2024年9月15日(日)礼拝説教 出エジプト記20章1-21節 「十戒 人生の指針」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 小学校では、毎年「交通安全教室」が行われていると思います。その教室では、自転車の乗り方や交通ルールについて勉強します。道路を渡る時は、右を見て左を見て車が来ないか確認をします。そのようにルールがあります。どうして交通ルールを勉強し、それを守る必要があるのでしょうか。それは、僕たちが安全に歩道を歩き、自転車を乗ることが出来るために必要だからです。もし、僕たちが交通ルールを知らなかったり、守らないなら、危険なことになります。
 神様は、モーセを通してイスラエルの人たちが守るべき10の戒めをお与えになりました。それはまた、僕たちにとっても大切な神様の教えです。一つ一つ見る事にしましょう。聖書を読むと「・・・してはならない」と禁止事項が多いと感じるかもしれませんが、今日は、「・・・してはならない」という戒めを「・・・していこう」などの言い方にしたいと思います。
 まず僕たちと神様との関係で大切なことが教えられています。

 第一戒「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。(3)」天地を造られた神様以外を神様としてはいけません。僕たちには、天地を造られた神様がおられます。聖書の神様を信じましょう。
 第二戒「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない、仕えてはならない(4-5)。」神様は、目には目ないけれど、生きておられ、いつでもどこでも僕たちと一緒にいてくださいます。だから石や木などで作られた偽物の神様を礼拝する必要はありません。僕たちは、僕たちを愛してくださる本当の神様を礼拝しましょう。
 第三戒「あなたの神、主のみ名をみだりに口にしてはならない(7)。」神様の名前をふざけて使ってはいけません。僕たちは、神様を心から賛美していきましょう。
 第四戒「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ(8)。」僕たちは、神様を礼拝する日を大切な日として守ることが出来ます。神様は、僕たちの礼拝を喜んでくださいます。
 まずこの4つが、僕たちと神様との大切な関係を教えています。続く6つの戒めは、人との関係で大切な事が教えられています。

 第五戒「あなたの父と母を敬え。(12)」僕たちは、お父さんとお母さんを大切にし、従いましょう。また家族も大切にしましょう。この戒めには、神様の祝福が約束されています。
 第六戒「殺してはならない。(13)」言わなくても分かりますね。僕たちは、自分も他の人も命を大切にしましょう。全ての人が神様によって造られ、愛され、いのちが与えられている大切な存在だからです。
 第七戒「姦淫してはならない。(14)」難しい言葉ですね。結婚相手を大切にするということです。結婚以外の性的な関係をもってはいけないのです。
 第八戒「盗んではならない。」これも言わなくても分かりますね。人のものを取ってはいけません。神様は、僕たちに必要なものを全て与えてくださいますから、「神様ありがとう」と感謝しましょう。
 第九戒「偽りの証言をしてはならない。」嘘をつくことなく、正直に生きていきましょう。
 第十戒「隣人の家を欲してはならない。」これは、「あれが欲しい、これが欲しい」と必要以上に求めないようにという事です。やはり神様は、僕たちに必要な事を知っていてすべて与えてくださいます。

 この他にも神様は、聖書の御言葉を通して教え導いてくださいます。神様は、僕たちが聖書の御言葉を守ることを喜んでくださいます。そして神様は、僕たちを宝物のように守ってくださるのです。神様の御言葉を守っていきましょう。

<祈り>
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様が、モーセを通して大切な戒めとして十戒を与えてくださってありがとうございます。僕たちは、天の神様だけを信じ、礼拝し、従います。また両親を敬い、お友だちを大切にしていきます。神様、僕たちの毎日の歩みを導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「あなたには、わたし以外に、ほかの神々があってはならない。」 
                                 出エジプト記20章3節

<適用>
 先週の西荻チャペルとの合同礼拝とその後の西荻チャペルの洗礼式、感謝な時でした。皆さんのご協力をありがとうございました。洗礼式の前に洗礼を受ける本人には、座るように膝を曲げて頭まで水に浸かるようにするように伝えていました。いざ膝をかがめて水に浸る時、本人が感じているよりも体が水に入らないものなのです。そこで私は、「もう少し膝を曲げて」と言うのですが、本人の耳は水の中にありますから、外からの声は余り聞こえなかったかもしれませんね。洗礼を受けた兄弟は、本当に嬉しそうでした。
 今日の礼拝は、召天者記念礼拝でもあります。午後には、教会の墓地で墓前祈祷会を予定しています。私たちは、信仰の先輩たちの姿を思い、その信仰の姿勢に思いを向けて行きましょう。今は天に召された方々は、どのような祈りをしていたでしょうか。彼らは、どのように主日の礼拝をしていたでしょうか。私たちは、神の家族としてどのような交わりを与えられていたでしょうか。そのような事にも思いを向けながら御言葉に耳を傾けましょう。

