2024年7月7日(日)礼拝説教 マルコの福音書4章35ー41節 「嵐を静めるイエス」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 皆のクラスには、どんなお友だちがいますか。仲の良いお友達がいることだと思います。中には、あまり話はしないけれど、「あの子は、どんな人なのだろうか」と気になるお友だちもいるかもしれませんね。そして時々、「あの子は、あんなことも出来るんだ」という新しい発見をするかもしれません。
 今まで旧約聖書からヨセフさんのことを学びましたが、今日からしばらく新約聖書のイエス様の地上での歩みについて学ぶことにします。今日の箇所は、弟子たちが「イエス様ってどういう方なのだろうか」ととっても不思議に思った出来事を見ることにしましょう。

 ある日、イエス様はガリラヤ湖の岸辺に集まった群衆に向かって、湖に舟を出して、舟の上から神様のことを教えていました。夕方になった時イエス様は、「さあ、向こう岸に渡りましょう」と弟子たちに声をかけました。「はい。分かりました。任せてください。」弟子たちは、元気よく返事をします。イエス様の弟子たちの中には、ガリラヤ湖で魚を捕る漁師をしていた人が4人もいました。だから湖を渡すことはそれほど難しくはありません。ほかにも何隻かの舟もイエス様たちと一緒に出発しました。
 しばらくすると「ビュー! ビュー!」とっても強い風が吹き始めました。そして「ザッブン! ザッブン!」湖は大荒れとなり、舟は波をかぶって水でいっぱいになりました。さぁ、舟の中は水でいっぱいです。どうしたらよいでしょうか?
「バケツでも手でも何でもいいからみんな急いで水を掻き出せ!」「ペテロ、お前は漁師だから嵐にあった経験があるだろう。どうすればいいんだ? このままだと舟が沈んじゃうぞ!」みんな大慌てです。舟を毎日使って漁師の仕事をしていたペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネですが、彼らも経験したことがないような大きな嵐でした。きっと弟子たちは、他の舟にも声をかけて何とか助かるように一生懸命だったことでしょう。

 舟は水浸し、弟子たちは大慌て、弟子の一人がイエス様を見ました。なんとイエス様は、舟の一番後ろで枕をして眠っておられました。ほかの弟子仲間に声をかけてイエス様のところに駆け寄ります。「先生、なんでこんな状態で寝てられるんですか?私たちが死んでも、かまわないのですか。何とかしてくださいよ。」と弟子たちは、イエス様に不満を言ってしまったのです。
 イエス様は、起き上がって大きな声で風をしかりつけて「黙れ、静まれ」と言われました。弟子たちは、びっくりです。何にびっくりしたのかと言うと、イエス様の大きな声にびっくりしたのではありません。弟子たちは、イエス様が風をしかりつけると、自分たちでは何とも出来ず、どうにもならないと思った大風と大波が静かになって収まったことに驚いたのです。今週の聖句を読みましょう。弟子たちの驚きようが分かります。

「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」マルコの福音書4章41

 イエス様は、嵐を静める力をもっておられます。嵐だけではなく、イエス様は、自然界を支配する力を持っているのです。イエス様は、弟子たちに「信仰がないのはどうしたのですか」と言われました。弟子たちは、湖の嵐の中でもイエス様を信じて信頼することが必要でした。
 今日皆に覚えてほしいことがあります。それは、嵐を静め、自然界を支配しておられるイエス様は、今も僕たちと一緒にいてくださるということです。そしてイエス様は、皆の毎日の生活で起こる様々なこともちゃんと助けてくださるということです。イエス様を信じて、信頼して、どんなときにも「イエス様助けてください。守ってください。」とお祈りをして歩みましょう。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様が、嵐を静め自然界のすべてを支配していることを知りました。イエス様は、僕たちといつも一緒にいてくださることも知りました。僕たちは、イエス様の助けが必要です。イエス様、僕たちをいつも守ってください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。―主のことば―。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」          エレミヤ書29章11節

<適用>
 皆さんは、毎朝放送される連続テレビ小説「虎に翼」を観ておられるでしょうか。私は、5月ごろから観るようになりました。日本で初めて弁護士となった女性がモデルとなっているドラマです。6月の放送では、家庭裁判所が立ち上げられるまでが取り上げられました。先週は、一人の男の子の親権を巡って両親がもめるという内容がありました。少年は、何も話そうとしません。しかし主人公は、この少年をじっと見守っていました。そして彼女は、少年の心の思いに寄り添うように考えを巡らせるのです。そのことで少年は、心を開いて自分の思いを話すことが出来ました。今週は、主人公と娘のやり取りがあるようです。彼女は、自分の子どもとどのように向き合い、どのように寄り添うのでしょうか。
 イエス様は、私たちが経験するだろう人生の嵐を静め、私たちの人生に寄り添ってくださるお方です。イエス様とは、どのようなお方なのでしょうか。

Ⅰ;私たちと共におられます

 嵐を静めるイエス様は、私たちと共におられます。そのことをしっかりと覚えておきましょう。
 イエス様は、ガリラヤ湖畔で舟の上から群衆に神の国ことを話しておられました。弟子たちは、イエス様と一緒に舟に乗りイエス様をサポートします。おそらく漁師であったペテロたちを中心に動いていたと思います。夕方になった時、イエス様は、向こう岸に渡ろうと言われます。弟子たちは、イエス様の言葉の通りに舟を漕ぎ出し対岸を目指しました。すると突然の突風が吹き始め、湖は大荒れとなりました。これは、漁師のペテロやアンデレ、ヤコブとヨハネも経験したことがないような大嵐でした。ガリラヤ湖は、標高2800mを超えるヘルモン山を始め、周囲を山で囲まれているすり鉢状の地形をしています。ですから、昼と夜の気温差によって突風が吹くことがあります。しかも突然発生する大風なので、予測不可能となります。ですから弟子たちは、予期せぬ大嵐で命の危険に直面し、緊急対応が求められました。しかも湖の上、あたりは真っ暗でどこにも助けを求めることが出来ない状況でした。

 その時ふとイエス様を見ると船尾で枕をして眠っておられるのです。イエス様は、毎日のお働きのために相当な疲れを覚えておられたということでしょう。でもそれ以上にイエス様は、どのような状況の中にあっても平安で、落ち着いておられたということです。弟子たちは、思わず「先生、私たちが死んでも、かまわないのですか」と不平ともとれる言葉でイエス様に詰め寄ります。それも仕方のないことでしょうか。弟子たちは、懸命に大嵐を乗り切ろうと右往左往しているのですから。でも皆さん、イエス様は、弟子たちと同じ舟の中にいるのです。イエス様は、荒れに荒れている湖の中で大揺れになっている舟の中にいるのです。イエス様は、弟子たちと一緒に大波をかぶって、ずぶ濡れの状態なのです。

 先週まで旧約聖書から、ヤコブの息子ヨセフの人生を見て来ました。ヨセフは、兄弟たちの裏切りによって、突然奴隷として売り飛ばされるという予期せぬ状況になってしまいました。それだけではなくヨセフは、あらぬ疑いをかけられ、囚人として監獄に捕らえられることとなりました。創世記には、ヨセフが奴隷の時も囚人となった時も、「主はヨセフとともにおられた(創世記39:2、21)」と言われています。そうです神様は、ヨセフがどのような状況に置かれても、ヨセフと共にいてくださったのです。

 ガリラヤ湖の大嵐で翻弄される弟子たちに対しても同じです。イエス様は、その場にいるのです。弟子たちは、目の前の嵐への対応のために、イエス様がそこにおられることを忘れてしまったのです。皆さん、イエス様は、私たちの人生の中でいつも共にいてくださいます。私たちは、順風で何の問題もないと感じる時、イエス様が私たちと共におられることを感じることが出来るでしょう。では、私たちが逆風で、人生の大嵐を経験している時、私たちではどうすることも出来ず、どこに助けがあるか分からないような時、イエス様はどこにいるのでしょうか。イエス様は、私たちと一緒になって人生の逆風を受けてくださり、私たちの人生の荒波の中を進んでくださっているのです。皆さん、そのことを信じますか。

Ⅱ;私たちの人生を導きます

 嵐を静めるイエス様は、私たちの人生という大海原を導いてくださるお方です。弟子たちの緊急要請を受けてイエス様は、起き上がりました。そしてイエス様は、風を叱りつけて「黙れ、静まれ」と言われました。これまでの歴史の中で荒れ狂う舟の上で、大風や大波に向かって「黙れ、静まれ」と言った人がいたでしょうか。私たちには、思いつかない言葉です。というか、私たち人間には、言う事が出来ない言葉です。なぜなら自然界に対してそんな力はないからです。私たちは、天候をどうにかすることは出来ません。今は、梅雨の時期ですが、真夏のような暑さが続いています。この暑さの中で、私たちは、もう少し涼しくならないものかと思います。雨が続くと、そろそろ止んでもくれないものかとも思います。温暖化の影響でしょうか、大雨が続き災害が発生することが多くなりました。地震や大雨で被災された方々、地域に神様の慰めと励ましがあるようにと祈ります。

 私たちは、自然の力に対して無力です。けれどもイエス様は、そうではありません。イエス様は、「黙れ、静まれ」の一言で嵐を静めました。何故ならば、イエス様は自然を支配する権威を持っておられるからです。聖書が教える私たちの神様は、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神の三位一体の神様です。三位一体の主なる神様は、天地を創造され全てを支配しているのです。ですから、イエス様は造られた自然を支配する力を持っているという事です。そして嵐を静める権威を示すことでイエス様は、この世界の全てを治める力を持っていることを明らかにされました。

 マルコ3章では、イエス様は片手の萎えた人を癒されたこと、また多くの病人を癒され、悪霊に支配されている人から悪霊を追い出して解放されたことが書かれています。湖を渡って行った先でイエス様は、悪霊を追い出し、病をいやし、会堂管理者の娘を生き返られるという力ある奇跡を行われました(マルコ5章)。このような力あるイエス様のしるしと奇跡に挟まれる形で、嵐を静めるイエス様の奇跡が行われたのです。これは、イエス様が霊の世界、人の歩み、自然界の全てを治める権威を持っているという事を私たちに教えています。
 そしてこの事実は、イエス様が私たちの人生そのものを導いてくださるという事を示しているのです。ガリラヤ湖の荒れ狂う嵐を静めてくださったイエス様は、私たちの人生の嵐をも静めてくださるのです。先ほど、イエス様は私たちと一緒に人生の逆風を受けて下さっていると言いました。イエス様は、私たちの人生で起こる、困難・問題という嵐の中を私たちと一緒に歩んでくださるお方です。

 皆さん、これまでの人生を振り返り、あの時、この時、イエス様が共にいてくださったという経験があるのではないでしょうか。私たちは、聖書の御言葉によって神様の臨在を知ることがあります。様々な出来事を経験する中で、人との出会いに神様の導きを感じ、イエス様が共におられることに気づくこともあります。祈りの中でイエス様の存在を感じて感謝が沸き起こることもあります。
しかしもし私たちが、嵐に翻弄された弟子たちのように、直面する人生の嵐だけを見てしまったら、共にいてくださるイエス様を見失います。私たちは、共にいてくださるイエス様に目を向け、イエス様に全ての問題を打ち明けて祈りましょう。イエス様は、私たちの手を取り、嵐を静め、導いてくださいます。

Ⅲ;平安を与えます

 嵐を静めるイエス様は、私たちの心に平安を与えてくださいます。イエス様が、荒れ狂う風を叱りつけられると、風はやみ、波は静まり凪に(穏やかに)なり、彼らは目的地に向かう事が出来ました。
 この時イエス様は、弟子たちに「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」と言われました。とても厳しい言葉のような感じがしますが、イエス様は、「恐れる必要はないよ。私を信じて信頼しなさい」と語りかけておられるのです。
 では弟子たちは、何を恐れたのでしょうか。弟子たちは、今まで経験したことのない嵐に直面したから恐れたのだと思います。漁師のペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは、ガリラヤ湖の嵐を何度となく経験したことでしょう。今回の嵐は、彼らの経験を超えるほどの想定外の嵐であり、自分たちでは対応できなくて、どうなるのか分からないので恐れたのではないでしょうか。そしてこの恐れ、恐怖心が、イエス様への信仰を曇らせることとなったのです。

 私たちも人生の嵐に直面する時に恐れを抱きます。その恐れはやはり、この先の人生がどうなるのか分からないという不安から来る恐れです。だからこそイエス様は、「恐れることはないよ。わたしが導くから」と声をかけてくださるのです。私たちは、不安になると心が荒れ狂い、先が見えなくなります。イエス様は、私たちの心を静め、凪の状態にしてくださいます。
神様は、「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。―主のことば―。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ(エレミヤ29:11)。」と約束してくださっています。私たちには、分からない将来の事について、神様は良く知っていてくださいます。それは、「平安を与える計画」だと神様は言われます。だから私たちは、神様に全てを任せて、イエス様を信頼して歩むことが出来ます。
 皆さん、嵐を静めるイエス様は、私たちと共にいてくださり、私たちの人生を導き、私たちの心に平安を与えてくださるお方です。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。私たちは、イエス様が荒れ狂うガリラヤ湖の嵐を静められたように、私たちの人生の海の嵐も静めてくださるお方であることを信じます。私たちの人生は、私たちではどうすることも出来ない問題が起こり、不安になり右往左往することがあります。イエス様は、私たちと共にいてくださり、導き、平安を与えてくださる方であります。心から感謝します。イエス様、私たちの心を平安で満たしてください。
 神様、地震や大雨で被災している地域の上に慰めを与え、そこにいる人たちの生活を導いてください。世界に目を向けると多くの問題があります。神様、この世界に平和を与えてください。政治をつかさどるすべてのリーダーたちが、神様を求め正しい政治をすることが出来るように導いてください。
 神様、一人ひとりの今週の歩みを導いてください。暑い日が続きます。体調を崩すことがないように健康を守ってください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」