、そこから400年あとのお話です。時代がうつり変わって、イスラエルの人たちはどうなったのでしょうか。

 (絵)この人はエジプトの王様です。400年前の総理大臣ヨセフのことなど知らない人です。イスラエル人がどうしてエジプトに来たのかもよく知りません。なんだか怖い顔をしていますね。「うーん、わがエジプトにはイスラエル人が多すぎるなあ。エジプト人より多いくらいだ。」そうなんです、最初はヨセフの家族70人だけだったのに400年たって何十万人にも増えていたのです。
 「これ以上増えて、戦争の時に敵の味方でもされたら大変だ。くたくたに疲れさせて苦しめれば、早死にするだろう。」王様はイスラエル人を奴隷としてこき使うよう命令しました。ところが苦しめても苦しめても、イスラエル人は減りません。王様は怖くなってきました。「ようし、今度は生まれて来た赤ん坊をねらおう。男の子ならナイル川に投げ込んで殺してしまえ。女の子はゆるしてやる!」

 その頃、あるイスラエル人の家に男の赤ちゃんが生まれました。とてもかわいい子です。川に投げ込むなんて出来ません。3か月の間、こっそりと家族みんなで可愛がりました。でも泣き声が聞こえてしまうので、もう隠しておけなくなりました。お母さんは泣く泣く、赤ちゃんをかごに入れて、ナイル川の岸に生える葦(あし)の茂みにそっとおきました。
 お姉さんのミリアムが離れた所から見守っていました。するとそこへ誰かやってきます。なんと、エジプトの王女さまです。命令を出した王様の身内です。「赤ちゃんが危ない!」お姉さんはそう思ったかもしれません。ところが王女さまは召使いにかごを取って来させて、中をのぞき込むと言いました。「赤ちゃんだわ!かわいそうに、きっとイスラエル人の子どもです。私の子として育てましょう。」驚きですね。王様の家族なのに、赤ちゃんを助けて守ってくれるというのです。
 お姉さんのミリアムが夢中で飛び出して来て言いました。「王女様、その子にお乳を飲ませる人を連れて来ましょうか?」ミリアムはそう言うと、家からお母さんを連れてきました!頭がいいですね。王女様はお母さんに言いました。「この子をあなたに預けます。私の代わりに育てておくれ。お給料もはらいましょう。」赤ちゃんが大きくなるまで、この子は安全にお母さんに育てられることが決まりました。すごいことですね。

 やがて大きくなるとお城の王女さまのところに連れて行かれました。王子様として暮らすのです。王女さまは言いました。「あなたの名前はモーセです。私が水の中から引き出したのですから。」モーセという名には「引き出す」という意味があります。この子は成長すると、イスラエル人たちをエジプトでの苦しみから引き出す役目を神様から与えられます。赤ちゃんの時いのちの危険にさらされたモーセですが、神様はまわりの人たちを用いて守って下さったのですね。
 神様は、信じて頼る人たちを心にとめて守ってくださいます。困難を覚えるとき、こわくなる時、くじけずに神様にお祈りして助けて頂きましょう。神様は私たちを助けてくださいます。

<祈り>
神様。モーセを誕生の時から守って下さったことを学びました。私の困難や恐れも神様がご覧くださって、助けて下さい。御名によってお祈りします。アーメン。

「主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。主こそ助け、また盾。」詩篇115篇11節

<適用>

 出エジプト記は、ヨセフの死を最後に記した創世記に続くものです。エジプトに移住したイスラエル人たちはゴシェンの地に住み着いて、羊の飼育を職業としました。更にはエジプトで最もよい地ラメセスを所有地として与えられていました(創世47章11節)。ヨセフの庇護のもと、穏やかな暮らしを営んでいたことがうかがえます。彼らは寄留者ではありましたが、決して奴隷などではありませんでした。おびただしく増えたその状況は「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」という、天地創造の祝福そのものでした。
 しかし、創世記の最後でヨセフが言った言葉は、イスラエル人たちの思いを表すものです。「神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」(創世記50章24節)。エジプトからはいつか必ず出て行かなければならない。イスラエルがいるべき場所は、あくまでも約束の相続地カナンである。このことの実現を記しているのが出エジプト記です。そこには時代の中での試練がありますが、神が指導者としてモーセを備え、強い導きでご計画を進められたことが記されています。今日はまず、選ばれた指導者モーセの誕生に目を留めて学んで参りましょう。

1.試練の時代

 1章は、時代の変化があったことを記しています。「ヨセフのことをしらない新しい王が起こった」(8節)のです。それもそのはずで、エジプト移住から出エジプトまで400年間ですから、すでに数百年が経過していたのです。王朝も変わったものと思われますが、歴史に学ぼうとしない権力者が起こったのでしょう。
 増えすぎたイスラエル人は国を危うくする、と新しいファラオは考えました。その結果「恐怖を抱く」(12節)ほどの、耐え難い不安に捕らわれたのです。彼らが不安を払拭する手段としたのは、イスラエルに対する過酷な労役でした。
 イスラエルの労役とは時代は違いますが、エジプトのアマルナという場所で、古代の平民墓地が見つかりました。その人骨を調査したところ、子どもは栄養失調と発育不全、大人は過酷な労働による負傷の痕が多く見られたそうです。背骨が折れたり押しつぶされていることも多いと報告されています。エジプト人庶民でもこの扱いですから、憎悪の的とされたイスラエル人の状況は推して知るべし、というところでしょうか。

