2024年6月2日(日)礼拝説教 創世記28章10-22節 「神の守りと祝福」 説教者:赤松勇二師、CS説教:赤松由里子師

<子どもたちへ>赤松由里子師
 皆さんに質問です。教会では先生たちとお祈りをしたことがあると思いますが、おうちでもお祈りしたことがあるでしょうか?お父さんやお母さんとお祈りしたよ、とか、おじいちゃんおばあちゃんとお祈りしたよ、という人がいるかもしれませんね。神様を信じる家族と祈るのは素晴らしいことです。でも、もし家族から離れて生活するとしたらどうなるでしょう?ヤコブがお父さんお母さんから離れた中で、本当の神様にであったお話です。

 お父さんのイサクがヤコブを呼んでいいました。「ヤコブよ、今からお母さんの兄弟の家に旅をしなさい。親戚の中からお嫁さんを見つけてくるのだ。おじいさんのアブラハムを祝福してくれた神様が、お前の子孫を増やして、この土地を継がせて下さるように。」ヤコブは答えました。「はい、お父さん。行ってまいります。」お母さんが心配そうに言いました。「ヤコブ、気を付けて行ってらっしゃい。お兄さんの怒りがとけるまでしばらく、おじさんの家で守ってもらいなさい。」

 こうしてヤコブは、たった一人で、おじさんの家を目指して旅に出ました。ヤコブは思いました。「ああ、エサウ兄さんの祝福をだましとったりしたせいだ。」誰もいない荒野を歩きながら、ヤコブは後悔しました。夜になっても、外で野宿するしかありません。ヤコブは石を拾って枕にし、地面で寝ることにしました。
 すると…ヤコブは不思議な夢を見ました。天まで届く長いハシゴが立っていて、そこを天使が上ったり下ったりしているのです。そして神様の声がしました。「ヤコブよ。私はアブラハム、イサクの信じた神である。私はあなたが寝ているこの土地を、あなたとその子孫に与えよう。」そして神様はこうも言われました。今日のみことばを読みましょう。「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」(創世記28章15節)。

 ヤコブは夢からさめて起き上がりました。「ああ、神様がここにおられた。」神様の恵みはお父さんの家でしか受けられない、とヤコブは思っていたかもしれません。でも違いました。この旅でも神様はヤコブと一緒にいて守って下さると言われたのです。
 ヤコブは言いました。「ここは恐れ多い場所だ、神様の家だ。」そうして枕の石を立て、油を注ぎ礼拝しました。ヤコブは祈っていいました。「神様が旅を守って下さり、いつかお父さんの家に帰らせて下さるので、私は神様を信じます。神様からいただくものは何でも、十分の一をお捧げします」。

 ヤコブは家族から離れても、神様が自分を守ってくれる方だと知り、心から信じてお従いする人になりました。皆さんも、家族の誰かの神様、ではなく、この私に愛と恵みを下さる神様だ、と知って下さい。不安や困りごとを抱えていたヤコブに神様が来て下さったように、私たちにも近づいて下さる神様です。心を開いて、「神様、私を守って導いて下さい。」とお願いして行きましょう。神様は私たちにも恵みを下さいます。

<祈り>
「天の父なる神様。家族を離れ不安の中にあったヤコブを、神様は守ると約束されました。私たちのこともご存知の神様が、どうぞ一人ひとり守って下さいますようにお願いします。家族の神様、で終わらず、私に恵みを下さる私の神様、として信じて行きたいです。どうぞ導いて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」        創世記28章15節

<適用>赤松勇二師
 今から20数年前のことです。教会の一人の青年から釣りに誘われました。興味がありましたので連れて行ってもらいました。川の一部を釣り場にしているような、川幅が20m以上あるようなとても広いフィッシングセンターでした。私は、釣りは初めてです。当然魚がどのあたりにいるのかなど全く見当がつきません。その青年は、海釣りも川釣りも趣味でしていました。川岸に立って何をしてよいか分からない私にその青年は、「10m先にある岩のあたりに、ルアー(疑似餌)を投げてみたら良い。」と教えてくれました。私には、10m先の岩陰には川の水しか見えません。そこは川ですから当然のことです。しかしその人は、何度も釣りをしてきた経験から、川の中の魚の動きがある程度分かっているのです。私は、言われるままに竿を振り疑似餌を投げ、リールで釣り糸を巻いていきます。すると、魚が疑似餌に食いついて来たのです。こうして私の初めての釣りは、その青年に守られて成功となりました。
 神様は、私たちに守りの御手を差し伸べてくださいます。そこには、神様からの祝福が約束されています。

