2023年8月23日(日)礼拝説教 創世記12章1-9節 「神を信じ従う生き方」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 夏休みも後、2週間となりました。ちょっと早いですが、皆はどんな夏休みを過ごしましたか。どこかにお出かけをすることがあったでしょうか。教会では、教会学校の「サマースペシャル」をしましたね。教会学校の先生たちが色々考えてくれて、フィッシングセンターで魚釣りをして、炭火で焼いて食べて、近くの川で水遊び、スイカ割りをしました。教会学校の先生は、どうしたら皆が楽しむことが出来るだろうかと話し合って、計画を立ててくれました。こうして僕たちは、どこかに行く時、何かをする時には、色々と計画を立てるものです。
 旧約聖書に出てくるアブラムも旅に出ました。でもアブラムの旅は、家族旅行というようなものではなく、家族みんなで移住するという旅となりました。しかも目的地はどこか、どこに住むのか分からない旅なのです。けれどもアブラムは、神様の言葉に従って旅を始めます。

 神様は、アブラムに言われます。
「アブラム、あなたは、父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。わたしはあなたを祝福します。」
アブラムは答えます。「でも神様、目的の場所はカナンのどこでしょうか。まだ子どもがいませんが大いなる国民とすると言う約束はどうしたことでしょうか。」
 神様がおっしゃいました。「わたしは、いつもあなたと一緒にいて守ります。だから大丈夫!!」
 アブラムは、「分かりました神様、おっしゃるとおりにします。」こうしてアブラムは、急いで旅の支度をしました。そして奥さんのサライと甥のロト召使いと家畜たちを連れて一族大移動を開始したのです。今のように車や電車、バスなどはありませんから、歩いての旅となります。とてもつらい、大変な旅です。けれどもアブラムは、出発をします。アブラムは、旅に出なさいと言ってくださった神様を信じたのです。神様は、旅を始めないと言うだけではなく、これからアブラムにどれほど素晴らしいことをしてくださるかも話していました。アブラムは、神様の「あなたを祝福しよう」という約束を信じて、信頼していたのです。

 しばらく旅を続けたアブラムは、カナンという地域に到着しました。すると神様が「アブラム、今あなたが立っているこの地をあなたとあなたの子孫に与えるよ。」と言われます。アブラムはこの言葉を聞いて「子どもが与えられていない私に子どもが生まれて、子孫が増えるというのはどういうことだろうか。」と不思議に思いました。でもアブラムは、神様を信じたのです。そして祭壇を築いて、約束を与えて導いて下さる神様を礼拝しました。「これでアブラムの旅は終わり」と言いたいところですが、そうではありません。到着したカナンの地域が、すぐにアブラムのものになるわけではないからです。そこには先住民族のカナン人が住んでいました。アブラムは、カナン人の地域を旅しながら生活することになります。

 アブラムは、どうして旅で出かけたのでしょうか。それは、神様が約束を与えてくださり、導いて下さると言ってくださったからです。アブラムは、神様を信じて従いました。今、神様は聖書の御言葉を通して僕たちに声をかけ、僕たちの毎日を導いてくださいます。神様は、皆のことを導き助けてくださいます。そしてたくさん僕たちが嬉しくなることをしてくださいます。アブラムのように神様を信じて従って歩みましょう。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。アブラムは、どこに行くのか分からないけれども、神様の約束と導きを信じて従いました。僕たちも神様を信じて従います。聖書の御言葉を通して教え導いてください。
 まだまだ、暑い日が続きます。皆の健康を支え、夏休みの残りの期間も守ってください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。」創世記12章4節

<適用>
 教団主催のバイブルキャンプのためにお祈りをありがとうございました。先週は、中高生キャンプが行われました。私はスタッフ長として奉仕をさせていただきましたが、とっても良いキャンプとなりました。私は、中高生たちが大きな声で力一杯賛美をしている姿や語れる御言葉に信仰によって応答している姿に感動しました。キャンプを通して、中高生たちと共に、主なる神様を信じて従うという一歩を始められる恵みを感謝しました。
 さて、今日からしばらくアブラム(アブラハム)について学びます。アブラムは、「信仰の父」と言われます。それは彼が、天地を造られた神様を信じて歩んだからです。沢村五郎先生は、聖書人物伝でアブラハムについてこう言っています。「彼は理想的な信者であった。その生涯は信仰生活の典型と言うことができよう。これによって私たちは、信仰生活とはどんなものであるかを学ぶことができる。(聖書人物伝67頁)」
 「神を信じ従う生き方」をしたアブラムの姿を学びましょう。