Ⅰ;私たちを教えるため

 「十戒」それは、私たちの人生の指針です。神様は、私たちを教え、私たちの人生を豊かなものとするために、モーセを通して十戒を与えてくださいました。
 イスラエルの民は、十戒を守り、主なる神様に従う事が求められました。けれどもそれは、神様からの一方的な命令ではありませんでした。イスラエルの民は、神様への信仰の応答として神様の戒めに従うのです。神様は、イスラエルの民に「わたしは、あなたがたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である(2)」と言われました。神様は、イスラエルの民をエジプトの苦境から救い出してくださったお方です。イスラエルの民は、自分たちを苦境から救い出し、安息を与えてくださった真の神様への感謝の心をもって十戒を聞き、守る必要があるのです。

 また神様は、十戒を与える前に神様ご自身の愛と恵みを語っておられます。神様は、「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た(出エジプト19章4節)。」と言われます。実際にイスラエルの民が鷲の翼に乗ったわけではありません。神様は、鷲の翼に乗って力強く飛び立って進むかのように、イスラエルの民を愛し、守り、導き、支えてくださっているという事です。イスラエルの民は、数々の神様の奇跡のみわざ、神様の愛の御手を経験していました。この神様の恵みへの応答として彼らは、神様の御言葉に聞き、従うことが求められているのです。ここには、まず神様の愛が先行しているのです。そして神様は、御言葉を守る時、イスラエルの民が神様にとって宝となるとも言われました。さらには、祭司の王国、聖なる国民となるとも言われました(出エジプト19章5-6節)。イスラエルの民が神様の愛を感謝し、神様の祝福を喜び、十戒を守り、神様の御言葉に従って歩むならば、神様はさらにイスラエルを愛し、祝福し、特別な存在としてご自身の御手で支えると約束してくださっているのです。

 それは私たちにとっても同じです。神様は、私たちの人生を窮屈にするために十戒を与えているのではありません。神様の御言葉、神様の命令は、私たちの人生を確かな方向に向かわせるためのものです。神様は、私たちが正しいから、罪がないから、愛してくださるのでしょうか。そうではありません。神様は、私たちが神様から離れ、罪を犯し神様の示す道を歩めない罪人だから、救い主イエス様をこの地上に遣わしてくださいました。まず、神様が私たちを愛してくださり、イエス様の十字架による救いと永遠のいのちの約束を与えてくださいました。私たちは、この神様の愛に答えて生きて行くのです。そのために必要なことが聖書の御言葉であり、神様の教えです。神様は、十戒を通して私たちの人生にとって重要な指針を教えてくださっています。この御言葉に従って歩む時、神様は私たちのことを宝物のようにさらに祝福してくださるのです。

Ⅱ;神を愛する人生

 十戒、それは私たちの人生の指針です。十戒で教えられていることは、まず私たちの神様に対する態度がどうあるべきか、と言うことです。先ほど、一つ一つ見ましたが、もう一度振り返りながら学んでいきましょう。
 十戒の中でも重要な事は、第一戒「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない(3)」です。神様は、唯一です。神様は、天地を創造され、すべてを支配しておられます。イスラエルの民は、まずこのことを確認する必要がありました。なぜなら、彼らは、エジプトにいた約400年の間に、エジプトの神々の影響を受け、エジプトの神々を礼拝することさえしていたからです。だから神様は、イスラエルに大切な事として、まことの神様のみを信じることを命じたのです。

 第二戒は「自分のために偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない、仕えてはならない(4-5)」です。神様は霊のお方ですから、人間には見ることは出来ません。そのようなお方を形のある像として作ってはいけないのです。預言者イザヤは、木々を育ててそれで偶像を造るむなしさを指摘しています。「それは人間のために薪となり、人はその一部を取って暖をとり、これを燃やしてパンを焼く。またこれで神を造って拝み、これを偶像に仕立てて、これにひれ伏す(イザヤ44:15)」太陽も月も星も木々も水の中の生き物も陸上の動物など全てのものは、神様によって創造されたものです。神ではありません。本当の神様は、私たちを造り、私たちに命を与え、愛してくださる天地の造り主なる神様だけです。
 第三戒は、「主の御名をみだりに口にしてはならない(7)」です。これは、神様の御名を使って偽りの誓いをしてはいけない、神様の御名をふざけて使ってはいけないということです。もっと積極的に考えれば、私たちは、いつも神様を賛美し、神様に祈り、神様を喜ぶ生き方が出来るということです。