Ⅰ;求めましょう

 私たちは、「神の守りと祝福」を求めましょう。神様は、私たちを守り祝福してくださいます。
 ヤコブは、父イサクをだましてアブラハムに与えられた神様の祝福を横取りしてしまいました。そのことを知ったエサウは、燃える怒りをヤコブに向けました。母リベカは、エサウの怒りを知って、ヤコブを逃がすことにします。リベカは、結婚の問題をイサクに訴えますが、彼女はなんとかしてヤコブをエサウから引き離したかったのです(創世記27:46-47)。イサクは、リベカの提案を受け入れて、ヤコブをリベカの故郷に送り出すこととしました。
 この時イサクは、もう一度ヤコブを祝福するのです。でも皆さん、考えてみてください。弟のヤコブは、父イサクをだましました。その時のイサクは、「いったい、あれはだれだったのか。」と恐れと怒りに身をふるさせました(創世記27:33)。イサクは、いったい自分はだれを祝福してしまったのだろうか、という不安と恐れがありました。そしてイサクは、弟のヤコブがエサウに変装したことに気づいたのです。普通なら、「何ということをしたのか」と、ヤコブを問い詰めたいところです。けれどもイサクは、それをしませんでした。どうしてでしょうか。

 最初イサクは、怒り心頭だったと思います。しかし、イサクはアブラハムの子、契約の子と言うべきでしょう。イサクは、主の前に静まる時を持ったのです。イサクは、アブラハムから受け継いだ神様の祝福の契約を誰に受け継がせるべきなのかを祈り求めたのではないでしょうか。そしてイサクは、リベカが妊娠中に神様がリベカに語られた言葉を思い出すのです。神様は、「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える(創世記25:23)。」と言っていました。これは神様が、兄エサウよりも弟のヤコブを選んでおられるということでした。と言うことは、神様がアブラハムと結ばれた契約は、イサクから弟息子のヤコブに継承されるということを意味しています。イサクは、一連の出来事の中で、心を静めて祈り求め、神様の御心を正しく理解するようになったのです。だから、イサクはヤコブをパダン・アラムに送り出す前に、もう一度祝福することが出来たのです。そしてこの言葉は、27章で語った祝福をより具体的に語り伝えることになりました。そしてこのイサクの行動は、エサウへのけん制ともなりました。なぜなら、イサクが正式にヤコブを祝福したことで、エサウは手出し出来なくなったからです。もしエサウが、ヤコブに仕返しをするならば、父イサクに対して異議を唱えることになるからです。

 イサクは、自分の考えや思いを優先させることなく、神様の御心を求めました。その結果、イサクは神様の守りと祝福をしっかりと受けとめることが出来ました。私たちも神様の守りと祝福を求めましょう。神様は、私たちに対する御心を明確に教えてくださいます。

Ⅱ;神様から来る

 「神様の守りと祝福」は、主なる神様からの一方的な恵みとして与えられます。ヤコブが見た夢がそのことを教えています。その夢は梯子が天から地上に向かって伸びていて、御使いが上り下りしていたというものでした。そして神様ご自身がヤコブの傍らに立ち声を掛けられたのです。
 この「梯子」と訳されていることばは、石を積み上げていく階段のようなものという意味もあります。創世記11章では、人々が天まで届く塔、「バベルの塔」を作ったことが記されてあります。人々は、自分が神のようになるという高慢な思いから塔を建て、神様のさばきを受けました。しかし今ヤコブは、天から地に伸びている梯子を見ているのです。これは神様からの憐れみのしるしです。神様は、ヤコブに対して御手を差し伸べてくださったのです。この時の順番がとても大切です。梯子はどのように伸びていたのでしょうか。バベルの塔のように梯子は、地上から天に届いたのでしょうか。そうではありません。ヤコブは何もしていません。なぜなら人間が努力して神様に近づいて何かしてもらうことはないからです。人間の知恵や努力や学問、正しい行いによって神様に近づくことは出来ないし、神様になることも出来ないのです。ヤコブの夢は、神様から、神様ご自身が接近してくださるということを示しています。神様が梯子を伸ばしてくださったのです。梯子は、天から地に向かって伸びてきたのです。

 私たちは、時々雲の隙間から太陽の光が真っ直ぐ地上に向けて差し込んでくる様子を見ることが出来ます。その現象を「ヤコブのはしご」と言います。創世記28章の天から梯子が地に立てられたことに由来があります。これから雨が降りやすい季節となります。雨雲から光が差し込む様子を見ることが出来ると思います。それを見る時は、神様の守りと祝福は、天から(神様から)来るということを思い出して下さい。
 神様は、ヤコブの傍らに立って何と言ってくださったでしょうか。この時神様が語られたことは、父イサクが語ったことを神様ご自身が保証してくださったことであり、神様の守りと祝福の宣言となりました。神様は、「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、主である」と言われました。ヤコブは、アブラハムを選び、アブラハムと祝福の契約を結ばれた全能の主なる神様の声を聞くのです。そしてその内容は、全能の主なる神様ご自身が、アブラハム、イサクと結ばれた契約をヤコブとの間で更新してくださるものでした。