;御言葉を心に留めて

 私たちは、御言葉を心に留めて、神を信じ従って歩みましょう。アブラムは、ある時神様の御声を聞きました。アブラムが何歳の時に神様の御声を聞いたのかは、分かりません。しかし、使徒の働き7章のステパノの説教からすると、アブラムは故郷のウルにいた時に神様の声を聞いていたことが分かります。使徒の働き7章2―3節「兄弟ならびに父である皆さん、聞いてください。私たちの父アブラハムがハランに住む以前、まだメソポタミアにいたとき、栄光の神が彼に現れ、『あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地へ行きなさい』と言われました。」

 創世記11章31節には、「テラは、その息子アブラムと、ハランの子である孫のロトと、息子アブラムの妻である嫁のサライを伴い、カナンの地に行くために、一緒にカルデア人のウルを出発した。しかし、ハランまで来ると、彼らはそこに住んだ。」アブラムは、生まれ故郷でしょうか、カルデアのウルで主なる神様の声を聞きます。アブラムは父のテラにそのことを説明したのでしょうか。アブラムは、一族揃って移住を始めました。しかし、父のテラはハラン来ると旅をそこで終わりにし、住み着きました。ハランに住んでいる間、アブラムの心の中には神様の言葉が響いていたことでしょう。父テラの死後、再び神様の語りかけがありました。それが創世記12章です。アブラムに語られた神様の言葉は、1-3節にあります。アブラムは、自分に語りかけてくださった神様の御言葉をしっかり心に留めて出発します。

 神様は、一つの命令と7つの約束をアブラムに与えました。一つの命令は「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしの示す地へ行きなさい。」と言うものです。アブラムには、向かう先がカナンの方向ということは分かったかもしれませんが、具体的な場所は分かりませんでした。ヘブル11:8にあるように、アブラムは「どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」神様の命令は、神様の示す地へ行くという単純なものでした。けれどもこれは、信仰と勇気を必要とします。生まれ故郷や親族を離れてどこに行くのかも知らないで旅に出るほど無謀なことはないからです。神様への信頼がなければ無理なことです。アブラムは、どこかは分からないけれども必ず神様の示す地に行けるという御言葉を信じたのです。
 また神様は、この命令に従った時に与える約束も語っておられます。2-3節の言葉です。これは7つに分けることが出来ます。①大いなる国民とする。②あなたを祝福する。③あなたの名を大いなるものとする。④あなたの名は祝福となる(あなたは祝福となりなさい)⑤あなたを祝福する者を祝福する。⑥あなたをのろう者をわたしはのろう。⑦地上のすべての民族はあなたによって祝福される。

人間にとってこれ以上の喜びがあるでしょうか。アブラムは、天地を造られた神様から大いなる国民とするという約束、祝福を与えられ、神様からの繁栄が約束されているのです。そして神様は、アブラムがすべての者の祝福の基となると言われました。アブラムは、この神様の約束の言葉を心に留めて出発しました。
 今、私たちは、このアブラムへの祝福を受け、救いを受けています。なぜならイエス・キリストによって約束が成就したからです。マタイの福音書には「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図(1:1)」とあります。私たちはアブラムの信仰のゆえに救いと永遠のいのちという大いなる祝福を手にしているのです。ですから私たちは、信仰の父アブラムにならい、御言葉をしっかり心に留めて神様を信じ従って歩みましょう。神様は、天からの祝福をもって私たちを満たしてくださいます。

;祈り心をもって

 私たちは、祈り心をもって神様を信じ従う生き方をしましょう。
 アブラムは、神様の言葉の通りに旅を始めました。そこには、信仰を新たにするということもあったと思います。アブラムの故郷「ウル」は、月を神として礼拝する地域でした。そしてハランは、と言うとやはり月を神として礼拝する異教の地域です。だからアブラムの父テラは、月を神として拝む地域に定住したのだと思います。しかしそれでは、アブラムへの神様の語りかけは完成しません。アブラム自身も異教の神々を礼拝する地域で過ごすことになるからです。神様は、アブラムに再出発をするように促し、彼はそれに従いました。そこには、アブラムの祈りがあったと思います。

