<子どもたちへ>
みんなは、何か特別なことに取り組む時、どんなことを考えますか。中学生や高校生の皆さんは、部活動の中で試合があったりするかもしれませんね。部活ではなくても何かスポーツチームに入っているお友だちもいるかもしれません。大切な試合の前日みんなは、どんな心境になるでしょうか。「明日は、勝ちたいなぁ。」、「スタメンで出られるか?」、「試合に出られたとして、ミスはしないかな、練習通りにうまくできるかな」などなど心配し、寝られないこともあるかもしれませんね。
イエス様は、大切なことを前にして、一人山に登り、寝ないでお祈りしていました(ルカ6:12)。「父なる神様、いつも私を導いてくださりありがとうございます。私の周りにはたくさんの人たちが集まるようになってきました。その中から12人を弟子として選ぶ必要があります。どうか知恵を与えてください。」
そう、イエス様が、寝ないでお祈りをするほど大切なことというのは、12弟子を選ぶということだったのです。イエス様は、その時だけお祈りをしたのではないと思います。イエス様に従う人たちが増えていく中で、だれを弟子として訓練するべきかを祈り続けいたと思います。そしていよいよ弟子を決める日がやってきたの、イエス様は、寝ないで徹夜のお祈りしました。
夜が明けていよいよ弟子たちを呼び集める時がきました。果たして誰が選ばれるのでしょうか。集まっていた人たちは、ドキドキだったことでしょう。イエス様は、12人を名前を呼んで集めます。まず、「ペテロ」が呼ばれます。次に「ヤコブとヨハネ」この二人には「ボアネルゲ(雷の子)」というニックネームがつけられました。怒りっぽい性格だったのでしょうか。続いてイエス様は名前を呼びます。「アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、そしてイスカリオテのユダ」呼ばれた12人は、いつもイエス様と一緒に行動し、イエス様に従いました。
この12人は、何のために選ばれたのでしょうか。先週、プロ野球の日本シリーズが行われて、阪神が日本一になりましたね。野球は9人がレギュラーとして選ばれます。サッカーは11人、バスケは5人、バレーボールは6人が選ばれます。そしてベンチには交代の選手もいます。そのメンバーは、監督が選びます。監督は何を目的として選手を選ぶのでしょうか。それは、試合に勝つためです。選ばれた選手は、試合に勝つために最善のプレーをすることを心掛けるでしょう。
イエス様が、12人の弟子を選んだのには目的がありました。それは、12人をイエス様の近くにいさせて、訓練をするためです。そして弟子たちを伝道に遣わすため、悪霊を追い出す権威を持たせるためです。弟子たちは、いつもイエス様の近くにいてイエス様と一緒に旅をし、イエス様と共に食事をし、神の国、福音について聞くことが出来ました。そして弟子たちは、聞いたことを人々に伝えるという大切な役目があったのです。弟子たちは、すぐに何でも出来たわけではありません。彼らは、多くの失敗をし、イエス様から注意を受けながら、多くのことを学んでいきました。そして弟子たちは、イエス様の十字架と復活、昇天という福音を伝える者として成長していきます。
イエス様は、今も僕たちに声をかけています。イエス様は、僕たち一人一人を愛しています。イエス様は、みんなのために十字架にかかって死んでくださいました。イエス様は、僕たちに救いを与え、たくさんの素晴らしいものを与えてくださっています。僕たちは、このイエス様の愛、素晴らしさを周りのお友だちに伝えるという役目が与えられています。イエス様は、みんなを通して、みんなの友だちに福音を伝えたいと願っています。お友だちがイエス様を知り、信じ、救いを受けることが出来るように、イエス様のことを伝えていきましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様に選ばれた12弟子たちは、イエス様に従い、イエス様のことを伝える働きをしました。イエス様は、僕たちに救いという喜びを与え、たくさんの素晴らしい祝福を与えてくださることを感謝致します。このイエス様の愛と救い、恵をお友達に伝えることが出来るように力を与えてください。イエス様の弟子として従うことが出来るように助けてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」 ヨハネの福音書15章16節
<適用>
私がフォークギターを始めた時、見様見真似で練習していました。ベースギターやドラムを始めた時も友達の真似から始めました。音楽番組を見ていても演奏している手元しか見ていない状態でした。そのようにして、とにかく演奏方法を見て、聞いて真似をするの繰り返しでした。
イエス様に選ばれた12人の弟子たちは、どのようにイエス様に従っていったのでしょうか。私たちは、どのようにイエス様に従うことが出来るのでしょうか。
