2023年10月8日(日)礼拝説教 ルカの福音書5章1-11節 「主の招きに応える」 説教者:赤松勇二師 CS説教:赤松由里子師

<子どもたちへ> 赤松由里子師
 みんなは東武線以外の電車に乗ったことはありますか?私は今年、久しぶりにJRの電車に乗りました。しかも埼玉新都心駅、とても混む駅です。コロナ禍以降で初めてなくらい、人がいっぱいで、駅員さんが叫んでいます。「危ないです!電車が入ります、下がって下さい!!下がってー!!」人がたくさん集まって押し合いへしあいの状況は、事故が起きてもおかしくありません。だから必死に叫んでいたのでしょうね。

 さて、ある日イエス様が湖のほとりでお話をした時のことです。なんと、さっきの駅と同じように押し合いへしあい、たくさんの人が押し寄せてきました。あんまり多くの人で、イエス様が湖に落っこちそうです。弟子たちは「危ない!下がってー!!」と叫んでいたかもしれません。近くでは弟子の一人で漁師のペテロが、網を洗って漁の後片付けをしていました。
 イエス様はペテロに言いました。「わたしを舟に乗せてほしいのだが」。「ああ、もちろんです。どうぞお乗りください、イエス様。」ペテロはそう言ってイエス様を船にのせ、少し漕ぎ出しました。するとイエス様は、舟からみんなにお話をして聞かせました。これなら誰も危なくありませんね。ペテロも舟を操りながら、一番近くでお話を聞いていました。

 さてお話が終わるとイエス様はペテロに言いました。「深いところまで舟をこいで行って、網を下ろして魚をとりなさい。」それを聞いてペテロはびっくりしました。「えっ、先生。実は私たちは徹夜で漁をしたのに、何も捕れなかったんです。」徹夜の仕事でくたくた疲れ切っていたペテロです。それに魚が暗い内にしか捕れないのは、漁師なら良く知っていることです。ペテロは断るのでしょうか?いいえ、ペテロはこう言いました。「でも、あなたがそうおっしゃるのですから、もう一度網を下ろしてみましょう!」
 湖の真ん中まで行って網をパーッと打ちました。するとどうでしょう、数えきれないほど大量の魚が網にかかってくるではありませんか。「おお、重いぞ、網が破れそうだ。おーい、ヤコブ、ヨハネ、手伝ってくれー!!」ペテロは仲間を呼んで助けてもらいました。魚は2そうの船が沈みそうになるほどたくさんです。

 ペテロは思いました。「イエス様は魚がどこにいるかもご存知なのか…なんでもお見通しのお方なんだ」。イエス様の不思議な力を目の当たりにして、ペテロは怖くなりました。そしてひざまづいて言いました。「イエス様、私のようなものから離れて下さい。私は罪深い者ですから」。するとイエス様は優しくおっしゃいました。「怖がらなくて良いのだよ。あなたはこれから人間を捕る漁師になるのです。」舟から上がると、ペテロも仲間たちも、みなすべてを捨ててイエス様のお手伝いをする決心をしたそうです。

 今日のお話のペテロさんは、イエス様のお言葉に素直に従った時に大漁の奇跡を体験しましたね。この素直にみことばに従って行動する、ということはとても大切です。そういう人をイエス様は祝福して下さいます。
 そして、人間を捕る漁師、というのは、イエス様のところに人々を連れて来るということです。魚を捕るのは食べるためで、魚は捕まれば死んでしまいます。でも人がイエス様に捕らえられる、というのは、反対の意味があります。罪や恐れにしばりつけられていた人が、自由に生き生きと生かされる、ということです。そのような働きにペテロたちは招かれて、そして従ったのです。これは特別な人だけの働きではありません。一人一人がイエス様の「こうしてごらん」というお言葉を心に聞いて実行していくときに、イエス様を紹介することが出来ます。私たちもイエス様のことを紹介する一人として、お祈りしながら証して行きましょう。

<祈り>
「神様、ペテロがお言葉に従った時、イエス様の力を体験したことを学びました。私たちも素直に御言葉に従う者となれますよう、お導き下さい。また、イエス様を人に紹介するために、証する力を私たちに与えて下さい。御名によって祈ります。アーメン。」

「イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。』」        ルカの福音書5章10節

<適用> 赤松勇二師
 今年は、国際的なスポーツ試合が盛りだくさんの一年となっています。今、アジア大会そしてラグビーのワールドカップが行われていて、毎日のように日本人選手の活躍が報道されています。野球では「WBC」が開催され野球の世界一を競いました。バスケットボールでもワールドカップが行われました。それぞれ、日本を代表する選手が招集されていました。様々な事情で参加しなかった人もいたようですが、日本代表チームの監督が声をかけ、それに選手が応えて集まることでチームが出来上がっていきます。監督の招集に応えた選手たちは、日本代表という特別なチームでプレイすることが出来、試合に勝てば、日本中が大喜びするという特権を味わうことが出来ます。
 イエス様は、弟子たちを集めるのにご自身から声をかけられました。このイエス様の招きに応えた弟子たちは、主イエス様の言葉と力あるみわざを間近で見ることが出来るという特権を与えられ、特別な訓練も受けることが出来たのです。イエス様は、私たちにどのように声をかけておられるでしょうか。信仰の耳を開いて主イエス様の声に耳を傾けましょう。