 創世記12章1-3節には神様の言葉が書かれています。アブラムは神様の言葉を聞きながら何を思い、考えていたのでしょうか。何も感じていなかったと言うことはないと思います。創世記12章1節と2節の間に、「わたしが示す地へ行きなさいと言われても、一体どこにいけば良いのだろうか。」というアブラムの心配が読み取れます。2節と3節の間には「子孫を大いなる国民とすると言われても、まだ子どもが与えられていないし、祝福となるとはどういう意味だろうか」というアブラムの不安が読み取れます。3節の後には「神様の守りの約束を感謝しよう。でもすべての部族が自分によって祝福されるなんて言うことがあるのだろうか」という感謝と不思議な気持ちが読み取れます。

 これらの読み取りは私の想像ですがそれほど間違ってはいないと思います。なぜならばアブラムは、神様の言葉を聞き感じたことを神様に訴えたと思うからです。そしてそれが、彼の祈りとなります。アブラムは、何の考えず、何も感じずに旅を始めたのではありません。彼は祈り心をもって神様を信じて従ったのです。私たちも、日々祈り心をもって歩みましょう。私たちは、日常の生活の中で感じる様々な思いを神様に祈ることが出来ます。その時神様は、私たちの心に御声をかけてくださるのです。

 先週の中高生キャプでは、日帰りの参加者を含めると30名ほどの中高生たち集まりました。集まった中高生たちは、多くの思いを抱えていたと思います。説教者が「不安に気持ちがありませんか。」「神様は、どんな時にも共にいて支えてくださる」「私たちが神様から離れていても神様の愛は変わらない」と話した時、一人ひとり大きくうなずいていました。その姿を見ながら、私は、一人ひとり悩みがあり、不安があり、恐れを抱えていると思いました。けれどもキャンプを通して、それら一つ一つのことについて、神様の御前に祈って行きました。そこに神様の御手があり、彼らは祈りの中で変えられていきました。私は、一人ひとりが祈り心をもって歩んでいけるようにと願っています。

私たちは、やはり祈り心をもって神様を信じ従う一歩一歩が必要です。神様は、アブラムに語りかけたように、私たちにも語りかけてくださいます。その語りかけは、聖書を通してなされます。私たちが神様を信じて従った時に、そこには必ず神様の祝福の約束があります。
 アブラムは、祈り心をもって主の御声を聞き、従いハランを出発しました。創世記12章はアブラムの再出発と言えるでしょう。神様は、アブラムの再出発に素晴らしい祝福を与えて下さいました。先ほど見たとおりです。神様は、今も信じ従う者に祝福を与えて下さいます。

 イエス様は、「まず神の国と神の義を求めなさい。」と言われました。私たちは、神様ご自身を第一とすることが求められています。では、この命令にある約束は何でしょうか。「そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6:33)」という約束です。私たちが、神様を人生の主とし、第一に求めるならば、神様は私たちの必要を満たして下さり、私たちの人生を守ってくださるのです。
 またイエス様は、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。」と言われました。私たちは、一人悩み、人生の重荷を孤独に抱え込む必要はありません。罪という問題に押しつぶされることはありません。イエス様は、「わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)」と約束を与えてくださっています。私たちが、主に助けを求めて祈るとき、神様は私たちを休ませてくださり、平安と安心を与えてくださるのです。私たちは、神様の保護の中に置いていただくことが出来るのです。
 パウロは、「主イエスを信じなさい。」と言いました。これには「そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒16:31)」という約束があります。私たちは、まず個人的にイエス様を救い主と信じることが求められます。しかしこの救いは、私たちだけではなく、家族の救いという祝福へと拡大されるのです。神様の言葉に従って歩む時、私たちは主の約束された恵みを受けることになるのです。

 アブラムは、この信仰による一歩を踏み出し、神様の祝福を得ていきます。私たちも御言葉を心に留め、祈り心をもって神様を信じ、従い、人生の一歩一歩を進んでいきましょう。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、信じ従うアムラムと共にいてくださり、素晴らしい祝福を与えて下さいました。
 私たちは、神様の祝福の約束を信じます。私たちは、神様の御言葉を心に留め、祈り心をもって信じ従います。私たちの人生の歩みを導いて助けて下さい。
 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン」