2022年7月31日(日)礼拝説教 使徒の働き16章16-34節 「主イエスを信じて」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 最近皆は、どんな夢を見ていますか? テレビで時代劇を見る事が多かったせいか、僕は子ども頃、時々、自分が時代劇の登場人物になっている夢を見る事がありました。そして食べることが大好きだったので、沢山の美味しそうなものを食べるという夢も見ていました。「美味しそう」と言ったのは、夢の中で実際に食べることがなく、「うまい!」とまで行かなかったのです。
 さて今日は、パウロの見た夢から物事が展開して行きます。夢と言っても先程言ったような食べ物の夢ではありませんよ。神様は、幻(夢)を通して伝道者パウロを導かれました。パウロは、「マケドニアに来て、私たちを助けてください」という幻(夢)を見ました。そしてパウロたちは、「これは、神様の導きだ」と確信して、マケドニアに移動し、大きな町ピリピに到着しました。

 ピリピの町でパウロたちが、伝道をしていると「占いの霊(悪霊)」によって占いをしていた女奴隷に遭遇しました。この女性は、パウロたちの後をついて行って、「この人はいと高き神のしもべたちで、救いの道を知らせている人たちです。」と大声で叫び続けるのです。女の人は、イエス様を信じてそのように叫んでいるのではなく、悪霊にとりつかれていて、パウロたちの邪魔をするために叫んでいるのです。
 「いやー、困ったな。あの女の人は、何日も大声で叫び続けるから、イエス様のことを落ち着いて伝えることが出来ない。どうもあの人は、悪霊に取りつかれていて、悪霊によって叫んでいるようだ。イエス様に祈って、彼女を悪霊から解放して頂こう。」そう考えたパウロは、後をついてくる女性に、「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。この女から出て行け。」と命じました。すると悪霊は、その女の人から出て行きました。大声で騒ぎ立てていた女の人は、悪霊から解放され、静かになり、もう占いをすることが出来なくなりました。

 それを知って頭に来たのは、彼女を利用して金儲けをしていた主人たちです。「あの女が占いを出来なくなってしまった。大損をすることになる。パウロとシラスと言うやつは、なんてことをしてくれたんだ。」とパウロたちをピリピの町の長官の所に連れ行って「こいつらは、ユダヤ人で、ローマ人である我々が受入れることが出来ないような風習を宣伝している、とんでもないやつらです。」と訴えました。すると多くの人々が騒ぎ出しました。長官は、取り調べをすることもなく、「パウロとシラスの上着をはぎ取って、むち打ちにして、牢獄の一番奥に入れておけ」と命じました。パウロたちは、何も言う事を許されず、鞭打たれ、牢屋に入れられて、看守が厳重に番をすることとなりました。
 こんな時皆ならどうしますか。「くそー(ちょっと言葉が悪いですね)、ちょーやなんだけど!今に見てろ1」と言いたくなりまね。でもパウロたちは違いました。体が痛む中、薄暗い牢獄で、神様に祈りながら、賛美をしていたのです。パウロとシラスは文句ではなく、神様の御名をあがめ、礼拝していたのです。他の囚人たちは、二人の祈りと賛美に聞き入っていたでしょうね。

 その晩、不思議な事が起りました。「ガタ、ガタ、ガタガタガタ・・・・・・」大地震が起こったのです。そして牢屋の全部の入り口が開き、鎖が外されたのです。看守は、この事態をみて「わー、大変な事になった。どうしよう。牢獄の入り口が開いているという事は、皆、脱走してしまったのか。責任を取らされる。処罰をうけるだろうなぁ。自分の命でお詫びをするしかない。」と剣を取り出しました。するとパウロは、「自害してはいけないよ。皆ここにいる。脱走はしていない」と大声で言いました。看守は、恐れを抱き、「先生方、救われるためには、どうすれば良いですか。」と聞きました。パウロは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と教えました。
 救われるために最も大切な事は、イエス様を信じる事です。イエス様は、皆の罪を赦し、永遠の命を与え、天の御国への希望を与えてくださいます。そしてイエス様は、僕たちの毎日の事にも助けの御手を指し伸ばしてくださいます。僕たちが、イエス様を信じる時、イエス様の救いの素晴らしさは、皆から周りの人たちに、特に家族に伝わって行きます。その時、僕たちの家族もイエス様を信じる信仰へと導かれて行きます。イエス様を信じましょう。

 祈り
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、パウロの進む道を導いてくださいました。神様は、僕たちも導いてくださることを信じます。イエス様を信じます。どうか僕たちの罪を赦し、導いてください。僕たちの家族が、親戚が、イエス様を信じる事が出来ますように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
                              使徒の働き16章31節

