2023年3月19日(日) 礼拝説教 ヨハネの福音書14章1-14節 「道 真理 いのち」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 先週は、高校と中学校の卒業式がありました。今週は、小学校の卒業式があります。教会に集っている子どもたちの中にも卒業式を迎え、4月から新しいスタートを始める子どもたちがいます。春休みの間は、次に進む道に向けてしっかりと準備をしたいですね。皆は、これから新しい環境へと進んで行きます。それを考えると、「中学や高校での生活は大丈夫だろうか。友だちは出来るだろうか」と不安な気持ちになったりするかもしれません。是非、今日のイエス様の言葉に耳を傾け、しっかりと心に留めて行きましょう。

 イエス様は、不安に思っている弟子たちに大切な事を話しましたよ。「あなたがたは、心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
 この時イエス様と弟子たちは、最後の晩餐となる過越しの食事をしていました。イエス様は、ご自分が十字架にかけられることをはっきりと伝えていました。それを聞いた弟子たちは、不安に押しつぶされそうなのです。そんな弟子たちにイエス様は、「心配しなくて大丈夫だよ。神を信じ、わたしを信じなさい」と言われたのです。イエス様は、今も僕たちにこのように声をかけてくれます。皆は、いろいろ心配な事、不安な気持ちになる事があるかもしれません。イエス様は、「心配しないでいいよ。わたしがいるから、神様が支えるから」と言ってくださいます。僕たちは、神様を信じて、イエス様を信じていきましょう。

 イエス様は、続いて天の御国に行き場所を備えると言いました。しかも弟子たちは、その道を知っているというのです。でも弟子たちにとっては分からない事ばかりです。思わず弟子の一人のトマスが「イエス様、何を言っておられるのですか?イエス様、あなたはどこに行ってしまうのですか?私には分かりませんよ。」と言いました
 それに対してイエス様は、もう一つ大切なことを教えてくださいました。それが今週の聖句のヨハネの福音書14章6節です。一緒に読みましょう。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」

 さらにイエス様は、「わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです(3)。」とも言われました。これは、イエス様が僕たちを天の御国に迎え入れてくださるということ、僕たちがイエス様のおられる天の御国に行くことが出来る約束です。トマスは、その道は分からないと言いましたが、イエス様は、「わたしが道だ」と言ってくださったのです。僕たちの人生には、分かれ道があります。それは、天の御国に続く道とそうではない道という分かれ目です。イエス様は、僕たちを天の御国へと導くために十字架にかかってくださいました。僕たちはイエス様の十字架によって罪が赦され、永遠のいのち、天の御国へと続くいのちを与えられます。その道こそイエス様ご自身です。

 これまでイエス様の自己紹介を学んできました。覚えていますか。まず、「わたしは良い牧者です(ヨハネ10:11)。」でした。イエス様は、僕たちを導き助けてくださる良い羊飼いです。僕たちは、イエス様に守られて安心して生きることが出来ます。二つ目は、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです(ヨハネ11:25)。」でした。イエス様は、ラザロを生き返らせてくださいました。イエス様は、僕たちにいのちを与え、生きる力を与えてくださいます。
 今日の聖句です。イエス様は、道であり、真理であり、いのちです。イエス様こそ、僕たちを助け、導き、永遠のいのち、死んでも続くいのちを与え、今を生きる力を与える唯一のお方です。僕たちは、イエス様を信じて、イエス様の教えてくださる道を進んで行きましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様が道であり、真理であり、いのちであることを信じます。どんな時でもイエス様が『大丈夫だよ』といって声をかけ励まし、進むべき人生の道を示して下さることを感謝します。僕たちは、神様を信じ、イエス様を信じます。どうか導いて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」    ヨハネの福音書14章6節

<適用>

 今月行われているWBCでは日本代表は順調に勝ち進んでいます。今週には準決勝と決勝が行われます。今回日本は世界一を目指していますが、世界一になることも可能なのではないかと思うくらい素晴らしいチームとなっています。多くの人たちの声援が選手を後押ししていることも勝利につながっていると思います。テレビ中継で大勢の人が東京ドームに集まって応援している姿を見て、私は「密だなぁ」と思ってしまい、新型コロナの感染が広がらなければ良いなぁと感じてしまいました。私は、なぜか、不安要素を考えてしまいました。私たちは、良い事よりも不安を感じる事柄に敏感に反応してしまうものです。そんな時は、イエス様の語りかけを思い起こしましょう。