1;イエス様の声に耳を傾ける

 「主の招きに応える」ためには、主イエス様の言葉に耳を傾け、しっかりと聞かなくてはなりません。ペテロたちは、どうしてイエス様の招きにすぐに応えることが出来たのでしょうか。それは、彼らがイエス様の言葉に耳を傾けて聞いていたからです。
 実は、イエス様とペテロの出会いはルカ5章の時が最初ではありません。ペテロの兄弟アンデレは、バプテスマのヨハネの弟子となっていました。ある日アンデレは、師匠のバプテスマのヨハネがイエス様を指して「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」と言ったことをきっかけとしてイエス様と出会いました。そしてアンデレは、兄弟シモン・ペテロをイエス様に引き合わせました。こうして彼らは、イエス様の弟子となりました。けれども、彼らはすぐにイエス様に付き従ったわけではありませんでした。ペテロとアンデレは、イエス様との出会いの後も自分たちの仕事である漁師を続けていたのです。彼らは、ガリラヤ湖で漁師を続けながら、時間のある時にイエス様の話しを聞いていたのではないでしょうか。イエス様は、故郷のナザレで受入れられないことを知った後、ガリラヤ湖の北に位置するカペナウムを宣教拠点とします。ルカ5章には「ゲネサレ湖」とありますが、ガリラヤ湖のことです。実は、このカペナウムでペテロたちは、漁師をしていたのです。またペテロの家がカペナウムの会堂のすぐ目の前にあったことから、イエス様とペテロたちは、交わりを深めていたと思います。彼らは、魚を捕る漁師を続けながらイエス様の語る神の国の事などを聞いて生活していたのです。

 そんなある日、大勢の人たちがイエス様の話を聞こうと押し迫り、イエス様が湖に入ってしまいそうです。イエス様は、すぐに近くにあったペテロの舟に乗り込み、岸から離れました。このことは、漁を終え疲れた体で網を洗っていたペテロにとって負担になることでした。ペテロは、イエス様の話しを聞くより、舟をこぎ出すより、早く網を片付けて家に帰って休みたいところです。でもペテロは、遠目にイエス様を見てかすかに聞こえてくるイエス様の声を聞くのではなく、舟の中にいてイエス様の目の前でイエス様の話しを聞くことが出来たのです。ペテロは、イエス様の語る言葉を聞き、心が変えられ、イエス様との出会いで人生が変えられるという経験をします。そのための大きな原動力は、イエス様の言葉であり、イエス様との交わりです。
 皆さん、私たちはどのように主イエス様の声を聞いているでしょうか。今、私たちは聖書を読むことによってイエス様の言葉を聞くことが出来ます。そして御言葉を読み祈ることでイエス様との個人的な交わりを持つことが出来ます。私たちは、イエス様との出会いによって神様を知り、自分が変えられることを経験するのです。イエス様は、聖書の御言葉を通して私たちの心に語りかけてくださいます。私たちは、日々の生活の中で、聖書を読み祈る時間をしっかりと確保して、イエス様との交わりを大切にしていきましょう。

Ⅱ;主の招きがある

 私たちは、ペテロと同じように主の招きに応えながら歩むことを心に留めておきましょう。そのために、私たちにも主の招きの声があることを知らなくてはいけません。
 ペテロは、「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」との招きの声を聞きました。マタイの福音書4章19節には「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」とのイエス様の言葉が書かれています。ペテロは、「わたしについて来なさい」、「人間を捕るようになる」という招きの言葉を聞きました。ペテロは、この招きに応えるわけですが、そこには彼の常識をはるかに超えた出来事が関係していました。群集に話し終わった後、イエス様は、ペテロに陸から離れて網をおろして魚を取りなさいと言われました。ペテロにしてみれば耳を疑いたくなる言葉です。ペテロは、漁師として長年仕事をしてきたプロです。そのプロが夜通し働いても何も捕れなかったのです。ペテロは、「徹夜をして疲れているのに、どうして無駄な事を言うのだろう」と思ったかもしれません。イエス様が群衆に話をしていた時間帯は、魚が活動する時間帯ではありません。
 私は、以前独身時代に魚釣りに誘われたことがありました。その時は、川の水を引き込んで作った大きな釣堀での疑似餌(ルアー)を使ったマス釣りをしました。出発時間は、朝の5時でした。その理由を聞くと釣りは、朝の早い時間が良いと言うのです。なぜなら日が昇ると水温が高くなり魚が動かなくなるので釣れなくなるそうです。その日は、朝早く行って釣りをして、昼間はのんびり過ごし、日が傾いて水温が下がったらまた釣りを楽しみました。

