2024年6月3日(日)礼拝説教 創世記39章1ー10節 「共にいて下さる主」 説教者:赤松由里子師

<子どもたちへ>
 先週からヨセフのお話を聞いています。不思議な夢を見る人でしたね。麦の束が起き上がってお辞儀をする夢、太陽と月と11の星が自分を拝む夢、そんな夢を自慢してばかりで兄弟に嫌われて、奴隷としてエジプトに売られてしまったのでした。
 さて、今日はエジプトでのお話です。ここはどこでしょう?なんと、牢屋の中です。実はエジプトに来てからも色々ありました。王様の家来に気に入られてお仕事をしていたのですが、奥さんの罠にかかって牢屋に放り込まれてしまったのです。
 ある日、ヨセフは牢屋にいる別の囚人に言いました。この人は王様の別の家来です。「なんだか今日は顔色が悪いですけど、嫌な夢でも見たのですか?」。すると家来は言いました。「そうなんだよ。意味がある夢だと思うが、わからないんだ。」夢の内容を聞くとヨセフは「神様が教えて下さいます。あなたはもうすぐ牢屋から出られます」と言いました。そしてその通り、家来は牢屋から出て元のお仕事に戻りました。でもヨセフのことは忘れてしまいました。

 それから2年の月日が流れました。エジプトの王様ファラオが夢を見ました。これも変わった夢でした。川から太った牛が7頭上がって来て草を食べていると、がりがりに痩せた牛が7頭上がって来て、太った牛を食べてしまったのです。王様は悩んで、国中の学者や祭司にききましたが、誰も意味を解き明かすことが出来ません。
 すると、あの牢屋に入っていた家来がヨセフを思い出して言いました。「王様、夢の意味を解き明かせる男がおります。牢屋にいたヨセフと言う若者です」。「すぐにヨセフを呼べ!」と王様は命令しました。
 ヨセフは着替えてヒゲもそって王様のところに来ました。そして夢の話を聞くと解き明かして言いました。「王様、神様が私に夢の意味を教えて下さいました。これから7年の間豊作になりますが、その後7年間は何も作物の出来ない飢饉が来ます。ですから今の内に作物を蓄えておいてください。そうすれば困ることはありません。」

 王様は目を見張って驚き、ヨセフに言いました。「あなたには神の霊が宿っている。あなたほど賢い人はいない。エジプトの総理大臣になってくれ。」その印に王様は自分の指輪をヨセフにはめてくれました。このあとヨセフは総理大臣として、エジプトで活躍していきます。
 苦しいこと、悲しいことが続いたヨセフでしたが、聖書では「神様はヨセフと一緒にいて下さった」と何回も言われています。今日のみことばを読みましょう。思いがけない苦しい道を通っているな、と思う時があるでしょうか。そんな時こそ、一緒にいると言って下さる神様を思い出しましょう。神様は私たちのために、デコボコでもう歩けない、と思うような道も、まっすぐにして下さると約束しておられます。神様に信頼して、お約束通り私を守って下さい、とお祈りしましょう。

<祈り>
「神様、私たちと一緒にいて下さることをありがとうございます。自分には辛くてもう無理、と思う時もあります。私たちの道をまっすぐにして、わたしたちが神様の下さる道を元気に歩み通せるようにお助け下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。」

「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。」                          箴言3章6節

<適用>
 今年の1月1日、教会で皆さんと新年礼拝をお捧げしました。そのあと、私たち夫婦は千葉県の九十九里に向けて出発しました。私の叔母が重い病を得ており、訪問出来るのが元日の午後しかない、ということで弾丸訪問を決行しました。叔母と話してお祈りをした後、せっかくだから海を見ていこうと九十九里海岸に向かいました。けれども季節外れの太平洋はシケで、なんだか怖いようでした。その時ふと携帯電話を見て、唖然としました。そこにあったのは「大津波警報発令中。直ちに高台に避難して下さい」という警告でした。正確にはその時間帯に起きた能登半島沖地震により、日本海側に出された警報でした。しかし目の前の太平洋が恐ろしく映り、すぐに帰路につきました。海なし県の埼玉に入るまでは、心が落ち着きませんでした。
 千葉に出向くのは20年ぶり。しかも叔母に伝道と励ましに出向いたこのタイミングで、なんでこんなことが起こるのだろう。被害を受けたわけではありませんが、まかり間違えば被災して戻って来られなかったかもしれません。人が自分の人生をコントロールすることなど、本当は出来ないのだな、と思わされました。
 ヨセフの人生も、思いがけない逆境を次々と経験する、コントロールなどきかないものでした。なんでこんなことが起こるのだろう、神はどうして私をこんな目に合わせるのだろうか、とヨセフも思ったことでしょう。実はこのヨセフの物語は、創世記においてとても重要なものであります。聖書は、信仰の父アブラハムに匹敵するボリュームを割いて、ヨセフの生涯を記しています。
 彼の人生のキーワードは、39章に何度も出てくる「主がヨセフと共におられた」というみことばです。主が共にいて下さる、ということを、3つの点から学んで参りたいと思います。

