2025年2月2日(日)礼拝説教 士師記6章11-24節 「主の励ましを受けて」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 学校での運動会やマラソン大会の時のクラスのお友だちの応援って嬉しいですよね。「頑張れー、大丈夫だよ。あともう少し」など応援してくれる声が聞こえると、なんか力が湧いてくることがあります。
 今日は、神様から応援を受けた人の話しです。その人の名前はギデオンです。聞いたことがあるかな?

 ギデオンが生きていた時代、イスラエルの国はとても大変な状況になっていました。「あー、怖いな。いつミディアン人が襲ってくるか分からないからな。あまり音をたてないように作業しなくっちゃ。ミディアン人に見つかったら取られちゃうからな。」ギデオンは、こそこそ隠れながら収穫した小麦を打っています。イスラエルの国は、神様の御言葉に聞き従うことがなく神様を求めることが無い状態が続くことがありました。すると神様は、外国の人たちを使ってイスラエルの人々を苦しめることがありました。それは、神様の御言葉を思い出させるためです。ギデオンが生きていた時代、イスラエルの人たちは神様から離れ、神様を求めることも神様に礼拝をささげることもしていませんでした。かえって、神様ではない偶像を礼拝するようなことをしていたのです。そこで神様は、ミディアン人や周囲の国々によってイスラエルをさばいていました。ミディアン人たちは、イスラエルの国にたくさんの作物が取れる時期に押しかけて来てすべてを奪いつくして行くのです。ギデオンは、そんなミディアン人たちから隠れて、「あーだれか、この苦しい状況から救い出してくれる人が現れないかなぁ」とため息をつきながら作業しなければなりませんでした。

 そんなある日、ギデオンの所に主の使いが現れました。主の使いは「ギデオン、神様があなたと一緒にいてくださいます。誰かがと言っているのではなく、あなたがイスラエルを救い出すのです」と言います。「え~~💦そんなことを出来るだけないじゃないですか。僕にはそんな力はないし、だれも協力なんかしてくれませんよ。」ギデオンはびっくりです。でも主の使いは、ギデオンに「主なる神様があなたに力を与えてくれます。主なる神様があなたといつも一緒にいます。だから大丈夫です。」と言って励ましてくれました。

 ギデオンは、神様からの応援を受けて立ち上がる力を与えられました。そして神様は、協力する人たちも与えてくださいました。ミディアン人をはじめ周囲の国々から大勢の人たちがイスラエルに攻め込んできた時、ギデオンは戦うために人々を集めました。すると3万2千人の人たちが集まって来ました。対するミディアン人の連合軍は、その4倍以上いるので、まだまだ少ないのです。けれども神様は、イスラエル人は多いと言います。ギデオンは、「せっかく集まってくれたけれども、戦いが怖いと思う人はかえっていいですよ」と声を掛けました。2万2千人の人たちが帰ってしまい、残ったのは1万人です。「あれ~、1万人になっちゃった。」ギデオンは少々不安になります。「ギデオン、イスラエルの人はまだ多い」と神様が言います。「えっマジですか?」ギデオンの心の声が聞こえてきそうですね。神様は、水の飲み方でテストをしました。どんな飲み方をしている人が選ばれたのでしょうか。
 ギデオンが水分補給のために水のあるところに皆を連れて行きました。ここで飲み方が分かれたのです。ある人は、両手両足を地面につけて顔を水に近づけて水を飲みました。ある人は、手で水をすくい少しずつ水を飲みます。神様は手で水をすくって飲んだ人を選ばれました。すると残った人は、300人となりました。これでどうやって戦うことが出来るのでしょうか。

