2020年12月6日(日)礼拝説教 マタイの福音書1章18-25節 「恵とまことのお方」

< 子どもたちへ>
 中心聖句: マタイの福音書1 章2 1節
「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

 アドベント第2 週の日曜日となりました。1 2 月に入って、ああ、今年もあと1か月なんだな、クリスマスなんだな、と実感しています。世の中全体が忙しい感じになりますが、心を静めてクリスマスの恵みを心に覚えたいと思います。
 さて、先週はマリヤへの救い主誕生のみ告げのお話でした。今日はもう一人、天使のみ告げを受けた人のお話です。さあ、それは誰でしょうか? マリヤと結婚の約束をしていた男の人、ヨセフです。
 この絵を見て下さい。困った顔をしている人、これがヨセフです。お仕事は大工さんでしたが、先祖をさかのぼるとダビデ王様につながる家系の人です。そのヨセフがショックを受けています。「うーん、どういうことだろう。マリヤが結婚もしないうちから赤ちゃんを身ごもっているなんて。」ヨセフのマリヤは結婚の約束をしていたのですが、まだそれは先の予定でした。それなのに、マリヤのお腹が大きくなってきたのです。「マリヤは聖霊によって身ごもったと言うけれど、そんなわけないよ。やっぱりもう結婚は出来ないや! 」ヨセフは悩みながらも、マリヤが責められないようにとこっそり結婚を取りやめることにしたのでした。

 ところがその夜、ヨセフは夢を見ました。神様の御使いがあらわれて言いました。「ヨセフよ、こわがらないでマリヤを妻に迎えなさい。お腹の子は聖霊によってやどったのです。男の子が生まれるのでイエスと名づけなさい。この子は人々を罪から救って下さる救い主です。」
 ここまで聞くとヨセフは飛び起きました。「今の夢は神様のお告げだ! マリヤの言っていたように、聖霊によって救い主を身ごもったんだ! 」そうわかったヨセフは、もう迷いません。二人は正式に結婚をして、赤ちゃんの誕生を楽しみに待ちました。ヨセフが神様の語られた通りにしたことで、マリヤと生まれてくる赤ちゃんは守られたんですね。神様のおっしゃることに素直に従うことが大切です。

 今日のみことばに、救い主の名前は「イエス」とあります。イエスとは「主は救い」という意味です。生まれて下さるお方は救い主なのです。神様を悲しませてしまう罪が、私たちには必ずあります。その罪を赦して頂くためには、この救い主に代わりに罪を背負って頂く必要があります。イエス様は、そのためにこの世に来てくださるお方です。
 またマタイ1: 2 3には「インマヌエル」と呼ばれるとあります。これは名前ではありませんが、「神が私たちとともにおられる」という意味です。信じて神様の子どもにして頂いた私たちは、神様と一緒に生きることが出来るのです。

 皆さんのクリスマスを迎える心はいかがですか? プレゼント、ごちそうが楽しみですか? 楽しいイベントがないかな?と気になりますか? でも一番大切なのは、主役のイエス様が心の中にしっかりいらっしゃることです。イエス様への感謝の心をしっかりもって、今年のクリスマスを迎えましょう。


< 適用>
中心聖句: マタイの福音書1 章2 3 節
「『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である。」

 クリスマスの時期になるとポインセチアやシクラメンが飾られていきます。今年もきれいなポインセチアが飾られています。またこの時期に咲く花としては、クリスマスローズがあります。その茎や根には毒があるそうです。が、その成分が気持ちをお落ち着かさせると言われています。このクリスマスローズの花言葉は、「追憶」「いたわり」「慰め」などの意味がつけられています。クリスマスの時期に咲く花としてふさわしいのではないでしょうか。
 アドベント第2 週を迎えました。今日もクリスマスの出来事に心を向けていきましょう。

Ⅰ ; 神が人となられた

 今日は、まず最初にヨハネの福音書1章から見ることにしましょう。イエス様は、恵みとまことに満ちたお方です。ひとり子の神であるイエス様は、人としてお生まれになりました。
 ヨハネは、イエス・キリストについて「ことば」という表現を用います。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。( ヨハネ1:1 ) 」。創世記を見ると、神様は、ことばによって全てのものを造られました。このことばは、神としての永遠の力を現しています。そしてヨハネがここで使う「ことば」とは、単なる言葉ではなく、神としての存在を現しているのです。だからヨハネは、すぐに「ことばは神であった。」と言い、「この方は、初めに神とともにおられた。( 同2 節) 」と語るのです。このようにしてヨハネは、イエス様が神様であり、天地創造の初めから存在しておられた永遠のお方であることを証しているのです。

