2021年10月10日(日)礼拝説教 サムエル記第一 9章15-24節 「良い正しい道」

<子どもたちへ>赤松由里子師

 先週はサムエルのお話でしたね。サムエルは長い間イスラエルの指導者をつとめて、おじいさんになりました。ある日、イスラエルの人たちがやってきて言いました。「サムエル先生。先生ももうお年ですし、次の指導者には王様がほしいと考えています。どうか王様を選んでください」。サムエルはこれを聞いてがっかりし、悲しくなりました。「イスラエルの王様は神様で、人間の王様は必要ないのに、みんなはそれがわからないのだろうか?」

 サムエルは悲しい気持ちで神様にお伺いしました。すると神様はこう言われました。「人々に王の権利を伝えなさい。戦争の時に王は人々を連れていくし、王のために働かされたりするが、それでもいいのか、と。」言われた通りに伝えると、人々は「それでも構いません!王様がいれば他の国のように強くなれるはずです」と答えました。
 そこで神様はサムエルに言われました。「明日になると、ある人があなたの所に訪ねて来る。その人が私が選んだイスラエルの王だ」。
 次の日のことです。とても背が高くてハンサムな若者がサムエルを訪ねて来ました。「こんにちは!サムエル先生に相談があってやって参りました。」この人の名前は…サウルと言いました。彼が近づいてくると神様はおっしゃいました。「この若者が私が選んだ者だ」。サムエルはサウルに言いました。「神様があなたを王様に選ばれました。」するとサウルは驚いて言いました。「とんでもない!私など、王様にふさわしい者ではありません。」偉ぶらないサウルを神様は喜ばれたのです。サムエルはサウルの頭に油を注ぎました。それは神様に選ばれたしるしでした。サムエルは言いました。「神の霊が注がれて、あなたは新しい人に変えられます。神様があなたと一緒にいて下さいます。」

 さあ、このあとどうなったでしょうか。サムエルの言葉通り、神さまの霊を受けたサウルは心を新しくされて力を得ました。サムエルがサウルを紹介すると、人々は大喜びで「王様ばんざい!」と歓迎しました。
 こうしてイスラエルの人たちの願いを聞いて、神様は最初の王サウルを立てて下さいました。でもみなさん、この出来事に問題があったことに気付いたでしょうか?目に見えない本当の王である神様に頼ることを忘れた、不信仰が問題だったのです。実際、代々の王様がイスラエルを更なる不信仰に引き入れていく時代がやってきます。最後には国が亡ぶようになっていくのです。
 願いごとを聞いてもらうことに集中してしまうと、イスラエ人たちのようになってしまいます。神様はその願い事を喜ばれるだろうか、と考えてお祈りしていきましょうね。そして神様から長く続く祝福を受けさせていただきましょう。

 <祈り>
 神様。自分の願い事ばかり聞いてほしくなるのが私たちです。けれど、その願いが神様に喜ばれるものなのか、よく考えてお祈りしていけるよう導いて下さい。一時的な楽しみや願いでなく、長く続く本当の喜びを受けさせてください。御名によってお祈りします。

「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。」
                                         サムエル記第一 12章24節

<適用>赤松勇二師

 先週の木曜日の夜、関東地方で大きな地震がありました。その前には、秋田で大きな地震がありました。皆さんの所は大丈夫だったでしょうか。東京では、一部で停電になり、また電車が止まり通常運転になるまでかなりの時間がかかったようです。私の兄の家では犬を飼っていますが、地震が発生する前に犬が吠えていたという事でした。動物の防衛本能なのでしょうか。地震の後、テレビでは多くのチャンネルで地震のことを扱い、必要な情報を伝えていました。
 私たちには、人生を歩んでいくために情報が必要です。その情報は、聖書から受け取ることが出来ます。今日は、「良い正しい道を教えよう(Ⅰサムエル12:23)」というサムエルの言葉に耳を傾けましょう。サムエルは、良い正し道として何を教えているのでしょうか。

