<子どもたちへ>
2000年前に世界で初めての教会が出来た、とお話を聞きましたね。中心だったペテロさんたちは、大変なことが続いてもイエス様のことを伝え続けました。
ペテロさんたち十二弟子は、毎日まいにちイエス様のことを伝えていました。「みなさん、イエス様は死んでよみがえりました。この方は救い主です。どうぞ信じてください!」神様はペテロさんたちに特別な力をくれました。病気の人が治るのです。それでイエス様を信じる人はどんどん増えて行きました。
でも、イスラエルの偉い人たち(大祭司と仲間たち)は、イエスさまの教えに反対していましたね。今度も起こって、お弟子さんたちを牢屋に入れてしまいました。すると、その夜不思議なことが起こりました。天使が現れて、牢のとびらをあけてみんなを外に出してくれたのです。そして言いました。「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい」(使徒5:20)。
お日様が上ったばかりの朝早い時間でしたが、お弟子さんたちはすぐに言われたとおりに神殿に行って、イエス様のことを伝え始めました。
その頃、弟子たちを捕まえた人たちのところに知らせが行きました。「大変です!牢屋には鍵がかかっていて見張りもいたのに、あの人たちがいなくなりました!」。「どうも神殿で教えているようです。」「何だと⁉」こうしてお弟子さんたちは議会の大祭司たちのところに連れてこられました。
「お前たち、あんなにイエスのことを話すなと言ったのに、命令を破ったな。それにイエスが死んだことも私たちのせいにしているじゃないか!」こう言って大祭司は怒りました。するとペテロたちは言いました。「人に従うより神に従うべきです。私たちはイエス様がよみがえったことの証人です」。これに起こった大祭司たちは、弟子たちを殺してやろうと怒り狂いました。
でもその時、みんなに尊敬されているガマリエル、という人が冷静に言いました。「みなさん、この人たちを放っておきなさい。偽物の教えなら勝手にだめになるだけです。もし神様から出たことだとしたら、止めることはできません。」それでこの人の言うとおりにしました。でも、弟子たちのことはむち打ちにしてこう脅しました。「イエスのことは誰にも話してはいけないぞ!」。そう言って釈放しました。
ペテロさんたちはどうしたでしょうか。ムチで打たれて脅されて、怖くなったでしょうか。いいえ、イエス様のために自分たちが苦しみを受けることを喜んだ、と書いてあります。前はイエス様を見捨てて逃げ出したお弟子さんたちですが、聖霊をうけて変えられたのです。
教会で聞くイエス様のお話は、聞いても聞かなくてもいいお話ではありません。どうしても聞かなくてはならない、大切なお話です。罪を赦してもらい、永遠のいのちを頂くただ一つの道だからです。だから「いのちのことば」と呼ばれています。私たちも毎週しっかりイエス様のお話を聞いて、まだしらない人にも伝え続けていきましょうね。
<祈り>
「神様、最初の教会がどんなに邪魔されてもイエス様のことを伝え続けたお話を聞きました。私たちも勇気を頂いてこのいのちのことばを伝えて行けるよう、お導き下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。」
「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさ。」
使徒の働き5章20節
<適用>
私が、小学生のころ一時期、私たちの兄弟が学校で有名になった時がありました。それは、私の兄妹の構成が原因となっていました。私たち兄妹は、私を含めて5人兄妹です。そして一番上の長男から私までの3人が年子であり、私の上には兄と姉がいます。そして私の下には2歳下の妹と5歳下の弟がいます。そこで妹が小学1年生の時、私が3年生、姉が4年生、兄が5年生となり、小学校に赤松家が4人となりました。当然中学校では、私が1年、姉が2年、兄が3年ということにあります。特に牧師の子どもが各学年にいる訳ですから学校の先生の間でも話題になります。私は、小学校でも中学校でも、お前が赤松の弟かと担任に言われたりしていました。私が4年生の時、何故か担任に「主の祈り」をクラス全体に教えるように言われ、黒板に主の祈りを書き、クラス全体で祈ってから給食を食べたことがありました。また兄が小学校の生徒会長をしていた時は、12月のある日給食の時間に兄が学校放送を使ってクリスマス特集の放送をすることが許可されました。その時は、先生が教会に来ることはなかったのですが、初代教会の時のように先生たちは教会に、聖書に理解を示してくれていたように思います。
日本のクリスチャンは、少数派ですが、人々から注目されています。それは、肯定的に受け止める場合であっても否定的に受け止める場合であっても、とにかく人々の心に何かしらの影響を与えていると言っていいのではないでしょうか。
初代教会は、人々に注目され関心を持たれていました。その初代教会の伝道の姿、その信仰のあり方を学びましょう。
Ⅰ;心を一つにする祈り
初代教会のクリスチャンたちは、「福音を語り伝える」ために、心を一つにして祈っていました。その姿が、5章12節「皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた」と言われている事柄です。彼らはいつも集まり、祈り、主なる神様を礼拝していました。このような姿が、多くの人々の目を教会に釘付けにしたのだと思います。
