2021年12月26日(日)礼拝説教 マタイの福音書2章13-23節 「守り手なる神」 説教者:赤松由里子師

<子どもたちへ>

 今日は、なんと2021年最後の日曜日になりました。信じられない気がしますが来週は確かに2022年です。時間の過ぎゆくのはとても速いですね。
 さて今年最後の聖書のお話は、イエス様誕生の後の大事件です。いったい何があったのでしょうか。一緒に見ていきましょう。
 この人を見てください。すごく怒っています。冠をかぶっていますが、この人は誰でしょう?ユダヤの国のヘロデ王様です。先週のお話に出てきましたよ。東の国の博士たちがイエス様を探して来た時に、お城で迎えた王様です。「新しい王様が生まれた」と言われて不安になってしまって、居所をさぐろうとしていたのです。「おい!この間やってきた博士たちはどうした?早く連れて来んか!」家来がおそるおそる言いました。「あのう、博士たちはお城に寄らずに帰っていきました。」「何だと?むう~、新しい王になる赤ん坊を始末しなければならないのに。仕方ない、ベツレヘムとその近くの2歳以下の赤ん坊を皆殺しにするのだ!」恐ろしい命令が出されてしまいました。

 さて、こちらはヨセフとマリアと小さいイエス様です。夜遅いのに、家族で町を出るところです。「さあ急ごう」とヨセフがささやきます。何をしているのでしょう?実は、博士たちが帰った後で、ヨセフは不思議な夢を見ました。み使いが「マリアとぼうやを連れて、エジプトへ逃げなさい。ヘロデ王がこの子を探して殺そうとしています。」というのです。ヨセフは夢から覚めると、マリアを起こして言いました。「今すぐ出発だ。イエスを守るために、エジプトへ逃げるんだ」。こうしてイエス様家族は夜中に逃げたのでした。
 この後すぐに、ベツレヘムでは大事件が起こりました。王様の命令で、2歳以下の子供がみんな殺されてしまったのです。ヘロデ王は神様に逆らう恐ろしい王様でした。子供を失った父母はみな泣き叫びました。
 それからイエス様の家族は、エジプトで生活しました。言葉も食べ物も違う国で暮らすのですから、大変だったことでしょう。でも神様が守っていてくださいました。博士たちからもらった黄金なども、助けになったことでしょう。しばらくして、またみ使いが夢に現れて言いました。「さあ、イスラエルに帰りなさい。あのヘロデ王は死にました。」
 そこでイエス様家族はイスラエルに帰ってきました。でも、次の王様になったヘロデの息子は、ヘロデよりもっと恐ろしいとのうわさでした。「大丈夫かな、どこに住もうか?」ヨセフが悩んでいると、また夢でお告げがあり、ガリラヤのナザレに導かれました。こうしてイエス様たちはナザレに住み着いて、そこで暮らすことになりました。

 聖書では、この出来事一つひとつは昔から預言されていたことだと教えています。今日のみことばを一緒に読みましょう。学校生活や進路のこと、家族や友達との関係など、皆さんも困難や悩みがいろいろあるかもしれません。でも神様のお言葉に従っていくなら、神様のご計画通りに私たちを守り導いてくださいます。神様に信頼して1年を締めくくり、新しい年を迎えていきましょう。

<祈り>
神様、今年最後の礼拝が出来てありがとうございます。イエス様が命を狙われた時、いつも守ってくださったお話を聞きました。私たちも色々と悩むときがあります。どうぞ私たちのことも守り、導いてください。神様がいっしょにいて下さることを信じて、信頼して歩んでいきますからお助けください。御名によってお祈りいたします。アーメン。

「わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる。」  イザヤ書46章10節

<適用>

 私がかつて聖地旅行をさせて頂いた際、エジプトから始まってイスラエルに入るツアーに参加しました。出エジプトを始めとして、聖書はエジプトと関係が深いのです。エジプトでは聖セルギウス教会というコプト教の教会に立ち寄りました(コプト教とはキリスト教の一派です)。そこはなんと、イエス様が住んでいた地下洞窟の上に立てられているというのです。さて、これは本当かうそか、皆さんどう思われますか?日本の東北にも「イエスキリストがたどり着いて、ここで死んだ」などという伝説がありますが、その類でしょうか?
 いいえ、違います。イエス様が幼少期にエジプトに暮らした、というのは事実であります。それを記したのが今日の聖書箇所です。マタイの福音書は救い主の降誕を、預言の成就(じょうじゅ)という視点から記し伝えています。救いのご計画をみこころの内に導かれた神様を覚えて、1年のまとめの時として参りましょう。

1.神に逆らうヘロデ

 はじめに、神に逆らう者としてのヘロデ王に注目していきたいと思います。イエス様は今も昔もすべての人に歓迎されて生まれたわけではありません。ヨハネの福音書1章11節には「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった」とあります。ヘロデ王は、救い主を歓迎しなかった者の代表と言えるでしょう。神に逆らう思いに突き動かされてしまうとどうなるのかを、まず見て参りましょう。

