「恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ。それをあなたの首に結び、心の板に書き記せ。神と人の前に好意を得、聡明であれ。」
箴言3章3-4節
<子どもたちへ>
皆さんは、家族と出かけていて迷子になったことはありますか?おそらく子どもは、迷子になったことに気づいていないと平気で歩き回るでしょう。しかし、自分が迷子になった と分かった瞬間とても不安になります。親は 、 子どもが迷子になったら、 それはもう非常にパニックになります。そして必死に探し回って見つけます。今日は、イエス様が家族とエルサレム神殿に行った時、一人神殿に残っ た時の話です。
イエス様がお生まれになったのは、どこだったでしょうか。ベツレヘムですね。 イエス様は、一度 ベツレヘム から エジプトに移動して、その後ナザレで住むことになりました。
さて、 イエス様が12歳 の時、イエス様は 両親とともにエルサレムに巡礼に行きました。イエス様の両親のヨセフとマリアは、ユダヤ人が大切にしていた 、 年に一度の「過越の祭り」には、エルサレムに巡礼することにしていました。ヨセフとマリアは、イエス様が12歳になったときに、過越の祭りの巡礼にイエス様を連れて行きました。 これは、ユダヤ人の習慣に従ってのことでした。ユダヤ人の男子は、13歳で成人し大人とみなされ会堂での礼拝が許されます。そのためにユダヤ人は、子どもが12歳になると準備のために礼拝について学ぶのです。イエス様が12歳でエルサレムに連れて行かれたのも準備のためでした。
皆は、こうして毎週礼拝に来ていますね。家から教会までどれくらいの距離でしょうか。イエス様が移動した距離は、約100㎞くらいあります。その移動手段は、歩きだったでしょうから、相当時間がかかったと思います。
こうしてイエス様たちは、エルサレム神殿での礼拝を終えて、ナザレに帰ります。しかしイエス様は、両親とは一緒に帰らず、一人エルサレムに残っていたのです。ヨセフもマリアもそのことに気づかず、一日の道のりを帰ってしまいました。
この時の移動の仕方 は、子ども、女性、男性とグループに分かれて移動したのだそうです。 皆も友だちと一緒に移動すると楽しいから、自然と子どもたちのグループが出来るでしょう。だから ヨセフとマリアは、イエス様が、子どもたちのグループにいると思ってい のです。でも途中で確認するとイエス様は、いませんでした。「イエス-! イエス-!」いくら呼んでも見当たりません。 ヨセフとマリアは、慌ててイエス様を探しながら、エルサレムに戻ります。3日目にようやく見つけ出すことが出来ました。その三日間ヨセフもマリアも眠れなかったでしょうし、「もっと自分たちが出発前に確認しておけば」 と思ったでしょうね。
イエス様は、この三日間どこにいたでしょうか。迷子になって困っていたでしょうか。そうではなく、イエス様は、エルサレムの神殿にいて、ユダヤ教の教師たちといろいろ 話をしていたのです。イエス様は、両親を困らせるためにこんなことをしたのではありません。イエス様は、神の子として父なる神様を礼拝する神殿にいることが嬉しかったのです。この後、イエス様はナザレに帰り両親に従って成長しました。
さて、今日は、二つのことを心に留めましょう。イエス様は、神様を礼拝することを大切にしました。僕たちもイエス様のように神様を礼拝することを大切にしましょう。そしてイエス様は、両親に従い、神と人に愛され て 成長されました。僕たちもしっかりと両親に従い、そして神様と人に愛される者として成長しましょう。
そのためには、僕たち自身がまず、神様を愛し、人を愛することを学ぶ必要があります。聖書を読み、御言葉から教えて頂きましょう。
祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様が神様を礼拝することを大切にしたように、僕たちも神様を礼拝することをを大切にすることが出来るように助けてください。イエス様が神と人とに愛されていたように、僕たちも神と人に愛され、愛の心を持つことが出来るように導いてください。
神様、この一年、子どもたち一人一人の学校生活を守ってください。神様によって心も体も大きく成長することが出来ますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
<適用>
皆さんは、子どもの頃どのようなお子さんだったのでしょうか。私は、自分のことを振り返ると、ちょっとやんちゃだったのではないかと思います。保育園の頃、お昼寝の時間友だちと話をしていてなかなか寝なかったのです。そうすると私が友だちと話をしないようにと、昼寝の時間に先生が近くに座るのです。私は、それが嬉しくて、またなかなか寝ることはありませんでした。小学生の時は、学校での勉強よりも友だちと遊ぶことや給食が楽しみだったのを覚えています。
イエス様は、どのような子ども時代を過ごしたのか、聖書は明確にしていません。唯一ルカだけが一つのエピソードを書いているだけです。ルカは綿密に調べて福音書を書いていますので、恐らく母マリアからイエス様の子ども時代のことを聞いたのでしょう。聖書は、イエス様の誕生と12歳の時のこと以外イエス様について沈黙しています。今日の箇所は、イエス様の成長を知る上で大切な箇所だと思いますし、また私たちの信仰の成長のために模範するべきことが示されていると思います。
Ⅰ;父なる神様との正しい関係
私たちの信仰が健全な成長をするために必要なことは、父なる神様との正しい関係を持つことです。
