2026年2月1日(日)礼拝説教 ネヘミヤ記1章1-11節 「日々神に祈ろう」
<子どもたちへ>
今月は、冬期オリンピックが行われます。スキージャンプ、カーリング、スピードスケートなどたくさんの種目があります。皆は、どの種目に興味がありますか? スノーボードのハーフパイプでは、高く飛んで、何回転しているか分からないくらいクルクル回っています。目が回ってしまうと心配してしまいます。また、3月にはWBC(野球の世界大会)が行われます。僕たちは、冬期オリンピックやWBCの全ての試合を見ることは出来ません。気になる種目があると、どうなっているか気になって勉強に身が入らなくなってしまうかもしれません。冬期オリンピックもWBCも良い試合になることを期待しましょう。
さて、今日登場するネヘミヤは、遠い故郷エルサレムの事をあれやこれやとどうなっているのか心配していた人です。ネヘミヤが生きていた時代は、ネブカドネツァル王に仕えたダニエルの時代から約160年後、クセルクセス王の王妃となったエステルの時からは約40年後の時代です。ネヘミヤは、ペルシアの国でアルタクセルクセス王に仕えていました。
ネヘミヤは、「遠く離れた故郷エルサレムでは、神殿が再建され、エルサレムの町も整備され、皆が神様を礼拝して生活しているのだろう」と考えていました。そう考えていたネヘミヤに、エルサレムから帰ってきた人たちが「ネヘミヤさん、エルサレムの町は今大変な状態です。城壁は破壊され、門は焼かれてしまって、人々は困難に直面しています。」と報告しました。なんとエルサレム神殿は再建したものの、エルサレムの町は敵の攻撃を受けて再建が出来ず、困り果てていると言うのです。
ネヘミヤにとって思いもよらない知らせでした。これを聞いたネヘミヤは、「神様、そんなことがあってよいのでしょうか。」と断食をして涙ながらに祈り始めました。ネヘミヤの祈りはまだ続きます。ネヘミヤは「神様、祈りを聞いてください。イスラエルの民がこのような苦しみに遭うのは、自分たちの罪のためであることは知っています。イスラエルの民は神様の教えを守りませんでした。どうか神様、イスラエルの民の罪をお赦しください。神様は悔い改める者に恵みを与えると約束をしてくださいました。エルサレムの町のために自分に何が出来るのかを教えてください。」とネヘミヤは祈り続けました。
その時ネヘミヤは、ペルシアのアルタクセルクセス王に飲み物を出すための毒味役をしていました。ネヘミヤは、エルサレムのことを思うと胸が痛み、つい王様の前で暗い顔をしていまいました。王様の毒味役をするネヘミヤですから、王の前で暗い顔をしていると何か悪いことでも考えているのかと疑われてしまうかもしれないのです。アルタクセルクセス王は、ネヘミヤが普段と違う様子である事をすぐ見抜いて「ネヘミヤ、顔色が悪いが何かあったのか?」と声をかけました。ネヘミヤは、「実は、王様、私のふるさとが廃墟となり、そこにいる人たちは大変な苦労をしています。」と訴えました。すると王様は、「そうか、何をすることが出来るだろうか」と言ってくれました。ネヘミヤは、「王様、私をエルサレムに帰らせてください。そしてエルサレムの町を再建させてください。また再建のための資材も与えて頂けると助かるのですが」と言いました。アルタクセルクセス王は、必要なものを与えて、快くネヘミヤをエルサレムに送り出してくれました。
ネヘミヤがこのように導かれたのは、彼が神様に祈っていたからです。ネヘミヤは神様に祈り、導きを求めました。またネヘミヤは、アルタクセルクセス王と話している時にも心の中で神様に祈ってから答えています。ネヘミヤは、神様が助けてくださる事、神様が導いてくださる事、そして神様が最善をしてくださる事を信じて祈っていたのです。皆は、これから様々な道を通ると思います。学校でも、部活でも、友だちとの関係でも色々なことがあるでしょう。だからこそネヘミヤの祈りの姿を忘れないで欲しいと思います。僕たちは、毎日、どんな事でも神様に祈って導いてもらいましょう。神様は、皆の祈りに耳を傾けて聞いてくださり、答えてくださるお方です。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。ネヘミヤは、いつも神様にお祈りをしていました。僕たちも、毎日お祈りをします。どうか僕たちの祈りを導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」
エペソ人への手紙6章18節
<適用>
教会学校で歌っている「祈ってごらんよ分かるから」と言う賛美があります。礼拝でも賛美しました。歌詞は、私たちを励ましてくれるものとなっています。
