2025年6月29日(日)礼拝説教 使徒の働き6章8-15節 「福音宣教の拡大」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 皆のクラスには、学級委員がいるでしょう。学級委員長や学級員は、あの人にお願いしたいとクラス全員で話し合って決めると思います。そして学級委員長は、クラスでの話し合いをまとめる役目を持ちます。
 ペンテコステの日に誕生した教会は、爆発的に成長してたくさんの人たちが集まるようになっていました。そのためにペテロさんたち12使徒では大変になりました。そこで、教会はいろいろなことに対応する人たち7人を選ぶことしました。こうして教会の中で信仰と聖霊に満ちた評判の良い人が選ばれました。

 その中の一人にステパノと言う人がいました。ステパノは、「皆さん聞いてください。しばらく前にイエスと言う人が十字架にかけられたことを知っているでしょう。そしてそのイエスが、三日目によみがえったという話しも聞いていますよね。」とイエス様の十字架の事を人々に話しました。ステパノはさらに「十字架にかけられて死なれ、三日目によみがえったイエスこそ、旧約聖書で預言されていた救い主です。イエス様は、僕たちの罪の身代わりに十字架につけられ神様の罰を受けてくださいました。それだけではなく、イエス様はほんとうに三日目によみがえって信じる全ての人に罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださるのです。イエス様こそ救い主です。」と続けます。聞いていた人たちの中には、「そうだったのなか」とイエス様を信じる人が大勢いました。

 これを見ていた人たちの中でステパノに敵意を持つ人がいました。彼らは、「おい、あいつはイエスの事を話しているぞ、あいつの邪魔をしてやろうじゃないか。あいつが旧約聖書のモーセを否定し神様を馬鹿にしたと嘘を言って捕らえようじゃないか。」「捕らえるためには、人々をだまして騒ぎを起こしたらよいだろう」と話し合います。こうしてステパノは捕まってしまいました。
 ステパノは、ユダヤ人の最高法院に連れ出されて神様とモーセに反対することを教えていると訴えられました。これに対してステパノは、毅然とした態度で、旧約聖書から語りました。
「みなさん、神様は、アブラハムを選んで彼を祝福されました。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれました。このヤコブから12部族が誕生しました。ヤコブたちは、飢饉のときにエジプトに移り住みました。イスラエルの民がエジプトで奴隷とされて苦しめられた時、神様はモーセを遣わして、イスラエルの民をエジプトから脱出させてくださいました。神様は、預言者によって救い主イエス様の事を語っておられました。聖書に書いてあるとおりです。あなたがたは、イエス様を十字架につけてしまいました。」

 ここまで聞いていた人たちは、怒り狂い「ステパノを外に連れ出せ。石打の刑にしよう。」と言ってステパノを外に連れ出し、石を投げつけて死刑にしたのです。その中でもステパノは、天を見上げ神様に祈りました。ステパノは、最後の最後まで神様の愛に満ち、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」ととりなしの祈りをするのです。本当にステパノは、信仰と聖霊に満ちた人でした。
 教会は、このことをきっかけに厳しい迫害を受けることになって、クリスチャンたちはエルサレムから脱出して地方に移り住むこととなりました。それでもクリスチャンたちは、行く先々でイエス様のこと、十字架の救いのことを伝えながら移動したのです。
 僕たちも僕たちが知っている神様の愛、イエス様の十字架による救いの恵みをまだイエス様の事を知らない人たちに伝えましょう。皆のお友だちのためにもイエス様は十字架にかかってくださったのです。福音は、僕たち一人ひとりを通して広がっていきます。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。今日は、初代教会の姿とステパノの信仰の姿を学びました。僕たちは、初代教会のクリスチャンたちのようにいつでもイエス様のことを伝えることが出来るように助けてください。神様、子どもたち一人ひとりを通してお友だちがイエス様を信じることが出来るように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」
                                    使徒の働き8章4節

<適用>
 教団では毎年夏のバイブルキャンプが開催されています。今年も開催されますので、ぜひ参加していただきたいし、お祈りください。尾瀬でキャンプを開催していた時のことです。キャンプのプログラムとして尾瀬ヶ原にハイキングに行きました。尾瀬ヶ原では、木道を並んで歩きます。歩いていると先頭と最後尾では数百メートルの距離が出来てしまいます。私はスタッフとして先頭を歩き、別のスタッフが列の中央、そして最後尾を歩きます。すると先頭を歩いている私のもとに、最後尾のスタッフからの伝言が伝わってきました。数百メートルの距離をどのように伝えたかというと、キャンパー全員で協力しての伝言でした。最後尾のスタッフが少し前を歩いている人に声をかけメッセージを伝えます。それを聞いた人は、自分の少し先を歩いている別の人に呼びかけメッセージを伝えます。こうして先頭にメッセージが届きます。それに対する応答のメッセージも前から後ろに伝えるのです。「言葉」というのは、人を通して伝えられ拡大するものだと思います。初代教会も人から人に福音が拡大していきました。