適用>

 以前子どもたちと観ていた、ある子ども番組の中で「ぼくのお父さん」と言う曲が流れていました。今も流れているでしょうか。「お父さん、お父さん、僕のお父さん、会社へ行くと会社員。仕事をする時課長さん、食堂入るとお客さん・・・歩いていると通行人・・・、家に帰ると、僕のお父さん」と言う歌詞です。人は、見方を変えると色々な立場に身を置くことになるという意味でしょうか。私たちも、家族から見ればお父さんでありお母さん、娘、息子などです。駅員から見れば乗客、お店に入ればお客という立場になります。その流れでいくと教会に来るとクリスチャンとなるでしょうか。それでは困りますけど、クリスチャンである事は、日曜日に週一度、教会に来た時だけではなく、私たちの存在そのものであるべきです。私たちは、主イエス様を信じて歩んでいます。では、主イエス様を信じて生きるとは、どんなことになるのでしょうか。

Ⅰ;悪から解放されている

 私たちが「主イエスを信じて」歩む時、私たちは悪から解放されてイエス様と共に歩むことが出来ます。
 パウロは、聖霊なる神様の導きによってアジアからヨーロッパでの宣教に入って行きます。使徒16章では、「それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。(6)」それからパウロたちは、マケドニアに導かれていることを確信して、マケドニアに移動し、ピリピまでやって来て、滞在することとしました。

 このピリピでの宣教を開始してすぐに一つの問題が発生しました。それは、占いの霊につかれた若い女奴隷が、パウロたちの後をついて回っていたことでした。恐らくピリピの町では、彼女が占いをしていることが知れ渡っていたでしょう。しかもその占いが、霊媒のような奇妙なものであり、主人に多額の利益を与えていることも知られていたのです。彼女は、毎日のように「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています。」と大声で叫んでいるのです。パウロは、彼女が悪霊に支配されて叫んでいることを知りました。そこでパウロは、「イエス・キリストの名によって」命じて彼女を悪霊から解放しました。パウロとシラスは、イエス様が悪霊を追い出すことを信じていました。パウロ自身も、主イエスを信じて人生が変えられた人です。彼は、クリスチャンに対して激し迫害を加えていた人でした。しかし、パウロは、主イエス様に出会い、主イエス様の救いに触れ、自分の罪を認め悔い改めてイエス様を救い主と信じる信仰に導かれました。パウロは、イエス様によって悪から離れ、解放されて主イエスと共に歩む人生へと変えられたのです。

 イエス様は、私たちの罪が赦されるために十字架にかかってくださいました。私たちは、罪の中に留まることなく、悪の力に支配され続けるのでもなく、イエス様の十字架による救いを信じて、罪や悪から解放して頂きましょう。全てを御存じで、最善をしてくださるイエス様と共に歩みませんか。

Ⅱ;祈りと賛美の勝利

 「主イエスを信じて」歩む日々は、私たちに神様による祈りと賛美の人生がある事を教えます。
 占いの霊につかれた女性は、悪霊から解放され、もはや占いをすることが出来なくなりました。ということは彼女の主人たちは、儲ける手段を失ったことになります。主人たちは、「儲かる望みがなくなった(19)」とパウロとシラスを訴えることにしたのです。けれども儲からなくなったでは説得力がないので、主人たちは、その当時ローマ人たちにあった「反ユダヤ主義」という人々の感情を利用しました。見事その策は成功し、町中の人々が訴えに対して同調し、騒ぎ出しました。長官たちは正当な裁判もしないまま二人を鞭打つように命じます。当時ローマ人は鞭打ちなど過酷な刑罰は免除されることが出来たのです。パウロはユダヤ人でしたが、ローマの市民権を持っていた人です。でもパウロたちは自分たちの権利を主張することも許されず、鞭打たれることとなりました。その上、足には足枷がつけられ(恐らく手は縛られたでしょう)、一番奥の牢獄(脱獄の困難な牢獄)に入れられ、看守による厳重な監視がつきました。

 その夜、パウロとバルナバは、牢獄で何をしていたのでしょうか。普通なら、「神様に従っているのにどうしてこんな事が起るのか。」と不満をぶちまけたいところです。そして、理不尽な仕打ちをしたピリピの長官たちを非難したいところです。けれども、パウロとシラスは、全く違った対応をしました。二人は、一番奥の牢獄の中で、痛みを絶えつつ、主に祈り、賛美を捧げていたのです。二人は、主イエス様の臨在に満たされ、神様を見上げ、主の御わざ、御心を信じて祈り、賛美することが出来ました。パウロたちは、投げやりで祈っていたのではありません。彼らは、主イエスを信じて、主のみわざに期待し、信頼して祈り、全てを神様に委ねて賛美し、主の御名をほめたたえたのです。

