2022年7月10日(日)礼拝説教 使徒の働き11章19-30節 「キリスト者と呼ばれる」 説教者:赤松勇二師、CS説教:赤松由里子師

<子どもたちへ>赤松由里子師

 ここ何週間かは、最初の教会のお話を順番に学んでいますね。何があったんでしたっけ?エルサレム教会のステパノさんが石打の刑で殺されてしまいました。また教会が迫害され多くの人が逃げることになってしまいました。でも逃げた先でもイエス様のことを伝えて祝福されたのでしたね。

 さて今日は、アンティオキアというところで起きたことをお話します。この人はバルナバさんです。「こんにちは!エルサレム教会から来たバルナバです。どうぞよろしく!」。ここアンティオキアはエルサレムからずっと北にある町です。とっても大きな町で、色々な国の人たちが住んでいますし、ギリシャ語を話す人たちもたくさんいます。ここに逃げて来たエルサレム教会の人たちが思い切ってギリシャ語でイエス様のことを伝えてみると、大勢の人が信じたではありませんか。そこでエルサレム教会に知らせたところ、バルナバさんが様子を見に来ることになったのです。

 教会の集まりを見てバルナバは思いました。「ギリシャ語を話すユダヤ人も外国人も、大勢がイエス様を信じているぞ。なんて素晴らしいことだろう。」大喜びのバルナバはみんなに言いました。「これからもしっかり信じて、イエス様につながっていて下さいね!」聖霊に満たされたバルナバが色々と教えて励ましてくれたので、アンティオキアではますます多くの人がイエス様を信じたそうです。
 バルナバは考えました。「ギリシャ語のわかる働き人がもっと必要だ。誰かいないかな…そうだ、サウロを連れてこよう」。バルナバは早速サウロを探し出して、アンティオキアに連れてきました。サウロというのはあの教会を迫害していた人、でもイエス様に出会って信じ伝えるようになった人です。そして1年間一緒に教会を教えたそうです。

 アンティオキアの人たちはとっても喜んで、ますます熱心に「イエス・キリストは救い主です」というようになりました。町の人たちは、「またキリストの話をしてるよ。」「キリスト、キリストばっかり言ってるね」と言って、教会の人にあだ名をつけました。「キリスト者」「クリスチャン」というあだ名です。これが「クリスチャン」という言葉の始まりなのです。

 そのころアンティオキア教会の人たちがお祈りをしていると、神様がおっしゃいました。「バルナバとサウロを、私のつかせる仕事に送り出しなさい。」2人は伝道するため各地を回る旅行に行くことになりました。世界最初の宣教師の誕生です。教会の人たちはバルナバとサウロの頭に手を置いてお祈りしました。これは、神様の力を求めます、離れていても一緒の気持ちで働きを進めます、という意味がある、大切な儀式です。
 出発の日になりました。2人を見送りに教会の人たちが集まっています。「皆さん、お祈りお願いします!」とバルナバたちが言えば、「行ってらっしゃい!」「神様が助けて下さるよう祈っています」「気をつけてね」と声をかけます。「どうもありがとう、行ってきます」と2人は出かけて行きました。

 さて、皆さん。私たちのグループも何人もの宣教師を送り出して来ました。今も、ミャンマーで働く荒川先生や、インドに行くのを待っている熊井先生ご夫妻が働きを続けています。さらに福音伝道教団の始まりも、イギリスからの宣教師バーネット先生の働きによるものです。「地の果てにまで福音を伝えなさい」とのイエス様のお言葉実現に、宣教師が用いられてきたのです。福音を伝えるのは、神様が下さった教会の使命です。小学生、中学生、高校生の皆さんにも、それぞれの年代で出来る協力があると思います。それに加わるのは大きな恵みです。現地のことを知ること、そのために祈ること。献金すること。集会などで出来るご奉仕をすること。大きくなったら牧師や宣教師になること。色々な可能性があります。どのように関わることが出来るか、アンティオキアの教会をお手本に、神様の前に考えてみて下さいね。

