2022年10月2日(日)礼拝説教 列王記第一12章1-16節 「心の思いを吟味する」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 皆は、体育の授業、クラブ活動、部活動、運動会などで様々なスポーツをしていることでしょう。チームで戦うスポーツでは、どうしたら試合に勝つことが出来るでしょうか?チームのメンバーが一致団結して試合をすることで勝つことが出来ますね。では、どんな状況になってしまったら、負けてしまうでしょうか? 恐らく、チームのメンバーがそれぞれ自分勝手な事をしていたら試合に勝つことは出来ないでしょうね。それでは、チームとしてまとまることは出来ず、バラバラになってしまいます。
 旧約聖書に出て来るイスラエルの国もある時に二つに分裂してしまいました。それは、皆が、それぞれ勝手な事をしていたからです。特に国を治める王様が自分勝手なことをしてしまったからです。

 先週まで、ソロモン王様の事を聞いていましたね。ソロモン王は、神様からたくさんの恵みを与えられて、とても豊かになりました。またソロモン王は、神様から知恵が与えられ、ソロモンに分からないことはないと言われるほどの知恵者になりました。ソロモンが、神様を信じて従っていた時は、とても良い国として大きくなりました。けれどもいつの間にかソロモンは、自分勝手な事をして神様の前に罪を犯してしまったのです。神様は、二度もソロモンに忠告しましたが、ソロモンは神様の言葉を聞きませんでした。

 そこで一人の人物が登場します。「ヤロブアム」という人です。ヤロブアムは、ソロモンの家来でした。神様は、預言者アヒヤを通してヤロブアムにお語りになりました。「ソロモンの手からイスラエル王国を引き裂き、12部族のうちの10部族をあなたに与える。それは、ソロモンが神様の教えを捨てて正しい道を歩まないからだ。あなたは、10部族をまとめる王となる。あなたもダビデのように神の言葉を聞き、従い、守り、正しい道を歩まなければならない。」
 ソロモン王は、ヤロブアムが王になろうとしている事を知って捕まえようとしましたが、ヤロブアムは、イスラエルの国を出てエジプトに逃げて行きました。

 さてそれから、ソロモンは死に、息子のレハブアムがイスラエルの王となりました。この時、イスラエルの10部族の人たちは、エジプトに人を遣わして、ヤロブアムに「今こそ帰ってきて、自分たちの王様になってください」とお願いしました。ヤロブアムは、さっそく代表者たちと新しい王様であるレハブアムに会いに行き一つのお願いをします。
 「レハブアム王様、王様になられてお忙しいことと思いますが、一つ願いを聞いてもらいたいのです。ソロモン王は、民に対してとても厳しい労働をさせました。また、たくさんの税金を支払うようにと要求していました。これまでは何とか耐えて来ましたが、この様な事が続くと生きていなくなります。どうか労働も税金も軽くしていただきたいのです。」

 レハブアムは、「分かった。よく考えるから3日後にもう一度来なさい」と答えました。レハブアム王は、どうしたでしょうか。レハブアム王は、これまでソロモン王に仕えて来た長老たちに相談しました。長老たちは、人生経験があり、様々な事柄を賢く判断する知恵がありました。長老たちは「王様、人々が求めて来たことはもっともな事です。労働と税金を軽くして、優しい言葉をかけてください。みんな、レハブアム王が大好きになりますから。そしてみんなが王様に従うでしょう。」長老たちのアイデアは、とても素晴らしものだと思います。けれどもレハブアム王は、長老たちの言葉が嫌で、そんなことをしたくなかったのです。そこで、レハブアム王は自分と同年代の若い人たちに聞きました。すると彼らは、「王様、今こそあなたの権威を示す時です。あなたは、ソロモン王よりも力があるのですから、民の労働も税金ももっと重くする命令を出すべきです。そうすれば、皆、王様を恐れて言う事を聞くでしょう。」レハブアム王は、この「権威を示して、厳しくするべきだ」という言葉が気に入りました。レハブアム王は、神様に知恵を求めて祈ることをしませんでした。

 約束の3日後、レハブアム王は、若い人たちが教えてくれたように、厳しくすることを命じました。人々は、がっかりして、「それではもうレハブアム王について行くことは出来ない、自分たちは、これからヤロブアムを王として独立します。」こう言って、イスラエルのうちの10部族は、ヤロブアムを王様に迎え、北イスラエル王国として独立しました。レハブアム王には2部族だけ残り南ユダ王国となりました。こうしてイスラエルの国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれてしまったのです。

