2024年8月18日(日)礼拝説教 出エジプト記3章1-12節 「叫びは神に届く」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 夏休みも残り2週間となりましたね。暑い日が続いているけれど、今日も一緒に神様を礼拝できることを心から感謝します。先週は、モーセが誕生して、エジプトの王女の子ども(王子)として育てられる所までを聞きましたね。神様は、確かにモーセを守ってくださいました。今日は、その続きを見てみましょう。

 モーセは、川から引き揚げられた時、最初お母さんのもとで暮らすことが出来ました。エジプトの王女様が、モーセを安全に育てるための必要をすべて用意してくれました。だから、お母さんは何不自由なくモーセを育てることが出来ました。モーセが2歳か3歳になったころかな?お母さんは、約束した通りにモーセをエジプトの王女様のところに連れて行きました。こうしてモーセは、エジプトの王子として生活することとなりました。でもモーセは、自分がイスラエル人(ヘブル人)であることを忘れることはありませんでした。モーセは、エジプトの王子としての教育を受けながら、自分がイスラエル人(ヘブル人)であるということをずっと考えていたのです。エジプトの人たちは、イスラエル人たちを奴隷としていて、とってもひどいことをしていたのです。だからきっとモーセは、イスラエルの人たちをエジプトから救う事が出来ないだろうかと考えたと思います。

 そんなある時モーセは、エジプト人が「えーーい、お前はなんで休んでいるんだ。早く歩け、もっと働け!」と言ってイスラエル人を鞭でたたいて痛めつけているのを見つけました。それを目撃してモーセは、怒りが沸き起こってきて、そのイスラエル人を痛めつけて苦しめているエジプト人を殴りつけて死なせてしまいました。なんとモーセは、そのことを誰にも知られないように、地面に埋めてしまったのです。
 翌日のことです。モーセが、また町に出ていくと今度は、イスラエル人同士が争っています。それを見たモーセは、「お前たち、同じイスラエル人同士が喧嘩をしている場合ではないぞ、お互いに苦しい状況なんだから、もっと協力し合うことが大切だろう。」と喧嘩をしている二人の間に入って仲直りをさせようとしました。すると喧嘩をしていた一人が「お前は、昨日エジプト人を殴りつけて殺した奴だろう。お前は、気に食わないからと言って俺たちも殺すつもりか」と言うではありませんか。モーセは、うまく隠したつもりでしたが、すでに皆にバレていたのです。当然モーセのしたことは、エジプトの王様ファラオに知られました。モーセは、すぐにエジプトから逃げ出し、ミディアンの地で羊飼いをしながら反省し、神様からの訓練を受けることとなりました。モーセは、自分にはイスラエルの民を助け出す力があると自己中心に考えてしまい、自分勝手な方法で進もうとしたのです。だからモーセは、失敗してしまいました。

 それから40年後、神様がモーセをエジプトに遣わす時がやって来ました。「あれ~~。柴が燃えているのに、全然燃え尽きないで、燃え続けているぞ、不思議だなぁ、ちょっと見に行こう」モーセが柴に近づいた時、神様が「モーセ、モーセ。」と燃える柴の中からモーセを呼びました。まさかと思うモーセに、神様はエジプトの苦しみから、イスラエルの民を救い出すために「あなたを遣わす」と言われました。これまた、ビックリすることです。「そんなこと出来るわけないじゃないですか。私には出来ません」と言うモーセ。すると神様は、「あなたが持っている杖を地面に投げてみなさい。」と言われました。言われた通にモーセが杖を投げると、なそれが蛇に変わりました。蛇のしっぽをつかむと、それは杖に戻りました。これは、神様の不思議な力あるみわざでした。
 神様は、「わたしはあなたとともにいる」と約束をしてくださいました。こうしてモーセは、エジプトの戻り神様の言葉をイスラエルの民に伝えました。
 僕たちは、何かをするときに自分勝手になり、自分の考えを押し通してしまうことがあるかもしれません。自分の思い通りにならなかったり、失敗することもあるかもしれません。けれども神様は、みんなと一緒にいてくれます。だから僕たちは、神様の御声をしっかりと聞いて、神様に教えていただき、導いていただくことが必要です。神様は、皆に必要な言葉をかけて教えてくださいます。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。モーセは自分の力や考えて進んでいこうとしたときに失敗しました。けれども神様は、モーセに一緒にいるよと声をかけてくださいました。神様は、僕たちともいつも共にいてくださり、助け導いてくださいますから感謝します。神様に従って歩みます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。」         出エジプト記3章12節