 神様は、神様を信頼し祈り、主の御名を呼び求めて賛美する者を決して見捨てることはしません。私たちは、状況がよく分からず、どのように展開するのか先が見えない状況になることがあります。今まさに私たちには、そのような状況(新型コロナの事や戦争の話、異常気象など)に取り囲まれているのではないでしょうか。また私たちは、理不尽なことを経験する事があったり、多くの問題や困難に直面することがあります。そのような中にあって、パウロとシラスの姿は、私たちに大切な事を教えています。それは、私たちは、いつでも、どのような状況でも主イエス様を信じて祈り、賛美することが出来るという事です。そして主なる神様は、私たちのすぐ側にいて、私たちの祈りと賛美を喜びをもって聞いてくださり、ご自身のみわざを現してくださるという事です。

 今、不安がありますか。恐れがありますか。問題に直面していますか。そうならば主イエス様を信じて、心を静めそして心を注ぎ出して祈りましょう。神様は、私たちの祈りを聞き答えてくださいます。私たちは困難があり、落ち着かず、心が乱れることがあるでしょう。その時は、主イエス様を信じて、主の御名を賛美しましょう。賛美は、私たちの心を落ち着かせ、私たちの心を神様ご自身へと向かわせることとなります。主なる神様を見上げ祈り賛美する時、私たちは、暗い落ち込んだ顔ではなく、主によって輝き前向きに歩むことが出来ます(詩篇34篇5節)」。

Ⅲ;救いのわざが拡大する

 「主イエスを信じて」歩む時、救いのわざが拡大する恵みを知ることが出来ます。
 神様は、パウロとシラスの祈りと賛美に答えて奇蹟を行われました。それは既に触れたとおりです。突然大地震が起こり牢獄の扉が全部開いて、鎖が外れたのです。看守は、全て奇蹟的なことを目の当たりにして、「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか。」とパウロたちに助けを求めました。看守がどのような救いを求めたのかは、明らかではありません。しかし、パウロの答えは、看守の要求を満たすものでした。パウロは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(31)」と最も必要な魂の救いを語りました。

 ここでの「主イエスを信じなさい」という言葉は、「主イエスの上に自分を置く」と訳すことが出来ます。それは、主イエスを信じることは、イエス様の上に自らを置き、すべてをイエス様に委ねて、任せるという事なのです。イエス様の上に自分を置くと言うのは、イエス様の十字架の救いに信頼し、イエス様が罪を赦してくださることを信じ、イエス様が私たちの人生と共に歩んでくださることを信じ、ゆだねることです。私たちは、何が人生の拠所なのか分からない生き方をする必要はありません。私たちは、救い主イエス様と言うお方に全てを任せて、イエス様を人生の拠所とすることが出来るのです。そこに救いの御手が差し伸べられます。

 パウロは、続けて「家族も救われます」と語りました。これは、自分が信じれば自然と家族がイエス様を信じるということでありません。もちろん家族一人一人の個人的な信仰告白が必要です。しかし、イエス様が私たちを導くその救いのみわざは、私たちだけにとどまらず、私たちから、周りの人たち、特に私たちの家族に拡大して行きます。私たちは、家族、知人がイエス様を信じ喜ぶ姿を期待しながら、祈りましょう。

 私たちは、主イエスを信じて、悪を離れ主を見上げて歩みましょう。また私たちは、主イエスを信じて、どんな時でも、祈りと賛美をささげましょう。
 そして私たちは、主イエスを信じて、私たち自身をイエス様の上に置きゆだねて、私たちから救いのみわざが拡大することを期待して、主に仕えていきましょう。

 祈り
 「天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、私たちは主イエス様によって罪赦され、悪から解放されることを信じます。私たちは、主イエス様を信じて、どんな時でも祈りと賛美を捧げます。私たちの信仰を引き上げ導いてください。私たちは、主イエス様を信じて、イエス様を人生の拠所として全てをゆだねて歩みます。神様の救いのみわざを行い、私たちから神様の恵みが拡大して行くように祝福して導いてください。
 新型コロナウイルスに感染している方々に速やかな癒しを与えてください。この感染症が収束していくように神様の憐れみをお願い致します。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」