Ⅰ;心を騒がせない

 イエス様は、「道 真理 いのち」です。だから私たちは、心を騒がせることなくイエス様を信頼して歩むことが出来ます。ヨハネの福音書14章1節の言葉は、本当に慰めに満ちた、私たちの心を勇気づける言葉です。イエス様は、「あなたがたは、心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と言われました。この言葉が語られた時の状況を少し見ることにしましょう。ヨハネの福音書12章から、最後の晩餐となる過越しの食事の席でのことが記されてあります。この時のエルサレムの町は、イエス様を捕え、殺害しようとするユダヤ人指導者のために騒然としています。イエス様を取り巻く状況は緊迫し、弟子たちも緊張していたと思われます。最後の晩餐の席上でイエス様は、ご自身の十字架について予告し、それだけではなく弟子の中に裏切り者がいると語るのです(ヨハネ13:21)。弟子たちは、一体誰が裏切るのだろうかという疑心暗鬼の状態です。その上、イエス様は、畳みかけるようにペテロの裏切りの予告をしました(ヨハネ13:36~)。弟子たちは、これから一体何が起こるのか誰も分からない状態に陥りました。分かっていたことは、弟子たちがこれから人生最大の危機、命の危険を伴う大きな試練を経験するということです。そんな中で、誰が平常心でいられるでしょうか。
 イエス様は、弟子たちの心の動揺を察知して、「心を騒がせたり、慌てたり、悩んだりする必要はないよ」と言ってくださったのです。必要なことは、父なる神様を信じることであり、イエス様を信じる事だけです。

 私たちも弟子たちと同じように、心騒ぐような経験をします。私たちの人生は、「山あり谷あり」で、常に不安と恐れと葛藤の連続です。3月11日で東日本大震災から12年を迎えました。私たちは、まだ痛みと悲しみを感じ、乗り越えて行こうとしている途上にあります。首都直下型地震が発生すると想像を超える甚大な災害が起こると言われています。それを聞いただけで私たちは、不安になります。私たちは、健康でいたいと思いますが、いつでも健康でいられるわけではありません。今のような季節の変わり目では、気付かないうちに体調を崩したりしています。今は、花粉症なのか体調不良なのか見分けがつかない事もあります。それだけではなく、人間関係も難しくなったり、仕事でも失敗成功様々でしょう。

 なんか私は、マイナスな事ばかりを言っているような気がします。こうした様々な出来事の中で私たちの心は、気づかないうちに不安を感じストレスを感じてしまいます。そして私たちは、なかなか心の不安や恐れ、ストレスなどを解消するすべを持っていません。でもイエス様は違います。イエス様は、唯一の方法を教えてくださいました。それは、父なる神様を信じることであり、イエス様を信じることなのです。私たちは、神様を信じて、イエス様を信じて歩む時、確かな平安を得ることができます。

Ⅱ;道であり、真理だから

 なぜなら、イエス様は、道であり、真理だからです。
 イエス様は、イエス様を信じるすべての人が、イエス様の再臨の時に天の御国に迎え入れられるために場所を備えに行くと言われました。弟子のひとりトマスは、どうしたら行けるのか教えてくださいと質問しました。それに答えてイエス様は、大切なことを教えてくださいました。もう一度今週の聖句を読みましょう。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」ヨハネの福音書14章6節。

 この部分の英語の聖書は、ギリシャ語を忠実に訳していると思います。英語では、「I am the way and the truth and the life」となり「私こそその道であり、その真理であり、そのいのちである」と言う意味になります。
 イエス様はご自身のことをまず、「わたしが道」だと言われました。この道と言う言葉は、「道、道路、通り、到達の方法、手段」という意味があります。6節の後半には、「わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことは出来ません。」と言われているので、この道とは、父なる神様のみもとに行くための方法、手段ということです。イエス様こそ私たちを父なる神様に導いてくださるお方であり、その道を示してくださるお方なのです。イエス様が示して下さる「道」こそ、私たちに救いを与え、私たちの人生を導き、生きる目的を与える本当の道なのです。