<適用>
 8月13日から16日までの中高生(M-J)キャンプのためにお祈りをありがとうございました。キャンプ期間中は、霧や雨の時もありましたが、守られて参加者全員が神様の祝福を受けることが出来ました。小川教会から中高生が2人参加しましたが、神様からの恵みと御言葉を心に留め、信仰の決断を忘れずに歩めるようにお祈りください。
 キャンプでは集会を体育館で行いました。体育館は、宿舎となっているキャンプ場から歩いて5分くらいの所にあります。宿舎のスタッフから、周辺では熊が目撃されているという情報がありました。私たちは、クマ除けスプレーを用意していましたが、ハイキングを中止しました。問題は、約45人の参加者の体育館への移動です。皆で歩いて移動するのですが、キャンプのスタッフから歩き方の注意がありました。一つは、「黙って歩かないこと」二つ目は、「熊を見つけたら『熊だーー』と叫ぶこと」でした。「熊だー」と言う叫び声を聞いたスタッフが駆けつけてクマ除けスプレーを噴射するということでした。クマを目の前にしてスプレーを噴射するのは、スタッフ長である私の役目でした。スプレーを使うことはありませんでしたが、私は、皆の先頭を歩き、時々振り返りながら叫び声を聞いたらいつでも走っていけるようにしていました。
 皆さん、神様は、私たちの叫び、祈りにいつでも耳を傾けて聞いてくださり、答えてくださるお方です。

Ⅰ;知らなかったモーセ

 叫びは神様に届きます。最初モーセは、そのことを知らなかったようです。モーセは、エジプト人を打ち殺してしまったことがファラオに知られると、一目散にエジプトから逃げ出してミディアンの地に行きました(出エジプト2章15節)。モーセは、ミディアンの地でレウエル(イテロ)と言う人のもとに身を寄せ、その娘ツィッポラと結婚しました。そしてモーセは、ミディアンの地で羊飼いの仕事をしながら過ごすのです。実は、ミディアンの地での数十年は、モーセにとって必要な訓練の時となりました。

 使徒の働き7章のステパノの説教からするとモーセは、40年間ミディアンの地で羊飼いをしていました(使徒7章29-30節)。羊は、とても弱い動物ですから羊飼いがしっかりと見守っていないと迷子になってしまいます。羊は、一度迷子になると自分では群れに戻ることが出来ません。ですから、羊に取って羊飼いはとても大切な存在となります。羊飼いとしての仕事は、モーセに群れを導く方法を教えたでしょうし、群れの一匹一匹に目を配るという方法も教えたでしょう。またモーセは、羊飼いをしながら荒野でどのように生活することが出来るのかという知恵を学んだのではないでしょうか。

 そして、何よりもモーセは、ミディアンの地で自分自身の歩みを振り返る時間を過ごしたのではないでしょうか。モーセは、エジプトの王子でありながら自分はイスラエル人であるという自覚がありました。けれども神様に祈り求めることがありませんでした。それは当然といえば当然でしょう。エジプトでは、まことの主なる神様を礼拝することはなかったでしょうし、主なる神様の御心を求めることを教えることもなかったでしょう。だからモーセは、神様が人々の叫びを聞かれること、人々の叫びが神様に届くということを理解していなかったのだと思います。だからモーセは、エジプト人がイスラエル人を打ちたたいている時に自分勝手は方法に出てしまったのです。イスラエル人たちは、誰もモーセのしていることを理解しなかったし、モーセをリーダーと認めることはありませんでした。そんな大失敗をして命からがらエジプトから亡命したモーセは、落胆と失意を抱えているのです。モーセは、エジプトで同胞のイスラエル人が虐待され苦しめられているのを見た時に、何をすればよかったのでしょうか。おそらくモーセは、そのことをずっと考えていたのではないでしょうか。そしてモーセは、ミディアンでの40年間で神様に祈りつつ自分の心の内側の様々な思いを打ち明けていたのではないでしょうか。こうしてモーセは、指導者として神様からの訓練を受け、祈りを通して神様に近づいていたのです。