 こうした苦役にも関わらず増え続けるイスラエル人を前に、ファラオは赤ん坊の殺害を命じます。しかしこの状況の中で神に用いられた人たちがいました。ヘブル人の助産婦たちです(ヘブル人とはイスラエル人の別の呼び名です)。その名はシフラとプアと明記されています。不思議なことに聖書は、権力者であるファラオの名は記しませんが、身分の低い信仰の人の名を記しています。ヘブル人の男の子は殺すように、との命令に彼女たちは従いませんでした。理由はただ一つ、「神への恐れ」です。王の命令に反することよりも、神のみこころを損なうことを恐れたのです。聖書は神がこの行動を喜ばれたことを記しています。「神はこの助産婦たちに良くしてくださった」「神は彼女たちのい絵を栄えさせた」。

 いま私たちが置かれている時代においても試練があります。新型ウイルスの蔓延という思いもよらぬ試練に、全世界が揺さぶられ不安や恐れが人の心をおおっています。これまでなかったような差別や中傷、給付金の詐取など、人の心の闇の部分が顔を覗かせています。
 しかし、「賢く扱う」つもりで行動したファラオたちが、結局不安も恐怖も取り除けなかったことを覚える必要があります。試練の時代にあって必要なのは、まことの神への正しい「恐れ」ではないでしょうか。「畏れ」という字を使う方が適切でしょうか。神様こそがまことの裁き主であり、恐れるべきお方です。そのみこころを見失うことのないように、この試練の時代における行動に気をつけていきましょう。そして神様に良くして頂き、恵んでいただくことにこそ、期待してまいりましょう。

2.モーセの誕生

 モーセはレビ人の家に生まれました。両親は6章20節によると、アムラムとヨケベデです。兄にアロン、姉にミリアムがいます。
 この両親も王の命令を拒んで、生まれた男の子を隠し、その後かごに入れてナイル川のほとりに置きました。ヘブル人への手紙11章23節は、この時のモーセの両親を信仰の勇者として記しています。横山幹雄牧師は次のように説明しています。「わが子を最も安全なところに隠すとすれば、全能者の陰以外にはありません。モーセの両親も信仰によって、わが子を信頼する主に委ねたのです。」

 両親の祈りの中、姉のミリアムがモーセがどうなるか見守っていると、エジプトの王女がその子を拾いあげるという事態になりました。ここでも女性が用いられていることを、女性のクリスチャンは心に刻む必要があると思います。王女の母性が刺激され赤子を慈しむ気持ちが起されたこと、少女ミリアムの機転が用いられ、あやしまれずに生みの母の養育に委ねられたこと…。本当に不思議な主のみわざです。そして彼女たちの女性としての細やかさや母性などが、ありのままで用いられ、後の偉大な指導者モーセが守られたのです。助産婦たちにも言えることですが、男性の真似をした行動や働きを、神様は求めてはおられないことがわかります。かえって、女性の特性を用いて、みわざに用いてくださいます。女性よ、立ち上がれ!というところでしょうか。
 モーセは、王女の権威のもと安全が守られ、実の両親のもとで信仰教育をうけながら幼児期を過ごすことが出来ました。養育費までも王女持ちです。ファラオの必死さと裏腹で、神様のユーモアさえ感じさせます。そしておそらくは乳離れした4~5歳の時期に王宮の王女に引き渡されます。その後のモーセはエジプトの最高の学問を教えられて成長し、言葉にもわざにも力があった、と言われます(使徒7章22節)。このエジプト王室の一員としての時代が、モーセの指導者としての基礎的な資質を育んだともいえるでしょう。

 神様は私たちの知らないうちにも、ご自身のご計画を進めておられます。信仰の人たちを通して力強い御手でモーセを守り、思いもよらぬ方法で彼を育まれました。それはイスラエルへの大きな憐れみと恵みのためでした。後にイスラエル民族を率いてエジプトを出、約束の地カナンに導く選びの器として、モーセはどうしても必要な存在だったからです。
 今の時代に生きる私たちにとって、神様のご計画が分からない時もあるでしょう。しかし神様は、大きな大きなご計画のうちにすでに働いておられます。モーセを守られた力強い主の御手は、私たち神の民のために動かされているのです。信仰を働かせて神様に信頼し、目の前の困難にくじけることなく、歩んで参りましょう。

<祈り>
 神様。イスラエルのためにモーセを備え、神を恐れる人々を用いて危機から守られたことを学びました。あなたこそ私たちを真実にお守りくださる方ですから、ありがとうございます。今もまた試練の時代です。この時代にあってあなたにふさわしい歩み方ができますよう導きをお与え下さい。信仰をしっかりと働かせ、あなたを恐れ、あなたに仕える歩みをなさせて下さい。御名によってお祈りします。アーメン。