<子どもたちへ>赤松由里子師
11月に入りました。今年もあと2か月、早いですね。今月はイエス様のお話をしていきます。
さて、みんなに質問です。合言葉(あいことば)って聞いたことがありますか?仲間であることをこっそり確認するために、決めておくことばのことです。「山!」と言ったら「川!」と答えると、仲間だとわかる、そういう言葉です。
実は、昔むかしのクリスチャンにも合言葉のようなものがありました。本当の仲間を知るために、言葉でなくお魚の絵を描いたそうです。どうしてお魚だったのでしょう?ギリシャの言葉で、「イエスキリスト・神の・子・救い主」の頭文字をならべると、魚という意味の「イクソス」という言葉になったからだそうです。イエス様を信じてはいけない、と言われていた時代に、この絵を描いて「私はイエス様を信じています」と知らせあったそうです。このことを聖書で最初にはっきり言った人がいます。それが今日のお話に出てくるペテロさんです。この時はまだシモン、と言われていました。
ここはピリポ・カイザリアの町。イエス様とお弟子さんたちが来ています。イエス様は言われました。「世の中の人たちは、私のことを誰だと言っていますか?」弟子たちは答えました。「バプテスマのヨハネが生き返った、と言っています。」「預言者エリヤだという人もいます。」「いや、預言者エレミヤだとも言われています。」どれも、すごい人たちばかりです。イエス様はどう思われたでしょう?「いやあ、結構、けっこう!」と喜んだかな?
イエス様はもっと別のことを聞きたそうです。そうした答えを聞いたあと、お弟子さんたちにおっしゃいました。「あなたたちは、私を誰だと思いますか?」みんな、改めて聞かれるとなんて答えたらいいか、考えてしまいました。するとシモンが進み出ていいました。それが今日のみことばです。「あなたは生ける神の御子、キリストです。」(マタイ16:16)シモンは他の○○さん、××さんではなくて、イエス様は救い主です、と答えたのです。
するとイエス様はとても喜んでペテロにおっしゃいました。「シモン、あなたは幸いです。私が救い主だと教えて下さったのは、天の父なる神様です。それで、私もあなたをペテロと呼びます。あなたの信仰の上に教会を建てます。」ペテロ、というのは「岩」という意味です。この時からシモンはペテロと呼ばれるようになりました。岩のようにしっかりとした堅い信仰を持ち続けてほしい、というイエス様のお気持ちが感じられますね。
イエス様は「イエス様は神の子です。私の救い主です」と、言葉に出してはっきりと言い表すことを喜んで下さいます。罪が赦される道、その人が天国に行けるようになる道は、イエス様を信じることだけだからです。教会とはペテロと同じ信仰を持つ人の集まりです。今日は午後、洗礼式があります。川のお水に入って、「イエス様は私の救い主です」という信仰を、言葉と行動で表す素晴らしい時です。洗礼を受けると、正式に教会のメンバーに加えられます。ここにいるみんなもいつか「イエス様は私の救い主です」と告白して、洗礼を受けてほしいと願っています。そしてその信仰でイエス様に喜んで頂きましょう。一人ひとりの祝福をお祈りしています。
<祈り>
「天の父なる神様。ペテロはイエス様を救い主と信じて告白しました。私たちもさらにイエス様のことを知って、心からイエスさまへの信仰を言い表すことができますようにお導き下さい。そして私たちもイエス様に喜ばれる信仰告白が出来ますように。今日の洗礼式も祝福して下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
<適用>赤松勇二師
私は、小学生や中学生のところ友だちから、「教会では何をしているのか、礼拝ではどんなことをしているのか」「聖書には何が書いてあるのか」などと質問されたことがありました。私は、説明しようとしましたが、うまく伝えられなくて、「教会に来れば分るよ」とか、「聖書を読んでみなよ」と答えていたような気がします。また、私は、高校卒業後、新聞配達をしながら予備校や専門学校に通いました。その時、新聞配達所の先輩たちの中に聖書を読んでいる人がいました。その人は、私がクリスチャンであることを知って、「待ってました」とばかりに難しい質問をして来たのです。その人の質問は、「聖書のこの御言葉の意味はどうなのか、それは今の時代ではどうなのか」等々でした。私は、なかなか答えることが出来ず、「教会に来れば答えてくれる人がいるかもしれないよ」と伝えました。するとその人は、「俺は、勇二に答えてもらいたい。お前が答らえるようになるまで待つ」と言うので、私はさらに困った記憶があります。私は、その人を礼拝や祈祷会に連れて行こうと祈りつつ誘い続けました。半年後にその人は、教会に行き、信仰告白に導かれることとなりました。
皆さんは、神様について、イエス・キリストについて、または聖書について質問されたらなんと答えることが出来るでしょうか。何かを信じると言う事は、その信じていることを何かしらの形で表現することになるのです。それが言葉であったり、音楽であったり、絵画であったり、様々な方法があります。今日の聖書箇所には、短い言葉ですが、的確に表現している言葉があります。それは、「あなたは生ける神の子キリストです」という言葉です。共に見てまいりましょう。
Ⅰ;人々の反応