Ⅰ;祈りの姿(ルカ6:12以降)
まず、私たちは、主の弟子としてイエス様の祈りの姿を模範としましょう。イエス様は、いつも一人祈る時間を持っていました。ルカは、特に重要な場面でのイエス様の祈りの姿を記しています。イエス様は、バプテスマのヨハネから洗礼を受けている時に祈られました(ルカ3:21)。荒野で悪魔の誘惑を受ける時、40日間断食祈祷をしておられました(ルカ4章)。イエス様ペテロとヨハネとヤコブを連れて祈るために山に登られた時、イエス様のお姿が変わるということがありました(ルカ9:28-36)。十字架にかかられる前夜、イエス様は、ゲッセマネの園で祈りました(ルカ22:39-46)。そしてルカの6章には、12弟子を選ぶ時にイエス様は、「祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた(ルカ6:12)とあります。イエス様にとって、12弟子を選ぶということがとても重要なことであったということが分かります。
イエス様は、神の子であり、常に神様と親しい交わりをもっておられました。またイエス様は、神様の御心を理解し、それを行い、力あるみわざを行っていました。イエス様は、これらのことを自分勝手にしたのではありません。イエス様は、「わたしは自分から話したのではなく、わたしを遣わされた父ご自身が、言うべきこと、話すべきことを、わたしにお命じになったからです(ヨハネ12:49)」また、「わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです(ヨハネ14:10)」と言っておられます。イエス様は、神であり同時に人間として地上の生涯を歩まれました。イエス様は、いつも祈りによって父なる神様と交わり、祈りを通して神様の御心を知り、祈りを通して神様の力あるわざを行っていたのです。
私たちは、「祈り」が必要です。改めて言われることはないかもしれません。けれどもこのことは、いつも確認しておくことが必要です。しかも私たちの祈りは、イエス様の姿を模範とする必要があるのです。なぜなら、私たちはイエス様に従う者とされているからです。イエス様は、「わたしの名によって祈りなさい。」と言われました。そしてイエス様は「あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます(ヨハネ14:13-14)。」と約束してくださっています。これは、何でもかんでも自分勝手な祈りをしてよいということではありません。「栄光をお受けになるため」とあるように、私たちが神様の御心を求めて、イエス様の助けを求めるなら、それをしてあげようという約束です。ですから、私たちは、自分の願いや思いを祈るだけではなく、神様の御心が何かを知るための祈りとなることが大切です。神様は、私たちが日々の生活の中でどのような選択をすることを喜ばれるのでしょうか。イエス様は、どのような道を示してくださるのだろうか。私たちは祈ります。するとイエス様は、それに答えてくださり、必ずご自身の思いを御言葉を通して教えてくださいます。
Ⅱ;イエス様に学ぶ
私たちには、主の弟子としてイエス様に学ぶことが大切です。教会では、月に1回有志で集まって習字の練習をしています。それは、説教の題を書くための練習ともなっています。習字の先生が来てくださり、お手本を書いてくれます。私の練習に参加していますが、先生が目の前お手本を書いてくださるのです。先生の書いている姿を見ながら、筆の動きを確認することが出来ます。私は、先生の書いる字を見ながら、「さすが、上手だなぁ!!あんな風に書きたいなぁ」と思います。実際に書いてみると、お手本のようには書けません。時々、お手本を書いて下さる先生の手元を見てないことがあります。手元を見ないどころか、お手本を見ることもしないことがあります。すると、書けないのです。書けないどころか、まったく違った字のようになることがあります。習字の時間には数人で集まって練習していますが、手本を見ないで書いていると「見ないとね」と声がかかることがあります。お手本を見るって大切ですね。
イエス様は、何のために12人を選ばれたのでしょうか。イエス様は、数多くいる弟子の集まりから12人を選び彼らを「使徒」と呼ばれました。使徒とは、「遣わされた者」と言う意味です。12弟子たちは、イエス様から遣わされ、権威を与えられた使徒でした。マルコ3章13-19節を見るとそのことが分かります。使徒たちは、イエス様の身近にいて福音を宣べ伝え、悪霊を追い出す権威を与えられ力あるわざを数々行います。