 そしてこのことばであるお方が、私たちの間に住んでくださったのです。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(同1 4節)」これは、神であるお方が、人となって、この世に来てくださったということなのです。
 ここにクリスマスのメッセージがあります。クリスマスは、イエス・キリストの誕生日をお祝いする日であることを誰もが知っています。しかしこのイエス様が、どのようなお方かを知っている人は少ないのです。ヨハネは、イエス・キリストこそ、神のひとり子であり、救い主であると語るのです。そしてその通り、イエス様こそ、私たちの間に住まわれた、救い主なのです。

 このお方は、「恵みとまことに満ちた」お方です。
「恵み」と訳されたギリシ語「カリス」は、「愛顧、恵み、恩寵」という意味があります。イエス様が私たちに与えてくださる恵みは、神様ご自身の持ってられる愛と恩寵なのです。
 そして「まこと」と訳されているギリシャ語「アレーセイア」には、「真理、まこと、本当のこと」という意味があります。イエス様こそ私たちに真理を示してくださるお方であり、イエス様の愛は本物であり、イエス様の慰めは、偽りがないのです。
 そして「満ちている( プレレース)」と言う言葉には、「十分な、完全な、不足のない」という意味があります。イエス様は、この世が与えることの出来ない恵みを持っておられ、私たちを真理に導くのに完全なお方なのです。イエス様には、不足がないということですから、イエス様は、私たちの心を、人生を、十分に完全に満たすことが出来るお方なのです。

 今、皆さんは、イエス様に十分満たされているでしょうか。イエス様からの恵みとまことに満たされているでしょうか。イエス様を心にお迎えし、見上げて歩みましょう。

Ⅱ ; ヨセフの悩みと不安

 イエス様は、恵みとまことに満ちておられるお方です。この天からの恵みとまことをいち早く経験した人がいます。それがマリアとヨセフです。ルカの福音書には、ナザレの町の一人の処女マリアが救い主の母になるために選ばれたことが記されてあります。み使いは、マリアに神様の恵みを語りました。もう一人が、救い主の父となるために選ばれたヨセフです。ヨセフは、大きな悩みと不安の中で、神様の恵みとまことを経験し、神様の導きには何の不足もないことを知ったのです。マタイの福音書1 章を開きましょう。

 マタイは、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図( 1節) 」と書き出しています。神様は、アブラハムを選び、アブラハムを通してすべての民族が祝福を受けるとの約束を与えました( 創世記1 2 : 3 ) 。このアブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、イスラエル民族へと子孫が増えていきました。
 また神様は、ダビデを選びイスラエルの王とし、その王座がとこしえに続くと約束をされました(Ⅱ 歴代誌17 : 1 2 ) 。その約束がイエス・キリストによって成就するのです。イエス・キリストによってすべての人々が救いを受け、イエス・キリストがとこしえにこの世を治めるのです。マタイはそのことを、系図によって明らかにしています。救い主イエス様は、神であるにもかかわらず、人間の姿を取り、歴史のただ中に誕生してくださったのです。

 しかし、その成就は思わぬ事態を通してやってきました。神様から見たら計画の通りですが、人間から見るとそれは思わぬ事態としか言いようのないものでした。そのためにヨセフは、悩み、不安に陥り、恐れるのです。その思わぬ事態とは、婚約者マリアの妊娠です。1 8 節には、「身ごもっていることが分かった。」とあります。これは、「判明した」という意味を持っている言葉が使われています。ヨセフは、マリアの「聖霊による妊娠」ということが理解できないのです。
 ヨセフは、ユダヤ人としてこの状況を早急に解決する必要がありました。なぜならば、ユダヤの律法では、姦淫の罪を犯した者は、石打の刑に処せられることになるからです。ヨセフは、マリアの事が表ざたになる前に解決しなければなりません。人生最大のピンチです。ヨセフの苦悩ぶりを想像することが出来るでしょうか。ヨセフは、ユダヤ人として律法を忠実に守る正しい人でした。その正しさゆえに彼は、婚約者でも姦淫の罪を見過ごすわけにはいかなかったのです。ヨセフが出した答えは、律法に従ってマリアと離婚することです。ヨセフは、祈りの中で神様の御心を求め、そしてマリアを愛するゆえに、より最善の方法を選んだと言えるのではないでしょうか。しかしヨセフは、一つの結論に達しますが、なおも思いめぐらし、考え続けていました。

