2026年2月15日(日)マタイの福音書21章1-11節 「救い主を喜び迎える」
<子どもたちへ>
僕は子どもの頃(たぶん保育園に通っていた時だと思います)、友だちの家に遊びにったら、とっても大きな犬がいたのです。吠える声は大きく、とっさに逃げてしまったら追いかけられて怖い思いをしました。友だちのお父さんが犬を止めてくれて噛まれずにすみました。とっても大きかったので、その時の僕なら背中に乗れたかもしれません。乗っていたらどんなだったでしょうか。でも僕は、怖いので近寄ることはありませんでした。
イエス様は、子ろばに乗ってエルサレムに入って行かれました。イエス様がエルサレムに向けて旅を続けていた時のことです。イエス様たちは、エルサレムの近くの村までやって来ました。その時イエス様が、二人の弟子にある命令をだしたのです。
「向こうの村に行ったら、ろばがつながれているのを見つけるでしょう。その近くには、子どものろばがつながれています。それをほどいて連れて来なさい。私はろばの子に乗ってエルサレムに入ります。」イエス様が言いました。
「えっろばですか?そんなことをしたら周りから注意されてしまうのではないでしょうか?」二人の弟子が答えます。
「大丈夫、もし誰かになぜそんなことをするのかと聞かれたら、主がお入り用なのです。イエス様が必要としておられます。と言いなさい。」とイエス様が教えてくださいました。
不思議に思いながら二人の弟子は、村まで急ぎます。村に入るとイエス様が言った通り、ろばがつながれていました。「あっあれだ。本当にろばがつながれているよ。しかも子ろばも一緒だ。」「よし、ほどいて連れて行こう。」二人の弟子は、ろばを連れて行こうとしました。「ちょっと、あなたたち無断でろばを連れて行くのかい。」と近くにいた人が声を掛けました。飼い主でしょうか。二人は、イエス様に言われた通りに「主がお入り用なのです。イエス様が連れて来いと言っています。」と言いました。「そうか。じゃあ連れて行きなさい」とその人は許してくれました。こうして、ろばと子ろばが、イエス様の所に連れて来られました。
弟子たちは、自分の上着をろばの子の背中にかけます。イエス様は、子ろばに乗って「さあ、エルサレムに入城しよう」と出発しました。その姿を見て、弟子たちと周りにいた大勢の人たちが、自分の上着や木の枝を道に敷いて、イエス様が通られる準備を始めました。
イエス様が、子ろばに乗ってエルサレムに近づくと大勢の人たちが「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に」と言って大喜びで賛美しました。「ホサナ」と言うのは、「主よ、救ってください」という意味があります。その他には「バンザイ」と喜びを表す意味があります。皆が、イエス様を喜んで迎え入れたのです。
どうしてかと言うと、旧約聖書の中に救い主がろばの子に乗って来られると預言されていたからです(ゼカリヤ9章9節)。マタイは、福音書の中でその言葉を紹介しています。それが今日の聖句です。一緒に読みましょう。「見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。」マタイの福音書21章5節
イエス様は、救い主として、預言されていたように、子ろばに乗ってエルサレムに入ったのです。だから人々は、「救い主が来られた。神様ありがとうございます。」そんな気持ちを込めてイエス様を迎えたのです。
こうしてイエス様が、エルサレムの町に入って行ったのは、救い主として僕たちの身代わりに十字架にかけられるためでした。教会では、今週の18日の水曜日から受難節(レント)という時期となります。これは、イエス様が僕たちの罪のために十字架にかかってくださったことを覚えて過ごす期間となります。
イエス様こそ、僕たちを罪から救う、救い主です。イエス様の十字架の救いを信じる時、僕たちは罪が赦されます。だから僕たちは、「ホサナ!」と心から賛美して、喜びをもって救い主イエス様を心にお迎えしましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様は、救い主としてろばの子に乗ってエルサレムに入城しました。人々は、イエス様を喜び迎えました。僕たちも救い主イエス様を信じ、心から賛美します。イエス様、僕たちの心を喜びで満たし、僕たちの賛美を導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。」 マタイの福音書21章5節
<適用>
イタリアで冬期オリンピックが開催されています。日本人の選手も活躍していてうれしいですね。オリンピックでは、たくさんの種目がありますが、私はスノーボードの競技を見ていて感動しています。選手たちは、オリンピックの舞台で、誰よりも良い成績を取りたいと考えて懸命に練習をしてきました。けれどもスノーボードのハーフパイプでは、自分よりも上手な選手、自分よりもきれいな技を決めた選手がいると、皆が駆け寄って来て祝福するのです。同じ種目を戦っているはずなのに、相手の成功を喜び祝福する姿は、見る人に感動を与えています。
