2022年2月6日(日)礼拝説教 マタイの福音書25章14-30節「与えられた賜物」説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 皆には、何か趣味があるでしょうか。得意とすることがありますか。趣味や得意とすることがあったら、どんなに小さなことでも大切にしてください。それが皆の人生の中で大きな力となるかもしれません。
 イエス様は、一人一人に神様から素晴らし賜物(神様のために出来る事、力)が与えられていることを教えてくださいました。イエス様が話してくださったたとえを見て行きましょう。

 「これから、私は、旅に出る。私が留守にする間、お前たちに財産を預けることにする。お前には5タラント、お前には2タラント、そしてお前には1タラント。」このように、ある金持ちが、旅に出かける前に3人のしもべに財産を預けました。今、僕たちは、芸能界で活躍する人を「タレント」と呼びます。この言葉は、もともと聖書の「タラント」という重さやお金の単位だったのです。このお金の単位(タラント)が「タレント」となったのは、イエス様のたとえが影響しているのではないでしょうか。
 しばらく前に1タラントは、今の金額にするとどれくらいになるのかを話したことがありますが、覚えていますか?
 1タラントは、6000デナリです。1デナリは、1日分のお給料の金額だと言われています。計算しやすいように、1日の給料が1万円だとして計算すると、1タラントは、6000日分ですから、約6000万円となります。それだけでも相当な金額ですが、5タラントは、6000万円の5倍ですから、約3億円という事になります。僕たちの想像も出来ないほどの金額が預けられたことになります。ちょっと待ってください、5タラントと2タラント、そして1タラントだいぶ違いがあるように見えますね。これは決して不平等に分けたのではありません。主人がしもべの能力を判断して、それぞれの能力に応じて渡した金額です。主人は、一人一人に無理のない、負担にならない程度の財産を預けたことになります。

 預けられたしもべは、どうしたでしょうか。5タラント預かったしもべは、「よーし、ご主人様から預かった5タラントで、商売をしよう。」とすぐに決めました。そして彼は、さらに5タラントを儲けたのです。2タラント預かったしもべも「せっかくのチャンスだから、僕も商売をしてみよう。」と考え商売をして、やはりさらに2タラントを儲けたのです。しかし、1タラント預かったしもべは、「自分だけ1タラント???」と思ったでしょうか。そうではなく彼は、「この1タラントを使って失敗したらきっとご主人様に叱られてしまう。それは大変だ、そうだ、誰にも見つからない場所に穴を掘って隠しておこう!」彼は、そう考えて地面に埋めてしまいました。
 しばらくして主人が帰ってきて、清算をしました。5タラントと2タラントの人は、それぞれ自分のしたことを報告しました。主人は、二人のしもべを喜び、ほめました。しかし1タラントのしもべが報告をすると、笑顔だった主人の顔がみるみる変化して、厳しい顔つきになって行きます。そして主人は、1タラントを取り上げて、10タラント持っているしもべに渡すのです。
 5タラントと2タラントの人は、自分に期待して任せてくれた主人のためにそれを用いて、さらに利益を得ました。彼らは、与えられたものを賢く管理したのです。でも1タラントの人は、それを用いることをせず、賢く管理することもありませんでした。

 イエス様が、教えておられることは、みんな一人一人に神様からの賜物が与えられているという事です。最初に言いましたが、神様からの「賜物」とは、神様に仕えるために神様が与えてくださる力、知恵、才能の事です。皆さんは、神様から素晴らしい賜物を与えられています。与えられていない人はいません。それは、神様を賛美する事かも知れません。イエス様の事を友達に伝える事かも知れません。誰かのためにお祈りする事かも知れません。手紙や絵を描いて人を励ます事かも知れません。イエス様は、与えられている賜物を使って歩みなさいと教えてくださったのです。そのような生活には、神様からの喜びが溢れます。神様は、さらに多くの良い物を与えてくださいます。

 祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様が素晴らしい賜物を与えてくださっていることを感謝します。神様から与えられている賜物が何かを教えてください。僕たちが、神様のために何か出来ることがある事を感謝します。神様の喜びで満たされ、神様からの良い物で満たされて歩めるように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。
主人の喜びをともに喜んでくれ。」                  マタイの福音書25章23節