ペテロは、「生ける神の子キリスト」と信仰告白をしました。しかし、イエス様の時代の人々の反応はどのようなものだったのでしょうか。ある時、イエス様がピリポ・カイザリア地方に行かれた時のことです。イエス様は弟子たちに「人々は人の子(イエス様)を誰だと言っていますか」と質問されました。このイエス様の質問に対して弟子たちは、人々の噂を紹介します。
イエス様が、神のわざ(しるしや奇跡)を行い、人々を教え始められた時から、人々の間ではイエス様について多くの噂が飛び交っていました。人々は、イエス様の力あるわざや権威のある教えを聞き喜びながらも、「一体このイエスという人物は誰なのだろうか」という疑問があったのです。そこで人々は、イエス様について色々と考えるわけです。ある人々は、「バプテスマのヨハネ」だと言っていました。バプテスマのヨハネは、ヘロデ王によって殺されていましたので、バプテスマのヨハネが生き返ったと言うのです。ある人々は「エリヤ」だと言っていました。エリヤは旧約時代の偉大な預言者で、救い主が来られる時にはまずエリヤが来ると預言されていました。「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす(マラキ4:5)」またある人々は、「エレミヤとか、預言者の一人」だと言っていました。人々はイエス様のことを、神様から遣わされた偉大な預言者と考え、誰も旧約聖書で約束された救い主だとは考えることがありませんでした。
現代でも人々は、イエス様のことを、世界の偉人の一人と言います。世界偉人伝と言う本の中に「キリスト」があるくらいです。また、イエスは、十字架につけられた人とか、素晴らしい教えを説いた宗教家と言うでしょう。イエス様の時代でも現代でも人々は、イエス様のことを不思議な力を持ち、人々に影響を与えた偉大な人と受けとめているのです。そしてそれ以上のことは理解しようとしません。自分とは関係のない人物と考えています。人々は、イエス様のことを自分とは関係のないお方としたいのです。けれどもイエス様をどのようなお方と受け止めるかによって私たちの人生は大きく変わります。もし私たちがイエス様を一人の人間と受けとめそのように理解するならば、イエスと言う人は、私たちの人生を根本から変えることは出来なでしょう。ましてや罪の救いを得ることなど出来ません。
けれども私たちが、イエス様のことを「神の子キリスト、救い主」と正しく理解し信じるならば、私たちの人生は180度変えられることとなります。私たちは、イエス様のこの質問に何と答えるでしょうか。
Ⅱ;ペテロの告白
「生ける神の子キリスト」は、ペテロの告白でした。イエス様は、人々の意見を言わせた後で、弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と質問されました。イエス様がまず人々は何と言っていますかと質問したのは、周りの人々の評価が気になったからではありません。イエス様は、「あなたがたは」という質問をするために、まず人々の反応を聞き出したのです。そして、イエス様は、弟子たち自身に自分の言葉で表現させようとしたのです。
イエス様の質問に対してすぐに、ペテロが「あなたは、生ける神の子キリストです」と答えました。この言葉には、「イエス様こそ、全世界を造り支配しておられる神様が遣わされたひとり子、約束の救い主です。」という意味があります。実に素晴らしい信仰の告白です。ペテロは、イエス様と出会い、イエス様から福音の教えを聞き、イエス様の行う数々の不思議としるしを見て、この信仰告白に導かれたのです。
イエス様は、ペテロの答えを非常に喜び、彼に言われました。17節。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明かにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。」ペテロは、自分からこの事実を知ったのではなく、父なる神様の恵みによって信仰告白へと導かれたのです。
パウロは「聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。(Ⅰコリント12:3)」と言っています。人は、聖霊なる神様の導きがなければ、イエス様を罪からの救い主キリストと信じ告白する事が出来ないのです。ですから、皆さんがイエス様を信じた時、皆さんは聖霊なる神様を心に受け、聖霊なる神様の導きによって信仰告白に導かれたことになります。そして実は、教会に通うようになったもの聖霊なる神様の導きがあったという事を忘れてはいけません。皆さんが教会に来るようになったきっかけは、実に様々な要因が重なってのことでしょう。その一つ一つの中に神様の御手のわざがあり、教会に導かれ、今があるという事を覚えて主の御名を賛美しましょう。イエス様は、このような信仰に導かれた人を「幸いな人」と言って祝福してくださいます。
ここでイエス様が弟子たちに質問した場所に注目しましょう。イエス様は、「ピリポ・カイザリアの地方に行かれたとき」弟子たちに質問しました。このピリポ・カイザリアという地域がペテロの告白を際立たせています。ピリポ・カイザリアは、イエス様お生まれになった時、赤子のイエス様の命を狙ったヘロデ大王がローマ皇帝から与えられた地域です。そしてその息子ピリポが、ローマ皇帝カイザルに敬意を表してつけた町の名前です。そしてこの町には、皇帝崇拝のための神殿があり、この当時、「主(キリスト)」と言えば、ローマ皇帝を意味していました。このように皇帝崇拝が盛んに行われている地域で、イエス様は「わたしを誰だと言いますか?」と弟子たちに質問したのです。