 それだけではなく、神様は「あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない(創世記28:15)」と約束してくださいました。この神様の言葉は、これから遠い旅を続けるヤコブにとって、どれほど励ましになったでしょうか。ヤコブは、これから自分の人生がどのように進んでいくのか、良くなるのか、もっと複雑で問題の多いものとなるのか、全く予想が出来ずにいるのです。そんなヤコブに対して神様は、どこへ行ってもあなたを守ると語ってくださいました。そして不安だらけのヤコブに対して、神様ご自身が責任をもって人生を導き、決して捨てないと約束してくださったのです。

 このヤコブへの神様の約束は、私たちにも語られている言葉です。神様は、私たちを決して見放さず見捨てないお方です。「主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない(申命記31:8)。」イエス様は、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる(マタイ28:20)」と約束してくださっています。
 神様が、いつも私たち一人ひとりと一緒にいてくださいます。神様から私たちに近づき、神様が私たちを守り、祝福を与えてくださるのです。だから私たちは、主の御前に進み出てさらに恵みをいただいて歩みましょう。

Ⅲ;信仰によって受け取る

 「神の守りと祝福」は、信仰によって受け取りましょう。ヤコブは、夢の中で現れてくださった神様を覚え、その場所を「べテル」と呼びました。これは「神の家」と言う意味を持ちます。ヤコブにとって神様の臨在に触れた瞬間、そこが神の家、天の門となりました。彼は、アブラハムに与えられた契約が今、自分に与えられていることを信じて受け止めることが出来ました。ヤコブが神様を信じたことは記念礼拝からも分かりますが、20節からの彼の告白によっても知ることが出来ます。ヤコブは、神様がともにおられること、見捨てず守ってくださること、生活の必要を満たしてくださること、そして約束の地へと戻してくださることを信じたのです。そして神を礼拝し、十分の一を捧げるという誓約をしていくのです。

 ヤコブの状況は、何か変わったのでしょうか。何も変わりません。ヤコブは、不安と恐れと言う現実の中にいます。しかし彼の心は変わりました。ヤコブは、神様の守りと祝福を信じ信仰によって平安を得ていたのです。私たちにとっても神様を信じるということは、重要なことです。重要なことなのですが、単純に信じることは、時として私たちには難しいことがあります。だからといって信じないでいたら、私たちは神様の祝福を受けることは出来ません。
 私が釣りに連れて行ってもらった時、「あそこに魚がいます」というアドバイスを信じないで、無視していたら魚を釣り上げることは出来ませんでした。私には見えないけれど、予測を立てられる人の声を信じたからこそ釣りを楽しむことが出来たのです。
 ある人が神様の祝福についてこのように言っています。「祝福とは、自分の手で得ることの出来るものではなく、神だけが知り、くださることのできる素晴らしい無制限の良いもの。超自然的な恩恵である。」私たちは、神様ご自身から素晴らしい恵みを受け取ることが出来ます。そのために必要なことは、主なる神様を信じる信仰によって受け取るということです。

 では、私たちは神様の守りと祝福について何を信じるのでしょうか。
①進むべき道がはっきりとは分からない、道がないように思える状況でも、神様は道を造り私を導いてくださると信じるのです。
②今は分からないけれど神様は自分に益となることをしてくださると信じるのです。
③神様は私に救いを与え、喜びを与え、愛を与え、素晴らしい主の臨在で満たしてくださると信じるのです。
④神様は、今も「わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、・・・決してあなたを捨てない」と語りかけてくださっていることを信じるのです。
 皆さんは、神様が私たちを守りと祝福してくださることを信じていますか。

 私たちは、神様の守りと祝福を切に祈り求めましょう。神様は、ヤコブに語ったように、今も私たちに「いつもともにいて、守り、捨てない」と語りかけてくださいます。ヤコブは、このように約束してくださった神様の守りと祝福を信じました。私たちも全能の主なる神様の守りと祝福を、信仰をもって受け取りましょう。その時あなたの心は、神様の臨在と平安で満たされます。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、ヤコブに語りかけたように、今も「あなたを守り、捨てない」と声をかけてくださることを心から感謝いたします。神様がアブラハム、イサク、ヤコブを結んだ祝福の契約が今も私たちに与えられていることを信じます。
 私たちは、自分の人生がこれからどのように進んでいくのか分かりません。けれども全能の主なる神様は、私たちの行く道筋を知っておられ、私たちを確かに導いてくださいます。私たちは、神様の守りと祝福を信じます。神様、どうぞ私たち一人一人の歩みを祝福し導いてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」