2021年11月21日(日)礼拝説教 サムエル記第二 7章1-17節「祝福の約束」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 大谷翔平選手が、メジャーリーグでMVPを受賞しました。本当にすごいなぁと思いますね。皆は、将来に向けてどんな夢、どんな願いを持っているでしょうか。ダビデは、神様のためにと一つの願いを持っていました。けれども神様は、ダビデの願い以上の約束を与えてくださいました。
 ダビデが、サウル王から逃亡して何年たったでしょうか。サウル王や王子のヨナタンは、ペリシテ人との戦いで戦死してしまいました。その後しばらくして、ダビデは、イスラエルの王となりました。ダビデは、神様に信頼して歩み、イスラエルの国を治めます。ダビデが王になってもイスラエルの国の中に先住民族がいて、戦いが続きます。そのような中でダビデは、イスラエルの中心都市となるエルサレムを自分の町としまして、王宮を建てることが出来ました。

 次にダビデがしたことは、神の箱をエルサレムに運び込む事でした。「神の箱」と言われるものは、神様がモーセに授けた十戒の書かれた石の板とアロンの杖が入れられていました。神の箱は、神様がそこにいてくださるという事を表しています。イスラエルの人たちは、神の箱を大切に保管していましたが、戦いが続く中で敵に奪われていたのです。それをダビデは取り戻して、エルサレムに運ぶのです。
「さあ、神の箱をエルサレムに運び込もう。」ダビデは喜び踊りながら神の箱と共に進みました。イスラエルの人々もダビデと一緒に「なんて素晴らしいのだろうか」と喜び賛美しながら運びました。この日は、町中上げてのお祝いとなりました。こうして神の箱は、エルサレムの神殿(幕屋)に運び込まれました。

 神の箱が神殿の幕屋に運び込まれた時、ダビデはふと考えました。「自分の家は、立派な杉の木で建てられて、沢山の部屋があって何不自由ない環境がある。しかし、神の箱は幕屋(テント)の中に置かれている。これはまずいんじゃないかな?」「そうだ、神の箱のために一つの家を作ろう!!」
 そう決意したダビデは、その計画を預言者ナタンに伝えました。ナタンは、それを喜んで「ダビデ王様のお考えの通りにすると良いでしょう。それは素晴らしいことです。」と答えました。このダビデの計画は、誰が聞いても「良いこと」と思われたでしょうね。けれども神様は、違っていました。その晩、神様が預言者ナタンにダビデへの言葉を語りました。
 神様は、ナタンに言うのです。「モーセを通してイスラエルをエジプトから脱出させてから、ずっと幕屋に神の箱が置かれ、幕屋が神様の臨在を表わす場所だった。わたし(神様)は、杉の家を建ててくれと誰にも言ったことがないぞ。」神様は、ダビデが神殿建設をするのではないと言われました。しかし神様は、その時に神様ご自身が、ダビデのために一つの家を建て、ダビデの王国はずっと続くと約束してくれたのです。
 神様は、「わたしは、羊飼いのダビデを選んで、イスラエルの王とした。わたしは、いつもあなたと一緒にいて導いて来た。そのことを忘れてはいけないよ。」とも言ってくださったのです。神様は、いつもダビデと共にいて、成功させてくださいました。それだけでも素晴らしいことなのに、神様は、ダビデ王国がとこしえに(永遠に)続くと約束をしてくださったのです。この約束は、実際にダビデの子孫が王となるという確かな約束です。しかしそれ以上に、ダビデの子孫として、救い主が生まれるという約束でもあるのです。神様がダビデにしてくださった約束は、救い主イエス様の誕生によって完全に成就するのです。イエス様は、僕たちに救いを与え、永遠の命を与えるために人となってダビデの子孫としてお生まれくださいました。これが神様の永遠の約束です。この救いの約束は、今も変わりません。

 神様は、僕たちといつも一緒にいて下さり、導いてくださいます。イエス様は、僕たちの罪を赦し、永遠の命を与えてくださるために人としてお生まれくださいました。クリスマスは、救い主イエス様のお誕生を感謝し祝い、主なる神様を礼拝する時です。来週からアドベント(待降節)に入ります。救い主イエス様の誕生を喜び、心からの賛美を捧げましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、ダビデ王といつも一緒にいて下さり、確かに導いてくださいました。同じように神様は、僕たちと一緒にいてくださる約束を感謝します。また、神様は、イエス様をこの地上に送ってくださり、イエス様はダビデの子孫としてお生まれくださいました。このようにして救いの約束が与えられていることを心から感謝します。この祈りを救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」

   「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、
                    あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」 サムエル記第二 7章16節