またピリポ・カイザリアは、皇帝崇拝のための神殿だけではなく、ギリシャの神々、バアルの神など偶像礼拝のための神殿があり、偶像が満ち溢れている地域でもありました。この時イエス様は、ユダヤ人たちの反感が色濃くなっているユダヤ地方から離れることにしたのだと思います。でもイエス様は、あえて偶像が溢れ、人々が天地創造のまことの神様に背を向けている地域に来られたのです。それは、弟子たちの信仰を試すためでもありました。
そしてこのイエス様の質問は、異教の地、日本にいる私たちにとって重要な質問でもあります。日本は、八百万の神と言われるくらい多くの神々と言われる偶像が溢れています。そして多くの日本人は、シーズンごとに仏教、神道、キリスト教を使い分けている様子が見られます。シーズンごとと言ったのは、年始には初詣、仕事始めでは神棚、お盆でお寺、お祭りでは神社、そして教会に行かないけれどクリスマスを祝うと言うような年中行事のようになっているからです。それだけではなく、人々は運勢占いに支配されているようです。毎日、ラジオでもテレビでも「今日の運勢」といって情報を流しています。私たちは、偶像に取り囲まれ、人々の心を虜にする偽りの情報が溢れている社会に生きています。そのような中にある私たちにイエス様は、「あなたは、わたしを誰だと言いますか」と質問しておられます。私たちは、この日本と言う場所で、イエス様の質問に何と答えるでしょうか。
私たちは、自分の心を満たすために、平安を得るために右往左往する必要はありません。私たちには、この世界を造り私たちを愛し導いてくださる神様がおられます。そして私たちの罪を赦し平安を与えると約束してくださる救い主イエス様がおられるのです。あなたにとって、イエス様と言うお方は、どのようなお方なのでしょうか。私たちは聖霊の導きをいただいて、毎日信仰を新たにして、「イエス様こそ、生ける神の御子、私の救い主です。私は、あなたを信じます。」と答えて歩みましょう。
Ⅲ;教会の土台
「あなたは生ける神の子キリストです」という信仰こそ教会の土台です。イエス様は、ペテロに「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」と言われました。「ペテロ(πετροs)」という名前は、イエス様から頂いた名前で、石という意味です。18節の「この岩」という言葉は、「ペトラ(πετρα)」という言葉で「岩、岩盤」という意味があります。イエス様は、この岩、すなわちイエス様を救い主と信じる信仰の上にご自身の教会を建てると言われたのです。教会の土台はイエス様ご自身です。教会は、イエス様を救い主と信じ告白する人々の集まりのことなのです。立派な建物があっても、信仰を告白する人がいなければ教会ではありません。たとえ建物がなくても、信仰を告白するクリスチャンが集まる所は教会なのです。
今日の午後には、洗礼式を行います。イエス様を救い主と信じて、その信仰を公に表明する大切な式です。皆さん、洗礼を受ける者の信仰が続いて守られ、主によって豊かに成長することが出来るように祈りましょう。また、すでに洗礼を受けている方々は、洗礼式での誓約の言葉を自分自身の告白として信仰を新たにする機会としていただきたいと願います。
イエス様は、「よみ(ハデス)の門(死の力)も打ち勝てない」と言われました。イエス様を中心とする教会は、罪による死の力を打ち破る十字架の勝利の力に満ち溢れたところなのです。私たちは、個人的に告白すると同時に、一つの群れ(教会)として信仰告白をしていくことが大切です。その意味では、毎週の礼拝で告白する使徒信条は、とても大切な信仰告白という事になります。
最後に、イエス様はペテロに天の御国のかぎを与えました。これは福音の宣教のことです。ペテロをはじめ全てのクリスチャンには福音の宣教というかぎが与えられています。そして福音が語られた時、信じる人には天の御国への戸が開かれ、信じない人には天の戸は閉ざされることになるのです。私たちは多くの人に対して、天の御国への戸を開く宣教をしていきましょう。そのためにこそ、私たちは、日々「あなたは生ける神の子キリストです」と告白して歩みましょう。
神であられるのに人となってお生まれくださったイエス様こそ、生けるまことの神の御子です。私たちの罪が赦されるために十字架にかかり死なれ、三日目によみがえって今も生きておられるイエス様こそ、私たちの救い主キリストです。今も生きておられるイエス様は、私たちと共にいてくださり、魂に平安を与え、常に導いてくださります。イエス様こそ、生ける神の子キリスト救い主です。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様は、私たちを愛し、私たちの罪を赦してくださる救い主です。私たちは、イエス様を信じます。イエス様、私たちの罪をお赦しください。私たちは、ペテロが告白したように、『イエス様こそ私の救い主です。』と告白して歩みます。神様、私たち一人ひとりの信仰を導き、成長させてください。
また、イエス様のことを証し、福音を伝えることが出来るように力を与えてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」