2021年6月27日(日)礼拝説教 ヨシュア記14章6-15節 「主に従い通す」

<子どもたちへ>

 エジプトを出たイスラエルの人たちは、40年かかって約束の地カナンに到着しました。そしてヨルダン川を渡った先で、エリコの町を不思議な方法で攻略したのでしたね。それからヨシュアをリーダーとして、多くの地域が獲得されました。ヨシュアは公平になるようにくじ引きをして、「部族」ごとに住む土地を決めていきました。まだまだ先住民との戦いはありますが、その時点での割り当て地が決められました。
 その時ある人が、ヨシュアの前に立ち上がって思い切った申し出をしました。今日はその人のお話をして行きたいと思います。

 その人の名前は…カレブです。85歳のおじいさんです。前にお話をした時の姿はこれです(絵)。まだ若いですね。どんな人か思い出してみましょう。カレブはモーセが生きていたころ、カナンの地を偵察に行った12人の一人でした。そのうちの10人は「カナン人は強そうで、とても勝ち目はない。やめておこう。」と悪くいいふらしました。でもカレブとヨシュアの2人は、「カナンは素晴らしい土地です。神様が一緒にいて下さるなら必ず勝利出来ます。」と言ったのでした。その時神様を信じなかった20歳以上の人たちは荒野で40年さまよって、死んでしまいました。大人の中ではただカレブとヨシュアだけがカナンにはいることが出来たのでした。

 このカレブがヨシュアのところにやってきました。ヨシュアもおじいさんです。「ヨシュア様。昔のことを覚えていますか?偵察隊の仲間は神様を信じませんでしたが、私は神様に従い通しました。あの時神様は、あなたの足が踏んだ土地を、あなたとあなたの子孫に与えよう、約束して下さいました。今、あの時のヘブロンの山地を私に与えて下さい。そこの住民は強く、町にも頑丈な城壁がありますが、神様が一緒なら必ず勝利が与えられます。」
 それを聞いたヨシュアは嬉しくなりました。若い時からの仲間の昔と変わらぬ信仰に感動し励まされたことでしょう。「あなたの願うようにヘブロンを与えよう。主の祝福があるように!」カレブを送り出しました。「与える」と言っても、ヘブロンは抵抗を続けていて攻略は大変です。戦いが必要です。しかし神様は勝利を与えて下さり、ヘブロンはカレブのものとなりました。

 皆さん、神様を信じると言うことは、若い時とか熱心になれる一瞬だけのものではありません。「教会は楽しいな!」と思えるときもあれば、苦しい時もあるでしょう。でも、カレブの姿から、一生を通して神様に従い通す大切さを教えられるのです。カレブはどうして神様に従い通すことが出来たのでしょうか?それは、神様のおっしゃった言葉を大切に聞いて、それを信じました。若い時だけでなく、いつもそうしていました。私は皆さんが青年になっても、大人になっても、おじいさんおばあさんになっても、神様を信じ従う素敵なクリスチャンでいる姿を、心に描いてお祈りしています。皆さん自身も、自分の一生を神様に従い通していけるように、祈っていきましょうね。

<祈り>
神様。カレブは若い時だけでなく年をとっても神様を信じ従い通すことが出来ました。私たちもいつまでも神様を信じて従う、信仰の人生を進んで行けますよう助けて下さい。御名によって祈ります。アーメン。

<適用>

「彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。」 ヨシュア記14章14節後半

 本日で、出エジプトからカナンの地に入るイスラエルの旅の学びは一区切りとなります。前回学んだエリコの攻略は、ヨシュア記6書の記事でした。今回の14章に至るまでの間は、行わばカナンの地を巡る戦国時代です。7,8章ではエリコから西側の山地アイを占領しました。9、10章ではギブオンの住民との講和と、カナン人の王たちの「南部カナン同盟」に対する勝利が書かれ、11章では「北部カナン同盟」への勝利が記されています。12章では征服が要約され、13章ではまだ占領すべき地が残ってはいるものの、各部族に相続地の割り当てがなされたことが記されています。
 様々な攻防は続く中でしたが、神様の約束通りイスラエルのカナン定住が実現して行きました。それはアブラハムから続く壮大な約束の成就であり、祝福でした。14章を学んで行くと、この重要な時期に大切だったことが浮かんで参ります。ひと言で言うなら、それは「主に従い通す」ということです。彼らはどのように主に従って行ったのでしょうか。2つの点から見てまいりましょう。

1.助け合う神の民

 まず一つ目は、神の民イスラエルは、互いに助け合う事を通して神様に従った、ということです。ガリラヤ湖と死海の間を南北に流れるヨルダン川を挟んで、イスラエルは割り当てが異なっていました。イスラエルは12部族でしたが、その内2部族と半部族はモーセの存命中にヨルダン川の東側を相続地として受けていました。13章8節にある通りです(読んでみましょう)。そして今度は14:1~2にある「九部族と半部族」が、ヨルダン川西岸地域の割り当てを受けることになったのです。