 私たちは、叫びが神様の届くことを知っているでしょうか。私たちは、モーセと同じように神様に祈ること、神様が祈りを聞き、みわざを行ってくださることを知らないということがあるかもしれません。知っていたとしても、どれほどの信頼を神様に寄せているでしょうか。私たちは、神様に祈りつつ不安になったり、神様に叫びつつ神様は聞いてくださるだろうかと不信仰になることがあるでしょう。そして祈るよりも先に行動してしまって失敗することなどもあるかもしれません。そんな時私たちの心は、力を失い、落胆してしまいました。でも心配する必要はありません。神様は、私たちを取り扱い、再び立ち上がる力をくださいます。

Ⅱ;神様の思いを知るモーセ

 叫びは神様に届きます。モーセは、そのことを知りました。神様は、エジプトにいるイスラエルの民の叫びを聞いてくださいました。モーセがミディアンの地に逃れてから何年も経った時、エジプトの王は死にました。しかし新しい王になってもイスラエルへの苦役はなくなることがありませんでした。そのような奴隷状態が続く中で、イスラエルの民は、主なる神様に叫び、祈り求め続けました。
 するとどうでしょうか。彼らの叫びは「神に届いた」と言われているではありませんか。しかも繰り返し言われています。2章23節「彼らの叫びは神に届いた。」、24節「神は彼らの嘆きを聞き」、3章7節「わたしは、・・・追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた」、9節「今、見よ、イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた」神様は、何度も「聞いた」、「届いた」と言ってくださっているのです。イスラエルの民の叫び、心からの祈り、苦しみの中からの泣き叫びは、天地を造られた主なる神様に届き、神様が聞いてくださるのです。

 そして神様は、モーセに声を掛けました。40年前のモーセは、自分よがりで、神様に祈ることなく、傲慢でした。そのままでは、神様に用いられるという事はありませんでした。だから、誰もモーセのすることを理解しないし、信用することもありませんでした。しかしミディアンの地で取り扱われ、打ち砕かれたモーセは、神様の御声を聞き用いられる準備が出来たのです。その時神様は、モーセにご自身を表わされました。
 モーセが神の山ホレブにやって来た時、この山はシナイ山であると言われています。そこで、モーセは、柴が燃えているのに燃え尽きないという不思議な光景を目にしました。モーセは、吸い込まれるようにこの不思議な現場に近づいて行きます。その時神様は、モーセに声を掛けました。モーセは、神様に言われるままに履物をぬぎひれ伏します(出エジプト記3章4-5節)。この時神様は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とご自身を示しました。これは、アブラハムと祝福の契約を結び、イサク、ヤコブそしてイスラエル民族にその祝福をもたらしてくださる、永遠に生きておられる創造主なる神様という事です。これは、イスラエル人にとって、もちろんモーセにとって重要なことでした。神様は、モーセにイスラエルの現状を聞き、見ていると言ってくださいました。神様は、イスラエルの叫びを聞き、現実を見て、そして具体的に御手を指し伸ばしてくださるのです。こうしてモーセは、人々の叫びが神様に届くことを知りました。同時にモーセは、「イスラエルの民をエジプトから脱出させる」という神様の思いをしることになりました。