「君は神様にネ 話したことあるかい? 心にあるままを打ち明けて 天の神様はネ 君のことなんでも 分かっておられるんだ何でもね だから空仰いで 『神様』と一言祈ってごらんよ分かるから…小川のほとりでも 人ごみの中でも 広い世界のどこにいても 本当の神様は 今も生きておられ お祈りに答えてくださる」
私たちは、心にあるままを打ち明け、何でも神様に祈ることが出来ます。
Ⅰ;あらゆる祈りと願いによって
私たちは、あらゆる祈りと願いによって、日々神様に祈りましょう。改めて言われるまでもなく、皆さんは日々神様に祈っていると思いますが、もう一度私たちの祈りの姿勢について考えてみたいと思います。
ネヘミヤの祈りの姿勢は、私たちにあらゆる祈りと願いによって祈ることを教えています。ネヘミヤは、この時まだ捕囚の民としてペルシアに住んでいました。ネヘミヤが登場する約160年前にダニエルは、南ユダからバビロニアに捕らえ移され、ネブカドネツァル王に仕えました。ダニエルの時代からエステルの時代までの間に、バビロニアからペルシア帝国の時代となり、キュロス王によってユダヤ人のエルサレムへの第一次帰還がなされ、エルサレム神殿が再建されます。エステルとモルデカイがペルシア帝国で活躍していた時、エルサレムでは、町の再建などが懸命に行われていたという事です。エステルから約30年後にエズラがエルサレムに帰還し、律法を教え、主への礼拝について指導するのです。ネヘミヤは、エズラと同時代に生きていた人です。だからネヘミヤは、その一つ一つのことを知っていました。そしてネヘミヤは、エルサレムに帰った人たちが国を建て直し安定した生活を取り戻していると思っていたのです。けれどもネヘミヤは、実際はそうではないという知らせを聞きました(ネヘミヤ1章3節)。神殿は再建されたものの、エルサレムの町の城壁は崩されたままになっているし、周囲の国々からの圧迫によって苦しめられ困難の中にいるというのです。この知らせにネヘミヤは、心を痛め、断食の祈りをします。
ネヘミヤは、まず、主なる神様への賛美で祈りを始めます。「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みをくださる方よ。(ネヘミヤ1章5節)」そして、彼は、同胞ユダヤ人の苦しみを自分の苦しみ痛みとして受け止め執り成し、自分の先祖が犯した罪を告白し、主に赦しを求めます。「どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました(ネヘミヤ1章6節)」これは、先祖の罪を自分のこととして受け止めることであり、自分も知らず知らずのうちに先祖のように主に対して罪を犯しているという深い罪意識からの祈りであると思います。
このネヘミヤの祈りは、私たちに大切なことを教えています。私たちの祈りが、自分の願いだけになっていないだろうかということです。日々の私たちの祈りには、神様への感謝、賛美という要素がどれほど加えられているでしょうか。また私たちは、回りの人たちのための執り成しの祈りをしているでしょうか。ネヘミヤは、自分のこととしてエルサレムの人たちのために祈りました。私たちも、自分の事だけではなく、周りの人たちのために執り成しの祈りをする者となりましょう。そしてその祈りは、「あらゆる祈りと願い」によって日々なされるものです。
Ⅱ;どんな時にも御霊によって
私たちは、どんなときにも御霊によって、日々神様に祈りましょう。ネヘミヤは、どんなときにも御霊によって、主の霊に満たされて祈り続けた人でした。
ペルシアの王キュロスの時にユダヤ人はエルサレムへの帰還が許され、神殿が再建されました(エズラ記1~6章)。しかし、エルサレムの人々は町の城壁を完成させることが出来ず、苦難の中を必死で生き延びていたのです。その事がネヘミヤに知らされ、ネヘミヤは神様への祈りへと導かれていきます。
ネヘミヤは、エルサレムの状況を聞いて、平常心で王に仕えることが出来ませんでした。ネヘミヤの仕事は、王にぶどう酒などの飲み物を出す、献酌官(毒味役)です。ですから、毒見役が王の前で暗い顔をしていたら、それだけで毒をもったと疑われてしまう可能性がありました。けれどもネヘミヤの思いは、いつの間にか彼の表情として現れていたのです。それをアルタクセルクセス王が見て、その原因を尋ねます。ネヘミヤにとっては、ドッキとする瞬間でした。何かを企てていると疑われる可能性があったからです。王の周りに仕えている家臣たちは、ネヘミヤを警戒して王を守ろうと身構えたのではないでしょうか。
