<子どもたちへ>
今年の進級式のプレゼントに、皆さんはトートバッグをもらいましたね。何の柄か覚えていますか?十字架?花柄?お星さま?正解は、お魚マークでした。しかも、お魚のお腹にギリシャ語で「魚」を意味する「イクソス」という言葉が書かれています。実はこれは、「イエスキリスト、神の子、救い主」という言葉の頭文字をとっているのです。初代教会のクリスチャンたちが、迫害の中でも信仰を表すために生み出したマークなのです。
さて、この「イエスキリスト、神の子、救い主」という言葉を言った最初の人はだれでしょうか。それは、みんなもよく知っている人です。その人は、先週も学んだペテロさんです。今日はこの告白をした時のお話をします。
イエス様と弟子たちは、ある時ピリポ・カイザリアという町に来ました。ローマ皇帝のために整えられた街で、とても発展していました。弟子たちはキョロキョロと、町を見回しています。「あっ、あそこに大きな像があるよ」「本当だ、あれは皇帝の像だね。でもみんなあれを礼拝しているよ」「困ったもんだね」。そう、ここではローマ皇帝を神様のようにあがめていたのです。
そんな町を見てイエス様は弟子たちに言いました。「人々は私を誰だと言っていますか?」弟子たちは答えます。「バプテスマのヨハネだとか、預言者エレミヤだという人もいます。」「預言者の一人だという人もいます。」イエス様は聞きました。「では、あなたたちは私を誰だと言いますか?」
弟子たちは何と答えようかと考えました。その時ペテロが最初に答えました。それが今日のみことばです。一緒に読んでみましょう。「あなたは生ける神の子キリストです」(マタイ16章16節)。まさに、イクソス、「イエスキリスト、神の子、救い主」ですね。
するとイエス様はとても喜んでおっしゃいました。「あなたは幸いです。父なる神様があなたにそれを教えて下さったのですから。」
そしておっしゃいました。「では私もあなたを『ペテロ』と呼びます。」ペテロとは岩、という意味です。さらにこうも言われました。「私はこの岩の上に私の教会を建てます。」これってどういう意味でしょう。これは、ペテロの表したような固い信仰の告白を土台にして、信じる人たちの群れ、教会を作っていくのだ、という意味です。
教会は学校でも塾でもありません。また気の合う人たちの集まりでもありません。イエス様を神の子、私の救い主ですと信じる人たちの集まりです。イエス様が集まることを望まれた集まりなのです。
私たちもイエス様への信仰告白をはっきりとさせて頂きたいと願います。信じていること、思っていることを、口に出して表明して行きましょう。そして教会で、信仰を励まし合う交わりが出来たら素晴らしいと思います。皆さんのバッグのお魚マーク、イクソスを見るたびに、この信仰告白の大切さを思い出して下さいね。
<祈り>
神様。イエス様を神様の御子、救い主と信じて告白することの大切さを教えて頂きました。私たちが心から信仰を告白して励まし合い、教会を盛り立てていけるようにお導きください。御名によってお祈りします。アーメン。
「あなたは生ける神の子キリストです。」 マタイの福音書16章16節
<適用>
皆さんは学生時代に、何か部活動をしておられたでしょうか?スポーツだったり文化系だったり、何かしらやっておられた方が多いのではないでしょうか。私も中学ではソフトボール部に、高校と大学では聖書研究会に入っていました。だいたいはそのスポーツや楽器、活動などが好きでメンバーになりますね。部員は「同好の士」という間柄になり、青春時代を共にした仲間は一生の友達になったりします。
では教会はどうでしょうか。聖書を愛し、聖書研究を一緒にする仲間の集まり…礼拝も一緒にする家族のような存在、一種の「同好の士」ということでしょうか?これは正しくもあり、間違いでもあります。これらはどれも大切なことで、大きな恵みです。しかし、それだけ、になってしまうと教会の本質からそれてしまう恐れがあります。私たちが確認しなければならないのは、「教会は神様が呼び集めて下さった集団である」という視点です。それは信仰告白に深く結びついています。今日はこのことを2つの点から学んでいきましょう。
1.神様の働きかけによる信仰告白
イエス様一行の行かれたピリポ・カイザリアは、ガリラヤ湖よりさらに北に位置します。異教的な雰囲気のその町で、イエス様は質問されました。「人々は人の子をだれだと言っていますか」(マタイ16:13)。