今日は、イエス様がいよいよエルサレムに入城する時に起こった、大歓声を見ることにしましょう。
Ⅰ;主は用いてくださる
私たちは、救い主イエス様を喜び迎えましょう。イエス様は、私たちの信仰を喜んでくださり、ご自身の栄光のために私たちを用いてくださいます。
イエス様は、ご自分の時(十字架)が近づいたことを知って、エルサレムに向かって行かれます。イエス様は、弟子たちに対してご自分の十字架の死と復活をはっきりと予告しておられました(マタイ20:17-19)。「さて、イエスはエルサレムに上る途中、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。『ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人の手に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
イエス様は、このようにご自分について弟子たちに予告しながら、エルサレムへの道を進まれました。エルサレムの近くにあるオリーブ山のふもとのベテパゲまで来たときに、イエス様は二人の弟子たちを使いに出します。マルコやルカを見ると、イエス様は、「ベテパゲとベタニヤに近づいたとき」に使いを出したことが分かります。このベタニヤには、イエス様と親しくしていたマルタとマリヤ、そしてラザロの姉弟がいました。ヨハネの福音書12章によると、この時イエス様は、ベタニヤに泊まり食事会が行われました。ヨハネは、これを「過越しの6日前」と記しています。という事は、イエス様の十字架の6日前ということです。この最後の重要な時に、イエス様はエルサレムへの入城の準備をするのです。それが二人の弟子を遣わすということでした。その経緯は、先ほど話した通りです。
弟子たちは、ろばと子ろばをほどいて連れて行こうとします。すると主人が「どうしてそんなことをするのか」と聞きます。弟子たちは、イエス様から言われた通り「主がお入用なのです」と答えました。主人は、直ぐに快くろばとろばの子を渡してくれました。弟子たちは、ろばの子が安心するように、母親のろばも一緒に連れて行ったのです。
さて皆さん、ここでまず一つ「主がお入用なのです」という言葉を心に留めましょう。イエス様は、二人の弟子たちを遣わすときに、「まだだれも乗ったことのない子ろば(マルコ11:2)」と言っています。荷物を運んだり、人を乗せたりするには、まだ小さいということでしょう。けれどもイエス様は、そのろばの子をお選びになりました。神様は、ろばの子に力を与えて下さったのです。それでイエス様を乗せて歩くことが出来たのではないでしょうか。イエス様は、私たちにも「主がお入用なのです」と声をかけて下さるのです。私は何もできないと思う必要はありません。私には、それほど力はないと考える必要もありません。イエス様は、私たちを用いて下さるのです。力は、神様が下さるものだからです。
必要なことは、救い主イエス様を喜び迎えて従う事です。イエス様ご自身も私たちのことを喜んでくださり、祝福を与えてくださいます。
Ⅱ;へりくだり、主を見上げて
私たちは、主の前にへりくだり、主を見上げて「ダビデの子にホサナ」と賛美して、救い主イエス様を喜び迎えましょう。
イエス様は、ベタニヤからエルサレムを目指します。過越しの祭りが行われるということで、大勢の人々がエルサレムに巡礼に来ていました。その人々は、イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに来ようとしておられることを知ってイエス様を迎えます。まず弟子たちは、ろばの子に自分ちの上着をかけました。群衆は、自分たちの上着を道に敷き、ある人たちは、木の枝を道に敷いて喜び迎えました。彼らの喜びの言葉は、「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」という詩篇118篇25-26節の引用でした。この詩篇は、過越しの祭りの時に読まれる詩篇で、群衆は過越しの賛美をイエス様に当てはめていたのです。「ホサナ」とは、「今お救い下さい」という意味があります。また「ホザナ」は「万歳」という喜びの意味もあります。ですから人々は「万歳。主の御名によって来られる方に」「ダビデの子よ、今お救い下さい」と賛美したのです。
この賛美の姿をもう少し見ることにしましょう。イエス様は、ろばの子に乗ってエルサレムに入っていかれました。これは、預言者ゼカリヤが預言した救い主の姿です。マタイは、イザヤ書62章11節とゼカリヤ9章9節を合わせて引用しているようです。
「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。』(イザヤ62:11)」、「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って、雌ろばの子である、ろばに乗って。(ゼカリヤ9:9)」