<祈り>
「神様。アンティオキアから世界最初の宣教師が派遣されたことを学びました。私たちの住む小川町、そして遠く離れた地にも神様の救いが伝えられる必要があります。クリスチャンにして頂いた私たちに出来ることを教えて下さい。そしてひとごとでなく、自分が参加できる協力を見つけて行けるようお導きください。御名によってお祈りします。アーメン。」

「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」
                        使徒の働き11章26節b

<適応>赤松勇二師

 皆さんは、子どもの頃や学生時代など、友だちからあだ名(ニックネーム)で呼ばれていたことがあるでしょうか。私は、小中と「あかまつ」という名字から「あかまっちゃん」と呼ばれることが多くありました。小学生の時、私が教室の入り口のドアの枠にぶら下がっているのを、友だちが見ていて「テナガザル」とか「ナマケモノ」とか言われてからかわれたりしたこともありました。ニックネームをつけられて良い時と迷惑なときがありますね。
 今日は、「キリスト者」と呼ばれた人たちのことを見ていますが、この「キリスト者」は、イエス様を信じる人たちに付けられたニックネームのようなものです。そしてこのように呼ばれるようになったのは、当時のクリスチャンたちの特徴を的確に言い表していることでもありました。

Ⅰ;史上初の異邦人教会

 歴史上初めて、「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれたのは、エルサレム教会の使徒たちではなく、史上初の異邦人教会の人たちでした。
 当時、エルサレムではイエス様を信じる人たちに対する迫害が厳しくなり、人々は地方へと散らされていました。彼らは、散らされながら行く先々で御言葉を宣べ伝えていたのです。けれどもユダヤ人は、基本的に外国人を汚れた者とみなし、かかわりを持たなかったので、異邦人には御言葉を語らなかったようです。彼らは、イエス様を信じてもユダヤ人独特のしがらみを打ち破ることは出来ませんでした。ですから教会の指導的立場にあったペテロが神様によって、この壁を乗り越えることが必要だったのです。

 そのような中である人たちが、アンティオキアでユダヤ人以外の人々に福音を語りました。その結果、神様の御手が、働き多くの人が信仰に導かれました。このことがエルサレム教会に報告され、聖霊と信仰に満ち、人々から信頼されていたバルナバが、実態調査のために派遣されました。バルナバは、アンティオキア教会で行われている主のわざに喜び、人々を励ましました。そして彼はサウロ(別名パウロ)をアンティオキアに招くのです。

 神様は、このアンティオキア教会を初の異邦人教会として導き、アンティオキアから世界宣教を開始されました。さらに教会に集まっていた人々は、世界で始めて「キリスト者」と呼ばれるようになりました。しかし考えて見ると、ユダヤ人クリスチャンが異邦人に伝道することは、画期的なことでした。先ほども言いましたようにユダヤ人が異邦人と関わりを持つことはユダヤ律法に反することであり、許されない行為だったのです。それは、同じ民族同士で反目し合う事となる可能性がありました。けれども、アンティオキアのクリスチャンたちは、その壁を簡単に乗り越えてしまうのです。しかもその役割を担ったのは、無名の信徒たちです。こうして誕生したアンティオキア教会には、ユダヤ人とギリシャ人が集まる事となったのです。それもまた画期的なことであり、福音が全世界に広がっていく基礎を固めることとなりました。

