2022年3月6日(日)礼拝説教 ルカの福音書19章1-10節 「本当の解決」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 学校は、あと3週間すると終わりますね。という事は、4月から学年が一つ上がって新しい学年になりますね。神様の祝福に満たされた学校生活を送ることが出来るように祈ります。
 先週、バルティマイの目が癒されたイエス様の不思議なみわざを学びました。バルティマイが癒された場所は、どこだったでしょうか。覚えていますか?バルティマイが癒されたのは、「エリコ」の近くでの出来事でした。ルカの福音書18章の後半に名前は出来てきていませんが、バルティマイが癒された出来事が記されてあります。そして19章1節には「それからイエスはエリコに入り、」とありますので、バルティマイの癒しとザアカイがイエス様に出会ったことは連続した出来事だったことが分かります。このエリコの町でどんな出会いがあったのでしょうか。

 エリコの町に「ザアカイ」という人が住んでいました。彼は、小柄な人で(3)、仕事は取税人のかしらです。エリコという町は、多くの人々が行き来して商売をしていたので非常に繁栄した町でした。ですからエリコの町を出入りする人々から税金を取るための場所が置かれていたことでしょう。ザアカイは、その取税人たちを雇い、多くの利益を得ていました。彼は、エリコの町で一番の金持ちとなっていたのです。ザアカイは、イエス様がエリコを通られることを聞いて、一目見ようと慌てて飛び出して行きます。けれども背が低く、群集のために見ることが出来ません。「おい!、俺様が通るのだぞ、このザアカイ様がイエスを見るために通るのだ、道を開けろ!」ザアカイは大声で怒鳴りつけます。けれども町の人々は、「ザアカイなんかに道を開けるものか。イエス様が、お前なんかを相手にするわけないだろう」とザアカイが前に出ることを邪魔します。誰もザアカイのために道を空けてくれません。するとザアカイは、前方にあるいちじく桑の木を見つけ、それによじ登りました。エリコの町には、ザアカイが上ったと同じような、いちじく桑の木が保存されています。週報の裏に写真を見てください。

 「あの木なら登りやすい。よーし木に登って上から眺めてやる」するとザアカイは、スルスルと木に登って行きました。権力があって、金持ちの人が木登りをして眺めるというのは、あまりカッコいいことでありません。でもザアカイは、そんなことは気にせず、イエス様を見たかったのです。それほど彼はイエス様に集中していたのです。ザアカイが眺めていると、どんどんイエス様が自分のほうに向かってくるのが見えました。ザアカイは、「おー、こっちに来るぞ、良く見える」と思いながらイエス様を眺めます。なんとイエス様は、ザアカイが登ったいちじく桑の木の下に来て足を止めたのです。そして木の上にいるザアカイを見上げて、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることしているから。」と声をかけたのです。これには、ザアカイだけではなく周りの群衆もびっくりしてしまいました。そして人々は、「あの人は罪人のところに行って客となった。」とつぶやくのです。町の人々は、「どうしてザアカイの所になんか行くのか。あいつは町で一番の嫌われ者なのに」とでも言ったでしょうか。

 一方のザアカイはというと、喜んでイエス様を迎えました。ザアカイは、超有名なイエス様が、自分の家に来てくれるのですから、本当に嬉しかったでしょうね。イエス様とザアカイがどんな話をしたのかは分かりません。でもその晩ザアカイは、人生が180度変えられました。ザアカイは、「財産の半分を貧しい人たちに施し、脅し取ってしまった人には、4倍にして返します」と言うのです。これは、イエス様と出会い、イエス様の話を聞いてザアカイが、悔い改めて信仰をもった証拠です。イエス様は、この時素晴らしい宣言をしてくださいました。今日の御言葉です。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです (9-10)。」

 この晩ザアカイは、イエス様を信じ、すべてを悔い改めて、変えられ素晴らしい人生のスタートをしたのです。ザアカイは、罪に対する本当の解決、人生を歩む本当の解決をイエス様によって得ることが出来ました。僕たちもイエス様を信じましょう。イエス様は、罪を悔い改め、イエス様を救い主と信じる全ての人の罪を赦してくださいます。イエス様は、皆の心の必要を全てご存じて、一つ一つに本当の解決を与えてくださいます。

 祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。ザアカイはイエス様に出会って、イエス様を信じ変えられました。イエス様が今も僕たちの罪を赦し、本当の解決を与えてくださることを信じます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」
                                        ルカの福音書19章9-10節

<適 用>

 ロシアがウクライナに軍事侵攻をしてから私たちは、世界がどこに向かって行くのだろうかと不安な毎日を過ごしています。私は、悲しみと嘆きと共に、毎日ニュースを見ています。武力によっては、何事も解決することは出来ません。そんなことは誰もが知っている事なのに、どうして人々は、戦闘へと進むのでしょうか。今、侵略されている一方を助けるために武器の提供が行われています。そうしないと戦えないし征服されてしまうからです。しかしその結果は、さらなる戦闘の拡大となり、泥沼状態となるでしょう。私は、どうしたら戦争を止められるのか分かりません。ただ、神様の憐れみと御手の介入を求め、そして「御心が天で行われているように、地でも行われますように」と祈るのみです。なぜなら、本当の解決は、イエス様の救いに、主なる神様の御手にあるからです。

Ⅰ;声をかけてくださる

 ザアカイは、イエス様によって本当の解決に導かれました。そのためにイエス様は、ザアカイに声をかけたのです。私たちは、ザアカイの中に共通点を見出すことが出来ると思います。それは、誰でもが「心の寂しさ」を持っていると言うことです。ザアカイは、多くの税金取立人をまとめる親玉であり、大金持ちでした。しかし私は、何に不自由のない生活をしていただろうと想像できるザアカイの心の中に、彼の寂しさを見る思いがするのです。
 現在でも様々な形で「税」が徴収されていますが、恐らくエリコの町でも何かにつけて税金を取り立てていたのでしょう。後でザアカイ自身が振り返っていますが、ザアカイの時代には、税金額を増額し脅してでも徴収するという事が行われていました。税金の差額は、自分のものとしたわけです。十分なお金がなく払えない人からも無理やりに徴収していたのではないでしょうか。だから取税人は、私服を肥やして金持ちになっていったのです。ザアカイはそのかしらですから巨万の富を得ていたことでしょう。ザアカイは、富を求める思いから抜け出せず、「もっと儲けよう。儲けてあれをしよう。これを買おう」などと考えたのではないでしょうか。

 ある会社の社長の話です。その人は、仕事が成功し、会社はどんどん成長し、多額の収益を得るようになりました。多くの人が、高収入、贅沢な生活を夢見て入社したそうです。しばらくすると、従業員が次々と辞めていきました。社長が理由を聞くと、「あなたのようになりたくないから」と言われたそうです。社長は、仕事に専念するあまり、高級ファッションを身に着けることなく、人が羨むような生活とは程遠い生活をしていたそうです。従業員たちは、社長を見ていて「いくら高収入でも贅沢な生活が出来なければ意味がない」と失望したと言います。その後社長は、豪邸を建て、ブランド品を身につけ、「高収入=贅沢な生活」という模範を示したと言います。なんとも悲しい現実です。人は、高額の収入があると、そのことを自慢し、高価なものを求めるようになり、その心は、お金と宝石、高価なもので支配されるようになるのです。

 ザアカイは、そのような生活スタイルだったのではないでしょうか。しかしその生活は、彼を孤独と空しさへ追い詰めていきます。ザアカイは、取税人のかしらとして多くの富を得て、地位を築き上げ、出世していきました。人も羨むような生活をすることが出来ました。しかし最も大切な人との愛情、心の富みを失っていたのです。そして、彼は、寂しさとむなしさと孤独感を抱いて過ごしていたのです。ユダヤ人であるザアカイは、ローマ帝国の役人として同胞のユダヤ人から巨額の税を徴収することで、ユダヤ人たちを苦しめていました。その結果ザアカイは町で一番の嫌われ者となりました。7節を見るとザアカイは、人々から「罪人、悪人」と呼ばれていたのです。「ザアカイ」という名前は「きよい人、義人」という意味がありますが、彼は名前とは正反対の人生を送っていたのです。イエス様を見ようと近寄っても背が低くいザアカイを誰も前に出してくれないことからも嫌われ度が理解できるのではないでしょうか。

「自業自得だろう」と言いたくなりますが、イエス様は、ザアカイに対して一つの光りを与えてくださいました。イエス様は人々から嫌われ、相手にされず、孤独と虚しさの中にいたザアカイを知っていて、名前を呼んで親しく語りかけてくださったのです。このイエス様の語りかけに、本当の解決の糸口があります。
 皆さん、イエス様は、今も私たちの名前を呼んで声をかけてくださっています。そしてイエス様は、私たちの心の空しさ、孤独感、無気力感を取り除き、人生の目的を与えてくださるのです。イエス様は、あなたの罪の問題も、生きる目的もご存知です。そして本当の解決を与えてくださるのです。ザアカイのように急いでイエス様を心に迎えるべきです。