Ⅰ;信仰と聖霊に満たされて

 福音宣教の拡大は、信仰と聖霊に満たされたクリスチャン一人ひとりによってなされました。ペンテコステの日に誕生した教会は、使徒たちの宣教によって爆発的に信徒の数が増えて行きました。それと共に多くの問題も経験することとなりました。一つは、ユダヤ教の指導者たちによる迫害、ペテロたちの逮捕があります。アナニアとサッピラの事件がありました。そして使徒たちのむち打ちがありました。そのような中にあっても教会は、信仰と聖霊に満たされたクリスチャンたちによって力強く証しを続けることが出来ました。使徒4章と5章に書かれている事でした。

 使徒6章には新たな問題が起きて来たことが記録されています。初代教会には、ヘブル語を使うユダヤ人とギリシャ語を使うユダヤ人たちが集うようになりました。ヘブル語を使うユダヤ人たちというのは、パレスチナで生まれ育ちヘブル語を話す人たちのことです。ギリシャ語を話すユダヤ人とは、外国で生まれ育ちギリシャ語を話し、エルサレムに帰還した人たちのことです。彼らは、同じユダヤ人なのですが、言葉も違い、生れも育ちも文化も違う人たちでした。そしてこの時、ギリシャ語を話すユダヤ人のやもめへの配給がなおざりにされてしまっていました。その訴えが出された時、使徒たちは、弟子たち全員を集めて対応を検討しました。使徒たちは、祈りつつ考え、自分たちが神のことば(宣教)を後回しには出来ないと考えました。使徒たちは、そのために神様に召されているからです。かと言って、配給も毎日の事だからそのままには出来ません。そこで、教会は、配給の担当者としてステパノ、ピリポなど7人を選びました。

 選ばれた人たちは、ギリシャ語を使うユダヤ人だったようですから、問題への対応としては最適な人たちが選ばれたことになりました。こうして、使徒たちは福音宣教に専念することが出来て、信じる人々がさらに教会に加えられることとなりました。私は、この7人を選ぶために確認された基準が大切だと思うのです。教会は、「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人(3節)」という基準を持ち7人を選びました。これは、教会での奉仕のためには聖霊による助けと主を信じる信仰と主からの知恵をいただくことが大切だということなのです。ですから、私たちは聖霊に満たして頂いて主にお仕えしましょう。

 そしてその事は、神様から与えられている賜物を用いることにつながって行きます。使徒たちは、神様の召しを受けて聖霊に満たされて祈りとみことばの宣教をするという賜物を与えられていました。また選ばれた7人は、やはり神様の召しと聖霊の導きの中で配給や教会の事柄に奉仕するのです。そしてステパノやピリポの活動を見る限り、彼らは積極的に福音の宣教をしたことが分かります
 初代教会は、信仰と聖霊に満たされたクリスチャン一人ひとりによって福音宣教が行われていました。

Ⅱ;御言葉に根差した証し

 福音宣教の拡大は、御言葉に根差した証しによってなされました。ペテロを始め12使徒は、福音を伝えることを最優先に考えました。そして選ばれた7人は教会の事務的な事だけではなく、積極的に福音宣教の働きを担うことになりました。
 聖書は、その筆頭としてステパノを取り上げています。ステパノは、積極的に伝道の働きもして、不思議としるしを行っていました。その働きによってさらにイエス様を信じる人が起こされていきました。でもユダヤ教の中には、ステパノを良く思わない人たちがいました。ステパノに敵対していたグループが書かれていますが、「リベルテン」と呼ばれる人たちは、ローマ帝国によって奴隷とされていた人たちで解放されてエルサレムの会堂に集まっていた人たちでした。「キリキヤ」から来た人たちもいたとあります。「キリキヤ」聞き覚えありませんか。使徒となったパウロの出身地です。パウロは、ステパノが殉教する時にそれに賛成しています。とにかく彼らは、聖霊と知恵に満ちたステパノを説き伏せることが出来ませんでした。その腹いせでしょうか。彼らは群集を扇動し、偽証を立ててステパノを議会に訴えます。その時のステパノの説教は、使徒の働きの中でも長い弁明となっています。7章1節からその詳細を知ることが出来ます。話の項目だけを見ると次のようになります。

