2022年9月11日(日)礼拝説教 列王記第一 3章3-15節 「人生に必要な知恵」 説教者:赤松勇二師、CS説教:赤松由里子師

<子どもたちへ>赤松由里子師

 まだまだ暑い日ですね。皆さん元気に過ごしていますか?学校が始まって、毎日どうですか?友達に会えてうれしいよ、という人もいれば、毎日(色んな意味で)しんどいなあ、という人もいるでしょう。神様にそのままの心を打ち明けて、お祈りして行きましょう。また、みことばという「心の糧、栄養」をしっかりと味わい、力を頂いて行きましょう。
 先日イギリスのエリザベス女王がなくなりました。70年間も在位したそうです。私も子どもの頃から、イギリスと言えば女王様の国、女王様と言えばエリザベス女王、という印象を持っていましたから、さみしい気持ちになりました。でもイギリスではすぐ皇太子が次の王様に即位して、王様不在となることがないようです。しかし、イギリスの人たちや新しい王様も色々不安があるかもしれません。どんな風になっていくのかな、と気になったりします。

 さて、今日から、昔のイスラエルの時代に話が戻ります。ちょうど、王様交代が書かれているところが今日の箇所です。今日は、ダビデ王から次のソロモン王に変った時のお話をします。どんなことがあったのでしょうか?
 絵を見て下さい。ベッドで寝ているのは、おじいさんになったダビデ王です。心配そうな顔をしているのは息子のソロモン王子です。次の王様に決まっていました。ダビデは年を取り、自分がもう長くは生きられないのが分かったので、ソロモンに言いました。「ソロモンよ、あなたは強く男らしく生きなさい。」「どんなことでも神様の教えを守って従いなさい。そうすれば祝福すると、神様が約束して下さったからだ。」こう言い残して、ダビデ王は亡くなりソロモンが王になりました。

 王様になってしばらくした時のことです。夢の中に神様が現れて、こう言われました。「あなたが欲しいと思っているものをなんでも求めなさい。」ソロモンは言いました。「神様、私はイスラエルの大勢の国民をどう治めたらいいのか、十分にわからないのです。どうぞ善悪をしっかり見分けられるように、私に知恵をお与え下さい。」すると神様はとても喜ばれてこう言われました。「よろしい、あなたの願い通り知恵を与えよう。それだけでなく富も与え、名誉も与えよう。あなたは偉大な王になる。」ソロモンは目覚めると、神様に感謝の礼拝を捧げ、家来たちのためにパーティーを開きました。

 ある日のことです。ソロモン王のところに裁判が持ち込まれました。2人の女が一人の赤ちゃんを取り合っていたのです。「私の赤ちゃんよ!」「いいえ、私の子よ!」激しく争っています。どちらが本当のお母さんなのでしょうか?ソロモン王はしばらく考えていましたが、家来に言いました。「剣を持ってきて赤ちゃんを2つに切り分け、半分ずつ2人に分けてやりなさい。」すると一人の女の人は真っ青になって言いました。「王様、その子をあの人にあげて下さい。どうぞ切ったりしないで下さい!」でももう一人は平気な顔で言いました。「王様、もう子どもはいりません。真っ二つにして結構です!」するとソロモン王様は判決を下しました。「生きている子どもを最初の女に与えなさい。子どもを殺してはいけない。彼女こそ本当の母親なのだ!」こうしてソロモン王は神様の知恵で立派に国を治めました。人々は「王様の知恵はすごいなあ!」「神様が知恵を与えてらっしゃるんだよ」と話し合いました。

 みなさん、王様になるような人は限られています。でも神様からの知恵や判断力が必要だ、というのはみんな同じです。聖書は知恵を神様に求めるよう教えています。今日の聖句を読みましょう。「自分は大丈夫だよ」と言うのでなく、いつもへりくだって神様に導きと教えを祈り求めましょう。ソロモンに知恵をお与えになった神様は、私たち一人ひとりにも必要な知恵と判断力を与えて下さいます。

 <祈り>
「神様。神様の教えを心にとめていても、私たちにはどう行動したらいいかわからない時があります。私たちには神様からの知恵と導きが必要です。ソロモンに与えて下さったように、私にも必要な知恵をお与え下さい。毎日の歩みに神様が共にいて導いて下さいますように。御名によってお祈りします。アーメン。」

