<子どもたちへ>
僕たちは、何か嬉しいこと、楽しいことがあったら、それを家族や友だちに話したいと思います。面白いテレビ番組の事、感動した映画、旅行の思い出、学校の運動会や体育祭のこと等々話し出したら止まらないという事があるかもしれませんね。それは、自分の楽しかったこと、嬉しかったことを家族や友だちに知ってもらいたい、共有したいと思うからです。
イエス様は、ご自分の弟子たちがイエス様のことを多くの人たちに伝えるようになることを願っておられました。だからイエス様は、復活された後、弟子たちに現われて色々教えてくださいました。これまでイエス様が、エマオの途上の二人の弟子にお姿を現わしたこと、エルサレムの弟子たちがいる部屋に姿を現したことを見ました。それ以外にイエス様は、40日間弟子たちに姿を現して大切なことを教えてくださったのです。その内容は、神の国(天の御国)の事、イエス様の十字架、復活のこと、旧約聖書に預言されていた救い主預言のことなど一つ一つのことです。
ある日イエス様は、弟子たちと食事をしていました。その時イエス様は、弟子たちに「エルサレムを離れないで、父からの約束を待ちなさい」と言われました。それを聞いた弟子たちは、「イエス様、今こそイスラエルの国を再び強くしてくださるのでしょうか。」、「イエス様、ローマ帝国を倒してイスラエルの人たちを解放してくださるのですか。」と言います。この時、ユダヤ人たちは、ローマ帝国に支配され、苦しめられていたのです。弟子たちは、イエス様こそ、ユダヤ人をローマ帝国の支配から解放してくださるに違いないと思っていたのです。イエス様は、「そのようなことは、父なる神様が決めていることです。あなたがたが気にする事ではありません。」と言われます。
そしてもっと大切な事を言われました。それが、週報にある今週の聖句です。一緒に読みましょう。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」使徒の働き1章8節。
弟子たちは、イエス様が教えてくださった神の国の事、イエス様の十字架の死と復活、イエス様の救いの恵みについて話をするように命令を受けるのです。そのためには、聖霊なる神様に力を頂く必要があります。イエス様は、聖霊なる神様によって力が与えられるという約束もしてくださいました。このように話してくださったイエス様は、弟子たちが見ている間に天に上げられ、雲に包まれて見えなくなりました。「あっ、イエス様!!」、「イエス様が見えなくなっちゃった」弟子たちは、突然のことで天(空)を見上げています。「イエス様は見えなくなったけど、また姿を現すかもしれないよ。」、「次に何が起こるのだろうか」弟子たちは、まだ、何かあるかもしれないと思って天を見上げています。すると御使いが現われて「どうして天を見上げて立っているのですか。天に上げられたイエス様は、同じような形でもう一度、来られます」と告げました。イエス様は、復活の体をもってよみがえり、天の御国に帰っていかれました。しかし、イエス様はもう一度来られます。
弟子たちは、イエス様の言葉を守ってエルサレムに集まり、心を合わせて祈りました。弟子たちは、すぐにイエス様の十字架の救いを伝える事は出来ませんでした。聖霊なる神様に満たされるまで待たなければなりません。弟子たちは、この後聖霊なる神様に満たされ、力強く、大胆に救い主イエス様のことを伝える者へと変えられていきます。
弟子たちは、一人でも多くの人にイエス様の事を知ってもらいたい。イエス様の十字架による救いと永遠のいのちという喜びの知らせを信じてもらいと願っていたのです。僕たちも、お友だちがイエス様を信じることが出来るように祈り続けましょう。そしてイエス様のことを伝えていきましょう。イエス様は、僕たちがイエス様の証し人となれるように力を与え、助けてくださいます。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様は、よみがえったあと、天に昇って行かれました。イエス様は、今も生きていて僕たちを導いて下さることを感謝致します。イエス様、僕たちが、イエス様の十字架の救い、復活と永遠のいのちの素晴らしさを友だちに伝えることが出来るように力を与えて導いて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」使徒の働き1章8節
<適用>
皆さんは、伝言ゲームをしたことがあるでしょうか。ゲームのリーダーが短い文章を先頭の人に伝えて、先頭の人から次の人へその言葉を伝えるゲームです。リーダーの言葉通り最後まで伝わったら勝ちというものです。けれども、3番目、4番目に伝わる時にはすでに一部分が間違って伝わることが多くあります。このゲームをすると、短い文章でも聞いた言葉を正確に伝えると言うことがいかに難しいかと言うことが分かります。私たちは、イエス様から福音を伝えるという働きが委ねられています。今私たちは、聖書を手にしていますから、福音の内容を知っています。では、私たちは、何を伝えるのでしょうか。ご一緒に聖書を見ていきましょう。