1.逆境は必ず訪れる

 まず私たちが覚えたいのは、信仰者にも逆境は必ず訪れる、ということです。ヨセフは前回学んだように、兄弟たちに売られて奴隷としてエジプトに連れて行かれました。売買される屈辱、奴隷に落とされる絶望があったでしょう。しかし聖書はこう言います。「主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ」(2)。
 まじめに勤めることを選んだヨセフを、主は見捨てず守っておられました。けれども、エジプトでのヨセフの苦難は40章まで続きます。その最初が今日の箇所です。ポティファルの妻による誘惑が、ヨセフを窮地に陥れるのです(7)。断るヨセフの言葉に注目しましょう。「どうして、そのような大きな悪事をして、神に対して罪を犯すことができるでしょうか」(8)。ヨセフは奴隷生活にあっても、神を恐れて歩むことを忘れていませんでした。正面からあらがえない罪の誘惑には、その場から逃げることで神に従い通しました(12)。その結果、奴隷以下、囚人に落とされ、牢獄で解き明かしをするも2年も忘れられていました。

 信仰を捨てていないのに、むしろ信仰を働かせているのに、ヨセフは苦難が続きます。聖書には私たちは「キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜った」(ピリピ1:29/新改訳第3版)とあります。キリストを信じるならすべてがバラ色で問題のない人生になる、とは聖書は言っていません。信仰に生きる中で苦しみあるということを、知っておく必要があります。
 そんな時、次のみことばを心に留めたいと思います。「それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです」(ローマ5:3~4)。高い高い信仰の高嶺の教えに思えます。忍耐も練られた品性も希望も、神様に与えて頂かなければ私たちの内には無いものです。しかしその無いものが、神様によって与えられるよう祈ることが出来る、というのが私たちの特権です。苦難を通る時、希望にいたるこのみことばの経験をたどることが出来るよう、祈りのうちに備えて参りましょう。

2.共にいて下さる主

 2つめに覚えたいのは、主はどんな時にも私たちと共にいて下さる、ということです。ヨセフはこの時、転落に次ぐ転落の中に置かれていました。その中で聖書は語ります。「しかし主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた」(21)。「主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである」(23)。
 苦難が続くと人は、投げやりになってしまったり、極端な悪事に走ったりすることがあります。しかしヨセフはくさらず信仰に留まり続けました。彼が囚人であることには何も変わりがありません。けれども神の御恵みは去ることなく、ヨセフと共にあったのです。

 この時のヨセフの体験は、神が共にいて下さることと、この世的な繁栄とは必ずしもイコールでないことを教えています。ちょうど、イエス様が父なる神様と親しい交わりにあったにも関わらず、十字架の苦難をお受けになったのと同じです。
 その時に問われるのはなんでしょうか。「共にいる」と語って下さるお方への信頼ではないでしょうか。ヨセフはこの監獄で、献酌官長と料理官長の夢を解き明かすも忘れられてしまいました。2年も放置されたとあります。この放置されたヨセフを支えたのは恐らく、共にあり続けてくれたお方への祈りの生活だったのだろうと思います。神への信頼を、繰り返し自分に言い聞かせたいたかもしれません。私たちもヨセフにならい、共にいて下さる主に信頼しつづけましょう。

3.進む道をまっすぐにされる主

 最後に、主は時が来ると私たちの進む道をまっすぐにされる、ということを見て参りましょう。
 ヨセフが2年ぶりに牢から出された顛末は、先ほど見ました。しかし、この2年はファラオの夢というタイミングに合わされていたことが後からわかります。ここにも神のご計画があったのです。

 この導きの中で、ヨセフはファラオの夢を解き明かし、エジプトの宰相に任命されるというサプライズが起きました。彼の苦難は、神の意地悪でも悪意でもありませんでした。彼を訓練して謙遜な信仰者にし、ヤコブの一族を飢饉による滅亡から救うためでした。「神様どうしてですか?」という問いに、すぐには答えが見えないことも多いでしょう。しかし神のご計画は、最善のうちに大きく動いていくものだと教えられます。今日のみことばにあるように、今いる地点がどんな状況であろうとも、主が共にいて下さることを心に刻みたいと思います。時いたって、主が進む道を必ずまっすぐにして示して下さる約束を、受けとめて参りましょう。

<祈り>
「天の父なる神様、ヨセフと共におられた神様は、私たちとも共にいて下さることを感謝いたします。逆境や苦難を通る時、あなたからの忍耐力と練られた品性、希望に達することが出来ますよう、どうぞお顧み下さい。また、困難の中でも道を外れずあなたの時を待つことが出来ますように。あなたの良きお計らいに信頼いたします。どうぞみ旨を実現させて下さい。御名によってお祈りいたします。アーメン。」