Ⅰ;主を恐れる

 「良い正しい道」の一つ目は、「主を恐れる」ことです。なぜなら主が私たちを治めておられるからです。
 サウルがイスラエルの王に選ばれ、人々は半信半疑でサウルを受け入れました。しかしすぐにサウルが王としてしっかり受け入れられる事件が起こりました。11章にそのことが記されてあります。隣国のアンモン人が攻めて来た時、サウルに率いられてイスラエルは大勝利を収めるのです。そこで、人々はサウルをイスラエルの王として宣言するのです。こうしてイスラエルの民は、一つの民族から一つの国となりました。こうしてイスラエルの民は、歴史的に一大転機を迎えることとなりました。

 サムエルは指導者としての使命は終わりましたが、預言者としての使命は残されています。Ⅰサムエル記12章23節に「私もまた、あなたがたのために祈ることをやめ、主の前に罪あるものとなることなど、とてもできない。」とあるように、サムエルの役目は、預言者としてイスラエルのために祈り、神の言葉を語ることでした。そこで、サムエルは、早速預言者として語ります。Ⅰサムエル記12章です。サムエルは、出エジプト記から士師記までの長い歴史をとても簡潔に要点をまとめて話しました。サムエルはイスラエルの歴史を振り返ることによって、どれだけ神様が素晴らしいことをしてくださったのかを知らせるのです。イスラエルの民はエジプトで苦役を強いられていました。神様はモーセとアロンを遣わしてイスラエルをエジプトから脱出させ、荒野での40年間を守り、約束の地に導かれたのです。それは、イスラエルの民が、全知全能の主なる神様によって導かれ守られて来たことを表わしています。けれどもイスラエルの民は生活が安定すると、神様の恵みを忘れ、他の偶像の神々に信頼し、仕えて神様の怒りを受けました。そこで、外国の国々によって攻め込まれ占領されることとなるのです。そのような中でもイスラエルの民が主に祈り、叫び求めるならば神様はいつでも助け手を送り、救い出してくださったのです。Ⅰサムエル記12章11節に出てくる人物(エルバアル、バラク、エフタ)は、士師記に出てくる人たちで、神様に選ばれた指導者でした。神様は、いつの時代もイスラエルを支配し、導かれ、平安を与えられて来たのです。サムエルはこの事実を決して忘れてはいけないと語りました。過去に神様がしてくださった事実は、現在も事実であり、未来においても神様のみわざは確かなものなのです。

 神様は、私たちを治めておられます。実に私たちは、いつも神様によって支えられていました。私たち自身のこれまでの人生の道のりを振り返る時そのことが分かるのではないでしょうか。神様が、私たちの人生を治めておられます。ですから私たちは、神様を畏れ敬い、信仰もって信頼して歩みましょう。

Ⅱ;心を尽くし誠実に主に仕える

 「良い正しい道」の二つ目は、「心を尽くして誠実に主に仕える」ことです。なぜなら、主なる神様が「私たちの王」だからです。
 イスラエルの民は、この重大な事実を見失っていました。そのことをサムエルは歴史を振り返りながら教えるのです。いつの時代でも主なる神様は、イスラエルを助け、導いてくださいました。イスラエルの民は、そのことを良く知っていたはずです。けれども彼らは、「王」を求めました。その時彼らは、「どうても、私たちの上には王が必要です。そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、・・・(Ⅰサムエル8:19-20)」と言ったのです。イスラエルの民は、神様に信頼するよりも、王が必要であり、主の支配にゆだねるより、王の支配が良いと言ったのです。民の言葉は、神様によって立てられたサムエルを退けるようなものです。しかし神様は、「彼らは、あなた(サムエル)を拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから(Ⅰサムエル8:7)」と言われました。イスラエルの民は、主なる神様の支配を拒んだのです。でも神様は、彼らの言葉を受け入れ王を立ててくださいました。神様の大きな憐れみです。

 実は、イスラエルに王が立てられたとしても、神様の支配は変わらないのです。けれどもイスラエルの民は、神様のご支配ではなく、選ばれた王の支配を喜ぶこととなるのです。ですから、Ⅰサムエル記12章13-14節は、とても大切な言葉です。「今、見なさい。あなたがたが求め、選んだ王だ。見なさい。主はあなたがたの上に王を置かれた。もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、自分たちの神、主の後に従うなら、それでよい。」イスラエルの民は、王が与えられたからと言って安心してはいけないのです。王として選ばれた者も王と言う権威にあぐらをかいてはいけないのです。イスラエルの民にとって、王が立てられることが大切なのではなく、大切なことは民も王も神様を恐れ、心を尽くし誠実に仕え、従うことが大切なのです。なぜなら、主こそイスラエルの王だからです。