イエス様は、この救い主に関する預言が成就するためにろばの子に乗れました。群衆は、預言者が語っていた通りのお方が、今目の前にいること、それがイエス様だったことを知り、喜び迎えるのです。イエス様は、戦いに用いる馬ではなく、ろばに、しかもまだ誰も乗せたことのないろばの子に乗っておられました。馬は、戦いを連想させ、ろばは、柔和とか平和を連想させる動物です。イエス様は、平和の王として来られたのです。そしてイエス様は、柔和なお方、愛に満ちたお方としてご自信を示されたのです。これこそ私たちの救い主、イエス様のお姿です。イエス様は、私たちのために十字架の死にまで従順に従われました。イエス様は、私たちの罪の代わりに十字架で死なれただけではなく、死を打ち破りよみがえられました。私たちは、救い主イエス様を「ホサナ」と賛美し心にお迎えしましょう。
また私たちは、弟子たちや群衆の行動に注目したいと思います。弟子たちは、自分の上着をろばの子の背中に敷きイエス様はその上に座りました。群衆は、自分の上着や木の枝を道に敷き、イエス様はその上をろばの子に乗って進んで行かれるのです。この上着を敷く、木の枝を敷くというのは、自分たちの王を歓迎する時の当時の習慣だったようです。そして、自分たちの上着を敷くというのは、「私はあなたに全てを委ねます」という気持ちの現れという事が出来ます。弟子たちも群衆も、イエス様に対して、へりくだり、謙遜になり、全てを委ねて、救い主、王として迎えるのです。それが「ホサナ!」という大歓声、賛美の声となるのです。
私たちは、礼拝に集い主を賛美しています。私たちが賛美するその時、私たちの心にはイエス様への溢れる感謝と爆発的な喜びがあるでしょうか。私たちは、「イエス様、あなたこそ私の救い主です。私は、あなたを信じ、あなたに全てを委ねます」という信仰告白をもって賛美することが重要となります。私たちは、「ダビデの子にホサナ。」と主の御前にへりくだり、主を見上げて賛美しつつ歩みましょう。
Ⅲ:真心を込めて
私たちは、真心を込めて救い主イエス様を喜び迎えましょう。
イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに入る時、喜び賛美しながら迎えた群衆の中には、弟子たちがいました。その他に、イエス様に病を癒してもらった人、悪霊から解放していただいた人、イエス様の教えに励まされ、喜んで話しを聞いていた人たちがいました。しかし彼らのイエス様に対する理解は、「イエス様こそ救い主」という明確なものではなかったようです。群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言うのです。彼らの多くは、イエス様を「超人気者の我らがイエス」と受け止めていたのではないでしょうか。そして多くの人たちが、イエスこそイスラエルをローマから解放してくれる指導者と受けとめていました。その証拠に、エルサレム入城の数日後、エルサレムにいた群衆は、イエス様を「十字架につけろ」と叫び出すのです。弟子たちでさえ、イエス様が捕えられた時、逃げ出してしまったのです。これは、実に悲しいことですが、人のうちにある真実の姿ではないでしょうか。人は、罪のために神様から心が離れ、イエス様を救い主と受け入れることが難しい状態にあります。イエス様は、そのような罪人のために十字架にかかり、救いの道を備えてくださったのです。私たちは、真心を込めてイエス様を賛美する者のとなりましょう。
今年は、2月18日の水曜日から「レント(受難節/四旬節)」に入ります。レントは、イースターの前の日曜日を除いた40日前から始まります。この40日と言うのは、イエス様が荒野で40日間の断食をして過ごされたことやイスラエルの荒野の40年などから定められたと言われています。受難週は3月29日(日)から始まり、受難日は4月3日(金)、イースターは4月5日(日)となります。
ともあれ受難節は、イエス様の受難を覚え、救いのみわざに感謝する期間として過ごすことが大切です。旧約の預言者イザヤとゼカリヤは「あなたの王が来る」と預言しました。その通りに、イエス様は私の、あなたの王、救い主です。イエス様は、私たち一人ひとりのためにこの地上に来られ、私たち一人ひとりの罪のために十字架で死なれ、よみがえり、今も生きておられる救い主です。
私たちは、私のために来られた救い主イエス様の御前にへりくだり、真心を込めて「ダビデの子にホサナ・・・」と喜びと感謝をもって賛美し、イエス様を心に迎えましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。群衆は、ろばの子に乗ってエルサレムに入城されるイエス様を「ホサナ」と賛美して歓迎しました。私たちも「ホサナ」と賛美し心からイエス様を迎えます。イエス様は、私の救い主であり、私たちは主のものです。私たちは、全ての事を主の御手に委ねて歩むことができますから感謝いたします。主よ私たちを導いてください。イエス様の救いの恵みが一人ひとりの上に豊かに在りますように。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」
