2022年6月12日(日)礼拝説教 使徒の働き3章1-16節 「唯一の救い主」

<子どもたちへ>赤松由里子師

 先週はペンテコステの礼拝でしたね。イエス様を裏切る失敗をした弟子たちでしたが、聖霊を受けて本当に変わりました。何をも恐れずイエス様を宣べ伝えるようになったのです。今日はペテロたちが神殿でイエス様を伝えた時のお話です。

 ここはエルサレムの神殿、「美しの門」という場所です。門の近くに男の人が座っています。何だか元気がありませんね。どうしたのでしょう?この人は生まれつき足が不自由で自分の足で歩いたことが無かったのです。それでここに連れて来てもらって、通りかかる人たちからお金を恵んでもらっていたのです。「ああ、本当はこんな生活嫌だなあ。でもお金をもらわないとご飯が食べられないし。誰か今日の分を恵んでくれないかなあ」。男の人はため息をつきました。

 そこにペテロとヨハネがやって来たので言いました。「私に何か恵んで下さい」。ペテロが言いました。「私たちを見てみなさい。」(お、何がもらえるのかな?)男の人は期待しました。でもペテロは言いました。「金や銀、お金は私たちにはありません。でも私にあるものをあげましょう。イエス様のお名前によって歩きなさい。」ペテロが手を伸ばして男の人を起こすと、どうでしょう、足にぐっと力が入ります。そして躍り上がるように立って、歩きだしたのです。癒しの奇跡です。

 「ああ、立てたぞ、歩けるぞ!先生がた、ありがとうございます!」この人は神様を賛美しながらペテロたちと一緒に神殿に入っていきました。
 これに驚いたのは神殿の中にいた人たちです。「おいおい、あれは美しの門にいた男じゃないか。自分の足で歩いているぞ!」みんなびっくりして、口がアングリと開いてしまいました。大勢が集まってきたのでペテロは言いました。「皆さん、これはイエス様がしてくださったことです。それなのに救い主イエス様をあなたたちは殺してしまいました。悔い改めてイエス様に従い、罪を赦して頂きなさい。」このお話で、なんと5千人もの人たちがイエス様を信じるようになったのです。

 ところが、そこに祭司たちがやってきました。「何をしているのだ!捕まえてやる!」ペテロとヨハネは逮捕されてしましました。そして次の日には、大祭司たちまで出てきてまるで裁判のようになったのです。イエス様の時のようですね。「神殿で勝手に人を集めて演説したりして、何のつもりだ!」と責められました。
 しかしこの時のペテロは前とは別人のようでした。「あなた方が十字架につけて殺し、その後よみがえられたイエス様が、あの人の足を治したのです」。そして言いました。今日のみことばを一緒に読みましょう。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」祭司たちに脅されても、ペテロは言いました。「人に従うのでなく、神様に従います。私たちはイエス様のことを伝えないわけにはいきません」

 どうしてこんなに力強くイエス様を証出来たのでしょうか?何よりも聖霊様を受けたことがその理由です。人を変えることが出来るのは聖霊様なのです。さらに、イエス様だけが、救いをもたらすたった一人のお方だ、と確信していたからです。皆さん、小さい時から聞いてきた「イエス様」のお名前は、それほど素晴らしいものなのですよ。教会はペンテコステから約2千年間、このイエス様を伝え続けてきました。それで今の教会があり私たちがいます。私たちも聖霊様の助けと救いへの確信を頂いて、その伝える役目を少しでもになえたら素晴らしいですね。

<祈り>
 神様、礼拝に導いて下さりありがとうございます。ペンテコステに聖霊様を受けたペテロたちが強められ、癒しの奇跡が行われたことを学びました。イエス様は大きな力のある救い主であることを、私も信じます。世界にこの方の他に、救いを与えるものがないことを信じます。どうぞ私を強め成長させて、イエス様の証人にしてください。御名によってお祈りします。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」        使徒の働き4章12節

<適用>赤松勇二師

 先週静岡で開催された、日本福音同盟(JEA)の総会のためにお祈りありがとうございました。往きの道は台風並みの大雨で、帰りは雨雲を追いかける形となり、休憩中に雨雲に追い越され、また雨雲を追いかけるようなこととなりました。無事に行ってくることが出来ました。総会では、JEAとしての2021年度の決算と2022年度の活動や予算が話し合われました。私は、総会だけではなく、会議の合間にある交わりを通して、福音宣教に対する新しい刺激を与えられて帰ってくることが出来ました。その総会の場で私は、何人かの先生方に挨拶をさせていただきました。その時には、小川教会の牧師であるという名刺をお渡しし自己紹介させていただきました。皆さんも名刺交換をする場面があるでしょうか。私たちが使用する名刺には、自分が所属する会社や部署、立場などが書かれている事でしょう。このように私たちの名前は、私たち自身を現し、名前を通して世界が広がっていくことを経験することが出来るのです。
 今日は、「唯一の救い主」というお方についてご一緒に学びましょう。

