2025年8月17日(日) Ⅰ列王記3章16-28節 「知恵を求めて祈ろう」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 僕が小学生の時のことです。ある時、学校の休み時間に僕は友だちと喧嘩をしてしまいました。休み時間が終わっても僕たちの喧嘩が続いていました。休み時間が終われば、先生が教室に来ます。僕たちは、喧嘩をしているところを先生に見られてしまいました。僕は友だちと二人して、先生に呼び出されて「どうして喧嘩になったのか」と聞かれました。僕と友だちは、お互いに「相手が悪い」と答えました。先生の目の前でも喧嘩をはじめそうだったので、僕と友だちは二人とも叱られました。どちらも悪かったのだと思います。

 今日は、ソロモン王様の前に二人のお母さんがとても大きな問題を抱えて助けを求めて来た出来事を見る事にします。先週、ダビデ王様が神様を喜んで礼拝したことを学びましたね。ダビデ王様は、長い間イスラエルの王様として国を治めて天に召されました。その後、ダビデ王様の子どものソロモンが王様となりました。
 ある日、ソロモン王様は夢の中で神様の御声を聞きました。「ソロモン、あなたはイスラエルの王様として何も求めますか?」神様が質問します。「神様、私はイスラエルの国を治めるための知恵が欲しいです。」ソロモンが答えました。神様が言われました。「ソロモン、あなたが知恵を求めたことは立派です。あなたがた願った通り、イスラエルの国を治める知恵を与えよう。それだけではなく、その他にたくさんのものを与えよう。」神様は、ソロモンに約束をしてくださったのです。

 それからしばらくして、二人のお母さんがソロモン王様の所にやって来ました。「ソロモン王様、聞いてください。私たちは一緒に暮らしています。私たちは、それぞれ三日違いで子どもを産みました。私たちは、子どもを大切に育てていたのですが、朝、目を覚ましたら私の子どもが息をしていないのです。この女が、私の子どもの上に体を乗せてしまったからです。なんのこの女は、それを隠すために子どもをすり替えたのです。どうか裁判をしてください。」と一人のお母さんが訴えました。訴えられたもう一人が、「いいえ、王様、この女の言っていることは嘘です。生きている子どもが私の子どもです。」「いいえ、違います。あなたなんてこと言うの」と二人とも王様の前で言い合いになりました。
 「う~ん、困ったことになったな。二人とも生きている子どもが自分の子どもだと言い張っている。その現場を見た人はいないから難しい。」ソロモン王様は考え込みました。そしてソロモン王様は、「よし!こうしよう。おい!剣を持って来なさい。」と近くにいた家来に言います。家来が剣を持ってくると、ソロモン王様は剣を手に持って「生きている子どもを半分に切って分けることにしよう。」と言うのです。これは大変なことになりました。
 慌ててお母さんが「王様、そんなことをしたらその子も死んでしまいます。それはダメです。この女にその子を渡してください。」もう一人のお母さんも言いました。「王様、その子を半分にしてください。」もうどちらが本当のお母さんか分かりましたね。ソロモン王様は、「そんなことをしないでください」と言った女の人が本当のお母さんだと分かったのです。

 ソロモン王様は、訴えがされた時に考え込みました。それは、悩んだだけではなく、「神様、どうか知恵を与えてください」と心の中でお祈りしたのではないかと思います。ソロモン王様は、神様に祈り求めた通りに正しい判断をすることが出来ました。僕たちも神様にお祈りしましょう。神様は、僕たちが正しい判断をして、神様に喜ばれる心をもって歩めるように助けてくださいます。
 今週の聖句を読みましょう。「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」ヤコブの手紙1章5節

<祈り>
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、あなたはソロモン王様に知恵をお与えになりました。ソロモン王様は、神様から知恵を与えられて正しい判断をして神様に従うことが出来ました。神様、僕たちにも神様の喜ばれることを行う知恵を与えてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」                                ヤコブの手紙1章5節

<適用>
 先週の火曜日から金曜日までのM-Jキャンプのためにお祈りいただきありがとうございました。神様の祝福に包まれた素晴らしいキャンプとなりました。昨年までは中高生キャンプとしていたものを、今年は大学生まで年齢を広げて中・高・大としてM-Jキャンプを行いました。そのキャンプの中で私は、中学生たちに、普段どんなことで神様に祈っているのか質問しました。皆、「えっ?」と「なんでそんな質問をするのか?」という不思議そうな顔をしていました。その顔には、そんなに祈ることはあるのか?という疑問が現れていました。私は、その表情に「えっ!」とびっくりしました。そして、「食事の感謝の祈り以外していないかなぁ?」と聞き返したら、一斉に顔を縦に振りました。私は、「食事の感謝以外にも祈ることはいろいろあるよ。一日守ってくださいの朝の祈り、今日ありがとうございましたという夜の感謝の祈り、何かに挑戦する時にも神様に祈り、勉強する時にも、テストを受ける時にも、その他家族のことでも、何でも祈ることが出来るんだよ。」と勧めました。
 私たちは、神様からの知恵を求めて祈ることが出来ます。