①神様はアブラハムを選ばれた(4)。②神様はアブラハムに約束を与えられた(5~8)。③神様はヨセフをエジプトに送った(9)。④神様はイスラエルをエジプトへ導き、イスラエルは奴隷の状態とされる(10)。⑤神様はイスラエルの脱出のためにモーセを選ばれた(20)。⑥神様は荒野の生活を導かれた(36)。⑦荒野のイスラエルは、何度も神様に背を向けていた(39、41)、⑧イスラエルには、幕屋があり神殿があった(44)。⑧神様は預言者を遣わして救い主について語っておられた(52)。
 こうしてステパノは、イスラエルの歴史を忠実に振り返りながら、イスラエルの民がいつも神様の御手に支えられ、導かれて来たと語ります。しかしステパノは、「これまでイスラエルの民は、神様を信じず、預言者を迫害していた。」とその罪を指摘しました。

 ステパノの説教はまだまだ続くはずだったと思いますが、人々は、ここまで聞いて怒り狂い、ステパノを外に連れ出して、石打の刑にしてしまいました。ステパノは、迫害され捕らえられ訴えられましたが、冷静に対応し弁明することが出来ました。その中心には、御言葉がありました。ステパノは、御言葉に根差し、御言葉にある神様の恵みを証ししたのです。ステパノは、御言葉から教えられ続け、学び続けたからこそ、力強く証しすることが出来たのではないでしょうか。私たちは、教会としてはもちろん、個人的にも福音を伝えたいと願っています。その時大切な事は、私たちがしっかりと御言葉に根差して歩み証しすることです。神様は、御言葉を通して私たちに知恵を与え、語るべき言葉を教えてくださいます。

Ⅲ;主の栄光を現す

 私たちは、福音宣教の拡大のために主の栄光を現すことを願い求めましょう。
 ステパノは、教会が誕生して最初の殉教者となりました。彼は、最後まで主の栄光を現すことを願い求め、そのように生きたクリスチャンだったと言えるのではないでしょうか。ステパノは、石打の刑にされている中で、愛の心を忘れず、主の前に執り成しの祈りをしていました。その祈りは、十字架上のイエス様の祈りに似ています。ステパノは「主イエスよ、私の霊をお受けください。」と祈り「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」と祈るのです。そこには、人生の最後まで主の栄光を現わして少しでも福音を伝えたいと願うステパノの信仰があるように思います。

 私は、ステパノの姿から、人生の最後の最後まで主の栄光を現わすような生き方をしたいものだと思わされました。私には、信仰深く歩んだ一人の信仰の大先輩がいます。その方は、晩年認知症になり、毎週「初めまして」と言う挨拶をされました。その方は、徐々に出来なくなる事柄が多くのなっていくのですが、神様に祈ることと神様を賛美することは出来るのです。最後の入院をされた時、その方は病室でよく賛美をしていました。看護師からは、その方の賛美の声と笑顔で穏やかな気持ちになると感想を聞きました。私も病室でその方と共に祈る時に、私自身は人生の最後にどのような言葉を話すのだろうか、祈りと賛美が自然と口に出るような信仰の歩みをしたいと願うようになりました。

 ステパノは、自分を迫害する人たちのために執り成しの祈りをしていました。こうしてステパノは、殉教するのです。初代教会としては衝撃的な出来事だったことでしょう。ステパノへの迫害によってユダヤ人たちはクリスチャンへの迫害を強めることとなりました。その結果、クリスチャンたちはエルサレムから地方に散らされることとなりました。しかし散らされた人たちは、行く先々で福音を伝えて歩きました(使徒8:4)。「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」
 散らされた人たちは、信仰と聖霊に満たされて伝道した使徒たちの姿を見ていました。また御言葉に根差して宣教するステパノの信仰を知っていました。さらに散らされた人たちは、最後の最後まで福音を伝えたいと願い主の栄光を現わしたステパノの祈りの姿を知っていました。だから、彼らは、行く先々で喜んで御言葉を宣べ伝えるのです。彼らもまた、信仰と聖霊に満たされ、御言葉に根差して証しするのです。
 私たちは、福音宣教の拡大を求めて祈りましょう。そのために信仰と聖霊に満たされ、御言葉に根差して証しすることが出来るように主の助けを求めましょう。そして私たちは、主の栄光を現わすことが出来るように祈りましょう。神様は、私たち一人ひとりを用いてくださいます。福音宣教は、私たちから拡大していきます。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。初代教会は、迫害が激しくなる中、信仰と聖霊に満たされて宣教を続けました。神様ご自身が教会を守り、一人ひとりを用いておられたからです。神様、私たちの信仰を引き上げ、聖霊に満たしてください。私たちが御言葉に根差して歩み力強く証しすることが出来るように知恵と力を与えてください。そして神様、私たち一人ひとりが主の栄光を現すことが出来るように導いてください。
 神様、今世界では、不安と恐れが人々の心を包み込み拡大しているように思います。そうではなく、福音宣教が拡大し、神様の愛と平安が人々の心を包み込むように主のみわざを行ってください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」