<子どもたちへ>
先週は教会学校のお友達が洗礼を受けました。神様の守りと恵みに感謝します。今後さらに、イエス様への信仰を告白して洗礼を受ける人が出てきて欲しいな、とお祈りしています。
今日から2022年のアドベント(待降節)が始まります。みんなの大好きなクリスマスまでの4週間です。救い主イエス様が私たちのために来て下さった恵みを、改めて思い起こす期間です。注がれている神様の愛が、私たちの心にはっきりと示される今年のクリスマスとなりますように。
さて先週までは、南ユダ王国の王様たちのお話でしたね。先週のゼデキヤ王の時にユダの国は外国に占領されて、滅亡してしまったのでした。実は何代も前の王様の頃から、2つの国が滅ぼされることが預言されていました。そしてその後に、大きな希望があることも預言されていたのです。それが救い主誕生の預言です。早速見て行きましょう。
イエス様がお生まれになる700年程前のことです。前のお話に出てきた良い王様、ヒゼキヤ王のお父さんアハズ王の時代です。ユダの国ではみんなが不安を感じていました。「隣の北イスラエル王国にアッシリアがせめて来たってよ。」「怖いなあ。僕らの国にもやってくるんだろうか。」「食べ物もなくなるし、安心して出かけられないね。」みんな暗い気持ちになってしまいました。
すると預言者イザヤが、神様から与えられた預言を伝えました。それが今日のみことばです。一緒に読んでみましょう。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」イザヤは更に続けました。「その方は成長すると『不思議な助言者』としてどう歩むべきかを教えて下さいます。『力ある神』である神の子で、私たちを愛して守って下さる『永遠の父』です。世界に本当の平和をもたらす『平和の君』です。」
もう一人別の預言者も、救い主について具体的な預言をしました。預言者ミカです。「イスラエルを治める王がベツレヘムで生まれます。これは永遠の昔から神様がお決めになったことです。」
神様は厳しい裁きだけでなく、イスラエルへの恵みを忘れてはいなかったのですね。この後の時代、実際に2つの王国が滅亡していくのは前にお話した通りです。国を無くしたイスラエルの民は、預言された救い主を待ち望みました。それは数百年におよびました。その救い主こそ、この預言からおよそ700年後にベツレヘムで生まれたイエス様です。
今の時代も戦争や疫病で、世界中が不安を感じています。皆さんの学校生活や進路、家族や友達との関係などにも、暗闇や不安がつきまとうかもしれません。そんな私たちに罪の赦しと永遠のいのち、そして平安を与えるために、神様は救い主誕生を計画して下さったのです。今の時代の私たちにも、神様による希望があります。そのカギになるお方は、預言された救い主イエス様です。このお方に心の焦点を合わせて、一層信頼していきましょう。
<祈り>
神様。不安なユダ王国の人々に、救い主誕生の預言を与えて下さったことを学びました。神様がどんな時も私たちを見捨てず、希望を用意して下さることを感謝します。預言通り誕生されたイエス様によって、私たちの歩むべき道を教えてください。また神の御力で守って下さい。いつも父のような愛で支え、平安をお与え下さい。今年のアドベント、これらの恵みを信仰で受け取ります。どうぞ祝福して下さい。御名によってお祈りします。アーメン。
「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」
イザヤ書9章6節
<適用>
思えば今年は旧約時代のイスラエルの2つの王国から、長く学んで来ました。「イエス様が出てこない…」とさみしく思われた方もいたことでしょう。しかし、イスラエルが滅亡していく時代の中で、突如として救い主(=イエス・キリスト)の誕生が預言されます。イスラエルの歴史とイエス様はしっかりと繋がっているのです。アドベントによく開かれるこのイザヤ書9章ですが、今年はより深く味わうことが出来るように思います。
1.神なき暗黒(7~8章)
まず私たちが覚えるべきは、神を見失うなら私たちは暗闇に覆われてしまうということです。私たちの内側では心が、外側では生きる時代が暗く希望の無いものになってしまいます。
イザヤ書に目を留めましょう。そもそも誰に向けた預言でしょうか。7章にそのヒントがあります。「ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時代」(1節)とあります。つまりヒゼキヤ王の父親の時代です。イザヤはまずこのアハズ王に預言を告げるよう、神様に命じられています。9章は、はっきり誰に、とは書いてありませんが、同じようにアハズ王に知らされたことでしょう。