Ⅰ;神様の御心を知ることが出来るように

 私たちは、神様の御心を知ることが出来るように、知恵を求めて祈りましょう。私たちは、人生の中で直面する様々な場面で知恵を必要とします。例えば、中学から高校への進学をどう考えたら良いのだろうか。高校から大学(専門学校)へと進むべきか、就職活動をしてどのような仕事につくのか、結婚や子育て、地域とのかかわりなど考えるべきことは幅広くなっていきます。そのような中で、私たちは、人生設計をどうしたらよいのだろうかと悩み、家庭でも会社でも地域でも人間関係や意見の違いなどからくる問題があるものです。考えればきりがありません。そのような事柄にどのように対処することが出来るのか、神様は導いてくださいます。けれども今日、私たちは、そのような具体的な事柄よりも、もっと根本的で重要な事柄に心を向けましょう。それは、私たちが神様の御心を求めて祈るという事です。

 ソロモンは、この事をわきまえていました。彼が王となり、ギブオンで神様を礼拝した時の事です。夢の中で神様がソロモンに語りかけました。神様は、「あなたに何を与えようか。願え。」と聞きました。皆さん、もし神様が今、皆さんに「あなたの願いは何か」と聞いてくださったら、何と答えますか。きっと色々考えて、考えすぎて私なら、「神様、実にたくさんありすぎるのですが…。心に浮かぶままをすべて言っても良いのでしょうか。」と欲張り過ぎてしまうかもしれませんね。
 ソロモンも考えたことでしょう。そして一つの結論を出しました。このソロモンの答には、彼が主なる神様の御心を求めていたという信仰の姿勢が表現されています。ソロモンは、父ダビデが神様の恵みによって支えられ、守られ繁栄したことを認めていました。それはダビデが神様を畏れ、御心に従って歩んでいたからです。またソロモンは、自分が王となったことも神様の恵みであると受け止めていました。そこでソロモンは、神様によって与えられた王としての使命をしっかりと果すことが出来るようにと「善悪を判断してあなたの民を裁くために、聞き分ける心をしもべに与えてください(Ⅰ列王3:9)」と求めたのです。
 ソロモンの心は、常に神様に向いていました。そして彼は、神様を畏れ敬い、神様の御心を知り歩むことが出来るようになることを求めたのです。ソロモンは、神様に知恵を求めた結果、多くのものを手に入れることが出来ました。そしてソロモンは、主を畏れ主の御心を知ることが人にとって一番大切であることを知ったのです。だからソロモンは、箴言の中で「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。(9章10節)」と教えました。

 では主を恐れる(畏れる)こと、神様の御心を知ることとは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。ダビデがソロモンに遺した言葉から知ることが出来ます。列王記第一2章1-3節にダビデの言葉があります。「ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように命じた。『私は世のすべての人が行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくありなさい。あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。』」私たちが神様の御心を知るために必要なことは、主なる神を畏れ、神様の御言葉を心に留めることです。そして神様の御言葉に従い、神様の御心を求めて歩むことです。このように歩むことが、知恵の初めです。
 新約聖書でイエス様が同じような事を教えてくださいました。「まず神の国と神の義を求めなさい。そすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます(マタイ6:33)。」です。イエス様は、「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてもよい(マタイ6:31)」と言われました。そして、神の国と神の義を第一に求めなさいと言われたのです。イエス様は、衣食住のことだけのために、神の国と神の義を第一に求めなさいと言われたのでしょうか。決してそうではないと思うのです。神様は、私たちが生きていくために必要なものだけを与えるお方ではなく、私たちが神様の御心を知ることが出来るように必要な知恵を与えてくださるのです。だから私たちは、神様を第一に求め、神様を礼拝し、神様の御言葉に聞き従うことが大切なのです。そうすれば、これらのものはすべて与えられると約束されています。
 ダビデの言葉では、「何をしても、どこへ向かっても栄える」と言われています。神様は、私たちが何をしても、どこへ行っても、どんな状況にあっても私たちに恵みを与え、祝福を与えてくださるのです。だから私たちは、神様の御心を知ることが出来るように、知恵を求めて祈りましょう。

Ⅱ;主なる神様に求めること

 私たちは、主なる神様が与えてくださることを信じて、知恵を求めて祈りましょう。
 今週の聖句である、ヤコブの手紙1章5節にはなんと書いてあるでしょうか。もう一度読みましょう。「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」