<適用>

 「私、失敗しないので」あるドラマの有名なセリフです。ドラマの中のセリフですから、そんなに気にしなくても良いと思いますが、何とも高慢な言葉だろうかと思ってしまうのは私だけでしょうか。私たちは、気をつけていても失敗してしまいますが、本当に失敗しない方がおられます。その方こそ、私たちを愛し、導き、私たちに祝福を与えてくださる全能の主なる神様です。

Ⅰ;共にいてくださる約束

 神様が、私たちにしてくださる祝福の約束は、「共にいてくださる」という変わらない約束です。
 ダビデは、イスラエルの王となってから周囲の敵を打ち破り、平穏な時代を迎えて、自分の王宮に住むことが出来るようになりました。その時ダビデは、主のために一つの家を建てるという願いを持つようになったのです。ダビデは、全てのことが主の御手に支えられていることを自覚していましたので、このことを思いついたのでしょう。その思いを預言者ナタンに相談しました。ナタンについて詳しいことは分かりませんが、ダビデの側近として主の言葉を伝え、ダビデの友となり良き相談相手となっていたのです。ナタンは、当時、王様が神殿を建てることは常識であったし、神様のために家を建てて神様に栄光を帰したいというダビデの思いを知っていたので賛成します。

 しかし、神様は神殿建設に関してナタンに語ります。神様は、ダビデが神殿を建てることを認めませんでした。主の箱は、主の臨在を表すものです。神様はイスラエルの民をエジプトから導いたお方です。神様は、荒野の生活の中で「神の箱」によってご自身の臨在を示し、天幕を定めイスラエルと共に歩んでこられました。また神様はイスラエルの指導者に家を建てるようにと要求したことはありません。これは神殿を建てる必要がないというのではありません。いずれ建てることになりますが、ダビデのすることではないのです。イスラエルの王を神様がお選びになったのと同様に神殿に関しても神様が選ぶ人物がいて、神様の定める場所があり、神様の時があるという事です。神殿を建てるのはダビデの後継者となるソロモンに委ねられることとなりました(Ⅰ歴代誌22:7-11)。

 神様が、預言者ナタンを通してダビデに語ってくださった言葉(8-9節)に注目しましょう。神様は、イスラエルの王としてダビデをお選びになり、ダビデを大いなる者なさいました。ダビデは、全てのことは神様のご支配の中にあることを改めて確認する必要がありました。特に神様が与えられた約束を受取るために、約束を与えてくださる神様がどのようなお方なのかを知ることは大切なことです。主なる神様は、イスラエルと共に歩まれたお方です。神様は、どんな時でもどんな場所でも離れることなくイスラエルを導かれました。また、主なる神様は、ダビデを羊の牧場から選び、ご自分の民イスラエルの王とされました。そして神様は、いつでもダビデと共にいて、ダビデを守り大いなる名を与えてくださいました。ダビデは、実に多くの事をしてきましたが、その一つ一つはダビデ自身の力以上に、神様が共におられ、神様によって力が与えられたからなのです。
 私たちは、主なる神様が私たちを愛し、私たちと共に歩み、私たちを守り祝福してくださるお方であるということをしっかりと心に刻みましょう。神様は、あなたと共にいて、共に歩んでおられます。神様はイスラエルの中心にご臨在されたように、私たちの人生の中心に臨在しておられるのです。

Ⅱ;とこしえに続く

 神様が、私たちに与えてくださる祝福の約束は「とこしえに続く」ものです。神様は、神殿を建てたいというダビデの願いを退けました。それはダビデのすることではありませんでした。しかし、この時神様は、ダビデの王座に関して重要な約束を与えてくださいました。

 神様は、ダビデに安息を与え、「一つの家を造る」と言われます。ダビデは、神様のために「家」を建てたいと願っていましたが、神様ご自身が、ダビデの家を建てると約束してくださったのです。すでに王となり、王宮を持っているダビデにとって「家を建てる」というのは、どういう意味を持つのでしょうか。ダビデにとっての「家」それは、ダビデ王朝のことなのです。神様は、ダビデ王家を確立すると約束してくださったのです。しかもその王国はとこしえまでも堅く立てられるのです。その証拠に神様は、サウルから恵みを取り去ったけれども、ダビデの王国からは主の恵みは取り去られることはないのです。もし後の王が罪を犯した場合には、神様による懲らしめがあるけれども、神様の御手はいつもイスラエルの上にあるのです。
 ダビデにとっては想像していなかった主の言葉です。ダビデはこの言葉を聞いた時、主の御前に祈ります(18-29)。ダビデは、「神、主よ、私は何者なのでしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。(18)」と祈らずにはいられない気持ちで主に感謝するのです。ダビデは、神様のとこしえに続く約束の言葉を驚きと感謝をもって聞きました。主なる神様が真実なお方であると知っていたダビデは、主の言葉は必ず実現することを信じていました。神様の約束はずっと将来に関することで、ダビデは眼にすることは出来ません。けれどもダビデは、主が実現してくださると信じ祈るのです。ダビデの祈りからも彼の信仰を知ることが出来るでしょう。このダビデの謙遜と信仰のゆえに神様はダビデをお選びになり、とこしえの約束を与えてくださったのです。