イエス様は、父なる神様を礼拝することを大事にする家庭で成長なさいました。41節には、ヨセフとマリアが過越の祭の時期に毎年エルサレム巡礼を行っていたと書かれています。これは、彼らが、神様を礼拝することを大切にして信仰の歩みをしことの現れです。と言うことは、彼らはユダヤ人としてナザレでも会堂に集まり礼拝をし、家庭では旧約聖書を教えていたことになります。イエス様は、両親のそのような姿を通して学び、礼拝をするのです。ヨセフとマリアは、イエス様を育てるために何もする必要がなかったのではありません。彼らは、ちゃんと親として信仰の継承をするのです。そして子どもたちは、親やユダヤ教の教師の教えをしっかりと聞いて、御言葉を覚え主に従うことを学ぶのです。
このことは、今でも信仰継承をするために必要な要素ではないでしょうか。子どもたちは、親の信仰の姿勢を見て育ちます。そして教会では、子どもたちは、大人たちの礼拝の姿勢を見て礼拝とは何かを学びます。まず、大人である私たち自身が神様との正しい関係を築き上げなければならないのです。これは、私自身へのチャレンジであり、大きな課題だと受け止めています。子どもが成人していたとしても遅くはありません。今からでも私たちは、自分の信仰を見つめ直し、神様との正しい関係を持たせて頂きましょう。
では、「神様との正しい関係」は、どのように形成されるのでしょうか。それは、両親がイエス様を探していた3日間にイエス様がしていたことにヒントがあるように思います。イエス様は、三日間どのように過ごしイエス様は、三日間どのように過ごしていたのでしょうか。イエス様は、三日間神殿にいて、ユダヤ教教の教師たちと論じ合っていたのです。そしてユダヤ教師たちは、イエス様の知恵に驚きました。イエス様の持っていた知恵は、神のひとり子としての知恵です。イエス様は、御言葉を正しく正確に理解し、御言葉に基づいて論じていたのです。神様との正しい関係は、聖書の御言葉によってって形成されると言うことです。
そして神様との正しい関係は、私たちの心の拠り所、人生の土台を提供します。イエス様は、両親に対して「どうして探し回ったのですか?」と答えました(49)。この時イエス様は、すでに神の子であるという自覚があったことを示しています。
イエス様は、自分がいるべき場所、とどまるべき場所を理解していたのです。イエス様は、何を優先すべきで、どこに平安があるのかを知っていたのです。イエス様は、父なる神様のもとにとどまり、神様との交わりを大切になさいました。イエス様は、父なる神様のもとで平安があり、父なる神様とともに歩むことで喜びがあると知っていたのです。そしてイエス様は、いつも父なる神様のもとに帰る事が出来ることを知っていたのです。
私たちの歩みも神様のもとで平安が与えられます。私たちは、いつでも神様の元に帰る事が出来るし、神様のもとにいるべきなのです。このような神様との個人的な親しい関係を持つことで、私たちの心は健全に成長していきます。
Ⅱ;神と人に愛される
私たちの信仰が健全に成長することによって、私たちの生き方が変わっていきます。
イエス様は、完全な神として、ひとり子なる神という自覚がありました。と同時にイエス様は、完全な人として、ヨセフとマリアによって信仰の教育を受け成長されるのです。それがルカ2章51-52節です。イエス様は、人として両親に仕え、ひとりの子どもとして成長されました。しかし違っている点は、完全に正しく罪を犯すことはなかったということです。その完全さをルカは、「神と人とにいつくしまれたいつくしまれた(愛された)」と表現しています。これは、神と人に大切にされ尊敬され、愛され、神と人を大切にし、愛したと言うことです。
私たちは、子どもの成長過程の中で「自立する」ことを促します。正しい「自立」とは、自分の人生を自分の力で切り開き、自分一人で何でもしていくと言うのではなく、他の人との関係を意識して、他者の関わりの中で生きるようになることです。
人間として自立すると言うことは、自分だけではなく、他者のことを考える事が出来て、他者のことを大切にし、共存することが出来るようになることを目指します。教会の自立と言うことを考えたとき、その教会だけの成長ではなく、他の教会との交わりが豊かにされ、ともに主に仕えることがが出来るようになるのです。会社の自立というのは、その会社だけが成長するのではなく、その業種が成長し、社会が豊かになることを目指すことに現れるものだと思います。
イエス様は、父なる神様との正しい関係を持つことによって、健全な成長をなさり、神と人に愛され、神と人を愛する者として成長するのです。イエス様は言われます。「心を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と。私たちは、このイエス様の言葉を知っています。そうする必要のあることも理解しています。しかし私たちにとって、それを実行することは大きなチャレンジであり、難しさを感じるのではないでしょうか。
だからこそ、私たちは、イエス様を見つめ、父なる神様との正しい関係を持たせて頂きしょう。聖書の御言葉は、私たちに必要な知恵を与えてくださいます。神様との親しい交わりを持たせて頂きましょう。私たちは、神と人とに愛され、神と人を愛する者として成長し続ける事が出来るように祈り歩みましょう。
祈り
「愛する父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。今日の礼拝を心から感謝致します。神様の御前に歩ませて頂ける恵みをありがとうございます。
イエス様が成長なさる姿から学ばせて頂きました。イエス様は、父なる神様との正しい関係を持ち、神様と親しい交わりを持っていました。私たちも父なる神様のもとにいいつも帰る事が出来、神様のもとで平安が与えられ、喜びが与えられ、信仰が成長することを知りました。どうぞ神様、私たちの心を導いてください。そして私たちの心が、たましいが健全に成長し、神と人とに愛され、神と人とを愛する者として成長し、主の栄光を表すことが出来るように導いてください。
この祈りを私たちの救い主、イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」