2023年2月19日(日)礼拝説教 ネヘミヤ記1章1-11節 「神の導きを信じて祈る」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 皆が、学校でテストを受けた時のことを想像してみてください。皆は、テストの問題全てに答を書くことが出来ました。先生の採点が終わり戻されるまでには数日かかります。その間、皆はどのな気持ちになるでしょうか。「全部に答を書くことが出来たら大丈夫。」「きっと全部あっているはず。」など色々考えてしまうかも知れませんね。いよいよ今週は、埼玉県の公立高校の入試があります。受験を受ける子たちが落ち着いて問題に取り組むことが出来、中学で勉強してきたことを十分発揮することが出来るようにと祈ります。

 さて、今日登場するネヘミヤは、遠い故郷エルサレムの事をあれやこれやと心配していた人です。エズラがエルサレムに帰り、神殿を再建してから約13年後くらいになりますが、ネヘミヤはペルシアの国にいました。
 「遠く離れた故郷エルサレムでは、神殿が再建された。いよいよエルサレムの町が再建されて、皆が神様を礼拝して生活しているのだろう」ネヘミヤは、エルサレムでは万事が上手く運んでいると考えていました。そのように考えていたネヘミヤに、エルサレムから帰ってきた人たちから「ネヘミヤ、エルサレムの町は今大変な状態です。城壁は破壊され、門は焼かれてしまって、人々は困難に直面しています。」と思いも寄らない知らせが届きました。なんと神殿は再建したものの、エルサレムの町は敵の攻撃を受けて再建が出来ず、困り果てていると言うのです。

 これを聞いたネヘミヤは、「神様、そんなことがあってよいのでしょうか。」と断食をして涙ながらに祈り始めました。ネヘミヤの祈りはまだ続きます。ネヘミヤは「神様、祈りを聞いてください。イスラエルの民がこのような苦しみに遭うのは、自分たちの罪のためであることは知っています。イスラエルの民は神様の教えを守りませんでした。どうか神様、イスラエルの民の罪をお赦しください。神様は悔い改める者に恵みを与えると約束をしてくださいました。エルサレムの町のために自分に何が出来るのかを教え用いてください。」と祈り続けました。ネヘミヤは、3-4か月神様の前に祈ったようです。

 その時ネヘミヤは、ペルシアのアルタクセルクセス王にぶどう酒を差し出すお仕事をしていました。ネヘミヤは、エルサレムのことを思うと胸が痛み、つい王様の前で暗い顔をしていまいました。王様の毒味役をするネヘミヤですから、王の前で暗い顔をしていると何か悪いことでも考えているのかと疑われてしまうかも知れないのです。アルタクセルクセス王は、ネヘミヤが普段と違う様子である事をすぐ見抜いて「ネヘミヤ、顔色が悪いが何かあったのか?」と声をかけました。ネヘミヤは、「実は、王様、私のふるさとが廃墟となり、そこにいる人たちは大変な苦労をしています。」と訴えました。すると王様は、「何をすることが出来るだろうか」と言ってくれました。ネヘミヤは、「王様、私をエルサレムに帰らせてください。そしてエルサレムの町を再建させてください。また再建のための資材も与えて頂けると助かるのですが」と言いました。アルタクセルクセス王は、必要なものを与えて、快くネヘミヤをエルサレムに送り返してくれました。

 ネヘミヤがこのように導かれたのは、彼が神様に祈っていたからです。ネヘミヤは神様に祈り、導きを求めました。またネヘミヤは、アルタクセルクセス王と話している時にも心の中で神様に祈ってから答えています。ネヘミヤは、神様が助けてくださる事、神様が導いてくださる事、神様が最善をしてくださる事を信じて祈っていたのです。皆は、これから様々な道を通ると思います。学校でも、部活でも、友だちとの関係でも色々なことがあるでしょう。だからこそネヘミヤの祈りの姿を忘れないで欲しいと思います。是非、どんな事でも神様に祈って導いてもらいましょう。神様は、皆の祈りに耳を傾けて聞いてくださり、答えてくださるお方です。

祈り
「愛する天の父なる神様。あなたの聖なる御名を賛美します。ネヘミヤは、神様の導きを信じて祈り続けました。僕たちもいつも、どんな事でも祈ります。神様、僕たちの祈りに耳を傾けてください。そして僕たちを道いてください。受験を控えている学生一人ひとりの上に神様の守りがありますようにとお願いします。この祈りをイエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」

「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」              ヨハネの手紙第一5章14節

<適用>

 「君は神様にネ 話したことあるかい? 心にあるままを打ち明けて 天の神様はネ 君のことなんでも 分かっておられるんだ何でもね だから空仰いで 『神様』と一言祈ってごらんよ分かるから…」教会学校で賛美している曲(「祈ってごらんよわかるから」)です。歌詞は、「小川のほとりでも 人ごみの中でも 広い世界のどこにいても 本当の神様は 今も生きておられ お祈りに答えてくださる」と続きます。私たちは、心にあるままを打ち明け、何でも神様に祈ることが出来ます。

