2025年10月12日(日)礼拝説教 マタイの福音書7章7-11節 「愛の神に祈り求めよ」 説教者:赤松由里子師

マタイの福音書7章7-11節 「愛の神に祈り求めよ」

<子どもたちへ>
 先はイエス様が教えてくれたお祈りのお話でしたね。「天のお父様」って呼びかけると、神様は喜んで聞いて下さることを聞きました。さて、今日もお祈りについてイエス様が教えてくれたことです。よく聞いて下さいね。
 イエス様はお弟子さんたちにたとえ話をされました。ある日の真夜中です。ドンドン!ドンドン!大きな音でドアをたたく人がいます。「おーい、起きてくれ。悪いがパンを3つほど貸してくれないか?急に旅行中の友達が来て食べさせてやりたいのだが、うちには何もないんだよ。」ドンドンと起こされた方の人は、ベッドから答えました。「こんな夜中に何なんだい?戸じまりもしたし、もう子どもと寝ているから無理だよ。」夜中ですから、無理もないですね。
 これであきらめるかと言えば、この人はあきらめずに言いました。「そう言わずに頼むよ」「ダメだよ」「お願いだよ、友たちは腹ペコなんだ」。そう言ってドアをドンドンたたき続けました。家の人は仕方なくドアを開けて、パンを分けてくれました。

 イエス様はこのお話をしたあと、こう言われました。「あきらめないでお願いし続けた人は、パンを分けてもらえました。あなたたちも神様にお祈りする時は、すぐにあきらめてはいけません。」そしてこうも言われました。きょうのみことばです。「求めなさい、そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)。これはお祈りしなさい、お祈りし続けなさい、という意味です。神様に自分の心からの願いをまだお祈りしたことがない、という人がいたら、心を開いてお祈りしてみましょう。神様はお祈りを聞いてくださいます。

 そしてイエス様はこうも教えてくれました。「あなたの子どもがパンを食べたいと言っているのに、石ころを上げる親がいますか?天のお父様はあなたたちを大事に思っているので、あなたに一番よいものを下さるのですよ」。石ころを食べてもおいしくないし、お腹をこわしてしまいます。大事な子どもにそんなことはしません。神様も、私たちを大事に思って、本当に良いものを与えて下さるということです。悪い願いやわがままな求め方をしていたら、その通りにかなえられることはありません。でも、私たちにとって本当に必要な良いものを、神様が与えて下さいます。素晴らしいことですね。そのことを信じてお祈りしていきましょう。

<祈り>
「神様、私たちの心の思いや願いを、神様にお祈り出来ることをありがとうございます。私たちを大事に思って下さる神様を信じて、あきらめずに熱心にお祈りしていきたいと思います。どうか祈りをお導き下さい。イエスさまの御名によってお祈りいたします。アーメン。」

「求めなさい。そうすれば与えられます。」        マタイの福音書7章7節

<適用>
 先週の主の祈りに続いて、祈りについての学びを来週まですることになります。先週と今週のテキストは、イエスさまの山上の説教に記されています。ここにはクリスチャンでなくても知っているような有名なことばがたくさんあります。たとえば6章の「空の鳥、野の花を見なさい」も知られています。また7章からは「豚に真珠」や「狭き門から入れ」ということわざも生まれました。今日のテーマも「求めよ、さらば与えられん」ということばで良く知られたものです。「熱心に求めて行動を起こせば、手に入らないものはない」と言った意味でとらえられがちです。しかしながら、ことばが独り歩きして聖書的な意味が理解されていない面があります。私たち信仰者もこうしたこの世的な解釈に引っ張られてしまわぬように、イエス様がお語りになったこのみことばを改めて学ばせて頂きたいと願っています。

1.何を求めるのか

 イエス様は山上の説教で主の祈りを教えて下さいました。それはこう始まります。6:9~「天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」そのことを踏まえて今日のみことばに目を移しますと、「欲しいものは何でも与えられるのだ」と単純に言うことは出来ません。先週と今週のテキストの中間に位置する、6:33のみことばが指針になります。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」

「神の国」とは何でしょうか。それは神の支配のことです。まず私たちの心と生活の中で、神の国が広がることが大切です。また「神の義」とは、神様との正しい関係と捉えることが出来るでしょう。いずれも私たちのもともとの性質では持ち合わせていないもので、神様に与えて頂くほかないものです。
 私たちは日常の中で多くの課題や悩みに直面します。人間関係のこと、学校や仕事のこと、進路の選択、家族のこと、健康、お金。数え上げればきりがありません。これらの課題の課題があるからこそ、「主よ、あなたを主として歩みたいのです」「あなたの喜ばれる道を教えてください」と祈り求める必要があります。