 私も中学1年生までは、神様に祈ることについてそれほど真剣に考えることはありませんでした。けれども中学1年の冬に不安なことを経験した私は、聖書を読み祈ることを本気で始めました。すると私は、自分の心が言いようもない平安と感謝で満たされていることを知ったのです。神様は、私の祈りを聞き、問題のただ中にあっても私は安心して神様に委ねることが出来ることを知ったのです。
 皆さん、神様は、イスラエルの民を見ておられました。神様は、今も私たちを見ていてくださっています。という事は、神様はいつでも私たちの叫びを聞き御手を指し伸ばして必要な助けを与える準備が出来ているという事です。私たちは、何か問題があったりすると家族に相談したり、友達に「ちょっと聞いてよ」と相談したり、「もう本当に嫌になる」のように愚痴を聞いてもらったりします。そのことは、私たちの心を少しは楽にするでしょうし、大切なことです。しかし私たちには、もっと確実な方法があります。それは、神様に祈ることです。私たちは、この世界を造り、支配している神様に祈ることが出来るのです。私たちは、私たちを愛し、良いもので満たしてくださる神様に叫び求めることが出来るのです。そして神様は、私たちの叫びを聞いてくださるのです。皆さん、これ程力強い事はありません。今、心に悩みがありますか?助けを必要としていることがあるでしょうか?苦境に立たされているという様な事があるでしょうか。神様に叫び求めましょう。私たちの叫びは神様に届き、神様は聞いていてくださいます。

Ⅲ;召しに答えるモーセ

 私たちの叫びは神様に届きます。モーセは、この素晴らしい事実をしりました。同時にモーセは、イスラエルの民をエジプトから脱出させなければならないという大きな使命を受けました。モーセは、それは出来ませんとしり込みします。それはそうでしょうね。40年前モーセは、イスラエルを救い出そうとして大失敗をしていますから。しかもエジプトの王が死んだとしてもモーセと同世代の人たちは生きているわけです。当然王宮にもイスラエルの民の中にもモーセのことを知っている人たちはたくさんいるのです。エジプトの王子として育ったモーセ、大失敗をしてミディアンに逃げ出したモーセ、誰が指導者として受け入れてくれるのでしょうか。

 神様は、尻込みし、あなたの名前を教えてくださいと懇願するモーセに対して、「わたしは『わたしはある』という者である(出エジプト記3章14節)」と教えてくださいました。これは、永遠に存在し続ける創造主なる神様の臨在を約束した言葉です。それだけではなく神様は、「わたしが、あなたとともにいる(出エジプト記3章12節)」と約束してくださいました。今週の御言葉を一緒に読みましょう。この約束の言葉を得てモーセは、神様の召しに答えて立ち上がることが出来ました。

 私は、ある時教団の聖会の講師のメッセージを聞いていて気づかされたことがありました。それは、神様が御言葉によって約束している事柄は、そのまま信じるべきであるという事です。神様は、モーセにイスラエルの叫びを「聞くかもしれない」とは言わず、「聞いた」と言われました(出エジプト記3章7節)。「民の苦しみを見るかもしれない」とは言わず、「見た」と言われました(9節)。そして神様は、「彼らの痛みを知るかもしれない」と言わず「確かに知っている」と言ってくださいました(7節)。さらに神様は、モーセに「わたしはあなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである」と言っておられるのです(12節)。

 この神様の語り掛けは、そのまま信じるべきことなのです。神様は、私たちの叫び、祈りを聞いてくださいます。神様は、私たちの人生を確かに見ていてくださいます。そして神様は、私たちのことを全て知っていてくださるのです。私たちの叫びは神に届いているのです。そのことを感謝して全てを神様に打ち明けましょう。そして私たちは、神様の御心を行い、神様の御教えに従い、信仰をもって神様に仕えましょう。

 

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、あなたが私たちの声を、叫びを聞いてくださることを感謝します。私たちの叫びは神様に届くことを信じます。神様が、私たちを見ていてくださり、知っていてくださることを信じます。そして神様が、私たちと共にいてくださることを信じます。神様、どうか私たちの歩みを導いてください。
 そして私たちは、神様の御教えを心に留め従います。私たちが神様の栄光を現すことが出来るように導いてください。今週も神様への感謝と喜びをもって歩ませてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」