 さて、私たちは神様の言葉、導きについてどのような態度を取るでしょうか。ダビデは、神様が語って下さった約束をそのまま信じました。ダビデが神様の言葉を信頼して疑わなかったのは、約束を与えてくださる主なる神様がどういうお方かを知っていたからです。神様は私たちにも御言葉を通して語りかけ導いてくださいます。私たちは御言葉によって何を学び、何を知り、何を実行するでしょうか。神様は、「今おられ、昔おられ、やがて来られる方、アルファーであり、オメガである(黙示録1:8)」お方であり、「初めであり、終である(黙示録21:6)」お方です。神様のとこしえの御手は、いつも私たちに差し伸べられているのです。この神様の恵みを知ることが出来るように祈り求めましょう。

Ⅲ;救い主の約束

 神様が、私たちに与えてくださる祝福の約束は「救い主の約束」です。神様がダビデに与えてくださった約束は、王位継承者が与えられ、ダビデの王朝が確立し、とこしえに続くというものです。このことはソロモンによって実現するわけです。神殿もソロモンによって建てられました。神様は時間的な流れの中で、近い将来について約束を与えられたと思われますが、しかし、ダビデへの約束は遠い未来への祝福の約束でもあったのです。

 旧約聖書を読んでいくとダビデの後ソロモンが王となります。ダビデ王朝は確固たるものとなったと思われましたが、ソロモンの後イスラエルは北と南に分裂してしまうのです。神様はダビデのように神様に従うことを求められましたが、歴代の王は神様に背を向け、罪の中を歩み、預言者の言葉も聞かず結局北イスラエルも南ユダも滅ぼされることとなってしまいます。
 けれども神様の約束が、失われてしまうことはありませんでした。神様は、確かにダビデに「とこしえに堅く立てる」と約束しておられました。神様は、ご自身の主権のもとこの約束をずっと保っていてくださったのです。だから、神様は、多くの預言者を通して、救い主に関する預言を語っておられたのです。旧約の預言者が救い主キリストの誕生を預言しているように、ダビデの王国がとこしえに堅く立てられるという約束は、救い主イエス様によって成就するのです。神様はアブラハムとの契約の中でアブラハムの子孫から多くの国民が出て、アブラハムの子孫によってすべての国々が祝福を受けると約束をしておられました(創世記12:1‐3)。この祝福の約束は、具体的にはダビデの子孫によって成就するのです

 神様は、ダビデに「わたしの恵みは、…サウルから取り去ったように、彼から取り去られることはない(15)」と語られました。この恵みと言う言葉はヘブル語で「ヘセド」と言う言葉が使われています。この「ヘセド」は、「変わらない愛、恵み、契約に基づく恵み」と言う意味があります。神様は、ダビデへの恵みを決して取り去らないと約束してくださいました。救い主イエス様による救いの恵みは決して取り去られることがなく、信じる全ての者に与えられるのです。

 来週からアドベント(待降節)を迎えます。私たちは、神様がダビデと結ばれた「祝福の約束」を心に留めましょう。その約束は、神様がいつも共におられるという約束でした。神様は、私たちの人生の真ん中にいてくださり導いてくださいます。神様の祝福の約束は、とこしえに続くものでした。神様は、昔も今もそしてこれからも変わらず、私たち一人一人に愛と恵みを注いでくださいます。神様の祝福の約束は、救い主の約束でした。神様は、救いと恵みと祝福を与えるために、イエス様を地上に送ってくださいました。救い主イエス様は、私たちが神様からの祝福の約束をしっかりと受け取ることが出来るようにお生まれくださったのです。救い主誕生(クリスマス)を覚え感謝し、主を賛美しましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様の祝福の約束を心から感謝致します。神様は、私たちの人生の真ん中にいつも共にいて下さり私たちを導いてくださることを信じます。神様は、昔も今もそしてこれからも変わらず、とこしえにおられ、祝福を与えてくださる方である事を信じます。ダビデへのとこしえの約束が、救い主イエス様によって成就したことをありがとうございます。イエス様は、私たちのために人としてお生まれくださいました。救い主誕生を心から感謝し、救いの恵みを受けて心から賛美します。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」