2023年5月14日(日)礼拝説教 創世記1章26-31節 「あなたは特別な存在」 CS説教:赤松由里子師 説教:赤松勇二師

<子どもたちへ>赤松由里子師
 皆さんの中でペットを飼っている、飼ったことがある、という人がいるでしょうか。私はインコや金魚を飼ったことがあるだけですが、最近になって猫もいいな、と思うことがあります。最近知ったのですが、猫どうしはとても愛情深い関係を築くようですね。子猫だと、兄弟で遊ぶ時も一緒、寝るときも一緒、という子がいるようです。また赤ちゃんを産んだ母猫は、赤ちゃん猫を抱きしめて愛情を注ぐことがあるようです。神様がお造りになった生き物も人間も、このような暖かい関係を必要としているのだな、と思います。今日は母の日でもあります。私たちの親でもある神様が、どのように私たちを愛しておられるのか、またどのような存在として造って下さったのかを学んで行きましょう。

 さて、この人は誰でしょう?これは先週のお話の最後に出てきた人です。名前はアダム、といいます。神様は天地創造の時、いつも「ことば」だけですべてをお造りになりました。けれども人間の造り方は独特でしたよ。まず、大地のちり、土で人の形を造りました。動くことも話すことも出来ないので、人形と同じ状態です。すると神様は、その鼻にフーっといのちの息を吹き込みました。すると土の形が動き始めました。人間の誕生です。
 造られ方以外にも人間だけに当てはまることがありました。今日のみことばを読みましょう。「神は人をご自身のかたちとして創造された」(創世記1:27)。かたちとして、とはどういう意味でしょうか?神様もこんな体つきをしているのに似せた、というのではありません。神様に似た心、考えたり、礼拝したり、優れた知性を持つ者だ、という意味です。人と他の生き物はこのように決定的に違う存在なのですね。

 さて神様は、アダムをエデンの園という素敵な場所に連れて行きました。「ここに住んで土地を耕し守りなさい。どんな木の実も好きなように食べても良いのだよ。ただし…園の真ん中にある『善悪の知識の木』からは食べてはならない。食べればあなたは必ず死ぬ。」神様はそう言われました。「神様、わかりました。」アダムはそう答え、エデンの美味しい食物を食べながら、園を守り生き物たちに名前をつける仕事を一生けん命にしていました。
 けれどもアダムには、誰も仲間がいませんでした。その様子を見て神様はおっしゃいました。「人がひとりでいるのは良くない。彼のためにふさわしい助け手を造ろう。」するとアダムをぐっすり眠らせて、そのあばら骨を一本取りそこをふさぎました。あばら骨から女の人を造り、アダムのところに連れてこられました。アダムはとても喜んで、女の人に「エバ」という名をつけました。アダムとエバは夫婦となり、助け合ってエデンの園での仕事に励みました。

 皆さん、神様は最初からこのように人間を祝福して下さったのですね。彼らにエデンの園での仕事を与えられました。また、穏やかに助けあう関係、愛情をもって支えあう関係を人と人の間に与えて下さいました。神様は人間を慈しんで、これらを与えて下さいました。今生きている私たち一人ひとりにも、神様は生きる意味と必要を与えて下さいます。私たちは意味ある存在です。

 皆さんは将来の仕事、また将来の結婚などを思いめぐらすこともあるでしょう。その時大切にして欲しいことがあります。それは神様の使命と、自分の願いが繋がっているか良く考えて選んでいくことです。将来の夢をも神様に清めて頂いて、祝福の内に決めて行けるよう祈りましょう。また、助け合える「ふさわしい助け手」と出会えるように、良く祈ることです。神様の前での平安が増し加わるような相手に、出会うことが出来ますように。アダムとエバが神様から頂いた祝福を、私たちも受け取って行けますようにと心から願います。

<祈り>
 「神様、忙しい日々の中でもこのように教会で礼拝が出来ましたことを感謝します。私たち人間が特別な存在として造られたことを学びました。また、私たちにも祝福を下さることをありがとうございます。将来の夢を清めて祝福の内に導いて下さい。また神様の前に平安を持てる相手と巡り合い、良き家庭を築いていけますよう、導いてください。御名によってお祈りします。アーメン。」

「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、
男と女に彼らを創造された。」              創世記1章27節

<適用>赤松勇二師
 先週、兄のところに行く用事があり、私は次男と一緒に出かけてきました。帰る時に姪っ子が、兄と私そして次男に一緒に並んでみて写真を撮ろうと言ってきました。何かと思えば、私と兄の顔がよく似ていて面白いからと言うことでした。本人たちは気づかないけれど、人から見たら似ている部分が多いようです。似ている部分が多くても同じ顔ではありません。今世界の人口は80億人と言われるようになりました。それだけの人口がいても全く同じ顔の人はいません。神様が、そのようにしておられるからです。
 「あなたは特別な存在」これは、神様から私たちへの愛のメッセージです。この神様のメッセージを私たちはどのように受け止め、どのように答えて行くべきでしょうか。