ネヘミヤは、心の内にある思いを打ち明けました。そしてネヘミヤは、王の許しが得られればエルサレムに帰り、先祖の町を再建させて欲しいと願い出ます。ネヘミヤがエルサレムの状況を聞いてから、3~4か月が過ぎていました。おそらくネヘミヤは、この数か月間神様の御前に祈りながら、具体的にどのようにすることが出来るのか、実際にエルサレムの城壁を補修するためには、どのくらいの資材が必要なのか、その期間についても思い巡らしていたことでしょう。だから王に「旅はどのくらいかかるのか」と聞かれた時に、すぐに具体的に答えることが出来たのです。この時のネヘミヤの姿勢でポイントとなるのが、ネヘミヤ2章4節の「私は天の神に祈ってから」という言葉です。ネヘミヤは、瞬間、瞬間の祈りを大切にして、短い祈り(瞬時の祈り)をしていたのです。
「祈ることを教えてください」と言う本の中で、祈りについてこのように書かれています。
「ある人の頭の中には、祈りは緊急事態が起こった時にだけするものと言った思いがあります。危険が迫り、病気になり、物が不足し、困難が生じる・・・・そうならなければ祈らないのです(79頁)」。ドッキとするでしょうか。もしかしたら私たちは、困った時の神頼みのような祈り方をしていないでしょうか。この本の著者は、「祈りとは単に何かを神に求めること以上のものです。・・・。祈りはまた、神との交わりでもあります。神を知ることです。(79頁)」と教えています。そして「祈りとは、『いと高き方の隠れ場』に入り、全能者の陰に宿ることです(詩篇91:1)。祈りとは、私たちの欲していることや願っていることを神にお知らせし、神の賜物をいただくために信仰の手を差し伸べることです。祈りは、聖霊が私たちのうちに住んでおられる結果として生じます。(201頁)」とありました。
ネヘミヤは、天の神に祈って行動することを心がけていた信仰の人でした。彼は、御霊に導かれて祈り、祈りによって神様と交わり、神様を知っていたのです。私たちの祈りは、私たちの願いや懇願という一方通行のような祈りになっていないでしょうか。神様との交わりという事は、私たちからの一方的な訴えではなく、祈りを通して神様の御声を聞き、神様の思いを知るという事でもあるのです。そして祈りの本来の目的は、私たちが神様の御声を聞き、神様の思いを知るためにあるのです。
「祈りの世界」と言う本の中では、祈りについて次のように言われています。「まず最初に、私たちの祈りがイエスを動かすのではないことを覚えたいと思います。そうではなくて、イエスが私たちを動かして祈らせてくださるのです。まずイエスが心の扉をたたかれるのです。・・・。(9頁)」
これは、私たちが御霊によって祈るという事を分かりやすく説明しているのではないでしょうか。イエス様は、助け主である聖霊様(御霊様)が私たちの心に住まわれると言われました。私たちは、聖霊様の導きによってイエス様を知り、イエス様を救い主を信じる信仰告白へと導かれます。御霊が私たちの心に働き、私たちを祈りへと導くのです。そして御霊は、どんな時にも祈ることが大切であることを私たちに教えておられるのです。私たちは、ネヘミヤのように大きな問題に直面して祈りに導かれることがあります。それだけではなく、私たちはネヘミヤのように、瞬時の祈りをすることが出来ます。実は、この瞬時の祈りの繰り返しが私たちの信仰生活なのではないでしょうか。
私たちの普段の生活は、別に祈らなくても出来ることは多いと思います。けれども私たちは、小さなことと思える事についても祈ることが大切です。それがあらゆる祈りと願いによって祈るという事です。例えば、食事を作る時、この食事が家族の健康のためになるようにと祈って料理に取り掛かることができるでしょう。誰かに電話をする時には、電話の会話を神様が祝福してくださるように祈れるでしょう。手紙を書く時には相手を励まし力付ける手紙となるように祈ることです。休憩を取る時には、主に守られていることを感謝できるでしょう。これらの祈りは、ごく短い祈りですが、この瞬時の祈りが私たちに多くの祝福をもたらします。
私たちは、あらゆる祈りと願いによって、日々神様に祈りましょう。そして私たちは、どんなときでも御霊によって日々神様に祈りましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。ネヘミヤの祈りの姿を通して教えてくださりありがとうございます。私たちは、ネヘミヤのように、あらゆる祈りと願いによって日々祈り、執り成しの祈りをしていきます。どうか導いてください。また私たちは、どんな時にも御霊によって祈ります。神様、私たちが日々、一つ一つの事柄について祈りつつ歩むことが出来るように導いてください。
まだまだ、寒い日が続きますので、お一人お一人の健康が守られ、日々の生活が神様の祝福に満ち溢れますようにとお願いします。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」