 またイエス様は「わたしは真理である」とも言われました。真理とは、「真相、真実、間違いのない本当のこと」という意味があります。イエス様の言葉、イエス様の教え、イエス様の行動は真理であり、間違いのない本当のことです。イエス様は私たちに真理の道を教えてくれます。なぜならばイエス様は真実なお方だからです。
 こんな話があります。スーパーで買い物した一人の人が、駐車場の自分の車の側に荷物を置き、近くの人に「ハンマーのような何か堅いものを持っていませんか。」と尋ねたそうです。尋ねられた人は、「何も持っていないけれど、駐車場の隅にあるブロックならある程度堅いのではないか」と言ったそうです。その人は、それを聞いてブロックを持ち上げて、自分の自動車のガラスを割ってしまったのです。そしてハンドルに挿したままにしてあった車の鍵を取り、何もなかったかのようにドアを開け、荷物を車に積み、去っていったそうです。「ブロックなら」とアドバイスした人は、それを見ていてポツリと一言「そう言ってくれれば何とかしたのに、自分は鍵屋だから車の鍵くらい開けられたのに。」鍵を車に入れたまま車をロックしてしまった人が、事情を説明していれば、他にも解決の方法がありました。その人は、一番確かな間違いのない方法を求めることをしなかったのです。

 これは、他人ごとではありません。私たちは、生きる意味などを考えて生まれてきたわけではありません。私たちは、成長する中で、生まれてきた意味、生きる目的、何故人は生きるのか人間とはなんだろうかと悩み、解決を求めて様々なものに引き寄せられて行くのです。人は、どんな方法であろうと自分の好む道を選びたいと思うものです。その気持ちをあおるように、私たちの周りにはたくさんの情報が溢れています。そして人は、自分の不安や問題を解決してくれそうな多くの情報に翻弄され、進むべき道を見失うのです。
 イエス様は、明確な答えを示して下さいました。イエス様こそ道なのです。その道は、真理の道、真実で、本当に私たちを平安に導く道なのです。私たちはイエス様によって本当の人生の道を見出すことが出来るのです。

Ⅲ;いのち

 そしてイエス様は「いのち」です。いのちは、私たちにとって大切です。いのちがなければ私たちは誰も生きることが出来ません。イエス様は、私たちにいのちを与え、生きる力、生きる喜び、生きる希望を与えてくださるお方です。
 そしてこの「いのち」は、永遠に続くものです。イエス様は、「わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことができません。」と言われました。イエス様は、私たち一人一人に永遠のいのち、死んでも滅びないいのちを与えてくださるのです。イエス様は、私たちの罪が赦され、私たちが救いを受け、永遠の命を受けることが出来るようにと十字架にかかってくださり、3日目によみがえってくださったのです。イエス様は、今も生きておられ、信じる全ての人を天の御国に導いて下さるのです。私たちは、イエス様を信じ信頼する時、この地上で生きる喜びと希望が与えられます。同時に罪の赦しと永遠のいのちを頂いて神様のもとに行くことが出来る約束を手にしているのです。

 私たちは、イエス様による罪の赦しと永遠のいのちの希望をしっかりと手にしているでしょうか。イエス様は「道」です。私たちはイエス様によって生きる目的、本当の道を見出すのです。イエス様は「真理」です。私たちはイエス様に導かれて神様の真理の道を進むことが出来ます。イエス様は「いのち」です。イエス様を信じる時、私たちはいのちを得て生きる喜びと永遠のいのちという希望を与えられるのです。だから私たちは、神様を信じ続け、イエス様を信じ続けましょう。イエス様は、道であり、真理であり、いのちです。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様、私たちがイエス様の与えて下さる永遠のいのちを受け、イエス様の示して下さる真理の道を歩むことが出来るように導いてください。イエス様こそ、私たちの救い主であり、私たちに道を示してくださるお方です。
 イエス様、私たちを確かな道へと導いてください。心を騒がせることなく、イエス様の平安を与えられ、一歩一歩確実に進むことが出来るように力を与えて下さい。
 私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」