「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」
                        ヤコブの手紙1章5節

<適用>赤松勇二師

 9月は、「防災の日」から始まります。ですから今月は、防災について考える時間を持つことが良いでしょうね。今年は、特に世界規模で異常気象が続いていますので、様々な災害や今後の生活への備えについて考えることとなるでしょうか。私は、時々思い出したように懐中電灯やローソクのしまってある場所を確認します。けれども懐中電灯に電池が入っているかと言うと恐らく入っていません。ローソクはありますが、マッチを捜す必要があります。これではいざと言う時、慌てることになっていますね。防災のためには、何が必要か知っているだけではだめで、すぐに行動できるようにしておくことが大切です。それも分かっているのですが、常に備えることの難しさを感じてしまいます。
 私たちは、「人生」という事についてどのように考える必要があるのでしょうか。今日は、「人生に必要な知恵」という事で御言葉から学びましょう。

Ⅰ;主なる神を畏れること

 まず、「人生に必要な知恵」は、主なる神様を畏れることです。皆さんは、人生に必要な知恵と聞いて「もっと具体的な事ではないのですか?」と思うかもしれません。
 確かに私たちは、人生を生きて行く中で様々な場面に遭遇します。また実に多くの問題や困難に直面します。例えば、中学から高校への進学をどう考えたら良いのだろうか。高校から大学(専門学校)へと進むべきか、就職活動をしてどのような仕事につくのか、結婚や子育て、地域とのかかわりと考えるべきことは幅広くなっていきます。そのような中で、私たちは、人生設計をどうしたらよいのだろうかと悩み、家庭でも会社でも地域でも人間関係や意見の違いなどからくる問題があるものです。考えればきりがありません。そのような事柄にどのように対処することが出来るのか、考えてみることも良いでしょう。けれども今日、私たちは、そのような具体的な事よりも、もっと根本的で重要な事柄に心を向ける必要があります。それは、主なる神様が、私たちを教え導き、必要な知恵を与えてくださるという事です。

 ソロモンは、この事をわきまえていました。彼が王となり、ギブオンで神様を礼拝した時の事です。夢の中で神様がソロモンに語りかけました。神様は、「あなたに何を与えようか。願え。」と聞きました。皆さん、もし神様が今、皆さんに「あなたの願いは何か」と聞いてくださったら、何と答えますか。きっと色々考えて、考えすぎて「神様、実にたくさんありすぎるのですが…。」とすぐには決められないと言う状況になってしまうかもしれませんね。
 ソロモンも考えたことでしょう。そして一つの結論を出しました。このソロモンの答には、彼が主なる神様を畏れ敬っているという彼の信仰が表現されています。ソロモンは、父ダビデが神様の恵みによって支えられ、守られ繁栄したことを認めていました。それはダビデが神様を畏れ、忠実に歩んでいたからです。またソロモンは、自分が王となったことも神様の恵みであると受け止めていました。そこでソロモンは、神様によって与えられた王としての使命をしっかりと果すことが出来るようにと「善悪を判断し、民の声を聞き分ける心」を求めたのです。

ソロモンの心は、常に神様に向いていました。そして彼は、神様を畏れ敬い、神様からの知恵を求めたのです。ソロモンは、主を畏れる事が人生において一番大切であることを知り、箴言で「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。(9章10節)」と教えました。では主を恐れる(畏れる)とは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。ダビデがソロモンに残した言葉から知ることが出来ます。列王記第一2章1-3節にダビデの言葉があります。「ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように命じた。『私は世のすべての人が行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくありなさい。あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。』」主なる神を畏れるとは、神様の御言葉を心に留めることです。そして神様の御言葉に従い、神様の御心を求めて歩むことです。このように歩むこと(主を恐れること)が、知恵の初めです。

 新約聖書でイエス様が同じような事を教えてくださいました。「まず神の国と神の義を求めなさい。そすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます(マタイ6:33)。」です。やはり私たちにとって、神様を第一に求め、神様を礼拝し、神様の御言葉に聞き従い御心を求めて歩むことが大切なのです。そうすれば、これらのものは与えられると約束されています。「これらのもの」というのは、私たちの生活で必要な全てのものです。ダビデの言葉では、「何をしても、どこへ向かっても栄える」という事です。
 「人生に必要な知恵」で、まず一番重要な事は、「神様を畏れ敬う」ということだとしっかりと覚えておきましょう。