Ⅰ;どんな事でも祈ろう

 私たちは、神様の導きを信じて祈りましょう。しかもどんな事でも祈りましょう。ネヘミヤの祈りの姿勢は、私たちにいつでもどんな事でも祈るべきことを教えています。ネヘミヤは、この時まだ捕囚の民としてペルシアに住んでいました。ペルシアの王クロスの時に神殿を再建するためにエルサレムに帰った人たちがいました。またネヘミヤと同じ時代の信仰の人エズラが、エルサレムに帰り人々を指導しています。ネヘミヤはその一つ一つのことを知っていました。そしてネヘミヤは、エルサレムに帰った人たちが国を建て直し安定した生活を取り戻していると思っていたのです。けれどもネヘミヤは、実際はそうではないという知らせを聞いたのです(3)。神殿は再建されたものの、また困難の中にあり、エルサレムの町の城壁は崩されたままになっている。周囲の国々からの圧迫によって苦しめられているというのです。この知らせにネヘミヤは、心を痛め、断食の祈りをします。

 ネヘミヤは、まず、主なる神様への賛美で祈りを始めます。「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みをくださる方よ。(ネヘミヤ1:5)」そして、彼は、同胞ユダヤ人の苦しみを自分の苦しみ痛みとして受け止め執り成し、自分の先祖が犯した罪を告白し、主に赦しを求めます。「どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました(ネヘミヤ1:6)」これは、先祖の罪を自分のこととして受け止めることであり、自分も知らず知らずのうちに先祖のように主に対して罪を犯しているという深い罪意識からの祈りであると思います。

 このネヘミヤの祈りは、私たちに大切なことを教えています。それは、私たちの祈りが自分の願いだけになっていないだろうかということです。私たちの普段の祈りには、神様への感謝、賛美という要素がどれほどあるでしょうか。また私たちは、回りの人たちのための執り成しの祈りをしているでしょうか。ネヘミヤは、自分のこととしてエルサレムの人たちのために祈りました。私たちも、自分の事だけではなく、人のための執り成しの祈りをする者となりましょう。
 ネヘミヤは、エルサレムの状況を聞いて、平常心で王に仕えることが出来ませんでした。ネヘミヤの仕事は、王にぶどう酒などの飲み物を出す、献酌官(毒味役)です。ですから、毒見役が王の前で暗い顔をしていたら、それだけで毒をもったと疑われてしまう可能性がありました。けれどもネヘミヤの思いは、いつの間にか彼の表情として現れていたのです。それをアルタシャスタ王が見て、その原因を尋ねます。ネヘミヤは自分の故郷のことを話し、王の許しが得られればエルサレムに帰り、先祖の町を再建させて欲しいと願い出ます。ネヘミヤは涙ながらの祈りの中で、神様の導きを求めエルサレムに帰ることが出来るように求めていたのです。そしてネヘミヤは、王と話している時にも「そこで私は、天の神に祈ってから、(2:4)」と心の中で神様に祈りながら王に訴えていたのです。という事は、ネヘミヤは常に主に祈りつつ行動を起こしていた人だという事です。ネヘミヤは祈りの習慣が身に着いていたし、小さなことでも短い時間でも祈り次のことを行うようにしていたのです。

 私たちは、どんなことでも祈ることが出来ます。私たちの生活で取り掛かる一つ一つの事柄には祈りが欠かせません。私たちの普段の生活は、別に祈らなくても出来ることは多いと思います。けれども私たちは、小さなことと思える事についても祈ることが大切ではないでしょうか。そうすることで私たちは、神様を身近に意識することが出来るようになります。例えば、食事を作る時、この食事が家族の健康のためになるようにと祈って料理に取り掛かることができるでしょう。掃除をする時には、速やかに出来るように、若しくは主が私たちの心をきれいにしてくださることを感謝しながら掃除できるでしょう。誰かに電話をする時には、電話の会話を神様が祝福してくださるように祈れるでしょう。手紙を書く時には相手を励まし力付ける手紙となるように祈ることです。花々の世話をする時には、この自然を作られた神様を賛美できるでしょう。休憩を取る時には、主に守られていることを感謝できるでしょう。
 これらの祈りは、ごく短い時間で成されるものでしょう。けれどもこれらの祈りが私たちに多くの祝福をもたらします。私たちは、何事でも祈りによって始め、感謝の祈りで終わる者でありたいと思います。私たちは、神様の導きを信じて、どんなことでも祈りましょう。