 ここで注意したいのは、既に東岸を得ていた人たちも、西岸の獲得のためには共に命をかけて戦った、ということです。ヨシュア記1章14,15節を見ましょう。彼らは土地を持たない他の部族の先陣を切って助ける事が命じられています。自分は満ち足りているからもう動きたくない、という態度は許されなかったのです。私たちも主にある家族である兄弟姉妹のことをいつも覚え、助け合う者でありたいと教えられます。彼らは「あなたが私たちに命じたことは、何でも行います。あなたが遣わすところには、どこでも参ります。」とヨシュアに答えました(1:16).。ここに主に従う姿があります。それがこの日の西岸割り当てに繋がったのです。

 14章に戻ると、4節後半には「レビ族には、住む町と所有する家畜の放牧地以外には、何の割り当て地も与えなかった。」とあります。レビ族は聖なる祭司の部族でした。
 彼らには相続地が与えられず、主へのささげものが彼らの分け前として与えられることによって、養われていたのです。今の牧師や教職者が支えられるのと同じ仕組みです。レビ族は相続地が無いことを受け入れましたし、他の部族も主へのいけにえがレビ族に与えられるのを拒みませんでした。ここにも神の民の助け合いと信頼があります。それは主が命じられたことだからです。このような民全体の助け合いを神様はよしとなさり、ついに約束の地を得る祝福が実現したのです。互いを励まし、支えあい、教会の必要のためにささげていく、そのようなあり方を通して主にお従いしていきましょう。

2.取るべき地の獲得

 さて、占領地の割り当てはくじ引きで公平に行われて行きました。その中でひとり、ユダ族のエフンネの子カレブが立ち上がり、ヨシュアに求めました。14章12節「今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えて下さい。」これは何だか個人的な要望のように思えます。このような申し出は許されるのでしょうか?
 答えは、これは主から出たことである、ということです。決してカレブのわがままではありません。先ほど子どもたちと共に、45年前のカナン偵察の時の話を学びました。神様はカレブの信仰を喜び、彼とその子孫に偵察した地、ヘブロンを与えると誓っておられたのです。カレブはこの時85歳、当時においても老年の域です。しかし彼は、若い時の信仰に堅く立っていました。また驚くべき壮健さが備わっていました(11節)。カレブにとっては、取るべき地が残された未完了の状態で割り当てを終わらせるなど、考えられないことだったのでしょう。

 では、取るべき地ヘブロンとはどのような地だったのでしょうか。それは死海の西側、エルサレムの南方に位置する山地にありました。背の高いアナク人とその首長たちが、障壁に囲まれた歴史ある町に住んでいました。難攻不落ではありましたが、大変肥沃で魅力的な土地でした。
 それだけではありません。実はイスラエルの歴史においてもヘブロンは重要な地でした。それは、アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとレアの埋葬地こそ、このヘブロンだったからです。創世記23章19節「その後アブラハムは、マムレに面するマクペラの畑地の洞穴に妻サラを葬った。マムレはヘブロンにあり、カナンの地にある」とあります。また創世記49章後半で臨終の床にあるヤコブは、この私有の墓地に言及しそこに自分を葬るよう遺言しました。
 いわば「先祖代々の墓」のある地であり、イスラエル民族の心の故郷のはずのヘブロンなのです。どうして取り戻さずにいられようか、という思いがカレブにはあったのではないでしょうか。一度はヨシュアがヘブロンの王を下し、占領したはずのヘブロンでした。しかし周辺に逃れていたのか、アナク人の有力者シェシャイ、アヒマン、タルマイが舞い戻り抵抗していました。15章の中ほどには、カレブは勇敢に戦ってついには彼らを追い払ったと書かれています。これにより、何がもたらされたのでしょうか?14章の最後にはこうあります。「こうして、その地に戦争はやんだ。」ついに待ち望んだ平和が訪れたのです。

 皆さん、これが実現したら素晴らしいなと心に描く「とるべき地」がそれぞれにあるのではないでしょうか。難しいから、楽ではないから、今のままでも困らないから…。「とるべき地」を目をつむろうとするのが人間の弱さなのかもしれません。しかし、主の前に思い巡らしてみましょう。信仰によって取るべきなのに、そのままにしていることはないだろうか。この世の常識や、「大人の分別」と言う名の不信仰に陥っていないか。カレブのとるべき地は他の人ではだめでした。ひとり一人に異なる取るべき地があり、主の語りかけがあり、約束があり、召しがあるのです。仕事や家庭、夢、家族の救い、教会のビジョン。そうした一つひとつを今一度主の前に携えて、「私は主に従い通します。主よ祝福して下さい。」と祈りましょう。それがお互いの祝福にもなることを覚えて、共に祈り合いましょう。

<祈り>
神様。約束の地カナンを得る際に、信仰によって祝福を受けたカレブとイスラエルの姿を学ばせて頂きました。あなたとあなたのみことばに従い通すことが、祝福を受けるために必要だと教えて頂きました。私にとるべき地はあるでしょうか。不信仰になって諦めている物事がありますなら、どうぞ示して下さい。約束を信じる信仰により祈り行動することが出来ますよう、どうか私たちを励ましカレブにならう者とならせて下さい。主の御名によってお祈りいたします。アーメン。