2022年7月17日(日)礼拝説教 使徒の働き14章8-18節 「生ける真の神」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 今年小川町では、お祭りが行われますね。コロナ禍になって2年間行う事が出来なかったお祭りで、教会のまわりもにぎやかになることでしょう。しかし、僕たちは気をつけなければなりませんよね。町で行われるお祭りは、楽しいのですが、偶像の神への礼拝も含まれています。皆が、偶像礼拝への誘惑から守られるようにお祈りしています。

 先週は、パウロとバルナバがアンティオキア教会から、祈りのうちに世界宣教に出発したことを学びました。パウロたちは、神様の事、イエス様の十字架の事を伝道しながら旅をしました。パウロの伝道の結果、多くの人がイエス様を信じましたが、パウロの伝道に反対する人たち大勢いました。パウロは、伝道に反対する人たちから、行く先々で迫害を受ける事となり、命がけの旅となりました。

 パウロたちがリステラと言う町に来て伝道していました。パウロたちは、「皆さん、神様は、皆さんを愛しておられます。イエス様は、皆さんの罪が赦されるために十字架にかかってくださいました。神様は、皆さんの罪を赦してくださいます。・・・」と街角で大きな声で話していました。
 多くの人が集まる中で一人の人がじっとパウロを見つめて話を聞いていました。この人は、「神様は、僕を愛しておられるのか。イエス様と言うお方がいて、僕の罪の身代わりになってくださったのか。僕は歩けないし、何も出来ないけれど救いを受けることが出来るのだろうか。僕もイエス様を信じて、神様からの恵みをいただきたいなぁ」と思っていました。この人は、足が不自由で生まれてから歩いたことがありませんでした。

 パウロは、「あの人は、じっと自分たちを見ているな。きっとイエス様を信じる信仰を持っているに違いない。」そう確信して、その人に「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と話しました。するとどうでしょうか。その人は、飛び上がって歩き出したのです。町の人たちは、歩けない人が突然歩き出したので、「おーー、すごい、すごすぎる。こんなことは今まで見たことがない。これはきっと神々が人間になって私たちの所に来てくれたんだ」と大騒ぎです。でも彼らがリカオニア語で話していたので、パウロたちにはまったく理解できませんでした。

 大騒ぎのリステラの人たちだけではなく、ゼウス神殿の祭司まで現れました。ゼウスとはギリシャ神話の神の名前です。なんとパウロとバルナバは、ギリシャ神話の神々に間違われ、礼拝されそうになったのです。それを知った、パウロとバルナバは、大慌てです。「皆さん、そんなことはやめてください。私たちは、皆さんと同じ人間です。私たちは、そのようなむなしい、意味のない偶像礼拝を止めるようにと、本当の神様の福音を伝えているのです。神様は、全てのものを造り、私たちに必要なものを与えて導いてくださる天地の造り主です。この神様こそ本当の神様であり、礼拝すべきお方なのです。」とパウロは語り、自分たちにいけにえを捧げることを止めさせました。

 その後、人々は落ち着きを取り戻したのですが、他の地域から来たユダヤ人たちにそそのかされて、パウロを迫害して、石打にしてしまうのです。パウロが死んだと思った人々は、パウロを町の外に引きずり出しました。するとパウロは、起き上がって町に入って行きました。こうしてパウロとバルナバは、伝道した地域をめぐり、アンティオキア教会に帰って行きました。そして伝道旅行で神様がしてくださった多くの恵みを分かち合い、神様を礼拝しました。
 皆さん、神様は天地の造り主で、ただ一人のお方です。神様は、何もできない偶像ではなく、生きていて皆の生活を支えてくださり、必要を満たしてくださるお方です。生ける本当の神様を信じて礼拝して歩みましょう。

 祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。僕たちの周りには偶像がたくさんあります。そのような神々と言われるものに惑わされることなく、天地を造られ、僕たちを愛し導いてくださる本当の神様を信じて、礼拝して歩む力を与えてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「私たちは自分自身を宣べ伝えているのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えています。」
                      コリント人への手紙第二4章5節

<適用>

 私は、時々「泥団子」を作っていた子どもの頃を思い出します。一度は作ったことがあるのではないでしょうか。私は、小1の時に良く作っていました。粘土質の泥を見つけ、水を含ませて団子を作ります。形を作ってからまだまだ作業が続きます。泥団子に砂をかけ日陰で乾かします。良く乾燥したら、表面を濡らし良く手でこすって磨き上げます。それを何回か繰り返すと表現がツルツルしてとても良い泥団子を作ることが出来ます。でも泥団子は、何時まで経っても泥のままで食べる事は出来ません。しばらくしてそれを壊して別の新しい泥団子を作ります。
 パウロは、人が作った偶像を礼拝することの空しさを教え、私たちには、生ける真の神がおられることを教えています。