Ⅱ;確信を持って祈ろう

 私たちは、神様の導きを信じて、確信をもって祈りましょう。ネヘミヤは、神様の導きを確信し祈り続けた人です。もう一度イスラエルの歴史を振り返りますが、北イスラエル王国がアッシリヤに滅ぼされ、南ユダ王国がバビロンに滅ぼされました。そしてエルサレムの町は破壊され廃墟とされ、住民たちはバビロン捕囚となったのです。ペルシアの王キュロスの時にユダヤ人はエルサレムへの帰還が許され、神殿が再建されました。しかし、エルサレムの人々は城壁を完成させることが出来ず、苦難の中を必死で生き延びていたのです。その事がネヘミヤに知らされ、ネヘミヤは神様への祈りの中で奮い立ち、ペルシアの王の許可を得て、荒れ果てたままのエルサレムに帰るのです。そして彼は、すぐにエルサレムの城壁を調べ、城壁の規模や再建にかかる期間や材料がどれくらいになるのかを調べました。そしてネヘミヤは、工事にあたる人たちを励まし再建に取り掛かりました。

 しかし外的な圧迫がすぐにありました。ネヘミヤ2章19節「ところが、ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて私たちを嘲り、蔑んで言った。『おまえたちのしていることは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。』」それに対してネヘミヤは、「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。(2:20)」と答えます。ここにネヘミヤの持っていた確かな信仰を見ることが出来ます。ネヘミヤは、「神様によって成功する」と言います。けれどもネヘミヤの見ていた現実は、問題だらけです。エルサレムの城壁は、崩されたままになっています。エルサレムの再建が具体的に始まるとサンバラテなど周囲の民族による妨害が始まりました(4:1)。この妨害をする人たちは、エルサレムが滅ぼされた後、この地域に移り住み領地を得ていた人たちです。この異民族にしてみれば、エルサレムが再建されるということは、自由に支配できなくなるということになります。またユダヤ人たちの力が回復することは、自分たちの国を脅かすことになります。そこで彼らは、どうにかしてエルサレムの再建を妨げようとしたのです。この妨害は、ネヘミヤだけではなく、工事に当たっているユダヤ人の心をも打ち砕くようなものでした。
 けれどもネヘミヤは、様々な困難や問題の中でも「神ご自身が成功させてくださる」という確信を失うことはありませんでした。そしてやはりネヘミヤは、事あるごとに神様の助けを求めて祈りました(4:4、4:9、5:19)。彼は、まず主に祈り、神様から知恵を与えていただき、解決を見出していったのです。

 ここで大切な事があります。それは、ネヘミヤの「神ご自身が成功させてくださる」という信仰です。ネヘミヤは、祈りの中で神様の御心を求めて、神様の御心に従って歩めるようにと求めました。そして彼は、同胞ために祈り、神様の栄光が現わされることを祈り求めました。だからこそ神様は、ネヘミヤの祈りに答えて、完成へと導いてくださったのです。
 私たちは、ネヘミヤと同じ信仰告白をもって祈る者となりましょう。私たちが、神様が導いてくださる(完成させてくださる)を信じて祈り時、神様は必ず事を行ってくださいます。今週の聖句でも約束されている通りです。「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」ヨハネの手紙第一5章14節。私たちは、空しい言葉を重ねているのではありません。神様が、聞いてくださると言う保証があるのです。確かに私たちは、祈っていても自分の祈りが聞かれているのだろうかと不安になることがあります。神様の答えがどこにあるのか分からないことがあります。そのような時は祈っていても無意味なのでしょうか。私たちは、神様の答えが分からないからと言って祈ることを止めて良いのでしょうか。私たちは、そのように神様への不満や愚痴を口にする前に、ネヘミヤの「天の神が成功させてくださる」という告白を思い出しましょう。私たちの歩みは、「天の神ご自身が導いてくださいます。そして、神様の御心に沿う祈りは、神様が聞いて答えてくださるのです。神様は、私たちの祈りに耳を傾けてくださるお方です。この確信をもって祈り続けましょう。
 私たちは、神様の導きを信じてどんな事でも、小さなことでも大きなことでも祈りましょう。そして私たちは、神様の導きを信じ、神様の守りを確信して祈り続けましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。ネヘミヤの歩みを成功させてくださった、主なる神様が今日も私たちと共にいてくださることを信じます。私たちは、神様の導きを信じます。私たちは、神様が私たちの祈りを聞き、守り、祝福してくださることを信じます。また私たちは、いつでも祈ります。神様、私たちの祈りを導いてください。
 神様、一人一人の歩みを確かなものとして下さり、神様の御手に守られますようにとお願いします。受験を控えている学生たちを守ってください。これから進むべき道を示して、導いてください。
 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が終り、様々な所で起きている武力衝突が終結するように神様の導きをお願いします。トルコとシリアで起きた大地震の復興が守られ、人々の心に神様からの平安が与えられますように。
 今日から始まる一週間が神様の恵みと憐れみに満ち溢れたものとなりまようにお願いします。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」