 そこには神様の計画がありました。神様は、「立って、攻めていきなさい」とギデオンを励ましました。神様の作戦は、真夜中の奇襲攻撃でした。イスラエルの人たちは、ミディアン人の基地を取り囲んで、手に持っていていた壺をガシャーンと割り、たいまつを持ちながら、角笛を吹き鳴らして「主のため、ギデオンのための剣」と大声で叫び続けました。突然の壺が割れる騒音と300人の叫び声と取り囲む火は、何万人にも思えたことでしょう。ミディアン人たちの基地は大混乱、彼らは逃げて行き、ギデオンは300人で勝利することが出来たのです。こうしてギデオンは、神様からの励まし、応援を受けて力を与えられイスラエルを導くことが出来ました。
 神様は、ギデオンを励まし応援したように、僕たちのことも励まし、応援してくれます。皆は、あと数か月で新年度を迎え、新しい学年にあがります。クラス替えがあるかもしれないし、不安なこともあると思います。でも僕たちは、大丈夫です。神様が、皆の事をいつも応援してくれるし、聖書の御言葉によって励ましてくれます。神様を信じて、神様から力をいただいて歩みましょう。今週の御言葉を一緒に読みましょう。「『力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。』」士師記6章12節

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、ギデオンを励まし、応援してくださいました。神様は、今も僕たちを励まし、応援し力づけてくださることを感謝いたします。僕たちは、神様がいつもともにいてくださることを信じます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」     士師記6章12節

<適用>
 私は、昨年末に初めてプロバスケットボール(Bリーグ)の試合を観戦する機会が与えられました。私の友だちがチケットを手配してくれて、友だちと私と長男の3人で観て来ました。その時の試合は、群馬のチームと東京のチームとの試合でした。試合会場は、群馬のチームが持っているスタジアムです。ですから、会場に集まった8割くらいの人たちは、群馬のチームを応援している人たちだったような気がします(個人的な感想です)。東京のチームのほうが強いということでしたが、試合が始まってみると群馬のチームへの声援が大きくて会場が一体となり選手を盛り上げていました。試合の流れは、群馬のチームのペースで進んでいましたが、途中で逆転されそうになりました。しかしその時こそ応援の力が必要です。声援は一層大きくなり、選手たちも声援に後押しされて実力を十分発揮することが出来たのでしょう、勝利をおさめました。私は、地元のチームを応援するファンの力が勝利を呼び寄せたと思います。
 励ましや応援の言葉は、人の心を勇気づけ力づけることとなります。ギデオンは、主の励ましを受けてリーダーとして立ち上がることが出来ました。

Ⅰ;主が共にいるという励まし

 ギデオンは、主が共にいるという励ましを受けて力を与えられました。しかし最初ギデオンは、神様の励ましの言葉を受け入れることも認めることも出来ませんでした。主の使いの言葉を聞いた時のギデオンの答えからその様子を知ることが出来ます。
 主の使いは言います。「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる」と。ギデオンは答えます。それが、13節です。ギデオンは、「主が共におられるなんてことをどうして信じることが出来るのでしょうか。その昔、神様は力ある御腕でイスラエルの民をエジプトから脱出させ、荒野を導き約束の地に入れてくださったと聞いています。その神様のみわざはどこにいってしまったのですか。自分たちがミディアンに苦しめられているのに、神様は何もしてくれないじゃないですか。」と一気に不満を爆発させました。恐らくギデオンは、どうしてイスラエルはミディアンに苦しめられなくてはいけないのだろうか。どうして自分たちは、ミディアンの連合軍の侵略を恐れながら生活しなければならないのだろうか、とずっと考えていたのだと思います。

 ギデオンの生きていた時代(士師記の時代)、イスラエルの民は、「背信の罪と堕落→神様の裁き→イスラエルの叫び→神様の助け(士師による救い)」というサイクルをくり返していました。イスラエルの民は、モーセの後継者であったヨシュアが生きていた時やヨシュアを知っている人たちが生きている間は、主に仕えました。しかしヨシュアを直接知らない世代になると彼らは、「主なる神様」を忘れ神様から離れて偶像礼拝に向かっていったのです(士師記2:10-11)。ギデオンの時代もそのようなスタートとなりました(士師記6:1)。その結果、主は7年の間、彼らをミディアンの手に渡されました。
 ミディアン人の連合軍は、イスラエルを滅ぼそうとするのではなく毎年、収穫の時期になるとやって来ては荒らし、すべてを奪い尽くすと出て行くのです。そしてミディアンの連合軍は、次の年の収穫時期に再びやって来ては全てを奪うのです。イスラエルの民は、土地を荒らされた後苦労して作物を育てました。ミディアンによる侵略、懸命な復興作業、やっと落ち着いた時の再びの侵略という繰り返しによってイスラエルの国全体が弱って行きました。この苦しみの連続の中でイスラエルの民は、神様による救いを叫び求めました。しかし人々は主に叫びつつも、その心には、どうして神様はこのような状況を赦しておられるのだろうかという不満が渦巻いていた事でしょう。少なくともギデオンの心には、そのような思いで溢れていたのです。 