使徒4章32節と5章12節の姿の間に挟まれる形で5章1節から11節の一つの事件が書かれています。これは、初代教会にとって衝撃的な出来事となりました。ペンテコステの日に誕生した教会は、お互いの生活を支え合っていました。それだけ彼らは、イエス様によってもたらされた救いを喜び主への感謝に溢れていたのです。そのような中でアナニアとサッピラと言う夫婦は、献金をすることで人々の注目を浴びたいという誘惑に負けてしまったのです。彼らは、自分の土地を売りその代金の一部を感謝してささげますと言う事が出来なかったのです。彼らは、土地代の一部を「これが全額です」と偽って献金したのです。しかしも夫婦で別々に持ってきたと言うのです。ペテロは、聖霊によって示されたのでしょう。二人の偽りの心の思いを指摘しました。そして神様は、二人に対して即座に厳しい裁きをくだしました。この出来事を通して、「教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた(11)」のです。これは、教会の中だけではなく、多くの人々に衝撃を与えたという事ではないでしょうか。しかしそれでもなお、信じる人々が増えていきました。13節の「ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に加わろうとしなかった」と14節の「主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった」という表現は、矛盾するような言葉です。しかしこれが現実だったと思います。それだけ使徒たちによる伝道が爆発的に進んでいったということでしょう。
ではなぜ、初代教会では、このようなことが起こったのでしょうか。それを知る鍵は、使徒4章30節「また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒しとしるしと不思議を行わせてください」と5章12節「皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた」にあります。使徒たちは、ユダヤ教の指導者たちによる迫害の中で、その迫害に屈せず主のわざを行い、大胆に宣教できるようにと祈り求めました。神様は、この祈りに答えてくださり、「使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた(12)」のです。神様は、彼らの期待以上のことをしてくださいました。それが5章15-16節のことです。人々は、ペテロに癒しの力があり、奇跡を行うことが出来ると考えていたかもしれません。しかしペテロにその力があるのではなく、神様がペテロを通してご自身のわざを行っていると言うことなのです。ペテロは、自分が注目されることよりも、癒しを通して人々がイエス様を信じるように導かれることを願っていた事は確かなことです。
人々が信仰に導かれたのは、目に見える主のわざだけではありません。クリスチャンたちは、神殿にあるソロモンの回廊に集まり、「心を一つにして」主に祈り、主を礼拝していたのです。この祈りこそ、教会と使徒たちの働きを支えていたのだと言えます。彼らが、心を一つにして信仰の一致を持って祈っていたからこそ主のわざが行われ、伝道が続けられたのです。
Ⅱ;御言葉による励まし
初代教会のクリスチャンたちは、御言葉による励ましを受けて、福音を語り伝えることが出来ました。神様は、今も私たちに御言葉による励ましを与えてくださいます。
神殿でクリスチャンたちが集まっているのを、多くの人たちは、好意的に見ていました。そして信仰に入る人が増えていったのです。このことを大祭司たちとその仲間たちであるサドカイ派の人たちは、快く思いませんでした。ユダヤ議会は、ペテロとヨハネに「イエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と命じていました。けれども、使徒たちは伝道を止めようとしません。それどころから彼らは、さらに積極的に語りだしていたのです。そこで大祭司たちは、そのねたみゆえに、使徒たちを捕らえることにしました。
こうして使徒たちは、ソロモンの廊から番兵付の留置場に移され一晩を過ごすことになります。ところがその夜御使いが、使徒たちを救出するという神様のご介入がありました。その時御使いは、使徒たちに「行って宮の中に立ち、人々にいのちのことばをすべて語りなさい(20)」と伝え、使徒たちを励まし力づけました。この御言葉を聞いた使徒たちは、夜明けごろ宮に入って御言葉を語り始めたのです。使徒たちは、いのちが脅かされている状況で、神殿に行けば必ず捕まると分かっていました。しかも今、彼らは留置場から不思議な方法で脱出して来たばかりです。彼らは、「今は外に出るのは止めよう、もう少し状況が落ち着くまで様子を見よう」と言いませんでした。彼らは、御使いに言われたとおり、ということは神様の言われたとおり、出て行って伝道をしたのです。何と言う信仰でしょうか。使徒たちは、御言葉に忠実に歩むことを最優先したのです。