 今の私たちの時代にもこのアンティオキア教会の姿は、必要なものであると思います。今、世界は戦争が正当化されてしまう時代です。先日も選挙演説中に襲撃されるという衝撃的な事件が起きました。武力や暴力は、どんな理由であっても正当化されてはいけません。武器を使わなくても今は、言葉の暴力の横行しているように感じます。私たちは、「平和をつくる者は幸いです(マタイ5:9)」のイエス様の言葉を心に留め、神様の平和がこの地に表されるように祈りましょう。アンティオキアの教会のクリスチャンたちは、どうして民族の壁を乗り越える事が出来たのでしょうか。それは、イエス様がおられたから、イエス様の十字架の福音をしっかりと持っていたからです。今、私たちは同じイエス様を信じ、イエス様の福音を知っています。ですから私たちは、同じ姿を現わすことが出来ます。私たちは、イエス様の「平和をつくる者は幸いです」の言葉を心に留め平和をつくる者として歩みましょう。そしてそのためにも教会が、神様の平和に満ちあふれた場所となるように、神様の憐れみを求めて行きましょう。

Ⅱ;神様の不思議な導き

 アンティオキアで、イエス様を信じる人たちが「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになった経緯には、神様の不思議な導きがあります。(時間的には前後するでしょうけれども)アンティオキアで、ギリシャ語を話す人たち(異邦人)に福音が語られ、多くの人が信仰に導かれている時、エルサレムである問題が勃発していました。それは、エルサレム教会のリーダーであるペテロが、ローマ人であるコルネリウスの家に行ったという問題です(使徒10章~11章18節)。

 ペテロは、エルサレム教会で「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行って、彼らと一緒に食事をした。 (3)」と非難されました。多くのユダヤ人は、割礼を受けていることが神の民のしるしであり、割礼を受けていない異邦人は神の民ではなく汚れた者たちだと理解していました。そして決して異邦人の家には入らないし、一緒に食事をすることはありませんでした。当然ペテロもそのような理解を持っていたのです。しかしペテロは、その考えが間違っている事、神様の御心ではないことを教えられるのです。
 ペテロは、自分が経験した出来事について順を追って話をします。本当に素晴らしいことが起こっています。
 ペテロは、ヤッファにある家の屋上で祈っていて、夢心地になり、幻の中で天から布が降りて来るのを見ました。その布には、地のすべての動物が入っていました。すると天から、それを屠って食べなさいという声を聞きました。ペテロは、当然ユダヤ人としてそれを断ります。するとまた「神がきよめたものを、きよくないと言ってはならない」という天からの声を聞くのです。このやり取りが3回繰り返され、その布は天に上げられました。

 ちょうどその時、カイザリヤのコルネリウスからの使いが到着し、ペテロは、御霊に促されカイザリヤに行くことにしました。コルネリウスは、御使いに勧められてペテロを招いたのです。ペテロが、コルネリウスの家で、イエス様の十字架による救いを話していると、コルネリウスの家に集まっていた人々は聖霊を受けました。ペテロは、その時の様子を15節で述べています。「そこで、私が話し始めると、聖霊が初めに私たちの上に下ったのと同じように、彼らの上に下ったのです。」さらにペテロは、「私は主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる』と言われたことばを思い出しました。(使徒11:16)」と、イエス様の約束が成就したことを確認したと言うのです。
 ペテロは、「ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じたときに私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか。」と神様ご自身が働かれたと宣言しました。これを聞いていたエルサレム教会の人々は、「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ(18)」と言って神をほめたたえました。

 このペテロの考えは、とても重要です。神様は人の考えをはるかに越えたお方です。私たちは、神様の働きを人間的な視点で見て評価してしまうことがあります。また私たちは、神様のみわざを、私たちが理解出来る事柄だけに限定しようとします。私たちは、神様のなさることは人知を超えていて、決して妨げてはいけないことを知らなくてはいけません。私たちは、神様のみわざを感謝と賛美をもって喜ぶことが出来るように霊的な敏感さを与えられるように祈りましょう。

 このような問題が論じられている状況の中で、アンティオキアで異邦人教会が誕生するのです。このように、イエス様を信じる人たちが、「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになった背景には、神様の不思議な導きがありました。神様は、歴史の中で働いてくださるお方です。私たちの人生にも神様の不思議な導きが確かにあることを覚えましょう。

Ⅲ;私たちはどうでしょうか。

 アンティオキアのクリスチャンたちは、史上初めて「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになりました。では、私たちはどうでしょうか。