 その時です。御使いが夢の中でヨセフに現れたのです。神様は、夢を通して語って下さいました。夢の中で神様の御声を聞くと言う事はどんな気持ちなのでしょうか。皆さんは、どのような夢を見ることが多いでしょうか。私は、最近は夢を見ていません( 覚えていないだけかもしれません) が、時々何かに追い立てられるような夢を見ることがあります。「日曜日の礼拝が始まるのに、ネクタイが出来ていないとか、集会が始まっているのに、ワイシャツが見当たらない」といった夢です。目が覚めて「いい夢だった」と思う事はめったにないものです。けれどもヨセフのこの時の夢は、大きな慰め、励ましとなったのです( 2 0 - 2 1 )。
 マリアは、自分を裏切ったのではなく、間違いを犯してもいませんでした。マリアの身に起きたことは、まさに神様のみわざであり、聖霊の働きでした。さらに生まれる子は、「男の子」であり、預言者が預言していた救い主で、名前は「イエス」とつけるのです。「イエス」という名前は、ヘブル語では「ヨシュア」、「主は救い」という意味です。マリアが宿している子は、すべての人を罪から救う救い主であることがヨセフに告げられたのです。

 ヨセフは、人生を左右する大きな問題の中に神様からの恵みとまこと、何の不足もない神様の導きを受けることが出来ました。神様は、私たちに恵みを与えてくださるお方です。私たちのためにお生まれになった救い主イエス様は、私たちに恵みを与え、本当の救いを与え、何の不足もなく満たしてくださるお方なのです。

Ⅲ ; いつも共におられる

 イエス様は、恵みとまことに満ちておられるお方です。そしてイエス様は、私たちといつも共にいてくださるお方なのです。神様は、ヨセフに進むべき道を示しました。それに対してヨセフが新たに決断したことは、御使いを通して神様が教えてくださったことに従順に従うことでした( 2 4 – 2 5 ) 。
 ヨセフは、イエス様が生まれるまでマリアと夫婦としての性的な関係を持つことはありませんでした。これは、神様によって語られたことをしっかりと受け止めていた証拠です。ヨセフには、神様によって語られたことが実現するのを見守ることと、人間的な介入をするべきではないこと、そしてマリアを出産までしっかりと守るという役割が与えられたのです。救い主の誕生は、マリアの信仰だけではだめで、ヨセフの従順も必要だったのです。

 マタイは、救い主イエス様がお生まれになるのは「インマヌエルと呼ばれる」という旧約の預言の成就であると言っています。「インマヌエル」この言葉は、「神が私たちとともにおられる」という意味です。神様は、いつもヨセフとマリアと共におられ、彼らを励まし、守り、祝福しておられたのです。
 イエス様は、私たちといつも共にいてくださるのです。そして私たちと共にいてくださるイエス様は、私たちを照らすまことの光です。イエス様がいつも私たちと共におられるから、私たちは、イエス様の持っておられる恵みとまことに満たしていただくことが出来るのです。イエス様が私たちを導くその道は、何不足なく、完全です。イエス様は、恵みとまことに満ちておられるお方です。信じて、感謝し、礼拝して歩みましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。今日もこのように礼拝することが出来た恵みを感謝致します。イエス様は、恵みとまことに満ちたお方です。ヨセフとマリアが神様からの恵みとまことに満たされ、平安を与えられたように、私たちもイエス様の恵みとまことに満たされ、何不足なく導かれる事を感謝致します。イエス様が、いつも私たちとともにいてくださる事を感謝致します。どうぞ私たちの歩みを祝福してください。
 神様、新型コロナウイルスの感染を終息させてください。医療に従事しておられる方々が支えられますように。世界中に神様の恵みと慰めと癒やしが満ちあふれますようにお願い致します。救い主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」