<子どもたちへ>
今日は教会の大切な記念日のひとつです。ペンテコステ、という日です。何の日でしょうか?実は、2000年以上も前に、教会が始まった日です。先週までは神さまの国のお話でしたが、今日からは世界で最初の教会のお話をしていきます。
イエス様は、死んでよみがえったあと、何度もお弟子さんのところに来てくれました。そしてこう言われました。「わたしは天の神様のもとに帰ります。でもその後あなたたちを助けるお方、聖霊を送ります。聖霊が来るまで、あなたたちはお祈りして待っていなさい。」そう言って、天にのぼって行ったのでした。
イエス様が天にのぼってから、10日がたちました。この日はとても大切なお祭りで、エルサレムにはたくさんの人々が集まって来ています。お祭りと言っても遊びではなくて、神様を礼拝しに来ていたのです。
お弟子さんたちはいつものように集まって、お祈りをしていました。イエス様の言った通りエルサレムを離れないで、聖霊が下るのを待っていたのです。すると…どうでしょう、突然ビューッ!、ゴーッ!と強い風が吹くような音が聞こえました。台風か大嵐か、家じゅうがガタガタと響いて震えました。びっくりして顔を見合わせると、なんと炎のような分かれた舌が現れて、弟子たち一人ひとりの上にとどまったではありませんか。聖霊の神様が来られたのです。
弟子たちは、今まで習ったことのない外国のことばで話し始めました。どんな言葉だったかと言えば、エジプト語にアラビア語、ギリシャ語などなど、礼拝に来ていた人たちの国のことばだったのです。話したのは、神様の大きな恵みについてでした。
物音を聞いて、大勢の人々が集まってきました。「あっ!あれは私の国の言葉だ」「僕の国の言葉をすらすらしゃべっているぞ」とみんなびっくりです。でも中には「ふん、あいつら酔っぱらっているだけさ」とばかにする人もいました。
そこでペテロが立ち上がり、大声で言いました。「皆さん、今は朝ですから、私たちは酔っぱらってはいません。皆さんが十字架にかけたイエス様は、よみがえられました。私たちはそのことの証人です。どうか救い主イエス様を信じて下さい!そうすれば皆さんもこのように聖霊が与えられます。」ペテロは堂々とみんなに説明しました。
このお話を聞いて、3000人もの人がイエス様を信じて、バプテスマを受けました。この人たちはペテロさんたちの教えを良く守って、お祈りと賛美などをしていました。お互いに助けあって過ごしていたので、周りの人たちからも好かれたそうです。信じる人はますます増えて行きました。こうして世界で最初の教会が生まれました。
今日のみことばを読みましょう。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(使徒の働き2:38)
皆さん、ペンテコステの日に信じた人たちのように、イエス様を信じて罪を赦して頂きましょう。そしていつかバプテスマを受けることを願っています。聖霊は今も、イエス様を信じる人たちのところに来てくれます。うれしいですね。その助けを一人ひとりが受け取って、神様に喜ばれる歩みに導かれますように。
<祈り>
「神様、イエス様が約束された聖霊が来られたことを学びました。罪を悔い改めてイエスさまを信じる人には、今も聖霊様が来て下さることを感謝します。私にも罪の赦しと平安な心、生きる力をお与え下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。」
「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」
使徒の働き2章38節
<適用>
皆さんはご家族や周りの方に、何かプレゼントをする習慣があるでしょうか。我が家では主に親から子へ、クリスマスや誕生日などにプレゼントを用意してきました。本人がリクエストしたものを用意する、ということがほとんどです。
翻ってイギリス王室のロイヤルファミリーには、興味深い習慣があると紹介されていましたので、ご紹介いたします。彼らは毎年クリスマスイブにクリスマスプレゼントを贈り合うのですが、1つルールがあるそうです。それは「安くて面白い物を贈る」というルールだそうです。
例えばアン王女が兄のチャールズ皇太子(現国王)に贈ったのは、「革製の便座」でした。しかも白だそうです。チャールズ皇太子は大喜びしたそうです。また、ヘンリー王子がエリザベス女王に贈ったのはシャワーキャップ。「人生なんてしょうもないよね」と書かれていたそうで、女王はこのプレゼントを気に入っていたそうです。恐らく彼らは、お互いのユーモアのセンスを楽しんでいたのでしょう。
リクエストしたものを手にするプレゼントと、思いもかけないユーモアを楽しむプレゼント。その両方に良い所があるのだと思います。そして心のこもった贈り物は人と人との潤滑油の役割を果たしてくれます。
本日はペンテコステ(聖霊降臨日)ですが、この日は神様が私たちのために、素晴らしいプレゼントを贈って下さった日でもあります。神様からの賜物としての聖霊の降臨を、ご一緒に学んで参りたいと願います。
1.驚くべき賜物
第一に覚えたいのは、神の驚くべき賜物(贈り物)としての聖霊降臨です。
先ほど見た通り、炎のような分かれた舌が現れ、聖霊に満たされた弟子たちが異言を語るという出来事がおこりました。イエス様の約束しておられた聖霊なる神が下ってこられたのです。
イエス様はこう言っておられました。「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。…この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。」(ヨハネ14:16-17)。
イエス様が天に帰られた後も「もう一人の助け主」を遣わすのが神様からのプレゼントだというのです。
これが人間のリクエストによるのでないのは明白です。私たちには思い浮かびもしないことです。しかし神様は私たちに必要だとご存知で、この驚くようなプレゼントを用意して下さったのです。