 アンティオキアで教会が誕生するまでは、イエス様を信じる人たちは、「この道の者」と呼ばれていました。けれどもアンティオキアで初めてキリスト者、クリスチャンと呼ばれたのです。このニックネームは、当初、軽蔑的な意味を持っていました。キリスト者(クリスチャン)と言うのは、キリスト党員という意味合いがあり、一日中キリストの名を唱え、キリスト一辺倒に生きている、変わった人々という響きがあるのです。けれどもこれは、クリスチャンの特徴を的確に言い表しているニックネームです。そして、この呼び名は、イエス様の弟子たちが自分から言い始めたものではないと言う事がポイントです。アンティオキアの町の住民たちは、イエス様を信じ、福音を伝えている人たちのことを無視することが出来なかったのです。バルナバやパウロを初めとして、アンティオキア教会のクリスチャンたちは、「あいつらは、クリスチャンだ。キリスト、キリストばかり言っている」と言わせる程、強烈な印象を与えるようになっていきました。アンティオキア教会の人たちは、周りの人たちが認めざるを得ない程、キリストを意識し、喜びと情熱をもってキリストについて語り、信仰を言葉でも行動でも表現していたのです。だから、周囲の人々から「彼らは、キリスト者(クリスチャン)」だと呼ばれるようになったのです。

 すでに信仰を持っている皆さん、私たちはどうでしょうか。私たちは、どれほどの情熱をもってイエス様を伝えているでしょうか。どれほどの喜びをもって証しをしているでしょうか。周りの人たちは、私たちの言葉を聞き、態度を見て、私たちがクリスチャンであることに気づくことが出来るでしょうか。周りの人たちは、私たちが自分から「私はクリスチャンです」と言わなければ、イエス様を感じることが出来ない状態でしょうか。だとしたら、私たちは、心を新たにしてイエス様の祝福と喜びと臨在に満たしていただく必要があります。

 まだイエス様を信じていない方々もおられます。アンティオキア教会のクリスチャンの姿は、皆さんにも大きな希望を示しています。と言うのは、アンティオキアで「キリスト者」と呼ばれた人たちは、以前は、イエス様を知らなかった人たちです。彼らは、罪の暗闇の中を生きていて、罪の赦しも永遠の希望も持っていなかった人たちです。しかし彼らは、イエス様の十字架の福音を聞いて、信じて罪の赦しを得ることが出来ました。その結果、喜びが与えられ、人生が変えられるという経験をしたのです。アンティオキア教会のクリスチャンたちは、イエス様によって人生が変えられ、新しい喜びと祝福と希望に満ちた人生を生きることが出来るようになったのです。だから彼らは、口を開けば「イエス様は・・・」と自分が受けた恵みを語るのです。

 皆さん、私たちはイエス様によって罪の赦し永遠のいのちの希望を与えられ、新しい意味のある、喜びに満ちた人生を歩むことが出来ます。私たちは、イエス様を信じ、イエス様の救いを証し、イエス様による新しい人生を歩ませていただきましょう。皆さん一人ひとりを通して、主イエス様の素晴らしさが表されることを祈ります。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。初代教会の時代アンティオキアで初めて「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになりました。それほど、彼らはイエス様の臨在に満たされていたのです。イエス様、今も私たちの心を満たしてください。イエス様による新しい人生を喜びと感謝をもって歩み続け主を証しする事が出来ますように。
 アンティオキアのクリスチャンたちは、民族的な障壁を乗り越え、様々な背景を持つ人たちが集まる教会となりました。そこには、神様からの平和が与えられ、御霊による一致がありました。神様、私たちの群れの中にも平和を与え、御霊による一致を与えてください。そのようにして主の栄光を表すことが出来るように導いてください。
 今、日本も世界も混乱の中にあります。天で神様の御心が行われているように地の上にも神様の御心が行われますようにと祈ります。 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」