2022年6月19日(日)礼拝説教 使徒の働き6章1-15節 「福音を伝えよう」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 皆のクラスには、当番で回って来る「日直」のほかに、「黒板係り」、「給食係り」、「掲示係り」などたくさんの係りがあることでしょう。そのような係りを全て担任の先生がやっていたらどうなるでしょうか。先生は、きっと授業どころではまく、忙しく動きまわることになるでしょうね。クラスの皆が、「係り」をすることで、担任の先生は、授業に専念することが出来るのです。それでも、クラスでは「先生、○○くんが」とか「先生、これが分からない」など、先生は忙しくしている事でしょう。

 ペンテコステの日に誕生した教会には、イエス様のことを伝える伝道の働きのほかに、たくさんのやらなければならない事がありました。エルサレムの教会では、ペテロをはじめとする12使徒たちが忙しく動き回っていました。けれども教会に集まる人数が増えてくると、12人では足りなくなって問題が発生する事となりました。
 その時の教会には、「ギリシャ語を使うユダヤ人」と「ヘブル語を使うユダヤ人」たちが集まっていました。
「ちょっと、ペテロさん、どうして私たちへの食事が後回しにされているのか。」「どうしてヘブル語を使うユダヤ人が優先されているのか」という意見が出されました。ギリシャ語を使うユダヤ人たちというのは、エルサレムで生活する前は外国で生活をしていた人たちのことです。

 ペテロは、それを聞いて「困ったことになったなぁ。教会では皆で持ち物を分け合って共有していたはずなのに、差別が起きてきているなんて。教会に集まる人数が多くなってきて、自分達では手に負えないや」と他の使徒たちと相談しました。そこで解決のためにあることを決め人々に伝えました。「私たちは、御言葉の宣教を後回しにすることは出来ない。かといって食事に関する事も大切なことだ。こうしよう。食事に関する事などを担当する係り7人を選ぶことにしよう。」そしてペテロは、教会の人たちに「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち7人を選びなさい」と伝えました。こうして教会の執事(役員)が選ばれることとなりました。12使徒たちは、祈りと伝道に専念して、ますますイエス様を信じる人たちが増えて行きました。

 その選ばれた7人の中にステパノがいました。ステパノは、聖霊に満たされ、教会の食事に関する事だけではなく、伝道し、神様の奇蹟も行っていました。そして人々と議論した時には、主からの知恵と聖霊の助けによって答えることが出来たのです。反論できない人々は、ねたみに燃えて群衆や長老、律法学者たちを扇動して、ステパノを逮捕しました。
 ユダヤ人の最高法院に連れ出されたステパノは、神殿と律法に逆らうことを教えていると訴えられました。これは、神様とモーセに反対することを教えているという訴えです。これに対してステパノは、毅然とした態度で、旧約聖書から語りました。

「みなさん、神様は、アブラハムを選んで彼を祝福されました。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれました。このヤコブから12部族が誕生しました。ヤコブたちは、飢饉のときにエジプトに移り住みました。そしてイスラエルは数が増えて行き、エジプトで奴隷として苦しめられたのです。そこで神様は、モーセを遣わして、イスラエルの民をエジプトから脱出させてくださいました。神様は、預言者によって救い主イエス様の事を語っておられました。聖書に書いてあるとおりです。あなたがたは、イエス様を十字架につけてしまいました。」

 ここまで聞いていた人たちは、怒り狂いステパノの話をさえぎってステパノを外に連れ出し、彼に石を投げつけて死刑にしたのです。その中でもステパノは、天を見上げ神様に祈りました。そして最後の最後まで主の愛に満ち、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」とりなしの祈りをしているのです。本当にステパノは、信仰と聖霊に満ちた人でした。
 僕たちは、問題があると慌ててしまうけれど、神様は、問題を解決してくださり、ご自身のみわざを表してくださいます。ステパノは、伝道することを止めませんでした。僕たちも聖霊様の助けを受けて、イエス様の事を伝えることが出来る力を頂きましょう。僕たち一人一人の働きを神様は用いてくださいます。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。ステパノは、困難な中でも力強く伝道しました。聖霊なる神様、僕たちにもイエス様のことを伝える事の出来る力を与えて下さい。お友だちがイエス様を信じることが出来るように導いて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」   ヨハネの福音書12章24節

