2022年8月21日(日)礼拝説教 テモテへの手紙第二 3章10-17節 「聖書を学び伝える」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 みんなは、子どもの頃についてどんな思い出がありますか?僕は、小学校1年生の時に親に注意された一つのことを覚えています。僕は、学校帰りに、学校の目の前の信号機の側で、そこにいた大人が「ここで交通事故があったらしいよ」と話しているのを聞きました。僕は、確かに聞いたのです。そして家に帰って母に「今日ね、学校のすぐ側で交通事故があったんだよ!」と話をしました。僕は、ただ報告しただけなのですが、母は「それを見たのかい。噂話を調べもしないで知っているかのように話すのは良くない」と教えてくれました。私が、得意げに話していたのでしょうね。物事の話し方には注意が必要だと知った出来事でした。

 さて、伝道者パウロの働きを支えた人の中に、「テモテ」がいます。テモテは、おばあさんとお母さんによって教えられ信仰に導かれた人です。
 パウロの伝道旅行について学んできていましたが、パウロがどこに行ったのか覚えていますか。パウロたちが、第一回伝道旅行の時にリステラに行った時の事です。歩けなかった人が癒されたことを見た町の人たちはパウロとバルナバを神々として礼拝しそうになりましたね。パウロは、群衆を何とか静めて偶像礼拝を止めさせましたが、リステラで迫害が起り、パウロはほかの町に向かって行きました。

 第二回伝道旅行の時、パウロは再びリステラに行きました。するとそこにテモテがいたのです。テモテは、その地域で評判の良い信仰者でした。パウロは、「テモテ、私と一緒に神様の事を伝える働きをしてくれないか。」と声を掛けます。「もちろん行きます。パウロ先生と一緒に神様の働きが出来るなんて、とっても嬉しいです。」こうして、テモテは、パウロと一緒に伝道の働きをしました。そしてテモテは、パウロの伝道によって誕生したエペソの教会で働きをすることとなりました。パウロは、若いテモテを励ますために手紙を書きました。それがテモテへの手紙第一と第二です。その中でパウロは、テモテの信仰のスタートを忘れてはいけないと語ります。

 テモテは、幼い時から聖書に親しんできました。そしてテモテは、イエス様を救い主と信じる信仰に導かれました。それは、テモテの祖母ロイスと母ユニケがいたからです(Ⅱテモテ1:5)。「テモテ、神様は全世界を造られた唯一のお方だよ。そして、神様は、ひとり子である御子イエス様をこの世に送ってくださり救いを与えてくださったんだ。イエス様こそ救い主なんだよ。」とお母さんのユニケが教えます。するとテモテは、それを喜んで聞いていました。テモテの祖母ロイスと母ユニケは、クリスチャンとして周囲の人々に証をして、忠実に神様に従って生活していました。その信仰がテモテに影響を与えたのです。テモテは、祖母と母から聖書信仰を教えられ、神様を信じて歩む者へと変えられ、パウロを手伝い神様の働きのお手伝いをする者とされました。

 皆は、こうして毎週教会に集まって神様を礼拝し、聖書のメッセージを聞いています。それはとても大切なことですから、ぜひ、ずーと続けて欲しいと思います。僕たちは、聖書の御言葉を通して神様の事、イエス様の事を知り、自分の罪を知ります。同時に、神様の愛を知り、イエス様の十字架による救いの恵みを知る事が出来ます。皆は、この福音の恵みを教会の牧師を通してだけではなく、教会学校の先生を通して聞くことが出来ます。また、親を通して聞くことが出来ます。ぜひ、その一つ一つのことをしっかりと聞いて、忘れず、心に留めて行きましょう。聖書の言葉は、神様の言葉であり、僕たちを教え、神様による正しい道へと導いてくれます。

 祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。今日も神様を礼拝できる恵みを感謝致します。神様が、聖書の御言葉を通して語りかけてくださることを感謝致します。神様の御言葉である聖書を読み、学びます。神様、僕たちを導いてください。
 夏休みもあと残り1週間半となりました。まだまだ暑い日が続きます。一人ひとりの健康を支え、二学期への準備を守ってください。この祈りを救い主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。」