 ヘロデは生まれてきた子を「ユダヤ人の王として生まれた方」(2章2節)と認識しており、同時に聖書に預言された「キリスト」(4節)であるとすぐに理解していました。これだけなら正しい認識であり、福音そのものです。しかしヘロデにとってそれは悪夢でした。3節には「動揺した」とありますが、新改訳聖書第3版では「恐れ惑った」とあります。彼には救い主誕生は、自分の王位を揺らがす凶報に過ぎなかったのです。
 ヘロデがどんな人物だったか、少し触れておきたいと思います。彼はイスラエルの王としては異色の人物でした。新約聖書が書かれる少し前の時代ですが、ダビデの子孫でないユダヤ人の王が続いたことがありました。北イスラエル王国とも南ユダ王国とも関係のない王です。ヘロデはその王に仕えた将軍でした。ローマ帝国との関係づくりに秀でていた彼は、まんまとユダヤの統治者の座を政治的に手に入れたのです。

 更に彼はユダヤ人でなくイドマヤ人(エドム人)でしたから、王としての正当性に大きな疑問符のつく人物でした。イスラエルではダビデの家系こそが正当な王家でしたから、民心がダビデの子孫であるキリストに傾いたら、自分の王座は危ういと思ったのでしょう。
 神のキリストを抹殺しようと思い立ったヘロデの心の闇は想像もつきません。彼はイエス様1人を見つけ出すのが無理だとわかると、なんとベツレヘム周辺の2歳以下の子供を皆殺しにさせました。自分では手を汚さず兵を遣わし、用意周到に地域も広めにとって、年齢も幅を持たせて、虐殺は念入りに実行されました。権力と心の闇に突き動かされて、ヘロデは神に逆らう悪事を行ないました。

 このヘロデを愚かで邪悪と切り捨てるのは簡単です。しかしむしろ、ヘロデのように自分の計画や考えを最優先してしまう部分がないか、自分自身を顧みるよすがにしたいと思います。自分中心の生き方のままでは、神のみこころが成るのを喜ぶことは出来ません。主に自我を明け渡し、みこころが成るのを喜ぶ者とならせて頂きましょう。

2.神に従うヨセフ

 一方、このところで重要な役割を果たすのはヨセフです。救い主イエス様が無防備な赤ちゃんとして生まれてきた時に、ヨセフという「父」が守ってくれた、というのは本当に大きなことでした。彼の信仰と行動力が、救い主誕生と成長に欠かせませんでした。見ていきましょう。
 13節にはヨセフがみ使いのお告げを受けている様子が記されています。先ほど学んだように、エジプトへ逃れよとの警告でした。みことばを聞いて即時に決断できる人物がヨセフでした。ベツレヘムの町にはヘロデ配下の兵士たちの軍靴が響いていたかもしれません。一刻の猶予もない中で、ヨセフの行動は適切でした。あてもなく外国に逃亡することの大変さは想像もできません。冒頭で紹介したエジプトのイエス様の住居跡伝承のある場所とは、地下洞窟でした。幼子を抱えた若夫婦の苦労がしのばれます。しかしそこでも神様は彼らを守ってくださいました。

 この後、ヘロデ王の死去に伴いイスラエルに帰るようにとの御告げや、ヘロデの息子アルケラオを用心するようにとの警告も、すべてヨセフに語られています。神様がヨセフを選びの器として重んじておられるのが伝わって参ります。

 ヨセフはどんな困難な中でもみことばに聞き従う人物でした。幼いイエス様とマリアを守るために、みこころに従って行動する人でした。ヘロデ王と比べれば無力な、一介の大工に過ぎませんが、彼は大いに用いられました。神に逆らった権力者の悪しき計画は失敗しましたが、神に信頼し従った信仰の器は守られました。私たちは救い主を守り通してくれたこのヨセフに、もっと感謝と関心を持っていいと思います。私たちもヨセフのように神に信頼して従い、用いられる者となるよう励んでまいりましょう。

3.守り手なる神

 最後に神様ご自身が、ご自分の計画を進め守られるお方であることを見て終わりたいと思います。
 マタイは繰り返し「これは、預言者を通して…と語られたことが成就(じょうじゅ)するためであった」と書いています(15,17,23節)。聖書によれば、人の目には突発的に見えることも実は神の壮大な計画によるものです。人間の理解を超えているのです。なぜ、どうして、と問いたくなる理解の難しい出来事も時にあります。しかし私たちが知っておくべきことがあります。エレミヤ書29章11節を読みましょう。「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている―主のことば―。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

 神様のご計画は善きご計画です。このことを信じることがまず必要です。その上で今日のみことばを読みましょう。「わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる」(イザヤ46章10節)。
 神様は罪人である私たちを愛してくださり、一人子をつかわす救いのご計画を実現させてくださいました。そのみわざは何物にも妨害されることなく、着実に進められてきました。私たちの過ぐる1年を振り返ると、思い通りにならない心もとない面があったかもしれません。だとしても神様はご計画を進めながら私たちを覚え導かれる「守り手なる神」であられます。神への信頼を新たにして、新しい年を迎えていきましょう。

<祈り>
 神様。この1年も私たちを導いて下さり、信仰から迷い出ることなく支えて下さったことを感謝いたします。救い主の降誕の時、神に逆らう者と従う者との間にみ使いを遣わし、イエス様家族を守り通されたことを学びました。あなたのご計画が善きものてあることを信じます。みことばの実現を喜ぶものにして下さい。またヨセフのようにあなたに信頼して従うものとなしてください。新しい年も、守り手なるあなたへの信仰により平安をもって歩めますように。どうぞ私たちをお導きください。御名によってお祈りします。アーメン。