 その思いが13節のような不満となっていました。主の使いは、ギデオンの言葉を受け止めつつ、さらに「あなたのその力で行きなさい。わたしがあなたを遣わすのです」と励ましの言葉を語ります。それでもギデオンは、自分はそんな力はないし、それは不可能ですと答えます。ギデオンは、心が相当疲れていて、夢も希望も持つことが出来ないで、力なくうなだれるしかない状態でした。
 私たちもギデオンと同じで、問題が連続して起こるとどうしてこんなことがと考えてしまいます。私たちは、時として「踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂」のような経験をするものです。物事が上手く運んでいない時、私たちは、上手くいっている人々を見てはうらやましく思い、自分が取り残されたように感じるものです。

 私は、高3の時の大学受験で受験した学校を全て落ちました。一浪して再度挑戦をして全て落ちました。さすがに、2回目は「自分は一生懸命やって来たのに、どうしてなのだろうか」と落ち込みました。その後専門学校への道が開かれて行きました。私は、教団の伝道師から補教師になる時も一度不合格となりました。私は、神様を信じる事をやる事はないし、献身の思いがなくなることはありませんでしたが、どうしてこんな苦労をしなければならないのだろうかと神様に訴えたことを覚えています。その他にも様々なことがありました。そのような経験の中で私は、「主が共におられる」という神様の語り掛けを聞くことが出来ました。神様は、私が失敗しても成功しても、私がどんな道を通ったとしても、いつも私と共にいてくださったのです。神様が分からなくなった時、実は、私の心の目が神様からそれていたことも分かりました。

 ギデオンは、神様の励ましを受けて、心が神様に方向転換をすることが出来ました。神様は、何度も「わたしはあなたとともにいる」と言い続けてくださいました。これは、今も私たちにかけられている神様の励ましの言葉です。今、私たちも「主は私たちと共におられる」という事実に目を向ける必要があるのではないでしょうか。神様は、私たちが順調な時も、逆境だと思える時でも、いつでも共にいてくださるのです。

Ⅱ;主による平安

 ギデオンは、主なる神様からの平安を与えられて立ち上がることが出来ました。主なる神様が共にいてくださり、神様が力を与えてくださるという励ましで顔をあげることが出来たギデオンでしたが、すぐには立ち上がることが出来ませんでした。目の前の人が主の使いではなく、ミディアン人で自分を騙すために来たのではないかと思ったのでしょうか。この時のイスラエルの状態を考えると、誰を信じてよいのか分からない、疑心暗鬼になっても仕方のないことです。そこでギデオンは、目の前の人がほんとうに主の使いなのかどうか知りたいのでしるしを見せて欲しいと切り出しました。そしてギデオンは、子やぎを料理し、種なしパンを作って持ってきました。ギデオンは、言われるままにそれを岩の上に置き、その上に肉汁を注ぎました。主の使いが持っていた杖で肉とパンに触れると、岩から火が出てすべてを焼き尽くしてしまいました。ギデオンが、驚いていると、主の使いは見えなくなりました。これで、話していた人が主の使いであることが分かりました。

 途端にギデオンは、「顔と顔を合わせて主の使いを見てしまった」と恐ろしくなりました。当時は、主を見た者は死んでしまうという伝説があったからです。しかし神様は、ギデオンに「安心せよ。恐れるな。あなたは死なない」と声をかけてくださったのです。ここでもギデオンは、主の励ましを経験することとなります。そして祭壇を築いて「アドナイ・シャロム(主は平安)と言って神様を礼拝しました。
 ギデオンは、神様の平安に包まれて主の御言葉に耳を傾けることが出来るようになっていきます。最初に取り掛かったのは、自分の家にある偶像を壊すことでした。驚いたことに、イスラエルの中に堂々と偶像が作られ、主なる神様ではなく、偶像に礼拝がささげられていたのです。そして、イスラエルの中ではこのような間違いを誰も指摘することはありませんでした。ギデオンは、神様の励ましを受けて立ち上がり、自分の家の宗教改革をすることが出来ました。

 こうしてギデオンは、勇士として士師として、イスラエルを導くことが出来るかのように思えました。でもギデオンの心の準備はまだ出来ていませんでした。彼の不安は完全には取り去られていませんでした。ミディアンの連合軍が攻めてきた時、ギデオンは不安になり自信を失いかけました。そしてギデオンは、「もしあなたが言われたとおり、私の手によってイスラエルを救おうとされるなら」と神様にしるしを求めました。そのしるしと言うのは、羊の毛を用いたものです(士師記7:36-40)。ギデオンは、外に置いた羊の毛だけに夜露が降りるようにして他は乾いているようにしてほしいというものでした。
 夜露は、その場所全体を濡らします。外に出したタオルだけ濡れていて他が乾いていることはあり得ないことです。夜露は、外にあるすべてのものを覆い尽くして濡らします。ですから羊の毛だけを夜露で濡らすことは、主なる神様以外に出来ません。翌朝ギデオンが外に出てみると、羊の毛だけが濡れていました(37‐38)。神様が、ギデオンを用いてくださることがこれで分かりました。しかしギデオンはまだ不安です。ギデオンは、再度神様にしるしを求めました。今度は、逆に羊の毛だけが乾いているようにしてほしいというのです。なんとも大胆な求めです。神様は、ギデオンが求めた通り、羊の毛だけが乾いているようにされたのです(39‐40)。

 主の使いは、ギデオンに対して「勇士よ」と呼びかけました。けれどもギデオンは、決して勇敢な人ではなく、「勇士」と言われるような人物でもありませんでした。ギデオン自身、そのことを自覚していました(士師記6:15)。彼は、気が弱く不安で押しつぶされそうな状態でした。だからギデオンは、目の前の人が主の使いである証拠を求めたのです。そして実際にミディアンの連合軍と戦う前に、本当に神様が共にいて、勝利を与えてくださるのか不安になりしるしを求めたのです。神様は、ギデオンを忍耐強く導かれ、励まし、彼の心に平安を与えてくださったのです。神様は、300人での作戦決行の前にもギデオンをミディアンの陣営に偵察に出し、そこで勝利を確信させる話を聞かせるのです。ギデオンは、いつも神様からの平安を求めていた人だったと言えるかもしれません。それは神様の平安こそ何にも代えられない恵みであり力であると知っていたからです。

 私たちは、ギデオンと共に「アドナイ・シャロム」、「主は平安」と告白して歩みましょう。私たちには、実際に不安なことがたくさんあります。私たちには、明日のことは誰にもわかりません。私たちにとって、不安要素を上げれば限りなく出て来るのではないでしょうか。私たちは、「平安」「安らぎ」をどこに求めますか。ある人は、物に求めるかも知れません。沢山の物に囲まれていると安心出来ると言う人がいます。又ある人は、一時的な快楽、娯楽に求めるかも知れません。お金によって平安を得られると考える人もいるでしょう。けれどもそれらのものは、一時的なものでしかありません。私たちは、この事実を知っているから余計、不安になるのはないでしょうか。私たちの心に本当の平安を与えるのは、私たちを愛し、いつも共にいると約束してくださる神様だけです。

 イエス様は、「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。(ヨハネ14:27)」、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあってあなたがたは苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。(ヨハネ16:33)」と言っておられます。イエス様は、十字架の勝利による平安、神様の愛と罪の赦しによる平安を与えてくださるのです。私たちは、神様からの平安に満たされた人生を送ることが出来ます。
 だから私たちは、人生のあらゆる場面で「アドナイ・シャロム」と感謝の祭壇を築き、祈りをささげつつ歩むことが出来ます。神様は、あなたと共にいると声をかけてくださり、私たちに平安を与えてくださいます。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、私たちに『わたしはあなたとともにいる』と声をかけ励ましてくだいます。私たちは、この神様の励ましを信じ感謝します。神様、私たちはいつも『アドナイ・シャロム(主は平安)』と感謝の告白をして歩みます。神様、一人ひとりの歩みを確かに導き祝福を注ぎ、平安で満たしてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」