弟子たちの名前が上げられていますが、それぞれ個性があり、多様な人々です。漁師(ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ)がいて、ローマのために働いていた取税人(マタイ)がいて、ユダヤ国粋主義者である熱心党員(シモン)、疑い深いと評される人 (トマス)、などがいました。普通ならば一同に集まり、寝食を共に過ごすことなど不可能な集団です。イスカリオテのユダもいます。マルコ3章19節は、「イスカリオテのユダ、この者こそイエスを渡した(裏切った)」と訳せるようです。マルコは、イスカリオテのユダがイエス様を裏切ったことを強調しているようにさえ思えます。イエス様は、他の弟子たちと同じように、イスカリオテのユダを取り扱うために選びました。イスカリオテのユダがイエス様を裏切った時でさえ、イエス様は悔い改めて立ち直る機会を与えているのです。そこには、イエス様の愛と恵みのお姿を見ることが出来ます。
とにかく、12弟子は、イエス様の権威が与えられ、福音を伝え、悪霊を追い出すために選ばれました。けれどもイエス様に呼び出されて、すぐに弟子として働くことが出来たかというとそうではありません。当然訓練する期間が必要です。だからまず、イエス様は彼らを「ご自分の側に置くため(訓練するため)」に呼ばれたのです。弟子たちは、与えられた役目を果たすために、まずイエス様の側にいるようにと選ばれました。それは、イエス様の語る言葉を間近で聞き、イエス様の行うわざを間近で見、体験するためです。
イエス様は、私たちも側に呼んでくださいます。私たちもまずは、イエス様の教えを聞き、学び、みわざを体験することが必要です。イエス様を信じる私たちは、イエス様の近くにいるようにと呼ばれた一人一人です。ですから私たちは、イエス様の言葉に耳を傾けましょう。イエス様は、聖書の御言葉を通してご自身を教えてくださり、神様の愛、恵み、福音の素晴らしさを教えてくださいます。またイエス様は、私たちの祈りを通して、ご自身の力あるわざを行い、私たちを確かに導くのです。これらのことが、私たちを訓練し、主の弟子として整えることになります。私たちは、イエス様の側にいさせていただき、学ばせていただきましょう。
Ⅲ;遣わされる
私たちは、主の弟子としてイエス様から遣わされています。イエス様は、12弟子のほかに72人を遣わして宣教の使命を与え、働きを進めています(ルカ10章)。それは、やはり神の国のことを宣べ伝え、福音を知らせるためです。
今、イエス様は、私たちに使命を与えてくださり、私たち一人ひとりを遣わして下さいます。イエス様は、ヨハネ15章16節でこのように言われました。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」神様が私たちに使命を与え、遣わされるのは私たちが主の働きをし、多くの実を結ぶためです。イエス様は、私たち一人ひとりにしてほしいことがあるのです。イエス様の救いの恵みを知っている私たちは、その福音の恵みを多くの人に伝える使命が与えられています。イエス様は、そのための力も与えてくださいます。
私は、イエス様の言葉がすでに信仰をもっているクリスチャンだけに語られているのではないと思います。まだイエス様への信仰が明らかでない人に対してもイエス様は言っておられるのではないでしょうか。イエス様は、「わたしがあなたがたを選んだ」と言ってくださっています。イエス様は、一人一人に語っておられるのです。私たちは、イエス様の近くにいることでイエス様のことを知ることが出来るのです。イエス様は、ご自身に近づく者の祈りを聞き、ご自身の御手を伸ばしてくださいます。私たちは、イエス様の力あるわざを間近に見、経験することが出来るのです。
私たちは、主の弟子として、イエス様の祈りの姿を模範として祈りましょう。私たちは、主の弟子としてイエス様の側にとどまり学び続けましょう。イエス様は、私たちをふさわしく整えてくださいます。イエス様は、私たち一人一人にするべきことを与え、遣わしてくださいます。私たちは、主の弟子として従い歩みましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様は、12弟子を選びご自分の近くに置き訓練されました。それは、弟子たちを通して福音を伝えるためです。今、イエス様は、私たち一人一人を救い、恵みを与えるために声をかけ呼び出してくださることを感謝致します。またイエス様は、私たちを通して福音を伝えるために選び、遣わしてくださることを感謝致します。イエス様、私たちが主の弟子として従い、主の栄光を表し、証しすることが出来るようにと力を与えてください。
世界に目を向けると戦争が行われ、武力衝突が繰り返されている現状です。神様、この世界を憐れんでくださり、主の平和がもたらされますようにとお願いします。
神様、一人一人の日々の歩みを祝福と恵みで満たしてください。救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」