 第四戒は「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」です。それは、神様が6日間で天地を創造し、7日目に休まれ、祝福されたからです。ですから6日間働き、7日目は安息日として仕事を休み、神様のみわざを覚え、神様を礼拝する日として守ることが定められました。ですから天地創造の初めから人は、神様を礼拝して生活するように造られているのです。今私たちは、イエス様が十字架と復活を記念して、日曜日に礼拝を守っています。子の礼拝が私たちの生活の中心となるべきです。
 共に教会生活を送った信仰の方々は、神様を大切にし、神様を礼拝して歩んでいました。そして神様を愛し、仕えていたのではないでしょうか。小久保兄に笠原姉について証しをしていただきましたが、笠原さんが忠実に信仰生活を送っておられたことを聞くことが出来ました。私たちもそのような信仰の姿を模範としつつ、神様を愛し、仕えるために4つの戒めを心に留めましょう。

Ⅲ;人を愛する人生

 十戒、それは私たちの人生の指針です。十戒の後半は、人に対するあるべき態度が教えられています。これは、私たちが人を愛するために心に留めておきたい事柄です。
 人を愛するために最初に心に留めるべきことは、第五戒「あなたの父と母を敬え(12)」です。そしてこの戒めは、「あなたの日々が長く続くようにするため」という約束がセットになっている特別なものです。この戒めは、親と子のそれぞれの責任をも表現しているのではないでしょうか。子どもは、自分を愛し育てている親を心から敬うことが求められます。親は、神様が人を愛するように子どもを愛して育てる責任が与えられているのです。この親子の関係は、私たちと神様との関係にとても重要な意味を持ちます。親への尊敬の思いは、私たちの天の父である神様への畏敬の念となって現れるからです。またこの戒めは、人を大切にするという第六の戒めにつながっていると思います。一番身近な親、家族を敬い、大切に出来ない人は、他の人を敬い、大切にすることが出来ないのではないでしょうか。

 本来なら第六戒の「殺してはならない」は、詳しい説明などいらない戒めです。しかし残念ながら、現代社会の中では忘れられているのではないかと思う時が多くあります。私たちは、「殺してはならない」と学ぶだけでなく、なぜ殺してはいけないのかを知る必要があります。なぜ人は、人を殺してはならないのでしょうか。それは、人が神のかたちに創造され、神様が一人ひとりに命を与え、愛しておられるからです。全ての人が神様にとって、かけがえのない大切な存在だからです。ですから人は、他人でも自分でも命を奪う権利を持っていません。
 イエス様は、この戒めを私たちの心の態度の問題として教えてくださいました。イエス様はこう言われました。「昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』という者は最高法院でさばかれます。『愚か者』という者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。マタイ5:21‐22)。」イエス様は、私たちの心の状態が具体的な行動に現れると言われました。ですから私たちは、自分の心を問題としなければなりません。私たちは、心の底から他の人を大切にしているのでしょうか。自分の心をチェックしましょう。

 私たちが、他の人を大切にし、愛をもって歩むならば、第七戒から第十戒は、当然のことと受けとめることが出来るでしょう。神様は、天地創造の中で人を男と女とに創造し結婚を定められました。そして神様は、結婚が尊重され、聖なるものとして守られるべきであると教えています。もし私たちが、性の欲望のままに快楽を求めるならば、相手を傷つけることになることを覚えておく必要があります。
 他の人を大切にするならば、人のものを盗むことなどしないはずです。この戒めの範囲は、決して「持ち物」だけではなく、相手の時間、相手との約束なども考えに入れる必要があります。
 偽りの証言(嘘)も隣人の家を欲すること(貪欲)も、他者への愛の欠如から生じるものです。

 十戒、それは、私たちの人生の指針です。第一戒から第四戒では、私たちと神様との関係が教えられ、私たちが神様を心から愛し従うことを教えていました。第五戒から第十戒では、私たちの人間関係が教えられていて、私たちが、人を愛する者となることが教えられています。私たちは、神様の愛をどのように表現し、人を愛する事が出来るでしょうか。

<祈り>
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、あなたが、私たちの人生が豊かなものとなり、私たちが神様の祝福の中を歩めるようにと、十戒を与え教えてくださっていることを心から感謝いたしますまず神様が私たちを愛してくださいました。私たちは、この神様の愛に感謝し応答し、主の愛を実践します。神様、御言葉によってさらに私たちを教え、導いてください。
 神様の愛と恵みが、一人ひとりを通して広がり、神様の栄光が現されますようにとお願いいたします。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」