<適用>

 近況報告ではありませんが、先週私は、靴を買いに行きました。私は、「靴を買う」という事だけを決めて買い物に出かけました。私は、お店の中をぐるぐる歩きながら、どの靴にしようか考えました。「セール」の札が目立つ店内を歩きながら、私は、「値札からさらに20%引き」というのを見つけ、まず買うための基準を「セール品」と決めました。それから、セール品の中でも自分にとって履きやすい靴と決めて選びました。私たちは、何かを決める時には、必ず判断する基準を持つものです。
 初代エルサレム教会は、問題が発生した時、その対処のために一つの基準を持ちました。それが今日の説教題である「福音を伝えよう」というものです。

Ⅰ;祈りの御言葉に専念する

 エルサレム教会は、「福音を伝えよう」という考えの中で、「祈りと御言葉」を大切にすることを確認しました。ギリシャ語を使うユダヤ人への配給がなおざりにされているという訴えがなされた時、使徒たちは、神のことば(宣教)を後回しには出来ないと考えました。使徒たちは、そのために神様に召されているからです。かと言って、配給も毎日の事だからそのままには出来ません。でも使徒たちだけでは、上手く調整することが出来ません。そこで、教会は、配給の担当者として7人を選ぶ事にしたのです。今でいえば、教会の役員と言う立場の人たちでしょうか。

 この7人を選ぶためにも基準が定められました。それが、「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人(3節)」という事です。そして使徒たちは、「祈りとみことばの奉仕に専念する」こととしたのです。こうして、ステパノ、ピリポなど7人が選ばれました。この選ばれた人たちは、ギリシャ語を使うユダヤ人だったようですから、問題への対応としては最適な人たちが選ばれたことになりました。こうして、使徒たちは福音宣教に専念することが出来て、信じる人々がさらに教会に加えられることとなりました。

 私たちは、日々問題があり、なかなか解決できずに悩まされることがあります。私たちは、そのような時にどのように解決できるのだろうかと必死になって考えます。しかし必死になって考えるのですが、良い結果につながらないこともしばしばあります。すると私たちは、さらに問題に集中し、解決策を考え続けるこことなります。そのような時私たちは、「祈りと御言葉」「福音の証し」という事を改めて考える必要があるのです。問題の解決のために祈ることで、私たちは、問題そのものを神様に訴えることが出来ます。問題の解決を求めて御言葉を読むことで神様の御心を知ることが出来ます。そして「福音の証し」を願う時に、私たちの問題を含めた人生そのものを神様の栄光で包んでもらうことが出来ます。

Ⅱ;御言葉に根差した証し

 私たちは、御言葉に根差して、福音を伝えましょう。ペテロを始め12使徒は、福音を伝えることを最優先に考えました。それは、教会も同じ事です。教会の皆が、福音を伝えるためにはどうしたよいだろうかと考えていたのではないでしょうか。それは、一つ一つの事柄を通して神様の恵みが証しされ、福音の宣教が前進するという祈りとなって行きます。その結果、聖霊と信仰に満ちた人たちが選ばれることになったのです。そして選ばれた7人も聖霊様の導きの中で福音宣教の働きを担うことになりました。

 聖書は、その筆頭としてステパノを取り上げています。ステパノは、教会の実務だけではなく、積極的に伝道の働きもして、不思議としるしを行っていました。その働きによってさらにイエス様を信じる人が起こされていきました。でもユダヤ人の中には、ステパノを良く思わない人たちがいました。人々は聖霊と知恵に満ちたステパノを説き伏せることが出来ませんでした。その腹いせでしょうか。彼らは群集を扇動し、偽証を立ててステパノを議会に訴えます。その時のステパノの説教は、使徒の働きの中でも長い弁明となっています。7章1節からその詳細を知ることが出来ます。話の項目だけを見ると次の様になります。