Ⅰ;神の国のこと(3、4)
まず、私たちが伝えるべき事は、「神の国」のことです。イエス様は、十字架の死を打ち破り、よみがえられた後、40日間弟子たちに現われて「神の国のことを語り」ました(3)。そしてイエス様は、多くの確かな証拠によって、ご自分が生きておられることを示されました。復活の日、エマオの途上でイエス様にお会いした二人の弟子は最初イエス様だとは気づきませんでした。ペテロたちもイエス様の復活を信じられないでいたのです。ですからイエス様は、復活後40日間にわたりご自身が確かに生きておられることを示したのです。4節の「彼らと一緒にいるとき」、これは、「食事を共にする」とも訳すことが出来ます。イエス様が弟子たちと一緒に食事をすることは、イエス様が生きていることの確かな証拠となります。こうしてイエス様は、弟子たちが信仰を持ってイエス様の十字架と復活を信じることが出来るようにしてくださったのです。イエス様は、弟子たちに復活の証拠を示しながら、「神の国」のことを語り教えられました。
ルカは、イエス様が復活後弟子たちに語ったことを「十字架と復活、そして神の国」とまとめています(使徒1:3)。これは大切なことです。イエス様は、宣教を開始するにあたって、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マルコ1:15)」とお語りました。イエス様の十字架と復活及び神の国は、聖書が明らかにしている福音の重要な内容なのです。福音とは、イエス様の十字架と復活によって成就した罪の赦しと永遠のいのちの約束、天の御国への希望です。私たちは、この福音を信じ、伝えるのです。
そして「神の国」と訳されたギリシャ語には「神の支配、神の統治」という意味があります。と言う事は、「神の国」というのは、神様の主権と支配によって治められ、神様の平安が満ち溢れている所と言うことです。天の御国はそのようなところなのです。そしてこの約束は、天の御国という将来への希望であると同時に、今与えられる恵みでもあります。私たちは、信仰によって神様のご支配を受け、神様からの平安を受けることが出来ます。神様は、私たちから遠く離れているのではなく、私たちの心を治め、共にいてくださるのです。あなたの心は、神様のご支配、統治を受けていますか。私たちの心のただなかに神の国が実現するように祈りましょう。
Ⅱ;再臨の約束
私たちが伝えるべきもう一つのことは、イエス様の再臨が必ずあるということです。イエス様の昇天は、神の国が確かにあることを明らかにしています。ではイエス様は、どのように神の国に昇られたのでしょうか。
9節で「こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。」と言われています。その時は突然やって来ました。福音書には、イエス様が天に帰られる前に語った言葉あります。マタイの28章20節の宣教命令や、ルカの24章51節の祝福の言葉、そして使徒1章8節の言葉です。
イエス様が弟子たちの目の前で天に上げられた時、実際にイエス様の体が浮かんでいったのです。でもイエス様は、ずっと上空に上って見えなくなったのではありません。イエス様が空高く上って見えなくなったとしたら天の国が空の上にあるように錯覚してしまいます。人類は、科学技術が進歩し、宇宙に出られるようになりました。宇宙旅行や宇宙移住の話も出る時代となりました。火星探査が行われ、月面着陸を試みるなど壮大なチャレンジが続いています。でもそのように空の上(宇宙)に出られたとしても、そこに神の国(天国)を見つけることは出来ません。当然ならが天の御国はそのように人に見えるものではないからです。イエス様が上って行かれるとすぐに雲がわき起こりイエス様を包んだのです。この雲は、天の輝きに満ちた、神の栄光に満ちたものです。イエス様は、神の国の栄光に包まれ見えなくなられました。
この様子を見ていた弟子たちは、あっけに取られながらイエス様を見上げていたに違いありません。弟子たちは、イエス様が天に昇っていかれた時一瞬何が起こったのか理解できず、天を見つめていました。すると御使いが、「あなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります(11)。」と言うのです。これがイエス様の再臨の約束です。イエス様は、天に昇って行かれましたが、必ずもう一度おいでになります。こうして彼らは、イエス様が天にお帰りになり、天の神の右の座に着かれたことを知ったのです(使徒2:33)。