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」   テモテへの手紙 第二4章2節

<適用>

 皆さんは、クリスチャンになって初めて、聖書のことやイエス様のことについて人に話した時の事を覚えているでしょうか。私は、小学生の時、誰もが私の事を牧師の子どもと知っていましたので、いろいろ聞かれることがありました。恐らく、初めて誰かに聖書の事というか教会の事を話したのは小学校4年生の時だったのではないでしょうか。給食の時に目を閉じて祈っている姿を見た担任が、「今度、赤松君にお祈りしてもらいましょう。」と言い出したのです。私は、「それはちょっと」言って断ってしまいました。すると「じゃあ、主の祈りを教えてくださいね」と言うのです。私は、次の日教室の黒板に主の祈りを書いて皆で読んだのを覚えています。それから数日、「聖書って何が書いてあるの?」とか「礼拝ってどんなことをしているの?」とクラスメイトからの質問攻めにあいました。私は、何と答えてら良いのか分からず、「聖書を読めばわかるよ。礼拝に来てみたらわかるよ」と答えていました。
 私たちは、神様の恵みを伝え、自分が聞いて信じている福音を証しするために、聖書を学び続けましょう。

Ⅰ;神のことば(3:16)

 私たちが、学び伝えるべき「聖書」は、「神のことば」です。現在聖書は、世界中の多くの言葉に翻訳され、多くの人たちに読まれています。旧約聖書は、ヘブル語(一部アラム語)、新約聖書はギリシャ語で書かれています。このヘブル語やギリシャ語の聖書からそれぞれの国や地域の言語に訳されているのです。ウィクリフ聖書翻訳協会が聖書翻訳を進めています。2021年9月の世界ウィクリフ同盟の発表によると、旧新約聖書が全て翻訳されている言語は、718言語。新約聖書だけが1582言語、聖書の分冊が1196言語あります。現在翻訳作業が勧められている言語が2217言語、翻訳の計画が必要と思われる言語が1892言語あります。一つの書物が数百年、数千年たっても注目され、翻訳され続けているのは、聖書だけだと思います。それだけ聖書は、多くの人の心に感銘を与え、世界のベストセラーとなっているのです。

 けれども私たちは、聖書が単に感銘を与えるだけのものではないことを知っています。中には聖書を道徳書として読む人、人生訓として用いる人もいるでしょう。しかし聖書は、単なる書物ではありません。聖書は、「神のことば」なのです。「聖書はすべて神の霊感によるもので(16)」す。パウロがここで言っている「聖書」の直接的な意味は旧約聖書のことをさしていますが、今私たちが手にしている、旧新約聖書と受け止めることが出来ます。

 聖書は、書かれた神のことばです。旧約聖書から新約聖書までは多くの時代が過ぎ去り、多くの著者がいます。旧約の最初の5書を書いたモーセをはじめ、預言書を書いた預言者たちです。新約では、福音書を書いた弟子たち、多くの手紙を書いたパウロなどです。その期間は、数千年だと言われています。聖書著者の生きていた時代、社会的な背景、立場などは違います。けれども聖書は、救い主キリストという一つのテーマが貫かれているのです。なぜならば、全能の主なる神様が聖書著者を用いて、御自身の言葉を記したからです。
 聖書は、全て神の霊感によって書かれた神のことばです。だから今も生きていて力があるのです(ヘブル4:12)。聖書は、誤りのない神のことばで、私たちの信仰と生活の唯一の基準です。

Ⅱ;救いに導きます(3:15)

 私たちは、聖書を学び伝えましょう。神のことばである聖書は、私たちを救いに導きます。「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです(15)」と言われている通りです。
 このように語る時パウロは、テモテの信仰のスタートを思い起こしていました。それは先ほど話した通りです。テモテは、幼い時から聖書に親しみ、イエス様の十字架の救いを聞き、信仰に導かれました。テモテは、イエス様を信じてからも聖書を読み続け、学び続けました。だからパウロは、「あなたは、学んで確信したところにとどまってなさい。」と勧めています。テモテには、自分が信仰に導かれるために、聖書のことを教えてくれた、祖母と母がいました。そして、テモテは、パウロによって福音を教えられ、信仰が成長していきました。