<適用>

 私たちは、仕事をしていると様々なことを任されます。仕事に就いているわけですから、ある程度やるべきことを任されることは、嬉しいことです。けれども自分の力以上のことを言われると、なかなか大変だったり、困惑したりします。私は、学生時代に新聞配達をしていました。1年目は新人ですから、一番軒数の少ない(150軒程)区域が任されます。2年目には、自分の区域を次の新人に渡し、250軒ほどの別の区域を担当するようになりました。そうすると2区域を配ることが出来るようになります。3年目以降は、300~350軒の区域を覚えるように言われ、その区域を担当するようになります。そうすると、3つの区域を覚えることになりますので、自分の区域を配達しながら、時には、休みの人の代わりに別の区域を配達できるようになるわけです。しかし徐々に増えていったので、負担はなく、自分の力に応じて配達することが出来るようになっていきました。
 イエス様は、タラントのたとえによって、私たちが生きるために大切な原則を教えています。ここでのタラントは、神様から与えられている賜物、神様からの力、知恵、知識ということを表しています。イエス様のたとえから共に学びましょう。

Ⅰ;あなたの賜物は何でしょうか。

 私たちは、神様から「与えられた賜物」があります。では、あなたの賜物は何でしょうか。皆さんは、「自分にはどのような賜物が与えられているのだろうか?自分は、福音を伝えるために何が出来るのだろうか?」そんなことを考えたことはありますか。自分には、何も出来ないと思うことがあるでしょうか。何もないという事はありません。神様は、必ず一人一人に賜物を与えてくださっています。

 このたとえの「主人」は、イエス様のことで、「しもべ」は、私たちのことです。「タラント」のたとえは、25章13節までの「天の御国・再臨」というテーマの続きとなっています。しもべたちが、主人の留守を守り、帰りを待つという状況は、丁度私たちが、イエス様の再臨を待ち望んでいる今を表わしています。しもべにタラント預けた主人のように、私たちの主であるイエス様は、私たち一人一人にタラントを与えてくださっています。私たちは、それぞれ与えられている力に応じて、神様に仕えることが出来るのです。パウロは、ローマ人への手紙12章でその多様性を教えています。「私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物をもっているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しみなく分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。(ローマ12:6‐8)」

 私たちは、神様のために何かをすることが出来るのです。実は、私たちの時間や持ち物、性格、趣味、体力、知識などすべてが神様から頂いた特別な賜物、特別な力です。皆さんは、神様からどんな賜物を与えられているのでしょうか。ぜひ、考えてみてください。
 私は、小学生の時にギターを始めました。その時は、単純に趣味としてはじめ、自分の好きな曲だけを弾いていました。しかし神様は、ギターが上達するように導いてくださいました。今では、神様が私の趣味であるギターを神様ご自身のために用いるようにしてくださったと受け止めています。
神様からの賜物は、自分ではなかなか気づかないものかもしれません。教会での兄弟姉妹との交わりの中で、相手の賜物を見つけたらそれを教え合うことも良いかもしれません。

Ⅱ;賜物を管理して用いる

 私たちには「与えられた賜物」があります。ですからその賜物を管理して用いることがゆだねられています。
 「タラント」は、神様が私たちに委ねている賜物を現しています。その賜物は、人それぞれ違います。パウロは賜物には「預言、奉仕、勧めをする人、分け与える人、指導する人、慈善を行う人(ロマ12:6-8)」などがあると教えています。また「賜物にはいろいろの種類があり、・・・奉仕にはいろいろの種類があり、・・・働きにはいろいろの種類がある(Ⅰコリ12:4-6)」とも教えています。神様は、一人ひとりにその力に応じて(信仰に応じて)賜物を与えてくださっています。与えられていないという事はありません。

 私たちは、知恵とか力とか才能などと聞くと、すぐに「自分はあの人のようには出来ない。」とか「あの人のような才能はない」と比較してしまいます。誰かと比較を始めたらそれは、際限なく続いてしまいます。けれども、神様が与えてくださる賜物については、誰かと比較して優劣をつけるものではありません。私の場合は、「ギターを弾きくことは出来るけれど、ギターソロは出来ないし、他の人のように上手に歌うことは出来ません。」でもそれで良いのです。繰り返しますが、神様は人と比べるために賜物を与えているのではないのです。「私は、私として、あなたは、あなたとして」神様から与えられている知恵や能力、働きがあるのです。神様は、神様ご自身のご栄光のために私たちに賜物を委ねてくださっているのです。私たちは、委ねられている賜物を用いて主に仕えるのです。いずれ主の前に清算するときが来ます。その時私たちは、どのような賞賛を受けることになるでしょうか。