Ⅱ;主なる神様に求めること

 二つ目に重要な事は、「主なる神様に求めること」です。人生に必要な知恵は、神様から与えられます。
 今週の聖句である、ヤコブの手紙1章5節にはなんとあるでしょうか。週報に記載してありますので、一緒に読みましょう。「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」

 私たちは、「知恵が与えられる」と聞くと何か特別な才能が与えられるとか、頭が良くなるとか賢くなるというふうに考えてしまうかもしれません。私は、学生の時に「頭が良くなる薬があればいいなぁ」と考えた事があります。テストの時には、「神様、テストの期間だけで良いので知恵を与えてください」と祈ったこともあります。そのように祈りながら、「でも、あまり勉強してこなかったからなぁ」と思い私は、「神様、実力を発揮できるように守ってください」と改めて祈ることもありました。ヤコブが言っている、「知恵」は、単なる知識ではなく、劇的に賢くなるという事でも出ないように思います。私たちが求めるべき知恵とは、神様によって人生を歩むための知恵です。私たちが、神様の御心を知り、神様から与えられる豊かな祝福の中を生きることが出来るという道です。今日の交読文の詩篇37篇には、「主によって、人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる(23節)」とありました。私たちの人生は、主なる神様によって確かにされます。なぜなら、神様は、私たちのすべてを知っておられるからです。

 私たちが、神様を畏れ、神様の御心を求め、神様に人生を導いて頂くために知恵を祈り求めるなら、その結果はどうなると約束されているでしょうか。神様は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださるのです。こんなに素晴らしいことがあるでしょうか。私たちが、知恵を求めるなら、神様は惜しみなく与えてくださるのです。
 ソロモンは、どうだったでしょうか。ソロモンは、神様からの知恵を求めました。すると神様は、このソロモンの求めを喜び、その通りにすると約束されました(Ⅰ列王記3:10-12)。それだけではなく、彼が求めなかった全てを与えると約束してくださったのです(同13‐4)。ただ一つ、ソロモンがすることは、神様を畏れ敬い続けて、信仰を失わず、神様の御言葉に聞き従い続けることでした。ソロモンは目が覚め、それが夢であったことを知りました。けれども彼は、「夢だった」で終わらせず、神様が夢を通して特別に語りかけてくださった事、神様の祝福の約束を信じて礼拝し感謝を表しました。
 その後の出来事を通してソロモンに神様からの知恵が与えられ、豊かな祝福を受けたことを知ることが出来ます。それだけではなく、ソロモンの箴言などを通して彼の知恵の深さを知ることが出来ます。

 私たちは、時々、どのように対処するべきか迷ってしまう事柄に直面します。私たちは、人間関係の中で何と答えるべきか悩むこと、解決しなければならない問題(困難)、取り組むべき課題など様々なことがあります。そのような事柄の中で、私たちはクリスチャンとしてどのように歩んだら良いのか、知恵が必要になって来ます。私たちは、家庭の中でどのように神様の栄光を表すことが出来るでしょうか。どうしたら、神様の御心を選び取り、神様に喜ばれる生き方をすることが出来るのでしょうか。私たちの心が満たされ、平安でいられるためにはどうしたら良いのでしょうか。聖書には、「主なる神様に求めるように」と勧められています。神様は、だれにでも、惜しみなく、とがめることなく与えてくださるお方です。
 私たちは、主なる神様を畏れ敬い、神様の御言葉に聞き従い、導いて頂きましょう。そして私たちは、どんな時でも「人生に必要な知恵」を神様に祈り求めましょう。神様は、私たちに知恵を与え、祝福して導いてくださいます。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、私たちが人生を生きるためには、神様からの知恵が必要です。神様、私たちがあなたの御心を知ることが出来る知恵を与えてください。私たちが、神様の喜ばれる歩みをして神様の祝福の中を歩めるように知恵を与えてください。そしてさらに、私たちが神様を畏れ敬い、御言葉に聞き従うことが出来るように、天からの知恵を与えてください。神様が、一人一人に必要な知恵を与えてくださることを信じます。私たちが、神様によって平安が与えられ、喜びに溢れる日々を送ることが出来るように導いてください。
 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」