2023年7月16日(日)礼拝説教 マタイの福音書4章1-11節 「誘惑に勝利するには」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 皆は、毎日ご飯を食べていますよね。そのご飯を一回取らなかったどうなりますか。体調を崩して食べられないという事は別にして、1日や2日食事をとらないとしたらどうでしょうか。今日は、イエス様が40日40夜、食事をとらなかった時のことを見て行きましょう。

 バプテスマのヨハネから洗礼を受けたイエス様は、聖霊に導かれて石がゴロゴロした荒野に行かれました。その目的は、断食をして神様にお祈りするためであり、悪魔の試みを受けるためだったと聖書に書いてあります。イエス様は、水は飲まれたかもしれませんが、1か月以上食べることをせず、神様に祈っていたのです。当然、お腹がすきますから、イエス様のお腹は毎日「グー、グー」となっていたのではないでしょうか。その時です、悪魔がイエス様に近づいてきました。そしてイエス様にささやくのです。

 悪魔は言います。「イエスよ、あなたは神の子で、神の力を持っているのだから、この目の前の石をパンに変えて食べたらどうだ? 腹ペコなのに我慢する必要はないだろう。」と。イエス様にとっては、目の前の石をパンに変えることなど簡単なことです。しかしそれをしてしまったら、イエス様が悪魔の誘惑に負けたことになります。この悪魔の巧妙な言葉に対してイエス様は、答えます。その答えが、今週の御言葉です。一緒に読みましょう。「イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある(マタイの福音書4章4節)。」この言葉は、旧約聖書に書いてあります。イエス様は、聖書の言葉を使って悪魔に答えました。その答えの意味は、「僕たちは、体の健康を維持し生きて行くために食べ物が必要であるのと同じように、それ以上に心が神様の恵みで一杯になるように神様の言葉が必要なんだ。その全てを神様が与えてくださる。」という事です。

 次に悪魔は、イエス様を神殿の屋上の隅に立たせました。エルサレムの神殿のすぐ下は谷になっているので、神殿の屋上から下を見ると怖いくらい高さを感じることでしょう。イエス様は、悪魔の誘惑に対して聖書の言葉を使って答えました。だから2回目は、悪魔も聖書の言葉を使ってイエス様を試みるのです。
 悪魔は、「イエスよ。あなたは神の子でしょう。神殿から飛びおりてみなよ。聖書には、神があなたの体が石に当たらないように守られると書いてあるだろう。」とささやきました。その意味は、「イエスよ。あなたは、救い主なんだから奇跡を行って自分が神の子、キリストであることを示せばよいではないか。」という意味になります。イエス様は、聖書の言葉を使って誘惑する悪魔に対して「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある」と聖書の御言葉でお答えになり、誘惑を退けました。

 最後に悪魔は、イエス様を高い山に登らせて、この世の富、権力の全てをイエス様に見せました。高い山に登ったとしてもこの世の全てが見えるわけではありませんから、悪魔はそのような幻を見せたのです。そして悪魔は、言うのです。「イエスよ、この世の金・銀・財宝、この世の全てを支配する権力をあなたに与えよう。そのための一つの条件は、私を礼拝することだ。簡単だろう」と。
 悪魔は、イエス様に対してさえ「神様に従うことはやめて、自分に仕えなさい。そすればあなたは、瞬く間にこの世の権力を持ち、人々を支配することが出来る。」と誘惑したのです。これに対してイエス様は、「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある(10節)」と答えました。イエス様は、主なる神様だけがこの世界を支配し、守っておられる事を知っていました。そしてイエス様は、創造主なる神様だけが礼拝されるべきお方であり、人は主なる神様だけに仕えるべきであるということを明確に示しました。それこそ、僕たちにとって必要なことだからです。

 皆さん、悪魔は今でも「本当に神様を信じて大丈夫かな?」「神は、あなたを本当に守り、導くのだろうか?」「他の友だちと同じように偶像の神々を礼拝しても大丈夫なんじゃない?」と誘惑をしてきます。このような誘惑に僕たちの心が傾いてしまったら、僕たちは悪魔の支配を受けて罪の中を歩むことになります。だからイエス様が悪魔の誘惑を打ち負かしたように、僕たちも聖書を読み、聖書の御言葉を正しく覚える事が必要です。僕たちもイエス様のように、「聖書には・・・と書いてある」と御言葉を盾にして神様に守っていただきましょう。

<祈り>
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様は、悪魔の誘惑に対して神様の御言葉を使って答えました。僕たちは、弱く、悪魔の誘惑に打ち負かされやすい者です。神様、イエス様のように聖書の御言葉によって誘惑に打ち勝つことが出来るように導いてください。神様、僕たちが御言葉をしっかりと覚えられるように力を与えてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」     マタイの福音書4章4節