イエス様が天に昇っていかれたのは、再臨が必ずあることを示しています。それは、この世の終わりの時であり、神様の最終的な裁きが行われる時です。確かに私たちは、今終末の時代に生きています。私たちは、世界の様々な事柄を見聞きする時、この世の終わりが近づいていると思わされます。聖書が教えるように、この世界が終わるのは確かなことです。その時こそイエス様が、裁き主として来られる再臨の時なのです。それだけイエス様の再臨は、確かなことなのです。けれども再臨の時期については、イエス様が「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません(使徒1:7)」と言うように、父なる神様が定めていることで、主の御手の中に隠されているのです。
いつの時代でも人々は、この世界の終わりがいつ来るのか知りたいと願います。ある人は、「何年何月何日」と言うし、キリスト教の異端と言われる人たちは、この世の終わりについて人々の不安をあおります。けれどもイエス様は、その時期を明確に知る必要はないと言われました。大切な事は、いつでも主を迎える準備をしておくことです。そして神の国があること、イエス様がもう一度来られる再臨があることをしっかりと信じることです。
だからこそイエス様は、弟子たちにご自身が復活し生きておられることを証明したのです。そしてイエス様は、弟子たちの見ている目の前で天に昇って行かれたのです。イエス様は、天に昇り今も生きておられ、またおいでになります。私たちは、御使いが言ったこの約束をしっかりと心に留め、天の御国への希望、イエス様の再臨の恵みを伝えましょう。
Ⅲ;聖霊が注がれる
私たちが、福音を伝えるためにイエス様は、聖霊を与えると約束をしてくださいました。イエス様は、弟子たちに「父の約束を待ちなさい」と言われました。弟子たちは、イエス様が神の国の事を話した時「今こそ、イスラエルを再興してくださるのですか」と言いました。彼らは、イエス様がイスラエルをローマの圧政から解放してくださると思っていたのです。ですから弟子たちは、すぐにでもイエス様の十字架の救いを伝えようと考えることはありませんでした。弟子たちには、まだその力がなく、大胆さもありませんでした。だからイエス様は、「父の約束を待ちなさい」と言われたのです。弟子たちが、信仰を持って立ち上がり、神の国、イエス様の十字架と復活による救い、永遠のいのちの約束を伝える事が出来るのは、聖霊を受けてからなのです。
イエス様は、聖霊を受ける時弟子たちが「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります(使徒1:8)」と言われました。弟子たちの世界観、彼らが見ていた世界は、ユダヤ人の社会でした。しかしイエス様は、「地の果てまで」と言われるのです。福音は、全世界、地の果てまで宣べ伝えられるべきものなのです。この言葉の通り、世界の果ての日本にまで福音は伝えられ、私たちは素晴らしい福音を聞くことが出来ています。イエス様は、「わたしの証人となります。」とご自分の救いのわざ、神の国のこと、福音の宣教を弟子たちに委ねました。さらにイエス様は、今の私たちにもこの福音宣教の働きを委ねておられるのです。「わたしの証人となります」のイエス様の言葉は、私たちクリスチャン一人一人への招きの言葉でもあるのです。
でも私たちも弟子たちと同じように、大胆に伝える事が出来ないと感じてしまうかもしれません。イエス様の宣教命令の言葉を可能とするのは、聖霊なる神様の導きです。私たちは、聖霊の助けを受けて、神の国のことを知り、福音を信じ、この時代を生きる知恵と神様の御心を知ることが出来るのです。そして、福音の良い知らせを伝える力が与えられていきます。私たちは、ぜひとも聖霊の満たし、聖霊に満たされ続けることが出来るように祈り求めましょう。
私たちは、福音を伝えましょう。私たちは、イエス様の十字架と復活による罪の赦しと永遠のいのちの約束を信じましょう。神様は、私たちの心に平安を与え、私たちの心を満たし導いてくださいます。
私たちは、福音を伝えましょう。イエス様は、永遠のいのちを持ってよみがえり、天に昇り、今も生きておられます。そしてもう一度来られます。イエス様の再臨に備えるためにも、福音を伝える証し人となりましょう。
私たちは、福音を伝えましょう。そのために聖霊なる神様は、私たちを満たし、力を与えて導いてくださいます。
<祈り>
愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様は、弟子たちを励まし、弟子たちが福音を伝える事が出来るようにと導かれました。今もイエス様は、福音を伝えるために私たちを証し人として用いてくださる事を感謝します。
イエス様、私たちはイエス様の十字架と復活による罪の赦しと救い、永遠のいのちの約束を信じます。イエス様、もう一度来られる再臨の約束を信じます。聖霊なる神様、福音の良い知らせを伝える事が出来るように私たちを満たし、助けてください。私たちの家族が、友だちが、親族が、同僚が、イエス様を信じることが出来るように導いて下さい。
この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」