当時はややこしい国際情勢でした。理解を助けるため、誤解を恐れず現代の国に当てはめてみたいと思います。「大国ロシアが度々領土に侵入しては国民をさらっていくので、中国と北朝鮮は困っていました。2国は連合してロシアに立ち向おうとして、韓国にも同盟しようと誘いをかけます。しかし韓国はこれを断ります。逆上した中国と北朝鮮は、韓国を攻撃し始めました…。」これはあくまでもフィクションですので、お間違いなく。ここで例えた国は、ロシアがアッシリア帝国、中国がアラム王国、北朝鮮は北イスラエル王国、韓国が南ユダ王国です。そしてイザヤが預言をしたのは南ユダ王国のアハズ王に対してでした。
このような緊張高まる情勢の中、神は預言なさったのです。アッシリアによって北イスラエル王国を滅ぼし、それが南ユダ王国にも押し寄せることを宣告されます(8章)。どれほど希望が持てない時代だったか想像できます。
しかし思い返してみましょう。なぜこのような事態になったのでしょうか。一言で言うなら「イスラエルが神を見失ってしまったから」です。ソロモン王からすでにそれは始まっていました。王たちは偶像礼拝を奨励し、国中にそれが蔓延しました。神の民が信仰を捨てるという罪を犯したので、神の裁きにより暗黒の時代に突入してしまったのです。
皆さん、私たちには「神とその教えから離れてもやっていける」と思う罪深い性質があります。神を神として認めない、私の人生の主としてお従いしようとしない、そのことを聖書は罪と言っています。その罪こそが、人の心、人生、国、時代をも暗黒に突き落とすのです。神の裁きが必ずあるからです。イザヤ書8章最後には、神を見失ったまま怒りに震える人の姿が書かれています。「その人は迫害され、飢えて国を歩き回り、飢えて怒りに身を委ねる。顔を上に向け、自分の王と神を呪う。彼が地を見ると、見よ、苦難と暗闇、苦悩の闇、暗黒、追放された者」(21、22節)。救いようのない姿です。ここから救い出されるには、イザヤの言葉に耳を傾ける必要があります。「私は主を待ち望む。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みを置く」(7:17)。へりくだって真摯に罪を悔い改め、主に望みを置いて待ち望もうではありませんか。主は憐れみ深い方だからです。
2.光なる救い主
こうした状態の神の民に、9章では突然希望のメッセージが語られます。すなわち光なる救い主を与える、というみことばです。「しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。…闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く」(1,2節)。ここではアッシリアに蹂躙されたガリラヤ地方に、光なるお方が現れるというのです。苦しんでいた者が喜びと楽しみを取り戻し、平和と平安を享受すると約束されているのです。神は救いのない状態にある者を、見捨てることはなさらないのです。これはイスラエルへの約束であると同時に、罪と暗黒に悩み、怯え、怒る私たちへの憐れみ深い約束でもあります。これは究極的に、イエス・キリストにおいて実現するのです。
6、7節では救い主のまことの王としての姿が示されます。神様は救い主をダビデの子孫から起こすとおっしゃいました。イエス様がダビデの子孫であることは、来週学ぶことになります。思い返せば色々な王が2つのイスラエル国家を治めてきました。悪王の罪がいつも両国を堕落させてきました。ヒゼキヤやヨシヤという善王も起こりましたが、その良い影響は一時的でした。しかしこれから来られるお方は、永遠に力強く治めて下さるというのです。私たちにとって、とこしえに変らず支えて下さるお方、イエス様こそが本当に必要な存在です。「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(7節)とあります。この救いのご計画が私にもあなたにも及ぶようにと、神様は熱心に働きかけていて下さるのです。
福音書でイエス様は「神の国はあなたがたのただ中にある」と言われました(ルカ17:21)。イエス様は万物の創造者であり全世界の王ですが、まず私たちの心の王として、私たちを暗闇から光へ移して下さいます。私たちの内に暗闇が影を伸ばしていないでしょうか。私たちの心の目を、光なる救い主イエス・キリストに向けましょう。暗闇に打ち勝ち、決して消えることのない希望のともしびを与えて下さるのは、この方だけです。この方の前に謙遜に罪を悔い改め、救い主よ、私に救いをお与え下さい、と信仰の祈りをお捧げしようではありませんか。
<祈り>
神様、罪と悪に苦しみさまよう者のために、大きな希望の光を用意して下さる預言を学ばせて頂きました。罪人である私たちへの大きな恵みを感謝いたします。神なき暗黒に留まることなく、あなたの光の中に導き入れられたいと願います。罪を認めて悔い改め、救い主イエス様により頼みます。私の王としていつまでも私を治め、導き、光の中を歩ませて下さい。このアドベントの時、イエス様への信仰をより深めさせて下さい。御名によってお祈りします。アーメン。