<適用>
 先週は、メジャーリーグのオールスターゲームがあり、金曜日からは、世界水泳が始まりました。今週には、日本のプロ野球のオールスターゲームがあります。8月にはバスケットボールのワールドカップが行われます。それぞれ選手たちは、試合に勝つために一生懸命練習を積み重ね、練習の成果を発揮することが出来るように調整をしています。スポーツ選手にとっては、練習と体のケアーそして体調管理が勝利の鍵を握ります。
 私たちの信仰の面で誘惑に対する勝利については、どのようなことが鍵になるのでしょうか。共に、イエス様のお姿から学びましょう。

Ⅰ;神の言葉を第一にする

 まず、第一のことは、「神の言葉を第一にする」と言うことではないでしょうか。イエス様は、悪魔の誘惑に対して御言葉で答えました。
 イエス様が、悪魔の試みを受けたとされる荒野は、ヨルダン川のすぐ側にあります。私はイスラエル旅行に行く機会が与えられた時、イエス様が誘惑を受けただろうと思われる荒野に行きました。場所の確定は出来ないようですが、バプテスマのヨハネから洗礼を授けたとされる場所からそれほど遠くない場所でした。洗礼を受けられたイエス様が、退かれた荒野の場所としては有力候補地です。しかもその荒野は、エリコのすぐ側なのです。エリコは、当時荒野にあるオアシスとして栄えていた場所です。イエス様は、人々が集まるオアシスを目の前にして断食をしていたことになります。

 この時の断食は、「御霊に導かれて」とありますので、神様の御心によって行われたことが分かります。しかも神様の導きの目的は「悪魔の試みを受けるため」です。このことは、イエス様が悪魔の試み(誘惑)を受けることを神様が認められたと言うことであり、試みる者である悪魔の背後に神様の主導権があったことも確かなことです。そしてこれはイエス様が、公生涯に入るために必要な試みでもありました。イエス様は、悪魔の誘惑を退けることによって、ご自分が救い主として罪を犯さず、完全に聖い人間として生きていることを証明することとなるのです。

 悪魔は、「石がパンになるように命じなさい」とささやきました。この言葉の意味は、「あなたが救い主として力を示すのは、人々に満足を与え、食べるものを与えることだ。何も罪を代わりに背負う事ではない」という誘惑だったのです。またこの悪魔の言葉は、自分の思いを優先させ、自分の欲求を満たすことに生きる目的を見出しなさいという言葉でもありました。それに対してイエス様は、マタイ4章4節のように答えます。これは、申命記8章3節からの引用です。モーセは、約束の地に入る前にイスラエルの歴史を振り返り、神様の戒めを語りました。その中でモーセは、毎日与えられていた食物である「マナ」について語るのです。申命記8章3節「それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」

 イエス様は、すぐに申命記の御言葉を答えられました。人間は、肉体的な必要のために食物を必要としています。イエス様は、それを否定はしていません。けれども人は、肉体的な食物だけでは生きていけません。人の心を強め、人生を導くのは神様の御言葉です。イエス様は、私たちが幸いな人生を歩むためには、日常の必要だけではなく、もっと大切な神様の御言葉、神様の導きをしっかりと受けて生きることであると教えておられるのです。イエス様は、神様の御言葉を第一にして生きておられるので、御言葉によって悪魔の誘惑を退けることが出来ました。私たちも神様の御言葉である聖書の言葉をしっかり読み、正しく心に蓄えて、御言葉を告白しながら歩みましょう。

Ⅱ;主なる神を信頼すること

 悪魔の誘惑に勝利するために必要な二つ目のことは、「主なる神様を信頼すること」です。悪魔は、イエス様を神殿の屋上の端に連れて行きました。そして悪魔は、「下に身を投げてみなさい。神は御使いたちを通してあなたの体を守ると書いてあるではないか。」と言います(マタイ4:6)。悪魔は、イエス様が聖書の御言葉によって誘惑を退けたので、2回目は御言葉を使って誘惑するのです。

 しかし悪魔は、聖書を正しく用いることはありません。悪魔がイエス様に言った言葉は、確かに詩篇91篇11-12節の引用です。けれども悪魔は、聖書の言葉の前後の意味を無視して、都合の良い部分だけを使用します。聖書の言葉は、書かれた言葉の前後の流れをしっかりと理解する必要があります。詩篇91篇は、「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る(91:1)。」で始まり、「彼がわたしを呼び求めれば わたしは彼に答える。わたしは苦しみのときに彼とともにいて 彼を救い 彼に誉れを与える。わたしは 彼をとこしえのいのちで満ち足らせ わたしの救いを彼に見せる。(詩篇91:15-16)」で終わるのです。詩篇91篇は、神様に身を避ける者の完全な平安を約束し、神様の一方的な恵みを約束するのです。