Ⅰ;イエス・キリスト

 「唯一の救い主」は、イエス・キリストです。イエス様の御名には力があります。ペテロとヨハネは、ユダヤ人の祈りの習慣を守り、午後3時の祈りのために神殿に向かいました。そこには、「美しの門」があり、神殿に来る人はそこから入って行きます。この門で生まれつき歩けない男の人が、礼拝者から施しを受けていました。ペテロとヨハネは、この男性を見つめて「私たちを見なさい」と言い、続けて「金銀は私にはない。しかし、・・・(6)」と言って彼を立たせました。するとどうでしょうか。彼は、生まれつき歩けなかったのですが、立ち上がり、歩けるように、飛び跳ねることまで出来るようになりました。

 この奇跡から私たちは、何を知ることが出来るのでしょうか。
 それは、今でもイエス様は、生きて働いておられるということです。ペテロは、確かに奇跡を行いました。けれどもそれは、ペテロ自身の力や能力ではありません。ペテロは、人々が自分に注目するのではなく、神様が預言者を通して語れたメシヤであるイエス・キリストに注目するようにと力強く証をするのです。イエス様は、人を罪から救う救い主です。人々は、イエス様を十字架に付けて殺してしまいました。しかしイエス様は、復活し今も生きておられます。私たちは、イエス様の救いを信じて、罪を悔い改めるなら、罪の赦しを得ることが出来るのです(19)。

 ペテロは、このイエス様の御名が、信じる信仰によって男性を癒したと言っています。イエス様の御名には人を変える力があります。男性は、イエス様の御名を信じる信仰によって肉体的な癒しだけではなく、魂の救いを得ることが出来たのです。彼は、その喜び、感謝を、飛び跳ねながら、神様を賛美し、礼拝することで表現しています。イエス様の御名には、信じるすべての人を強くし立たせる力があるのです。
 イエス様は、今、私たちが経験する一つ一つの問題に解決を与えて下さるお方です。

 皆さんは、この男性の必要が何かわかるでしょうか。必要なものは、着る者、食べ物、お金、それらのものは確かに必要です。しかしこの人に本当に必要なものは、その場限りの金銀や食べ物ではなく、彼が自分で立ち、歩き、生きていけるようになることです。ペテロとヨハネは、恐らく祈り心を持って見つめる中で、この本当に必要なことを見極めたのではないでしょうか。そしてペテロは、その全ての必要を与える事の出来るお方は、イエス・キリストであることを知っていたのです。だからペテロは、「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と宣言したのです。私たちは、祈るとき必ず最後に「イエス・キリストの御名によって」と祈ります。これは、イエス様が「わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう(ヨハネ14:14)」と言われたからです。イエス様は、ご自身の名前で祈る私たちの祈りを聞いてくださり、父なる神様もイエス様の御名による祈りを聞いてご自身のみわざをしてくださるのです。だからペテロは、イエス様の御名によって宣言したのです。するとイエス様は、男性を癒してくださいました。私たちは、今でもイエス様は、イエス様の御名によって祈る私たちの祈りを聞いて、ご自身の力を表してくださることを信じましょう。
 イエス様の御名には、力があるのです。

Ⅱ;この方以外に救いはない

 「唯一の救い主」は、イエス・キリストです。この方以外に救いはありません。
 生まれつき歩けなかった人は、ペテロの言葉(宣言)を聞いて、差し出されたペテロの手を握りました。まさに「わらをも掴む思い」だったと思います。するとどうでしょうか。今まで歩いたことのない男性は、足とくるぶしが強くなって立ち上がることが出来るようになりました。立ち上がっただけではなく、歩き出し、跳ねたりしながら喜び踊っているのです。彼は、ペテロの言葉を信じ、イエス様の御名に期待して信仰をもって立ち上がりました。神様は、彼を癒しただけではなく、彼の生き方も変えてくださいました。彼は、癒されてすぐに家に帰ったのではありません。彼は、神を賛美しながらペテロたちについていって宮で祈りの時を持ちました。これまで神殿に入ろうと願っても、なかなかそれは出来ませんでした。でも今は、堂々と神殿に入って主を礼拝できるのです。彼は、癒された感謝と喜びを全身で表現しながら歩いたり跳ねたりしていたのです。その声に多くの人々が驚き、ペテロたちのもとに集まって来ました。

 ペテロは、この出来事をきっかけとして、集まった人々にイエス様のことを話し初めます。人々は、ペテロが自分の力や信仰深さによって奇跡を行ったと考えていました。ペテロは、そのことをはっきりと否定し、これは人間のわざではなく、イエス様の力によることだと宣言しました(13-16)。そのイエス様は、「アブラハム、イサク、ヤコブの神が」栄光を与えたお方で、「きよい、正しい方」です。けれどもユダヤ人たちは、総督ピラトが釈放すると決めたのに、それを拒んで、殺人犯を釈放することを願い、イエス様を十字架につけて殺してしまったのです。けれどもイエス様は、死からよみがえり、今も生きておられるのです。ペテロは、このように語り、その御名を信じる信仰によって、奇跡が起こったと説明しました。