Ⅰ;知らない空しさ

 「生ける真の神」を知らないと偶像を礼拝するという空しい状況に陥ってしまいます。しかも、多くの人は、偶像礼拝が空しいということに気づくことがないのかもしれません。日本でもそうですが、神話を信じ込み、人々は、物でも人でもすぐに神として祭り上げ、礼拝の対象とする傾向にあります。

 リステラの町の人たちは、ギリシャ神話を信じていました。パウロが、リステラで伝道していると、熱心に耳を傾けている男性がいました。彼は、生まれつき歩けず、まだ一度も歩いたことがありませんでした。パウロは、この男性の存在に気づき、彼のうちに「癒される信仰」があるのを見て声をかけました。この癒される信仰というのは、御言葉を真剣に聞き、イエス様を信じ信頼する信仰があったと言うことです。パウロは、彼に「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と命じました。するとその瞬間に彼は、完全にいやされ、飛び上がり歩き出したのです。

 これを見たリステラの町の人々の反応は、先ほどお話しした通りです。リカオニア地方では、一つの伝説がありました。「その昔、ギリシャ神話の主神ゼウスと神々の代弁者とされたヘルメスという神々がお忍びでこの地方に現れたことがあったそうです。それとは知らない町の人々は、神々には無頓着で、誰一人もてなす者がいなかったのです。その時ある老夫婦だけがゼウスとヘルメスを招き入れもてなしをしたのです。その結果、この老夫婦だけが、報いを受けることとなった」という伝説です。そこで、リステラの人々は、同じ過ちを繰り返してはいけないと、祭司まで呼んで、パウロをヘルメス、バルナバをゼウスと決めつけて、礼拝しようとしました。

 パウロは、それを知って、「そんなことはやめてください」と衣を裂いて群衆の中に入って行きました。パウロは、「私たちもあなたがたと同じ人間です。そして、あなたがたがこのような空しいことから離れて・・・(15)」と、空しい偶像礼拝を止めるようにと訴えました。人間は、国や地域など関係なく、神々と言うものを形作って偶像として礼拝の対象とします。こうして人は、太陽でも月でも星でも、川でも山でも、樹齢何百年と言う大木でも、石でも神として奉ってしまうのです。私たちの身の回りにも偶像が溢れています。道を歩いていると像が置かれて「お地蔵様」と礼拝の対象とされています。また今日の箇所で出て来るような神話が日本にもあり、神々の歴史のように信じられているという事があります。そして人を神として礼拝の対象とする間違った宗教もあります。そこには、人間の欲望があり、恐怖と不安が人々を支配し、本当の救いを得ることは出来ません。また人によって作られた偶像が存在します。時にはお札、お守りかも知れません。でもそれは人が作ったものであり、そこに命はありません。

 詩篇にはこうあります。「異邦の民の偶像は銀や金。人の手のわざにすぎない。口があっても語れず 目があっても見えない。耳があっても聞こえず また その口には息がない。これを造る者も これに信頼する者もみな これと同じ(詩篇135:15‐18)。」人に形作られた像は、命がなく、何も出来ないのです。それを信頼してもやはりなにも出来ないのです。偶像というのは、人が作ってこれが神だと宣言するものです。パウロは、そのような空しい偶像礼拝をする生き方から、生ける真の神に導かれ命溢れる生き方へ方向転換するようにと訴えるのです。
 皆さんの心の目は、生ける真の神様に向いているでしょうか。

Ⅱ;知っている喜び

 「生ける真の神」を知っていると、そこに喜びがあり、感謝があります。
 私は、小学4、5年生の時、一時期、折り紙に熱中したことがありました。折り紙の本が家にあって、鶴以外に様々な動物を作ったように記憶しています。もう折り方は忘れてしまいましたが、その当時、自分か満足するものが出来上がると、棚に飾っていました。泥団子と同じでそれを自分のお気に入りとするのです。それだけなら良いのですが、そのうちに自分で作ったものに愛着が湧いてくるのです。そして、一日に数回、自分が作ったものを手に取り、眺めるという行動をとるようになりました。そして見ていると心が落ち着くような、安心するような変な気持ちになるのです。見ているのは折り紙です。形はあっても助けてくれるわけではないし、何もできない単なる折り紙です。でもそこにあると安心し、嬉しくなるのです。その時には教会学校で偶像礼拝のことも聞いていましたので、私は、これが偶像礼拝かも知れないと思うようになりました。数日後私は、すべて捨ててしまいました。私は、芸術的なものを否定しているのではありません。けれども、気をつけていないと、人の心は形に見える偶像を求めるようになってしまうことがあるという事です。最初は、単なる折り紙でした。しかしそれを見ていると安心するという気持ち、主なる神様に祈るよりも心が落ち着くと言う状況は危険信号です。皆さん、私たちの身近には偶像礼拝につながる要素はたくさんあることを覚えておきたいと思います。 