 ペテロは、魚が捕れる時間帯ではないのは分かっているけれども、「イエス様が言われるのであれば、やってみましょう」と若干消極的な気持ちが出ています。網を降ろした結果、一晩中何も捕れなかったのに、信じられないほどの大漁となりました。この経験が、ペテロをはじめアンデレやヤコブ、ヨハネに大きな衝撃を与え人生の転機となりました。ペテロは、イエス様が人間わざではない奇跡を行い、全てを知っておられ、支配しておられるお方であることを認めました。と同時に彼は、イエス様の聖さと自分の罪深さを知ったのです。そこで出てきた告白が8節の言葉でした。ペテロは、イエス様の前にひれ伏して、自分の罪を認めて悔い改めているのです。このペテロの信仰と悔い改めがイエス様の弟子となる最終的な準備だったと言えると思います。そこでイエス様は、「わたしについて来なさい。」「人間を捕るようになる」と招きの言葉をかけました。

 皆さん、イエス様は今も私たちに「わたしについて来なさい」と招きの言葉をかけておられます。それは献身して牧師や宣教師になることだけではありません。イエス様は、「あなたは、聖書の言葉を読んでいるか?」、「あなたは、神に愛されていることを信じるか?」、「あなたは、罪からの救いを信じ受入れるか」等々、私たちに問いかけて招いておられます。そのために、イエス様は何をされたでしょうか。イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかり、神の裁きを私たちに代わって受けてくださいました。イエス様は、私たちの身代わりとなるほどに私たちを愛してくださいました。イエス様は、私たちに罪の赦しと永遠のいのちを与えるために、十字架にかかり死んでくださり、三日目によみがえってくださったのです。イエス様は、今も生きていて、私たちと共におられます。イエス様は、「わたしについて来なさい」と御声をかけ御手を差し伸ばしておられます。あなたは、この招きにどのように応えるでしょうか。

Ⅲ;どのように応えますか

 私たちは、主の招きにどのように応えるでしょうか。
 ペテロは、舟から上がるとイエス様に従い本格的な弟子となりました。イエス様は、恐れひれ伏しているペテロに、「あなたは人間をとるようになる」と言われました。イエス様の言われたことは、ペテロがイエス様の弟子となり、多くの人々に福音を語り、人々を神様のもとに導くようになるということなのです。この後ペテロは、イエス様の弟子としてイエス様の教えを聞き、みわざを目撃します。そのことをペテロは、喜びをもって証しし、感動をもって語り伝えるのです。

イエス様が「人間を捕るようになる」と言われた時の「なる」の言葉(ギリシャ語の「ポイエオー」)には、「~にする」の他に「造る、建てる、(神が)創造する、~に至らせる」などの意味があります。イエス様は、ペテロに「人間を捕るようになる」と言われました。ペテロはこの招きの言葉に信仰をもって従いました。その結果、イエス様は責任をもってそのようにしてくださいました。まさにペテロは、イエス様によって人生の道筋が造られ、神様の栄光を現わす使徒に至ることになったのです。ペテロが、イエス様の招きに応えた結果です。

 私たちは、イエス様の招きにどのように応えるでしょうか。先ほど話しましたが、イエス様は、「あなたは、救いを信じるか?」、「わたしは、あなたの人生を確かに導く」、「わたしは、あなたの進むべき道を示そう」と私たちを招いておられます。そしてイエス様には、私たちに約束したことを実現する力があるのです。私たちは、自分の人生という旅路を自力で努力と根性で何とかしようとするのではなく、「わたしが、道筋を確かなものとしよう」と言ってくださるイエス様にお任せすることが出来るのです。必要なことは、イエス様の言葉を信じ、従うことです。イエス様は、「わたしについて来なさい」と言ってくださいます。
 私たちは、主の招きに応えて歩みましょう。そのために、私たちは日々の生活の中で聖書を読み祈る時間を大切な時間として確保し、イエス様の御声に耳を傾けましょう。そのような中で、イエス様が私たちにかけてくださる「わたしについて来なさい」という招きの言葉を確かに聞き取っていきましょう。聞くだけではなく、私たちは、イエス様の招きの言葉に信仰をもって応えていきましょう。その時、イエス様は、私たちの人生を導き、進むべき道を造り、確かものとしてくださいます。

<祈り>
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様、あなたは今も私たちに聖書の御言葉を通してお語りくださり、教え導いてくださることを感謝します。イエス様は、今も『わたしについて来なさい』と声をかけ、招いてくださることを感謝します。私たちは、イエス様の招きに応えて歩みます。どうか私たちの人生の道筋を確かなものとしてくださり、導いてくださるようにとお願い致します。私たちは、主なる神様を信じて、従います。
 神様、私たちをご自身の愛で満たしてくださり、力強い御腕に抱いてください。イエス様の素晴らしいみわざを行い、私たちの日々の歩みを祝福で満たしてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」