弟子たちは人々のイエス評を知らせます。バプテスマのヨハネ、エリヤなどなど、どれも亡くなった偉人の名前が挙げられています。それは○○の再来、という意味以上に、亡くなった預言者がよみがえった、と捉えられていたようです(ルカ9章参照)。いずれも重要な働きをし、ユダヤ人の尊敬を集めた人物たちですが、人々が抱くイエス像には最も大切なものが欠けていました。
イエス様は更におっしゃいました。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか?」思えば弟子たちは、イエス様がどういうお方かいつも自問自答していました。まずは「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか」(マタイ8:28)と言っていました。そこから「舟の中にいた弟子たちは『まことに、あなたは神の子です』と言って、イエスを礼拝した」(マタイ14:33)と変化しました。そして本日の箇所で、ペテロは更に進んだ信仰告白をするのです。すなわち「あなたは生ける神の子キリストです」(マタイ16:16)というものです。これこそ、イエス様をどういうお方か理解しようとする時に、欠かすことのできない点です。
「わたしをだれだと言いますか」という問いは、私たち一人ひとりに向けられたものでもあります。異教的な環境でも、周りのイエス像ががっかりするようなものだったとしても、私たちが心からの信仰告白をすることを主は望んでおられます。
イエス様は「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。」(16:17)と言われました。バルヨナとは「ヨナの子」という意味で、おそらくペテロの本名でしょう。人の知識や熱心さなどでは、このような信仰告白は不可能だということです。神様が働きかけて下さって初めて、人は真実な信仰告白が出来るのです。神様はこの幸いを私たち一人ひとりに与えようと、今日も生きてお働き下さっています。まさに「生ける神」であり、イエス様はその一人子なのです。私たちもまた信仰に生きる者として、「イエス様、あなたは神の子救い主です」と、言葉にして信仰告白を表明して参りましょう。
2.教会の土台としての信仰告白
もう一つ重要なお言葉は「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」(16:18)というところです。イエス様ご自身が、将来誕生するであろう教会(ギリシャ語でエクレシア)を想定しておられるのです。しかも教会の土台は「この岩」だというのです。これにはいくつかの理解が存在します。
皆さんは現代のキリスト教のグループについて、いくつかの宗派があることをご存知のことと思います。例えば私たちの教団は、プロテスタントという大きなくくりの中にあります。またローマ・カトリック教会というローマ教皇を頂点とする大きな団体もあります。さらにはロシア正教、ギリシャ正教など、各国家や文化に根差した特色ある宗派が存在しております。カトリック教会ではペテロ自身が「岩」であり、その後継者としてのローマ教皇が教会のトップである、という理解です。けれどもプロテスタントの諸教会においては、ペテロのした堅い信仰告白こそが「岩」であり、教会の土台だと理解されています。
しかし多くの宗派はあれど、すべての教会はイエス様の昇天後に生まれた初代教会がルーツです。それは人の意欲や動機によるものではなく、聖霊の働きによって生まれて来たものであります。それは命がけの信仰告白が土台でありました。信仰の先達によって、今の時代にまで救いの福音、生ける神の子キリストが伝えらえて来たことを感謝致します。
私たちはまず何よりも、「イエスは生ける神の御子、私の救い主」といつでも表明できるよう心を備えて参りましょう。さらに、私たちが主への信仰を日々言い表して励まし合うことは、主のみこころに叶うことです。どうぞ毎週の交わりの中で、主はこんなことを教えて下さった、主は真実なお方でこのように導いて下さった、とお互いに言い表して行きましょう。そのようにして私たちの教会の土台をさらに堅くし、教会を盛り立て次の世代につなげて参りましょう。
<祈り>
神様、礼拝へとお招き下さりありがとうございます。「あなたは生ける神の子キリストです」との信仰告白が、日々私にとって真実なものでありますように、どうぞ整えて下さい。その信仰告白に生き、信者の交わりの中であなたをあがめ、互いに励まし合って教会を盛り立てて行くことが出来るようにと願います。ペテロを祝福されたように、私たちをも祝福にあずからせて下さい。御名によってお祈りします。アーメン。