 ヨハネの手紙第一5:14には次のようなみことばがあります。「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です」。主の祈りを通して私たちは、日々の糧や罪の赦し、誘惑からの祈りと言った、具体的な祈りを教えられました。日々の具体的な祈りを私たちも臆せず祈らせて頂きましょう。大切なのはその根底において、「神の国と神の義」を求める姿勢、みこころに従って願うという姿勢です。この姿勢があるなら、私たちの祈りは聞いて頂ける、そのことに励まされて祈って行きましょう。

2.どのように求めるのか

 ではどのように祈ることが勧められているでしょうか。7:7のみことばの欄外注では「求め続けなさい」「探し続けなさい」「たたき続けなさい」と記されています。そのようにも翻訳しうるのです。一度祈ってそこで終わりではなく、祈りを捧げ続けることが勧められています。

 今日のたとえ話に出て来た夜中にパンを求める人の話は、山上の説教ではなくルカ11章に出てくるものです。面白いのはイエス様が、「友達のしつこさのゆえ」願いがかなった、と言っておられることです。イエス様から見ても「この男はどうもしつこい」と思っておられたのですね。
 現代は「大人の対応」が評価される時代です。「しつこい」ことは美徳どころか蔑まれかねません。私たちにも、繰り返し求めること、しつこく求め続けることを評価できない価値観が入り込んできているかもしれません。けれども神様は「しつこいぞ、お前」とはおっしゃいません。むしろイエス様は継続して祈ることを繰り返し教えておられます。ですから私たちは、神様に信頼して心を開き、注ぎ出して祈りましょう。

 私が学生時代、母教会の祈祷会では祈りのカードを用いて祈っていました。小さなカードに祈りの課題を書いて、祈り終わると日付を裏に書く、というものでした。あまりに何年も使っているので、書いた本人もいつ書いたか思い出せない、ということもありました。ある年のこと、一人の姉妹が信仰を告白して洗礼を受けました。その姉妹が証ししてくれたのですが、洗礼式のあと牧師夫人が一枚の祈りのカードを渡してくれたそうです。それには「○○さんが信仰を告白し、教会生活を送れますように。洗礼を受けることが出来ますように。」という課題が書いてありました。裏側には数年にわたり様々な人が祈りを捧げた日付が積み重なっていました。神様が皆さんの祈りに答えて自分を導いて下さった、と姉妹は感謝に輝いていました。

 私たちも、いつ叶うともしれない課題が多くあると思います。しかし祈るのか、祈らずにいるかで、結果は違うはずです。それが難しければ難しいほど、祈りが必要です。目の前の現実はいかなるものであれ、全能の神様への信仰を働かせて祈り続けていきましょう。

3.愛の神に祈り求める

 私たちが祈りを捧げて行く神様はどのような方でしょうか。9節からのところでイエス様は、親がパンや魚を求める子に良い者を与える、と言われ、親子の情愛を思い出させます。そして11節「それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」

 「良いもの」とは、ルカ11章によれば「聖霊」のことです。聖霊なる神様の働きによって私たちは救いに導かれました。信徒として整えも、信仰生活における助けも変わらず聖霊様によって与えられます。
 では「天の父」とはどのようなお方でしょうか。ローマ8:32にはこうあります。「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んで下さらないことがあるでしょうか。」

 神様は不思議なお方です。愛される資格のないものを愛して下さるのが聖書の神様なのです。山上の説教の高い基準にため息が出てしまいそうな私たちの現実も、神様はご存知です。その上で私たちに恵みを与えようとしておられます。本当に「よいもの」をご計画の時に与えて下さる愛の神様に目を上げましょう。そして恐れず祈りを捧げ続けて参りましょう。

<祈り>
 「天の父なる神様、御名をあがめます。祈りについてのイエス様の御教えをありがとうございます。私たちはそれぞれ、かなえて頂きたい願いを心にもっております。それを心の願いに留めず、愛の神であるあなたにお捧げしていくようお導きください。みこころに叶う祈りへと整え、信仰を持って祈り続けられますよう私たちを励まして下さい。あなたのご栄光が私たちを通しても豊かに表されますように、なお祈りを篤くさせてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」