だからこそ、再び捕らえられたときペテロは、「人に従うより、神に従うべきです。(使徒5:29)」と大胆に答えることが出来たのです。そしてペテロは、イエス様の十字架を大胆に語りました。大祭司たちは、イエス様の十字架の責任を問われていることで迷惑をしていたのです。その議会に対してペテロは、イエス様はあなたがたの手によって十字架にかけられたと語ります。けれども神様は、イエス様を死からよみがえらせ神の右の座につかせられたのです。なぜならば、イエス様こそ神様が預言者を通して約束された救い主だからです。誰であれ、大祭司たちであれ、自分の罪を認めイエス様を信じるなら罪の赦しを得ることが出来るのです。ペテロは、臆することなく福音を語りました。それは、「いのちのことばをことごとく語りなさい」と言われていたからです。この言葉に励まされ彼は、伝道し続けることが出来ました。
私が中学生の時、私は自分がクリスチャンという事で友だちに馬鹿にされ笑い者にされたことがありました。その日いつも一緒に帰っている友だちが、なぜか私がクリスチャンであることを馬鹿にするのです。私は、悲しくて悔しくて、寂しい気持ちになりました。私は、その気持ちを神様にそのまま祈りました。私は、その祈りの中で「『迫害する者のために祈りなさい』と言われているけども、今の自分にはそれは無理です。」と祈ったような気がします。そんな祈りをしながら私は、教会の先輩に相談しました。するとⅠペテロ2章21~23節の御言葉を示してくれました。「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。…。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。」
先輩は、この御言葉を示し説明してくれました。私は苦しみを受けたイエス様が自分と一緒にいてくれることを知って励まされました。そして私を馬鹿にした同級生のためにも十字架にかかってくださったイエス様のことを伝えないといけないとも教えられました。 また別の時には、Ⅰペテロ3章15節の御言葉からいつでも証しをする準備をしている事の大切さを教えられました。
留置場で使徒たちを励ました御使いの言葉にある「語りなさい」と言う言葉は、語り続けなさいという意味があります。主は言われるのです。「いのちのことばをことごとく出し惜しみすることなく語り続けなさい」と。そのために神様は、御言葉を通して私たちを励まし力づけてくださいます。
Ⅲ;神から出た福音
初代教会のクリスチャンたちは、「福音を語り伝える」歩みを続けました。なぜならば、福音は人が考え出した教えではなく、神様ご自身から出たことだからです。
ペテロをはじめ使徒たちの明確な信仰を前にして、議会は怒り狂い、使徒たちを殺そうとしました。その時ですガマリエルという律法の教師が仲裁に入りました。使徒の働きでは、このガマリエルの門下生として、パウロが登場してきます。ガマリエルの言葉から、イエス様の救い、十字架の福音が神様から出たことだと明らかになりました。
ガマリエルは、当時ユダヤ人社会を騒がせた二人の指導者を引き合いに出しました(使徒5:36-37)。それぞれ人々を扇動し騒ぎを起こしたけれど、指導者が殺された後、従った者たちは散らされ跡形もなくなってしまったのです。そしてガマリエルは、もし人から出たことならば、いずれ自滅するだろう。しかし神からのものであれば、神の裁きを受けることになるから放っておくことだと説得するのです。議会は、尊敬すべきガマリエルの言葉を聞き、一応鞭打ちにしますが、様子を見ることにしました。
ガマリエルは、この後教会に加わったかどうかは分かりませんし、先を見越してキリスト教のことを容認したのではないと思います。けれどもその後のキリスト教会は、ガマリエルの言葉の通り、廃れることなく全世界に広がり続けています。その歴史の事実を私たちは、知っています。弟子たちが迫害の中でも力強く宣教し続け、21世紀を過ぎても福音が滅びないのは、この福音が神様から出たことであり、聖書が真実であること、イエス様の十字架の死と復活による救いが唯一の救いであることの証明なのです。
私たちは、初代教会のクリスチャンたちのように福音を語り伝えるために心を一つにして祈り続けましょう。神様は、私たちを通してご自身のみわざを行ってくださいます。私たちは、「いのちのことば(福音)を伝えなさい」という御言葉による励ましを受けています。神様は、私たちが人々の中で福音を証しすることが出来るように助け導いてくださいます。
私たちは、神様ご自身が明らかにしてくださった福音を語り伝えていきましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。ペテロをはじめ使徒たち、そして初代教会のクリスチャンたちは、福音を語り伝えました。神様は、「いのちのことばをことごとく語りなさい」と彼らを励ましてくださいました。私たちも神様の励ましを受け力強く証しすることが出来ます。福音は、神様ご自身が私たちのために明らかにしてくださったことです。福音は、救い得させる神の力であることを信じます。
私たちの周りでは、福音を知らない人、神様を信じていない人がいます。神様、その人たちにいのちのことばである福音を大胆に力強く語り伝えることが出来るように助け導いてください。 神様、世界中で争いが絶えず、世界の各地で戦争が続いています。神様、この世界を平和で満たしてください。主の愛と平安で満たしてください。またそのために平和を造る者として私たちを用いてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」