Ⅰ;神のかたちに造られた

 神様は、私たちを特別な存在として神のかたちに似せて創造されました。神様は、言われます。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。(創世記1:26)」と。ヘブル語ではこの「さあ・・造ろう」の部分は、願望を現す表現がされています。神様は、「さあ」と言われ、「いよいよ、人を造ろう」とそのことを念願としていたような表現をされるのです。しかも「われわれのかたちに、似姿に」と言われるではありませんか。「われわれ」と複数形になっているのは、三位一体の神様のことであり、神様の偉大さを表しています。神様は、ご自身の威厳をもって人を造られました。そして三位一体の神様の親しい交わりの中で人を造られたのです。
 「神のかたちにとして造られた」という言葉は、人の特徴を現す言葉です。そこにはどのような意味があるのでしょうか。

 一つ目のことは、「人は、神様と交わりを持つ存在として造られた」ということです。三位一体の神様は、父と子と聖霊の親しい交わりを持っておられます。そのお姿に似せて造られたということは、人は、人格を持ち、神様と交わり、人と交わる存在として造られたということなのです。
 そして二つ目のことは、神様を愛し、人を愛する者として造られたということです。三位一体の神様は、愛の交わりを持っています。イエス様は、言われました。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。(ヨハネ15:9)」人は、この神の愛を受け、神を愛し、人を愛する者として造られました。

 人は、ひとりで生きることは出来ません。神様も「人がひとりでいるのはよくない(創世記2:18)。」と言われて、エバを造られました。人が一人で生きられないのは、交わりを持つ存在として造られているからなのです。「一人の方が気楽で良い」「一人でも大丈夫」と言う人がいるかもしれません。しかしそのような人も一人や二人は友だちがいて、その友だちとのつながりを持っているのではないでしょうか。人は、人との交わりを持つ存在、愛し合う存在として造られています。何よりも創造主なる神様と交わりを持つ存在として創造されているのです。
 神様と私たちの交わりは、礼拝によって表現されます。神の似姿に造られたもう一つの意味は、神様を礼拝する者として造られたということです。子なるイエス様は、地上の生涯を歩む中で神様を礼拝し、父なる神様に従いました。それは、父なる神様こそ礼拝されるべきお方だからです。そして人は、父なる神様、三位一体の神様を礼拝し、従い、主の栄光を現すために造られたのです。

 これらの人の特徴は、人が生きる目的をも現しています。この社会では、「進化論」が当然のことのように教えられています。しかし先週も言いましたが、進化論では人の存在理由が説明できないのです。進化論は、偶然の連続で微生物から海洋生物になり、両生類へ進化し、両生類から陸上生物へと進化し、サルになり、人間へと進化したと教えます。このような偶然の連続が進化論です。ということは、偶然に生命が誕生し、いつの間にか人間になったということになります。そこにどんな意味を見出すことが出来るのでしょうか。全てが偶然で、今ここにいるのが偶然で、何の意味も目的もないということになります。
 しかし、この世界は偶然に出来たのではなく、神様が意志をもって創造し、目的をもって人を創造したのです。自分は、そのような意味や目的が分からないと感じるでしょうか。自分が存在する意味、生きる目的などないと思うでしょうか。そのように感じ、思うのは、神様に心を向けていないからではないでしょうか。神様は、人を造られる時に明確な目的と理由を持っていました。神様には、私たち一人ひとりが存在する目的、生きる意味があるのです。私たちは、神様と交わり、神様に愛され、神様を愛し、神様を礼拝するという特別な存在として造られました。その事を信じましょう。

Ⅱ;いのちの息が与えられた

 「あなたは特別な存在」として創造されました。神様は、人の鼻にいのちの息を吹き込んでくださいました。神様は、自然界の全てのものを創造された後、一番最後に人を造られました。神様は、人が存在しても大丈夫な環境をすべて整えて、人間を造られたのです。神様が造られた自然は、人のために神様が備えてくださったものなのです。

 神様は、人を「土地のちり」で造られました。最初の人は、大地の「ちり(アダーマ―)」から造られたので「アダム」と呼ばれます。そして神様は、最初の人アダムの「鼻にいのちの息を吹き込まれ」ました。そこで人は、生きるものとなったのです(創世記2:7)。神様は、他のものについては言葉によって創造しました。が、人間について神様は、ご自身で大地のちりで形造り、その鼻にいのちを吹き込んでくださったのです。こうして人は、神様によっていのちが与えられ、生きるものとなりました。それだけ人間は、神様にとって特別な存在だということです。私たちは、一人一人、神様から命を与えられ、特別に愛されて生きています。私たちの命、私たちの存在は、偶然のものではなく、どうでもいいものではありません。私たち一人ひとりは、神様にとって大切で、特別な存在なのです。