 今の私たちに当てはめるならば、主なる神様が私たちを導き、私たちの王となってくださることを信じる事につながります。イスラエルの民は、神様と王を比較していました。神様は、他のどんなものとも比較してはいけないのです。しかし、時に私たちは、神様と他のものを比較して、どちらを選ぶべきかと考えます。神様とお金、神様と快楽、神様と仕事、神様と社会的地位など、どちらを選ぶべきかと悩むのです。神様は、何かと比較して私たちの都合によって選ぶものではありません。私たちの心の中心(王座)には、自分か神様かのどちらかが座ります。多くの場合、自分の欲望や自分の考えや方法を中心にしてしまいます。そして神様を心の隅に追いやり困った時だけ、「神様!!」と叫び助けを求めるのです。そして、ひと段落するとまた自分が中心になり神様を隅に追いやってしまうのです。そのような事はないと思うかもしれません。けれども、もし私たちが、「神様のしようとしていることが分からない。神様は、どこにおられるのだろうか、導きが分からない。」と思うならば、心の中心には、自分が座っているので分からないのです。神様に心の中心にお迎えしているならば、私たちはいつも神様を見上げ、神様に導かれていることを知ることが出来ます。
 私たちは、心の王座に神様に座っていただきましょう。神様は、私たちを治め、導く私たちの王なのです。私たちは、心を尽くして誠実に主に仕えて歩みましょう。

Ⅲ;大いなる主のわざを見る

 「良い正しい道」の三つ目は、「大いなる主のわざを見る」ことです。
 私たちは、神様の民として神様によって導いていただけます。その導きには、神様の大いなるみわざが溢れているのです。サムエルは、主こそイスラエルの王であることを証明することを求めました。主はサムエルの祈りに答えて、即座に雷と雨を下されました(18)。この突然の出来事に、人々は、主に信頼していなかったことに気づき、王が与えられたことを主の憐れみであると知り、悔い改めました。そこで、サムエルはイスラエルを励まします(19-22)。

 この言葉の中に、神様からの素晴らしい約束があります。イスラエルの民は、神様よりも王が欲しいと求めました。これは、神様を否定する態度ですが、神様は王を立ててくださいました。そして神様は、イスラエルを守り支えると約束をしてくださったのです。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし主に従う道から外れず、心尽くして主に仕えなさい。…。主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。主は、あなたがたをご自分の民とすることを良しとされたのからだ。(Ⅰサムエル12:20-22)」神様は、イスラエルの民を「ご自分の民として」くださり、捨てたりはしないと言ってくださったのです。これ程素晴らし恵みがあるでしょうか。

 この約束は、今も変わることはありません。今も神様は、信じる一人一人の罪を赦し、守り、決して捨てることはないのです。私たちはこの事実を心に留めましょう。神様は、私たちの日々の歩みに多くの恵みを与え、素晴らしいことをしてくださるのです。それは、私たちの人生に問題や試練がなくなるということではありません。私たちは、多くの困難に直面します。けれども神様は、私たちが直面する様々な事柄の中に共にいて下さり、私たちを導いてくださるのです。
 なぜならば、神様は、私たちを治める私たちの王であり、私たちは神様の御手に守られているからです。私たちは、「主を恐れ」、「心を尽くして誠実に仕え」、「主の大いなるみわざを見て」感謝をもって歩みましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。私たちは神様によって日々守られ、支えられていることを感謝いたします。神様は、王として私たちを治め導いていてくださいます。私たちは、心の王座に神様をお迎えいたします。神様、私たちの心の中心にいてくださり、私たちの進むべき道を示してください。私たちは、主なる神様を恐れ敬い、心を尽くして仕えます。神様がしてくださる素晴らしい御手のわざに目を向けます。主の祝福の中を歩ませてください。
 新型コロナウイルスの感染が広がることがないように助けて導いてください。一人一人の生活と健康と仕事を守ってください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」