ペンテコステの日、ペテロは聖霊に力づけられ、イエス様を十字架においやった群衆にメッセージを語りました。それを聞いて心を刺された人たちに語られたのが、今日のみ言葉です。もう一度お読みしましょう。
「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(使徒の働き2:38)。
罪の赦しという最大の賜物に加えて、聖霊というもう一人の助け主を頂けるという驚くほどの恵みです。バプテスマを受けたらもう一人前、一人でしっかり成長しなさい、ではないのです。長い人生の旅路において、聖霊が同伴して下さいます。私たちの思いを超えて働かれる聖霊の神に期待して歩んでいきましょう。
2.皆に注がれる聖霊
2つ目に見たいことは、召された者皆に分け隔てなく聖霊が注がれる、という恵みです。ペテロは説教の中で、ペンテコステの朝起きたことはヨエル書の成就であると語りました。17~18節「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する」。聖霊を受けるのに、世代の差も性別も関係ないと言われています。
ペテロはこう言いました。39節「この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです」。この幅広さには本当に驚かされます。アブラハム、モーセ、エリヤ、あるいはバーネット先生、羽鳥明先生、そうした人に限るとは言われていないのです。牧師に限るとか、信仰歴〇年以上とか、そのような条件はありません。むしろ、「主が召される人ならだれにでも」とペテロは言いました。聖霊を受ける唯一の条件は、悔い改めてイエスキリストを信じることです。
このメッセージは誰に向けて語られたのでしょうか。ポンテオ・ピラトに向かって「十字架だ、十字架につけろ」と叫んだ群衆がこのメッセージを聞いたユダヤ人たちだと思われます。だから彼らは「あなた方はイエスを十字架につけた」と言われて心を刺されたのです。神の御子を処刑へと追い込んだ彼らであっても、悔い改めてイエス様を信じるなら、分け隔てなく聖霊を受けるというのです。この驚くべき寛容さが、罪人を愛し憐れんで下さる神様の恵みなのです。
私たちは誰一人罪のない者はおりません。罪ある自分には聖霊を頂く資格などない、と思ってしまうことがあるかもしれません。しかし、ペテロはこの恵みは「約束として与えられている」と言いました。神様の約束ですから、聖霊を受け、満たされ続けることを諦めなくてよいのです。信仰を働かせて、神様に聖霊の満たしを求めていこうではありませんか。
3.教会を生み出す聖霊
3つ目に見たいのは、教会を生み出された聖霊の働きです。聖霊降臨の直接的な結果は教会の誕生でした。あるいは、見方を変えれば教会の誕生は聖霊降臨の目的だったのかもしれません。41節「彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた」。朝の9時からとはいえ、1日で三千人にどうバプテスマを授けたのでしょうか。(何時ごろ終わったのだろうか。使徒たちで一人250人ずつ受け持ったのだろうか、などと想像してしまいます。)
彼らの様子が記されています。42節「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた」。信者とされた者たちは、共にみことばを学び、聖餐式を行い、交わりと祈りを共にしていきました。まさに教会の姿がそこにあります。44節からには、彼らが共同体として互いに支え合ったことがわかります。生活と財産を共にする在り様はその後変化していきましたが、注目すべき特徴が記されています。それは、「一つになって」ということです。「心を一つにして」「救われる人々を加えて一つにしてくださった」と繰り返し語られています。さらには喜びと真心、神への賛美、民全体からの好意、などの表現も用いられています。聖霊が生み出した教会は、このように大いに祝福されたものでした。
いいなあ、特別な恵みだなあ、と思うかもしれません。私もそう思います。しかし、忘れてはならないのは、この姿は聖霊の賜物だ、ということです。人が作り出した姿ではないのです。初代教会と自分の教会の比較だけをしても、あまり建設的でないように思います。むしろ、その姿に学びつつ、聖霊のお働きを祈り求める必要があります。
ではどう祈ればよいのでしょうか。祈りの第一は、罪赦された賛美と感謝でいつも喜ぶ者たちでありたいというものです。神様との関係が最も大切です。みことばに教えられ続ける必要があります。
また第二の祈りは、お互いの課題や事情に心を寄せあい、祈り支え合う群れでありたいというものです。クリスチャンは主にある家族です。兄弟姉妹との交わりに生きるよう召されています。
第三の祈りは、心を一つにし、同じ方向を向いて進み続ける群れでありたいということです。私たちは生まれも育ちも生きざまも全く違うお互いでありながら、同じ主イエス様の十字架を見上げる者として召されました。まさに一つになるべく召されているのです。聖書の教会観はこのようなものです。この教会観を胸に、主に「あなたの教会をどうぞ整え形作って下さい」と祈りつつ信仰生活を送って参りましょう。主がこの群れを祝福して下さいますように。
<祈り>
「神様、助け主である聖霊様を私たちのために送って下さりありがとうございます。あなた様は罪に苦しむ者に、赦しと復活、聖霊の助けを備えて下さいましたから、御名をあがめて感謝いたします。この恵みに与り、キリストの教会に加わる人をなお起こして下さい。またあなたの教会を恵みの内に整え、初代教会の良き特徴を宿らせる群れとして下さい。聖書的な教会観を共有させて下さり、その姿を胸に主にあって励んでいけますよう御助けをお願いいたします。御名によってお祈りします。アーメン。」