 皆さんは、誰から福音を聞いたかを覚えているでしょうか。皆さんは、誰をきっかけに初めて教会に足を踏み入れたでしょうか。信仰を持つに至った過程の中で神様は、どんな方々に出会わせてくださったでしょうか。さらには、信仰生活の中で皆さんに大きな影響を与えたクリスチャンがいるでしょうか。ある人は、親がクリスチャンでその影響で信仰に導かれた人たちがいます。その人は、神様が自分の親を教会に導いて下さり、自分を導いてくださっていることを感謝しましょう。またある人は、家族の中で自分が最初に信仰に導かれたという人もいます。その人は、やはり神様がクリスチャンと出会わせてくださったこと、教会に導いて下さったことを感謝しましょう。
 このように私たちが教会に導かれるきっかけは様々ですが、確かなことは、聖書を通して信仰に導かれ、救いを得ていると言う事です。聖書は、神のことばであり、聖書は私たちに知恵を与えて、信仰による救いを受けさせることが出来るのです。

Ⅲ;宣べ伝える(4:1-5)

 私たちは、聖書を学び伝えましょう。聖書は、神のことばです。私たちは、聖書を通してイエス様の十字架による救いに導かれます。また、神様は、聖書の御言葉を通して私たちの人生を導きます。

 先ほど、聖書翻訳の事を離しましたが、様々な言語の聖書を印刷し様々な国や地域に届ける働きがあります(新生宣教団)。新生宣教団は、迫害によって公にキリスト教の宣教が禁じられている地域へ聖書を届けるという働きをしています。以前その活動の報告を聞きました。その報告で、迫害の中、家の教会を中心に信仰を守っている人たちが聖書を受け取る映像を見ました。聖書を受け取った人たちは、聖書を大切に持ち、涙を流して頬ずりして喜んでいるのです。それは、神の言葉である聖書を手にする喜び、読み学び、そして伝道できる喜びの表現でした。私は、その映像を見ながら、聖書を当然のように持つことが出来ることを感謝したのと同時に、私は、彼らのように聖書を手にすることに対する感動と喜びを持っているだろうか、と問われる経験をしました。

 パウロは、テモテに聖書に留まることを強く勧めました。それだけではなく、学んだみことばを「時が良くても悪くても」宣べ伝えなさいと勧めています。なぜなら、「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め(Ⅱテモテ4:3)」るようになるからです。皆さん、私たちの時代、まさにパウロが言ったように、自分の好みにしたがって情報を集める時代となりました。人々は、耳に心地よい教えを求め、真理を求めなくなっています。人々は、罪を指摘するような言葉を嫌います。そして、イエス様の十字架こそ本当の救いであることを受け入れようとしません。福音を伝えることに対して、社会的な状況は厳しいのではないかと感じることが多くなりました。今こそ、私たちはテモテと同じように、パウロの励ましを必要としているのではないでしょうか。パウロは、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」と語ります。

 私たちは、聖書を学び、その恵みを伝える者とさせていただきましょう。私たちは、来月から「トラクト配布」に取り組みます。福音の恵みがトラクトを通して人々に届くように祈りましょう。
 聖書は、神の言葉であり、「教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益」です。聖書は、私たちに人の罪、罪に対する神の裁きを明らかに示しています。だから聖書には、人の罪の現実が隠されずに書かれているのです。聖書は、私たちに神様の御心を教え、私たちの歩むべき道を示します。だから私たちは、聖書を通して神様の戒めを学ぶ必要があるのです。そして何といっても聖書は、私たちの罪に対するイエス様による救いがあることを明らかにしています。
 私たちは、聖書を通して福音の恵みを知りました。私たちは、神様の恵を独り占めするのではなく、まだ知らない人たちに伝えていきましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、御言葉による導きを感謝致します。私たちは、神の言葉である聖書を通して、救いを知り、恵みを知り、神様の愛を知りました。この神様の恵みを知らない人たちに、福音を宣べ伝える事が出来るように、私たちを導いてください。そのためにも私たちは、聖書を読み、学び、確信に留まり続けます。神様、私たちの信仰を守り、成長させてください。
 一人ひとりを通して福音が広がり、神様の栄光が現わされますようにとお願い致します。神様、新型コロナウイルスの感染が収束しますように導いてください。戦禍にあるウクライナとロシアの間に平和があり、世界が神様からの平安で包まれますようにとお願い致します。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。」