2022年8月28日(日)礼拝説教 使徒の働き18章24-28節 「信徒に託された働き」 説教者:赤松由里子師

<子どもたちへ>
 朝晩だいぶ涼しくなりましたね。あっという間に8月最後の礼拝式になりました。みんなにとっては「もうすぐ学校…嫌だなあ」とか、「宿題で気が変になりそう⁉」など、しんどい時期かもしれません。でもそれぞれが乗り越えて、明るい気持ちで9月を迎えて行けるようにお祈りしています。

 さて先週のテモテさんのお話から来週までは、使徒ではないけれど教会で愛され、教会に良く仕えた人たちのお話を学びます。
 今日の主人公はこの夫婦です。ご主人はアキラさん(前の聖書ではアクラと訳されていました)。奥さんはプリスキラさんです。一緒に言ってみましょう。「アキラとプリスキラ」です。もともとローマに住んでいたのですが、少し前にコリントに来ていました。彼らの仕事はテント作りで、2人とも熱心なクリスチャンでした。

 ある時コリントの町にパウロがやってきました。ここでもイエス様を伝えるためです。「パウロ先生が来られたぞ!」「先生、どうぞうちに泊まって下さい。」そう申し出ました。「それは助かります。では普段はテント作りを一緒にして、安息日にイエス様を伝えましょう!」パウロも親からの家業がテント作りだったのですね。こうしてコリントに滞在している間、彼らの住まいがパウロの宿になりました。伝道旅行に集中していたパウロですが、行く先々で迫害を受けていました。ですから、安心して滞在でき共に祈ることの出来る2人との生活は、大きな励ましだったことでしょう。こうしてパウロは1年半の間、コリントで伝道しました。
 しばらくすると、パウロがエペソに移動しました。そこを通ってアンティオキアの教会に戻るのです。アキラとプリスキラも一緒にエペソに行きました。パウロが行ってしまうとそこに残り、自分たちの家を「家の教会」として提供しました。牧師ではありませんが、エペソ教会の中心的なメンバーとして活躍したのです。

 ある日のことです。アポロという名の伝道者がエペソにやってきました。聖書にとても詳しくて、お話も上手です。イエス様のことも良く知っていて、熱心に教えてくれます。でも、アキラとプリスキラは「あれ…?」と思いました。お話の中に気になるところがあったのです。「ヨハネのバプテスマのことしか言わないね」「イエス様の御名によるバプテスマを知らないのかな?」「聖霊様のことも知らないようだよ」。これは教会にとって重大なことだと2人は思いました。こんなとき皆さんだったらどうするでしょうか?黙っている?その場で議論する?アキラとプリスキラのしたことが私たちのお手本になります。
 2人はアポロの話が終わってから、目立たないようにそっと脇に呼んで言いました。「アポロさん、あなたのお話はとても分かりやすいのですが、大切なことが抜けているようです。」アポロはびっくりして言いました。「そうなのですか?どうぞ教えて下さい。」そこでアキラとプリスキラはパウロから学んだことを、アポロに正確に教えてあげました。そしてアポロがコリントで伝道したいと考えていたので、大いに励ましました。そしてコリントの教会宛にアポロを歓迎してくれるよう手紙を書いて、彼を送り出しました。

 アキラとプリスキラはいわゆる牧師や伝道者ではありません。でも、神様の働き人を助け、教会のために良い働きをした人たちでした。それは性格が良かったからとか、お金持ちだったから、そういう理由ではなかったと思います。神様と教会にお仕えしたい。その信仰が2人の素晴らしい働きを生み出したのだと思います。教会は一握りの先生たちだけでは十分に活動ができません。神様のためにできることをもって仕えるアキラとプリスキラのような人が必要なのです。神様と教会のため自分にできることは何だろうか?とお祈りしてみて下さいね。

<祈り>
 神様。アキラとプリスキラのお話を聞きました。教会には彼らのような人が必要です。神様と教会のため私に出来ることはなんでしょうか?どうぞ教えて下さり、行動へと励まして下さい。御名によってお祈りします。アーメン。

「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。」  Iコリント15章58節

<適用>
 小中学校の夏休みが間もなく終わります。学生のいる親御さんは、ほっとする時期かもしれませんね。新学期を前にして、多くの学校では校庭の草刈り作業がPTAで行われるようです。我が家がお世話になっている中学校では、感染状況を踏まえ先生方と役員の方などでして頂きました。ありがたい限りです。このPTAですが、Pはparents(親、保護者)、Tはteacher(教師)でその連合体ということです。学校での子どもの教育は、先生方だけが行うものではない。親が「協働」で教育を行っていく、という理念を表しているようです。ともすると先生の働きだけに目が留まりがちな学校教育を、「PTA」という言葉で理念に引き戻す一面があるのかもしれません。
 さてPTAではありませんが、教会も時にその在り方を振り返る必要があるように思います。教会に行けば牧師がいる、すると教会の働きは牧師がするもの、と思い込みが発生することがあります。しかし、教会は牧師と信徒がいて初めて教会です。両者が協力しあって共に働きを進めるのが、聖書が描く教会の姿です。アキラとプリスキラを通して、教会本来の姿はどのようなものか、信徒に託された働きとは何か、共に学ばせて頂きたいと思います。

1.パウロを支える~同労者として

 まず使徒18章の冒頭から、彼らとパウロの出会いを見て参りましょう。18:1にパウロがアテネを去ってコリントに移動したとあります。そこでアキラとプリスキラに出会いました。ではその時のパウロはどういう状況にいたのでしょうか。17章32節には、アテネを去る時「ある人たちはあざ笑った」とあります。また「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言ったとあります。これは「そのうちまたね、おとといおいで」という、体のいい断りの言葉です。これにはパウロですら傷つき失望していたようです。そんな時の思いがけない信仰篤い夫婦との出会いは、どれだけパウロの励ましとなったことでしょうか。