 ユダヤ教の祭司たちは、弟子たちの奇跡や群集が弟子たちの伝道によってイエス様を信じていることを良く思っていませんでした。そこで祭司長たちは、ペテロとヨハネを捕らえることにしたのです。
 翌日、ペテロとヨハネは、ユダヤの最高議会で尋問されることとなりました。この最高議会は、数ヶ月前にイエス様を十字架につけた人たちです。ペテロとヨハネは聖霊に満たされ、大胆にイエス様の十字架と復活による救いを語るのです。そして、ペテロは声を大にして「この方以外には、だれによっても救いはありません。」と宣言しました。私たちも、信仰の宣言をする思いで、ご一緒に今日の聖句、使徒の働き4章12節を読みましょう。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられてないからです。」

 ある人は、「イエス・キリスト以外に救いはない」と聞くと、「そんな狭い救いの道しかないのか」と感じるかもしれません。救いを登山に例えて、「宗教と言う入り口は様々あるけれども、たどり着く場所(頂上)は一つだ」という事を聞くことがあります。人間には、沢山の選択肢があったほうが都合が良いので、そのような考え方が出て来るのかもしれません。その結果は、あれもこれもと答えのない、迷路のような道に迷い込むのです。皆さん、罪の赦し、救い、永遠の命について「この方以外に救いはない」という明確な答えをしてくれるのは、聖書だけです。イエス・キリスト以外に救いはありません。私たちに救いを与え、永遠の命を与え、天の御国への約束を確かに与えてくださるのは、イエス様だけです。そのために、イエス様は、十字架で私たちの罪の全ての責任を引き受けて下さり、死なれ、三日目によみがえり今も生きておられるのです。

 私たちは、歩けなかった人の癒しに注目していますが、忘れてはならない人たちがいます。それは、この男性を神殿の入り口まで運んでいた人たちの存在です。使徒3章2節を見てください。「この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる門に置いてもらっていた。」とあります。この男性は、毎日人の手を借りて、美しの門まで運ばれて来ていたのです。家族か、友だちか分かりませんし、その人たちが、どれほどの期待を込めていたのかも分かりません。しかし、このような陰の奉仕があって、使徒たちの奇跡が行われました。そこに運んできてくれる人がいたから、歩けない人は神様の癒しを経験することが出来たのです。その人たちは、彼が癒されたのを見てどれほど嬉しかったことでしょうか。

 皆さん、イエス様は、根本的な必要をご自身の御名のゆえに答えることが出来るお方です。私たちは、イエス様の御手に支えられることを知っています。それだけではなく、私たちは、歩けなかった人を運んだ人たちのように、まだイエス様を知らない人たちをイエス様のもとに連れて来ることが出来ます。そのようにして私たちは、神様のみわざの一端を担うことが出来ます。祈りつつ、証しをし、一人でも多くの人をイエス様のみもとにお連れしましょう。そこに必ず、神様のみわざが行われます。

 私たちのために十字架にかかり死なれ、三日目によみがえったイエス様は、今も生きておられます。イエス様を信じる信仰によって私たちの歩は確かなものとなります。そして私たちは、信仰によって、新しい命が与えられ、新しい生き方、主にある人生を送ることが出来ます。唯一の救い主イエス様には、私たちを救う力があります。私たちは、「イエス様は、私の人生を導き、変え、新しい道を与えてくださる。イエス様の御名には力がある。」と宣言しましょう。
 私たちには、「唯一の救い主」イエス様以外に救いはありません。この方以外に救いはありません。イエス様は、賛美のなかった私たちの口に、喜びと感謝の賛美を与えてくださるお方です。私たちの人生には、実に多くの事柄があります。私たちは、その中で右往左往して自力でもがきながら生きて行くのではなく、ペテロと同じように力強く宣言しながら生きることが出来ます。私たちは、事あるごとに使徒4章12節を自分自身の信仰の告白として宣言しましょう。このペテロの告白は、福音そのものであり、私たちの確信でもあります。私たちにとっては、イエス様こそ唯一の救い主であり、このイエス様以外には救いはありません。
 ご一緒に使徒4章12節を宣言しましょう。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられてないからです。」

祈り
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様は、唯一の救い主です。イエス様の御名には力があります。イエス様以外に救いはありません。そのことを信じます。主よ、どうか私たちの信仰を強め、いつも力強く宣言して歩むことが出来ますように導いてください。
 新型コロナウィルス感染は、未だ収束していませんが、徐々に落ち着きを取り戻しているように思います。神様、引き続き一人ひとりの歩みを導いてください。
 ロシアとウクライナの地に平和を与え、戦争が終結し、世界に神様からの恵みと憐れみが溢れますようにとお願い致します。
 この祈りを私たちの唯一の救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」