 タラントを預かったしもべの姿にもう一度注目しましょう。5タラントと2タラント預かった人は、主人の思いを知り、主人のために大切に管理し用いて商売をして、倍額にしました。主人は、しもべが財産をよく管理して忠実に歩んでいたことを喜ぶのです(21、23)。そしてしもべに対して主人は、多くのものを任せ、ともに喜ぶのです。一方1タラントを預かったしもべは、どうだったでしょうか。彼は、1タラントを土に埋めて隠してしまいました。彼は、主人の気持ちを考えず、しっかり管理しているとは言えない状態でした。だから主人は、そのしもべの不忠実さを怒ったのです。
 なぜ主人は、1タラントの人に対して厳しい態度を取っているのかもう少し考えてみましょう。彼は、1タラントを増やしていませんが、減らしてもいないのです。決して無駄にはしていないのです。ここで主人が問題としたのは、1タラントを預かったしもべの心でした。1タラントと言っても約6000万円というとてつもない金額です。彼は、それなりの実力があり、主人に信頼されていた人だと思います。けれども1タラント預かった人は、主人の信頼に答えなかったのです。彼は、主人を信頼していないし、財産を任せてくれた主人の気持ちを無視したのです。5タラントと2タラント預かったしもべは、主人の信頼に答えることを優先しました。タラントを預けた主人は、しもべたちが忠実であったかどうかを見たのです。
 私たちは、神様からそれぞれ賜物、主に仕え主の栄光を現すことのできるタラントが与えられています。ですから私たちは、それを委ねてくださった神様に感謝をし、主に従い仕えることが求められています。ペテロは、「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい(Ⅰペテロ4:10)。」と教えています。何度も繰り返すようですが、私たちは、一人一人神様からそれぞれ違った賜物が与えられています。私たちは、その賜物を用いて主に仕え、教会に仕えるのです。全ての人が牧師や宣教師になるわけではありません。会堂掃除も説教の題字を書くことも、音響の奉仕も、受付も、玄関にスリッパを並べる事も、教会学校の教師をすることも、教会での全ての奉仕のために、神様は一人一人に賜物を与えておられるのです。「祈り」という賜物を持っている人もいるでしょう。体を動かすのではなく、一人一人のために祈る、これも大切な賜物です。賜物は教会の中だけではなく、家庭や社会の中でも用いることが出来ます。私たちは、神様から与えられている賜物を用いて、様々な場所で主の栄光を現す事が出来ます。

 最後にもう一つ確認したいことがあります。タラントを預けた主人は、5タラントと2タラントのしもべが、成功したから喜んだのではありません。もし商売して失敗して、持っているお金が減っても怒りはしなかったでしょう。主人は、「忠実であった」ことを喜んだのです。主人の気持ちを自分の気持ちとして受け止め、主人の喜ぶことを優先していた事を喜んだのです。1タラントの人は、その事を考えず、「不忠実」だと言われたのです。
 イエス様が私たちを見られる時、イエス様は、私たちの成果や成功を見ているのではありません。どれだけのことが出来るのかが問題なのではありません。イエス様は、私たちの心を見ておられるのです。私たちは、イエス様の愛を感謝し、イエス様の救いの恵みを喜び、イエス様を信頼して仕えて行くのです。それが忠実な生き方、与えられている賜物を用いる生き方となります。
 皆さんは、どのような賜物が与えられているでしょうか。私たちは、自分に与えられている賜物をよく管理し、神と人に仕えて歩みましょう。イエス様に「よくやった忠実なしもべ」と言っていただけるように歩みましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様が一人一人に賜物を与えてくださっていることを感謝致します。私たちは、与えられている賜物を用いて神様に仕えていきます。私たちは、神様の喜びを自分の喜びとし、神様の恵みに感謝して歩みます。私たちが、神様から与えられている賜物を知り、管理し、用いることが出来るように導いてください。
 一人一人を通して、神様の素晴らしさが現わされ、一人一人を通して神様の恵みが広がって行きますように導いてください。
 新型コロナの感染が拡大しています。どうか収束へと導いてくださり、感染している人たちを癒し、医療従事者が守られますようにとお願い致します。教会の一人一人の健康を支えてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」