 パウロは、そのような偶像礼拝から私たちが離れて、生ける真の神を知る喜びの人生があることを教えているのです。パウロは、リステラの人々に自分たちの働きが「あなたがたがこのような空しいことから離れて・・・生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えているのです」と語ります。そしてパウロは、立ち返るべき神様がどのようなお方であるのかを説明するのです。このパウロの説教は、旧約聖書を知らない、異邦人に対して語られたもので、私たち日本人がどのように宣教をすべきなのかの一つのヒントになると思います。と言うのは、日本人もやはり、生ける真の神様という概念を持っていないからです。この生ける真の神様は、どのようなお方なのでしょうか。私たちは、どのように理解し、どのように伝える事が出来るのでしょうか。

 創世記の初めに「初めに、神が天と地を創造した(創世記1:1)」とあるように、生ける神様は、「天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた」お方です。人間が考え出し、人間が造ったものは神ではありません。この世界のすべてを造られ、人間を造られた神様が本当の神様です。この「が」なのか「を」なのかはは、大きな違いがあります。「人間が造った」ものは、人間のわざでしかなく神となることは出来ません。けれども「人間を造った」のは神のわざです。天地を造られた真の神様が人間を造り、人間に命を与えたのです。なぜなら神様は、永遠に生きておられ、人に命を与えるお方だからです。

 そして生ける真の神様は、忍耐深いお方です。「神は、過ぎ去った時代には、あらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むままにしておられました(16)」。しかし今、神様は、旧約の時代に約束されたように、救い主をこの世にお遣わしになり、人々が自分勝手な道ではなく、救い主を信じる道を歩むように願っておられます。神様は、すべての人が救い主を信じるようにと忍耐をもってこの世を見ておられるのです。

 そして、生ける真の神様は、恵み深いお方です。神様は、昔人々が自分の道を歩むままにされたと言っても、ただ何もしなかったわけではありません。神様は、大自然を用いてご自身を証ししておられたのです。「あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです(17)。」神様は、すべての人に天から雨を降らせ、その天候を通して自然を支配しておられます。また人は、種を蒔く時、収穫をする時を知っています。それは、それに適した季節があるからです。それも神様の恵みのわざです。このようにして神様は、私たちに食物を与え、生きる喜びを与えて心を満たしてくださっているのです。

 この神様の大原則・創造の秩序は、旧約の時代もパウロの時代もそして私たちの時代も変わることがありません。そして何より、神様は、救い主イエス様を通して罪の赦し、永遠の命、天の御国への希望、神様からの大いなる祝福を約束しておられます。偶像の神々は、そのような喜びといのち、愛に溢れた人生を与える事はありません。なぜなら、偶像そのものに命がないからです。しかし、天地の造り主である生ける真の神様は、私たちに喜びと平安を与え、感謝と賛美で満たしてくださいます。私たちは、生ける真の神様を「神様」として礼拝し、賛美をささげましょう。神様は、私たちに忍耐深く、憐れみ深く、恵み深くあられます。
 私たちは、あらゆる点で偶像礼拝と言うむなしい生き方を捨てて、生ける真の神様を信じ信頼して歩みましょう。そして私たちは、人々が偶像礼拝を捨て、生ける真の神様を信じ、礼拝することが出来るように祈りましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。今日も神様の恵みによって生かされ、歩ませていただけることを感謝いたします。神様が、天地の全てを造り、私たちに命を与え生かし、多くの祝福を与えてくださることを信じます。私たちは、生ける真の神様を知らない時は、偶像礼拝という空しい生き方をしてきました。しかし、今、神様の御手の中に守られ、救い主イエス様による救いをいただき、罪の赦しと永遠の命の約束が与えられ、天からの恵みと祝福が与えられる事を感謝いたします。私たちは、心から主の御名を賛美し、礼拝し歩みます。どうぞ導いてください。
 この世には、生ける真の神様を知らず、偶像を信じ、礼拝する人たちが多くいます。私たちの周りにも多くいます。神様、その一人一人に生ける真の神様を伝えることが出来るように導いてください。私たちの家族・親戚、友だち、会社の同僚たちが生ける真の神様を知り、信じることが出来るように導いてください。
 新型コロナウイルス感染が、急拡大しています。神様どうか、有効な治療薬が開発され、感染症が収束していくように憐れみをもって導いてください。
 世界に平和が訪れますようにとお願い致します。
 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」