 さらに神様は、アダムがひとりでいるのはよくないと思われ、アダムのあばら骨をとり相応しい助け手をお造りになりました。それがエバ、女性です。男と女が互いに励ましあい、助け合って生きていくことは、人間が創造された時から定められていたのです。2章24節の御言葉「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」は、結婚式の時に引用される聖書箇所です。この御言葉は、人の結婚が神様の創造の秩序の中にあることを示しています。だから結婚は神聖なものだし、神様の御前に誓約がなされるのです。そして結婚によって二人は一体となるという言葉は、男女が結婚によって性の交わりを持ち一体となるという事です。「お互いが好きなら性的な交わりをもっても構わない。結婚できるかどうか、同棲生活をして相性を確認しよう。」と世の中は考えるかもしれません。そのような考え方を推奨し、結婚まで純潔を守ることを時代遅れと言う人が多いのが今の社会です。けれども神様は、一人の男子が一人の女性と結婚すること、結婚によって二人が一体となることを祝福するのです。私たちは、神様が人を男性と女性に造られたという創造の秩序を大切にしましょう。

 また今日は、「両親への感謝」を覚える礼拝でもあります。私たちが両親のもとに生れ、家族として歩むことが出来ることを感謝しましょう。日本では、「親ガチャ」という残念で悲しい言葉が使われています。「ガチャガチャ」のおもちゃの機械は、何が出て来るか分からないし、出て来たものが自分願っていたものか分からないのです。それと同じように、「親ガチャ」と言う言葉には、子どもは親や家庭環境を選べないし、願っているようなものとは違うし、それによって人生が決まってしまうという投げやりな意味が込められているようです。
 けれども私たちは、意味なく父と母のもとに生れたわけではありません。神様は、人を創造され、結婚を祝福されました。という事は、家庭を祝福されたという事でもあります。私たちは、神様によって命が与えられ、家族が与えられています。親は、神様が子どもを与えてくださったことを感謝し、子どもは親の存在を感謝することが、創造の秩序です。今日は、神様によって創造された自分である事を感謝しつつ、両親への感謝を表しましょう。

Ⅲ;祝福を受けている

 私たちは、特別な存在として創造されました。神様が人を造られた時、人と神様との関係は非常に親しい良いものでした。「それは非常に良かった」のです。最初の人アダムは、神様の用意してくださったエデンの園に住むようになり、神様の造られたすべての良いものを与えられていたのです。しかしそれの素晴らしく良い関係が、人の罪によって崩壊してしまうことになります。それは、来週見ることにしましょう。

 神様は、「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ(創世記1章28節)。」と人が神様の恵みと導きの中で生きて行くことが出来るようにと祝福してくださいました。
 そして神様は、人に使命を与えます。それは神様が創造された世界を管理し、治めるという重要な役目です。これは、神のかたちとして造られた理由の一つでもあります。人は、神様の代理として造られた地上の植物、地や海や空のすべての動物を支配し守る大切な役目が与えられています。その最初の仕事としてアダムは、神様が造られたすべてのものに名前をつけたのです。名前をつけるということは、それを知り、支配し、管理することを表しています。神様は太陽、星、月、地、海など創造の時、名前をつけています。しかし植物や動物には名前をつけていません。それを人間にお任せになったのです。なぜなら人間が自然界を管理し、秩序を守り、支配するようになるからです。

 この使命は、現代に至るまで続いていますし、これからもこの使命は続きます。しかし人は、神様の創造の秩序を無視し、人の都合によって行動をしているために自然界のバランスは崩れてしまったというのが現状ではないでしょうか。ですから私たちは、神様からの知恵をいただいて、与えられた使命を果たすことが出来るように祈り求めましょう。

 そしてもう一つのことは、神様との契約を守るという生き方が与えられています。人は、エデンの園に置かれ、園のどの木からでも食べて良いと言われました。だた「善悪の知識の木」からは取って食べてはいけない、食べると必ず死ぬと言われていました(創世記2:16‐17)。神様は、人をロボットのように造ることはしませんでした。神様は、人が自分で考え、自分の意志で神様に従い、神様を愛し、神様を礼拝することを求められたのです。しかし、罪によって人の心は堕落し、神様から離れてしまう事になります。
 最初、アダムは神様の言葉を守り、神様を愛し、神様と交わりを持つことが出来ていました。アダムは、神様の祝福を受けて肉体的にも精神的にも霊的にも全てが満たされていました。そして今、神様は、イエス様の十字架の救いによってアダムが持っていた神様との関係を回復させてくださるのです。

 私たちは神様にとって特別な存在です。私たちは、神様によって特別に造られ、神様によっていのちが与えられ、神様と交わりを持つことが出来る存在として愛されています。私たちは、互いのかかわりと交わりの中で生きる存在であり、神様からの使命が与えられ、神様の祝福を受けて歩むことが出来ます。この創造主なる神様の恵を感謝し心に留めていきましょう。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、人をご自身のかたちとして、特別な存在として創造されました。そして今も神様は、「あなたは特別な存在である」と声をかけ、御手を差し伸ばして下さることを感謝します。神様、私たちの人生を導いてください。神様が私たちを導いて下さる人生を喜びと感謝を持って歩ませて下さい。
 神様、私たちに両親を与えてくださって感謝致します。家庭を与えて下さってありがとうございます。神様、一人ひとりの家庭を祝福し、神様を中心とした家庭として守り、導いてください。
 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」