 ここで一つ心に留めましょう。ソロモン王様は、自分勝手な事をして神様を求めませんでした。ソロモンの後を継いだレハブアム王は、神様の御心を求めないで自分が注目される道を選びました。その結果、国が分裂する事となってしました。独立したヤロブアムはどうだったかと言うと、彼は、神様を信じ続けることが出来ず、神様の喜ぶ事を行うことなく、神様の御言葉に従う事もなく、自分勝手な道に進み、神様の裁きを受けることとなってしまいました。
 僕たちにとって大切な事は、神様が教えてくださる御言葉を大切にすることです。そして神様を礼拝し、神様の喜ばれることを祈り求めることです。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イスラエルの国は、神様を求めず、神様の御言葉に従うことなく、自分勝手に生きてしまい国が分裂することとなりました。
 大切な事は、神様の御言葉に聞き、従い、神様に喜ばれることを祈り求めることです。そのように一人一人が歩めるように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。」    エペソ人への手紙5章10節

<適用>

 私たちは、「吟味」するという言葉を使います。今日の説教題でも使っています。その言葉の意味を調べたら、「物事を念入りに調べること、調べて選ぶ事、詩歌を吟じて趣を味わること」とありました。「詩吟」と言うのは、「詩歌を吟味する」しながら歌うという事なのでしょうか。
 「心の思いを吟味する」と言う時、私たちの心がどこを向いているのかを調べるという事でしょうか。そして調べつつ、神様が御言葉によって教えてくださることを味わい、生き方に表していくということでしょうか。

Ⅰ;どこを向いているかを吟味する

 まず、私たちは、心がどこを向いているのかを吟味しましょう。レハブアムが、ソロモンの後を継いでイスラエルの王となった時の最初の試練は、ヤロブアムたちから出された要望にどのように答えるかという事でした。その対応によって王としての資質が試されることとなりました。
 思い返すとソロモンの時は、一人の赤ん坊を巡って二人のお母さんが争うという事でした。誰も目撃者がいませんので、どのように裁くべきなのか全く分からない状態でした。しかし、ソロモンはすでに「民の声を聞き分ける心を与えてください」と祈っていましたので、きっとソロモンは、「神様、この問題をどのように解決することができるのでしょうか。教えてください」と祈ったことでしょう。そこで神様から与えられた方法が、赤ん坊を二つに切ってしまいなさいと命じることでした。当然、本当のお母さんは、それでは困るので、「そんなことをしないでください」と訴えます。こうして本当のお母さんが誰であるかが判明したのです。

 レハブアム王は、「労働や税金を軽くしてもらいたい」という要望が出された時に、まず長老たちに意見を求めました。それは、長老たちがソロモン王に仕え、多くの問題への対処を経験していて、レハブアム王がこれからどのような政治を行う事が大切かを知っていたからです。長老たちは、「民の要望を受け入れて、優しくこれまでの労をねぎらうべきだ」と勧めました。これは、最善のアドバイスのように思います。けれども、レハブアム王は、別の意見も聞きたくなり、自分と同世代の若い家来の意見を求めました。若い家来はそれほど経験がある訳ではありません。彼らは、レハブアムと一緒に育ちこれから王に仕えるためには、王の機嫌を取ることが大切だと考えていたのではないでしょうか。彼らは、「王としての威厳を示して、今まで以上に厳しくすればよい」とアドバイスしました。これは、レハブアム王の心をくすぐります。なぜならば、王としての権威を実感できるからです。レハブアム王は、若い人たちの意見を聞いて失敗します。 

 レハブアム王の心は、どこに向いていたと思いますか。彼の心は、自分が注目される事、自分が王として恐れられ、全ての人が自分の命令に従うことに向いていました。周りの人にアドバイスを求めることは大切な事です。しかし人は、他の人にアドバイスを求めながら、自分の好むことを言ってくれる助言を期待することがあるのではないでしょうか。レハブアムは、神様の御心を求めることはありませんでした。彼の心は、神様から離れ、神様の導きを求めることをせず、自分の思いや欲望を満足させてくれる言葉に従うという結果になったのです。

 では、ヤロブアムは、どうだったでしょうか。ヤロブアムは神様の言われた通り、10部族が連合する北イスラエル王国の王となりました。しかしヤロブアムも、心から神様を求めることがありませんでした。イスラエルの国の中心都市はエルサレムです。エルサレムは南ユダ王国にあります。独立したとしても人々は、エルサレムに巡礼する事となります。すると北イスラエル王国から南ユダ王国に移り住むということがあるかもしれません。そうなると北イスラエル王国としては、政策上困難な状況に追い込まれてしまいます。そこでヤロブアムが取った方法は、金の子牛の像を造り「これが神だ。もうエルサレムに上る必要はない。この金の子牛を礼拝すればよい」と言って祭壇を作りました。また本来ならレビ族がするべき神殿の奉仕を全く関係のない人々にさせてしまうのです。これは、「偶像を造ってはならない。拝んではならない」というモーセの十戒に違反する事であり、大きな罪となりました。ヤロブアムもまた、神様を求めず、自分の欲望を満足させることを優先して罪を犯す結果となりました。