 悪魔は、聖書の言葉の前後とか神様が約束する内容などに興味はありません。だから悪魔は、聖書の言葉を都合の良いように利用するのです。悪魔のイエス様への言葉は、「神は、約束されたように本当にするのだろうか、試して見たら良いだろう」という意味があります。悪魔は、イエス様の心に神様への疑い、不信感を抱かせようとするのです。
 それに対してイエス様は、一貫して聖書の御言葉を正しく用いておられます。イエス様は、申命記6章16節の御言葉を用いました。そこには「あなたがたはマサで行ったように、あなたがたの神である主を試みてはならない。」と言われています。イスラエルの民は、エジプトを脱出して荒野をさまよう中で思うように水を手に入れることが出来ませんでした。その時、彼らは、水を求めてモーセに詰め寄り不平不満を言い神様を試みたのです。彼らは、「『主は私たちの中におられるのか、おられないのか』と言って主を試み」ました(出エジ17:7)。イエス様は、申命記6章16節の御言葉によって、父なる神様の守りと導きは試してみるまでもなく、信頼できることだと言われたのです。

 悪魔は、今でも聖書の御言葉を用いて私たちの心にささやきます。そのささやきは、「聖書には、あなたの罪は赦されると書いてあるが、神は本当にあなたの罪を赦されると思うのか?」と言うものです。また「聖書には神の平安と守りが約束されているが、あなたの現状は平安からほど遠いではないか。本当に神を信頼しても大丈夫なのか?そんなことをせず、自分の感情のまま、欲望のままにしたら良いじゃないか」と言うものであったりします。悪魔は、多くの偽りの中に少しの真実と思えてしまうような言葉を混ぜ込んで私たちの信仰を揺さぶり、神様への不信感を抱かせようとします。
 しかし御言葉の約束は、私たちが疑って試すまでもなく、真実です。神様は、神様を信じ信頼する者を守り、導き、助けます。私たちは、御言葉の約束をしっかり握って歩みましょう。

Ⅲ;主なる神のみを礼拝し、仕えること

 誘惑に勝利する三つ目のことは、「主なる神のみを礼拝し、仕えること」です。悪魔は、最終手段にでました。それは、悪魔を礼拝させることです。
 悪魔は、「この世の富を手に入れるのはそう難しいことではない。この私(悪魔)を礼拝し、この世の生き方をすればいいんだ。」と誘惑します。神の子イエス様にとっては、そんなことはありえないことです。イエス様は、迷うことなく申命記6章13節の言葉を引用して答えました。それは人にとって最も大切なことです。それは、主なる神だけを礼拝し、神様にのみ仕えることです。

 悪魔の3つ目の誘惑の内容は、私たち人間にとってすぐに否定することの出来ない内容が含まれています。悪魔は、「この世に生きているのだから、この世の価値観、この世の常識、誰もがやっていることをすれば良いのではないか。何も神様を信じ従う必要はない」と私たちを誘惑します。私たちは、気をつけていないと「それもそうだなぁ~」と思ってしまうことがあるのです。しかし人が「神を信じない」と言う生き方をするというのは、「悪魔を信じ、悪魔に従い、悪魔を礼拝する」という生き方になってしまいます。人は、悪魔を礼拝しているという意識はないかもしれません。けれども神様を礼拝せず、神様に背を向ける生き方は、悪魔を礼拝し、悪魔の支配に生きることを意味しています。その行き着く所は、混乱と絶望と滅びです。

 イエス様は、そのような生き方ではなく、主なる神だけを礼拝し、創造主なるまことの神様にだけ仕えることが大切であると教えておられます。それこそ私たちの幸いな人生への道だからです。皆さんは、どのような生き方をしているでしょうか。
 私たちは、イエス様のように悪魔の誘惑に勝利することが出来ます。そのために、私たちは、聖書の御言葉を正しく理解し、告白しましょう。また私たちは、聖書にある神様の約束を信じ信頼して歩みましょう。そして私たちは、主なる神様だけを礼拝し、神様にだけ仕えましょう。

<祈り>
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、私たちは悪魔の誘惑に対して聖書の御言葉によって打ち勝てることを感謝致します。私たちが、御言葉を正しく理解し覚えることが出来るように導いてください。私たちは、神様を信じ神様に従って歩みます。また私たちは、主なる神様だけを礼拝し、神様にのみ仕えます。神様、私たちの信仰を強め、悪魔の誘惑に勝利し、罪を離れ、神様に喜ばれる歩みをする事が出来るように導いてください。
 連日の大雨で被害を受けている地域があります。被災地での復旧、復興が守られ、人々の生活が守られますようにとお願い致します。暑い日も続きます。私たち一人ひとりの健康と生活をお守りください。
 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」