 彼らは生業である天幕づくりを、同じ家に住んで行うことになりました。成果いつの必要の多くはアキラとプリスキラが提供した、と考えられます。しかしパウロは後に「だれにも負担をかけないように」(Ⅱテサロニケ3章8節)夜昼労苦して働いたのだと、語っています。
 余談ですが、働いて収入を得つつ宣教の働きに当たる宣教師や牧師は、「テントメイカー」と呼ばれます。この聖書箇所にちなんでの呼び名です。パウロが自助努力として生活費の一部を稼ぎ出したように、牧師、伝道者が自ら働くこともあるのです。福音伝道教団でも、テントメイカーをしつつ牧会をしている牧師は少なくありません。牧師にその余力がない場合、配偶者が生活を支えているケースも多々あります。みことばの働きに専念したいという理想と、現実の必要のはざまで悩まされるのが、パウロの時代からの伝道者を取り巻く状況です。

 しかしパウロは5節「シラスとテモテがマケドニアから下って来ると、パウロはみことばを語ることに専念」出来るようになりました。マケドニアのピリピ教会から、献金や支援が届けられたのです(ピりピ人への手紙4章15節参照)。
 アクラとプリスキラ、そしてマケドニアの教会は、パウロを決して一人ぼっちで働かせませんでした。彼らは出来ることを持って、同労者、協働者としてパウロを支えました。そんなパウロに神様は幻で語り掛けました。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。」(15章9-10節)。パウロは主のみことばと兄弟姉妹の支えによって、1年半にわたってコリント伝道を続けることが出来たのです。

 皆さん、知っておいて頂けたらと思いますが、伝道者の働きには孤独な面があります。リーダーとしての孤独があり、召命に伴う困難に立ち向かう孤独があるのです。物心両面でパウロを支えたアキラとプリスキラのような存在が、現代の教会においても必要です。どうぞ主の働きの同労者となって下さい。そして主のみわざの前進に、あなたも加わって頂きたいと願います。

2.アポロを支える~みことばを委ねられた者として

 さてその後、パウロがアンティオキア教会に戻ることになりました。アキラとプリスキラも同行していました。彼らにエペソ教会を委ね、パウロは分かれて行きます。それほど彼らは信頼されていたのです。2人は自宅を家の教会として提供し、エペソ教会を盛り立てました。
 ここで注目すべきは伝道者アポロと彼らのかかわりです。エペソにやってきたアポロについてはこう書かれています。「この人は主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった」(25節)。

 このような場面に直面したら、皆さんはどうなさるでしょうか。以前、牧師の説教についてある方から助言を求められたことがあります。「同じ教会の方が牧師先生の話に疑問を抱いていて、相談を受けている。なんとアドバイスしたらいいだろうか?」これはとても難しい問題です。無責任なことは言えません。その時私がお伝えできたのは、「十分な祈りと配慮をもって、アキラとプリスキラのように対応してください」ということでした。
 彼らは信徒でありながら、伝道者アポロの欠けを見抜くことが出来ました。パウロから直々の薫陶を受けていたからでしょう。そして彼らはそれに対処することを厭いませんでした。何故ならみことばは教会全体にゆだねられたものだからです。使徒や伝道者だけの責任ではなく、信徒も研鑚し、教えを正しく守っていく責任があるのです。

 彼らはアポロへの敬意と十分な配慮とを欠かさずに対応しました。公衆の前で恥をかかせるのではなく、脇へ招いて丁寧に語りかけました。アポロの知らなかった正しい知識を伝え、アポロもまたへりくだって耳を傾けました。そんなアポロを、彼らは見下したり「失格」の烙印を押したりはしませんでした。アポロがアカイア地方の伝道に行きたいと言った時は大いに励まして、彼を歓迎するようコリント教会に手紙まで書いて送り出しました。まさに伝道者を育て励まし送り出す、霊の父母のようです。こうして伝道者が育てられるのだなあ、とお手本を見ているようです。これはアポロのため以上に、「主のため」という動機にほかならないでしょう。牧師と信徒が互いに教え合うことが難しいのは事実だけれども、ここからわかるのは、それは聖書的だということです。みことばを委ねられた教会とは、牧師と信徒、その両者によって構成されているからです。お互いが十分な祈りと配慮、謙遜をもってなされるならば、教会全体の益となるのです。

 アキラとプリスキラは信徒でありながら、パウロの同労者、委ねられた正しい教えを守る者、アポロの支え手として用いられました。しかもパウロの生涯にわたって、常に頼りになる存在であり続けたことが、新約聖書のあちこちに出てきます。「信徒に託された働き」を、彼らは見事に果たしていきました。今日のみことばを読みましょう。「堅く立って動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。」(Iコリント15章58節)。生涯にわたって主のわざに励み続けたアキラとプリスキラ。きょう主はこの箇所を通して、小川教会のアキラとプリスキラとなるべく、あなたを招いておられるのではないでしょうか。主のために信徒として出来ることは何か、それぞれが主の前に思いめぐらし踏み出して行くよう教えられます。

<祈り>
 主よ。アキラとプリスキラ夫妻から学べたことを感謝いたします。牧師と信徒の隔てなく主の働きのために協働し、同労者となった彼らに教えられます。自らに出来ることを積極的になして教会を活気づけ、あなたの働きを進める助けが出来ますように。また委ねられたみことばと教えを守るために、研鑚を続け用いて頂く者となれますように、お導きください。御名によってお祈りいたします。アーメン。