Ⅱ;イエス様の愛による解決

 「本当の解決」は、イエス様の愛による解決となります。ザアカイは、イエス様に出会ってイエス様の愛によって変えられた人生を送った人です。ザアカイは、どんなところから変えられたのでしょうか。ザアカイは、「自己中心」という罪から解放されました。実は、ザアカイだけではなく、イエス様がザアカイの客となったと非難した人々も自己中心だったのだと思います。と言うのは、人々は「自分はあんな奴の家には行かない。」とザアカイを切り捨てているからです。人々は、イエス様のお考えを理解せず、不満を表わすのです。

 では、ザアカイはどうだったでしょうか。ザアカイは、究極の自己中心だったと思います。彼は、「自分さえ良ければ、誰がどうなろうと構わない」と考えていたのではないでしょうか。だからザアカイは、人々を脅してだまし取ることが出来たのです。ザアカイは、弱い立場の者を踏みつけても自分が裕福になることを求めたのです。彼は、貧し人々を見下し、自分の欲望のままに生きたのではないでしょうか。

 実は、この「自己中心」がすべての争いの根幹にあります。自分の思い通りにすべてを行おうとする時、人は、他の人を無視し、他の人の自由を奪おうとします。自分の欲望を満足させるために人は、他の人を傷つけ、蹴落とそうとします。国と国が争うのも、同じ原理があります。そして国としての自己中心が「戦争」という形で表れていくのです。しかし私たち一人一人も例外ではありません。私たちの心にも「自己中心」の思いがあります。人が自己中心になったら、人間関係は崩れ、争いが絶えないのです。私たちは、今一度「自分の心はどうだろうか」と問いかける必要があります。私たちは、「あの人、この人」の問題としてではなく、自分自身の問題として心を見つめることが必要です。

 なぜなら、「自己中心」は、神様を求めない心から生まれて来るからです。「自分さえ楽しければそれで良い。自分の利益になれば他の人はどうなっても構わない。自分の願う通りに生きられれば周りはどうでも良い。」この思いが自己中心であり、神様を無視した心です。そのような心では、神様を求めることは出来ません。この自己中心が人間の最大の罪であり、主なる神様に対する最大の反逆です。
 では、ザアカイは、どうして「自己中心」から解放されたのでしょうか。それは、イエス様との出会い、イエス様の愛に触れたからです。彼は食事の席で悔い改めました。彼の告白を見てみましょう8節です。「主よ。ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」。ザアカイは、イエス様の愛に触れ、自己中心と言う罪を知り、悔い改めてイエス様を信じました。彼の人生は180度変えられました。イエス様を信じることによってザアカイは、価値観まで変わったのです。ザアカイは、空しい寂し人生から解放されました。それはイエス様の愛に触れ、愛に満たされたからです。ザアカイの人生は、180度の方向転換をしました。それは、ザアカイがイエス様を信じてイエス様を心にお迎えしたからです。

 イエス様は、今も私たちの名前を呼んで声をかけてくださいます。私たちは、どのように答えるでしょうか。私たちの心は、神様の導きや御心を求めているでしょうか。それとも自分の願い、価値観によって「自己中心」になっているでしょうか。イエス様の愛によって心を満たして頂きましょう。私たちは、イエス様による「本当の解決」を与えて頂きながら人生を歩むことが出来ます。
 イエス様は、「人の子は、失われた者を捜して救うために来た」と言ってくださいました。イエス様は、私たちを罪から救うために来てくださいました。イエス様は、皆さん一人一人を捜して、見つけ出して救うお方です。イエス様は、愛を持って声をかけてくださいます。私たちの名前を呼び、私たちに本当の解決を与え下さるイエス様を心にお迎えしてはいかがでしょうか。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様、私たちの心を満たしてください。イエス様、あなたを心の真ん中にお迎えします。イエス様によって本当の解決が与えられ、罪赦され、人生が変えられることを感謝します。どうぞ私たちの日々の歩みを導いてください。
 ロシアとウクライナが戦争状態となっていて、世界が混とんとしています。神様、この戦争が一日も早く終り、ロシアとウクライナとの間に神様の平和を与えて下さい。全世界に、神様からの平和が実現するように助けてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」