①神様はアブラハムを選ばれた(4)。②神様はアブラハムに約束を与えられた(8)。③神様はヨセフを守りエジプトに送った(9)。④神様はイスラエルをエジプトへ導き、イスラエルは奴隷の状態とされる(10)。⑤神様はイスラエルの脱出のためにモーセを選ばれた(20)。⑥神様は荒野の生活を導かれた(36)。⑦イスラエルには、幕屋があり神殿があった(44)。⑧神様は預言者を遣わして救い主について語っておられた(52)。

 こうしてステパノは、イスラエルの歴史を忠実に振り返りながら、イスラエルの民がいつも神様の御手に支えられ、導かれて来たと語ります。しかしステパノは、「これまでイスラエルの民は、神様を信じず、預言者を迫害していた。」とその罪を指摘しました。
 ステパノの説教はまだまだ続くはずだったと思いますが、人々は、ここまで聞いて怒り狂い、ステパノを外に連れ出して、石打の刑にしてしまいました。ステパノは、迫害されてもなお、愛の心を忘れず、主の前に執り成しの祈りをしていました。そこにも、少しでも福音を伝えたいと願うステパノの信仰があるように思います。

 ステパノは、迫害され捕らえられ訴えられましたが、冷静に対応することが出来ました。その中心には、御言葉がありました。ステパノは、御言葉に根差し、御言葉にある神様の恵みを証ししたのです。ステパノは、御言葉から教えられ続け、学び続けたからこそ、力強く証しすることが出来たのです。私たちは、教会としてはもちろん、個人的にも福音を伝えたいと願っています。その時大切な事は、私たちがしっかりと御言葉に根差して歩むことです。神様は、御言葉を通して私たちに知恵を与え、語るべき言葉を与えてくださるのです。

Ⅲ;主に従う信仰

 私たちは、主に従う信仰をもって福音を伝えましょう。今日の聖句とした御言葉、ヨハネ12章24節を読みましょう。「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」

 ステパノは、教会が誕生して最初の殉教者となりました。彼は、最後まで忠実に神様に従いました。ステパノの死後、教会への迫害が強められ、イエス様を信じる人たちは、エルサレムから脱出して散らされてしまいました。しかし、その事によって福音がエルサレムから世界に宣教されることとなりました。まさにステパノは、一粒の麦となったと言えるでしょう。

 ヨハネ12章24節の御言葉は、私たちにとっては、どのような意味があるのでしょうか。私は、「一粒の麦」として歩むことは、迫害による殉教というだけではなく、神様に忠実に従うということだと受け止めることが出来ると思います。ステパノは、自分に出来る事によって神様に従いました。皆さんは、福音を伝えるために、神様の栄光が現わされるために何をすることが出来るでしょうか。私たちは、信仰をもって神様を見上げ、神様の御名があがめられるために歩みましょう。そこに神様のみわざが行われます。私たちが、聖霊の導きの中で、福音を伝え証しする時、神様は必ず働いてくださいます。ステパノに働かれた聖霊なる神様は、私たちにも知恵を与え、満たしてくださいます。

 私たちは、福音を伝えましょう。そのためにも「祈りと御言葉」を大切にし、神様の御前に祈り、聖書から教えられ歩みましょう。どんな時にも私たちは、祈りと御言葉を忘れないようにしましょう。神様は、必要な知恵を与えて導いてくださいます。私たちは、御言葉を学び、御言葉から与えられる恵みを感謝して力強く証ししましょう。神様は、私たち一人一人を用いてくださり、ご自身のみわざを行ってくださいます。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。私たちは、様々な問題に直面します。その時に初代教会のように祈りと御言葉を大切にする事が出来るように導いてください。神様、私たちがどんな時でも御心を求めて祈り続け、御言葉を読み学び続けることが出来るように助けてください。聖霊なる神様、私たちに知恵を与えて下さい。福音を伝えるために私たちに出来る事を教えてください。
 私たちは、不安定な時代の中で生きています。どうか神様、私たち一人ひとりに平安を与え、喜びと感謝の歩ませてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」