 私たちは、まず、自分の心がどこに向いているのかを吟味しましょう。私たちの心は、自分を喜ばせる事や自分の思いが満たされることを最優先となっていないでしょうか。確かに私たちは、多くの願いを持ちますし、自分にとって重要と思う選択をします。しかしその時に最も大切な事は、神様は何を願っておられるのか、神様はどのように私を導こうとしておられるのかを知ることなのです。私たちの心が自分自身に向いていると、自分の狭い考えでしか物事を見ることが出来ません。しかし私たちの心が神様に向いているならば、神様の広い視野で物事を見ることが出来るようになるのです。

Ⅱ;生き方を吟味する

 次に私たちは、自分の「生き方を吟味」しましょう。そもそもどうしてレハブアムは、神様を求めることがなかったのでしょうか。王国の分裂は、なぜ起こったのでしょうか。王位継承争いでしょうか。そうではありません。ソロモンには妻が700人、側室が300人いました。当然のことながら、多くの子どもたちが与えられたことでしょう。普通に考えて、誰が王位を継承するのか大きな問題となるところです。しかし聖書は、ソロモンからレハブアムに交替する時に王位継承争いがあったとは書いてありません。という事は、レハブアムは、誰もが認める王位継承者であったということです。

 では、どういうことなのでしょうか。それは、ソロモン王の晩年の生き方に大いに関係があると思います。簡単に振り返りますが、ソロモンの父ダビデは、神様の前に誠実に信仰をもって歩んだ王様でした。ダビデは、失敗をして神様に罪を指摘されたことがありました。ダビデは、その時、自分の罪を素直に認めてすぐに悔い改めて主に立ち返るのです。そしてダビデは、常に神様に心を向け、御言葉に従って生きていました。こうしてダビデは、大切な信仰の姿勢、生き方をソロモンに伝え、自分自身も模範を示しました。ソロモンは、父ダビデの言葉を心に留め王となり、ダビデの示した模範に従って歩んでいたはずでした。けれどもソロモンは、多くの妻や側室を持ち、彼女たちの「自分の神々を礼拝したい」という要望に負けてしまい、偶像礼拝を容認してしまいました。それだけではなく、ソロモン自身も妻たちと一緒になって偶像礼拝を行うこととなり、まことの神様への礼拝がおろそかになって行くのです。

 このソロモンの生き方が、レハブアムの生き方に影響を与えたと思います。ソロモンは、レハブアムに対して「主なる神を求め、神様の御言葉に従い、誠実に歩むように」という生き方を伝えることが出来なかったのです。なぜならソロモンがその様に生きていないからです。
 ヤロブアムについても同じことが言えます。ソロモンの家来だったヤロブアムは、偶像礼拝を容認するソロモンの姿を見ていました。だから彼は、偶像を作る事、偶像を作って「これが主なる神だ」と言って礼拝することに何の抵抗も感じなかったのではないでしょうか。
 神様は、ソロモン王が道を踏み外した時「ほかの神々に従っていってはならないと(11:10)」とお命じになりました。また神様は、北イスラエル王国の王となるヤロブアムに対して「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み・・・(11:38-39)」と語っていました。神様が、ソロモン王にそして、その後の王たちに求めておられたのは、神様の声に従い、神様を第一として、神様の目にかなうことを行う事だったのです。そしてそのような生き方を次の世代に模範を示し、伝える事だったのです。

 私たちの生き方は、どのようなものとなっているでしょうか。神様は、今も私たちが御言葉に聞き、従う事を求めておられます。そして神様は、御言葉を心に留め、神様の御心を求める人にはご自身の祝福と恵みを惜しみなく与えてくださいます。私たちは、自分自身の歩みとして神様の御心を求め、神様の喜ばれることが何であるのかを吟味して歩みましょう。それだけではなく、そのような生き方を次の世代に示しつつ、神様の恵みを伝えて行きましょう。
 あなたの生き方は、神様に喜ばれる生き方となっているでしょうか。あなたの生き方は、次の世代に神様への信仰を示す生き方となっているでしょうか。私たちは、心の思いを吟味しましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、私たちの心は、様々な事に揺れ動き、常に神様に向いているわけではないかもしれません。私たちの心は、神様の喜ばれることではなく、自分の願望や自分の思いに支配されることがあります。神様、私たちの心をお守りください。
 私たちは、心の思いを吟味して歩みます。私たちが、神様に心を向け、神様の広い視野で物事を見ることが出来、神様の力強い御手に支えられる祝福の中を歩むことが出来るように導いてください。
 そして私たちの生き方が、神様の恵みに満ち溢れ、御言葉を心に留め、神様に従うことが出来るように導いてください。信仰による生き方が必要であることを次の世代に示すことが出来るように助けてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」