 私たちは、「知恵が与えられる」と聞くと何か特別な才能が与えられるとか、頭が良くなるとか賢くなるというふうに考えてしまうかもしれません。私は、学生の時に「頭が良くなる薬があればいいなぁ」と考えた事があります。また私は、テストが近づくと「神様、テストの期間だけで良いので知恵を与えてください。勉強したことが身につくように記憶力を増し加えてください」と祈ったこともあります。そのように祈りながら、「でも、あまり勉強してこなかったからなぁ」と思い私は、「神様、実力を発揮できるように守ってください」と改めて祈ることもありました。その様なことの中で私は、普段から勉強する前に「神様、これから勉強しますけれど、しっかりと覚えることが出来るように助けてください」と祈ることが必要だと気づきました。テストの時には「神様、勉強したことを思い出すことが出来るように導いてください」と祈ることもしました。

 ヤコブが言っている、「知恵」は、単なる知識ではなく、劇的に賢くなるという事でもないでしょう。私たちが求めるべき知恵とは、神様によって人生を歩むための知恵です。私たちが、神様の御心を知り、神様から与えられる豊かな祝福の中を生きることが出来るという道です。
 今年私たちは、終戦80年を迎えます。私たちは、戦争は繰り返されてはならないものであることを知っています。もちろん世界中の人々が、戦争ではなく平和を求めています。人々は、平和を願っているのですが、そうならず、世界中で戦争が起き、武力で国を占領するという現実があります。イエス様は、「平和をつくる者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです(マタイ5:9)。」と教えてくださいました。しかし私たち人間は、平和をつくり出すことが出来ません。平和をつくり出すためには、神様からの知恵が必要です。私たちは、小さいことかもしれませんが、私たちの周囲から平和をつくり出すことが出来るように知恵を求めましょう。

 私たちが、神様を畏れ、神様の御心を求め、神様に人生を導いて頂くために知恵を祈り求めるなら、その結果はどうなると約束されているでしょうか。神様は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださるのです。私は、ヤコブ1章5節のリビングバイブルでの訳が良いなと思いました。「神様が何を望んでおられるか知りたいなら、遠慮なく、直接たずねなさい。神様は喜んで教えてくださいます。願い求める人には、いつでも惜しみなく、あふれるばかりの知恵を授けてくださるからです。そのことで、決してとがめ立てはなさいません。」神様は、私たちが神様の御心を求め、神様の喜ばれること、神様の栄光を願い求めるならば、惜しみなく、出し惜しみすることなく与えてくださるのです。こんなに素晴らしい約束があるでしょうか。
 ソロモンは、どうだったでしょうか。神様は、ソロモンの求めを喜び、その通りにすると約束されました(Ⅰ列王記3:10-12)。それだけではなく、彼が求めなかった全てを与えると約束してくださったのです(同13‐14)。ただ一つ、ソロモンがすることは、神様を畏れ敬いつづけて、信仰を失わず、神様の御言葉に聞き従い続けることでした。その後の出来事を通してソロモンに神様からの知恵が与えられ、豊かな祝福を受けたことを知ることが出来ます。先ほど見た通りです。それだけではなく、私たちは、ソロモンの箴言などを通して彼の知恵の深さを知ることが出来ます。

 私たちは、時々、どのように対処するべきか迷ってしまう事柄に直面します。私たちは、人間関係の中で何と答えるべきか悩むこと、解決しなければならない問題(困難)、取り組むべき課題など様々なことがあります。そのような事柄の中で、私たちはクリスチャンとしてどのように歩んだら良いのか、知恵が必要になって来ます。私たちは、家庭の中でどのように神様の栄光を表すことが出来るでしょうか。どうしたら、神様の御心を選び取り、神様に喜ばれる生き方をすることが出来るでしょうか。私たちの心が満たされ、平安でいられるためにはどうしたら良いのでしょうか。聖書(リビングバイブル訳)には、「遠慮なく、直接神様にたずねなさい」と勧められています。神様は、だれにでも、惜しみなく、とがめだてしないで、出し惜しみせず、与えてくださるお方です。
 私たちは、主なる神様を畏れ敬い、神様の御心を知るために神様からの知恵を求めて祈りましょう。

<祈り>
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。私たちは、神様が求める者に惜しみなく、とがめることなく知恵を与えてくださる方であることを信じます。私たちは御心を知るために、神様からの知恵を祈り求めます。どうか、私たちが神様を畏れ、御心に従って歩めるように導いてください。神様、私たちは平和をつくり出すためにも神様からの知恵が必要です。神様、私たち自身の周りから平和をつくり出していけるように知恵を与えてください。
 世界では、いまだに戦争が行われています。神様、この世界を憐れんで下さり、平和を与え、恵みで満たしてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈りします。アーメン。」