<子どもたちへ>
新しい学年が始まって1か月が過ぎますが、皆のクラスは、どんな雰囲気ですか?良い雰囲気でしょうか?あまりよくないでしょうか?僕たちは、人間関係で苦労することがあります。自分を理解してもらいたいと思いならが、なかなかうまくいかないという事があります。そんな時僕たちは、神様に助けていただきましょう。
先週は、モーセが誕生して、エジプトの王女の子ども(王子)として育てられる所までを聞きましたね。神様は、確かにモーセを守って用いようとしておられました。今日は、その続きを見てみましょう。
モーセは、川から引き揚げられた時、最初お母さんのもとで暮らすことが出来ました。エジプトの王女が養育費を出してくれて、お母さんは何不自由なくモーセを育てることが出来ました。モーセが乳離れした時に、お母さんは、モーセをエジプトの王女のもとに連れて行きました。こうしてモーセは、エジプトの王子として成長する事となります。しかし彼は、自分がイスラエル人(ヘブル人)であることを忘れることはありませんでした。モーセは、自分がエジプトの王子としての教育を受けながら、自分がイスラエル人(ヘブル人)であるということをずっと考えていたことでしょう。モーセは、イスラエルをエジプトから救う事が出来ないだろうかと考えたと思います。モーセが40歳になった時(使徒7:23)に、大きな転機がやって来ました。モーセは、エジプト人がイスラエル人を痛めつけているのを目撃しました。モーセは、とっさに怒りが沸き起こってきてエジプト人を打ち殺してしまいました。
翌日、また街に出ていくと今度は、イスラエル人同士が争っています。モーセは、苦役にさらされ大変な状況で、同じイスラエル人同士が喧嘩をしている場合ではないと仲裁に入ろうとします。しかし、イスラエル人は、モーセに対して「俺たちも打ち殺す気か」と詰め寄りました。モーセは、自分がエジプト人を打ち殺してしまったことの重大さに初めて気が付きます。モーセのしたことは、エジプトの王様ファラオに知られました。モーセは、すぐに逃げていきます。そして約40年間モーセは、ミディアンの地で羊飼いをしながら反省し、神様からの訓練を受けることとなりました。
その後、神様がモーセをエジプトに遣わす時がやって来ました。モーセは、イスラエル人をエジプトから助け出すことは諦めていたかもしれませんし、自分の役目ではないと考えたかもしれません。けれども神様は、燃える柴の中に現れてモーに語ります。モーセは、神様の言葉に励まされ、力づけられて立ち上がることが出来ました。
モーセは、最初自分の力でイスラエル人を開放することを考えました。でもそれは、モーセの自己満足であり、自己中心、傲慢な方法でした。だから誰もモーセを理解する事はなかったのです。けれども今後は、神様からの命令であり、神様の方法ですから、神様が導いてくださることとなるのです。
皆さん、僕たちは、何かをするときに自分勝手になることがありますよね。自分中心で、周りの事よりも自分の考えや意見を優先しようとします。その結果僕たちは、周りの声を聞くことが出来ず、神様の喜ばれることも出来なくなってしまいます。十分に注意する必要があります。僕たちは、神様に心を守っていただいて、周りの人たちとの人間関係が良くなるように、神様の喜ばれることを実行することが出来るように祈りましょう。
祈り
「愛する天の父なる神様、モーセは自分の力や考えて進んでいこうとしたときに失敗しました。けれどもモーセは、神様によって力づけられ、立ち上がることが出来ました。僕たちも神様によってしっかりと立ち上がり、自己中心ではなく神様を中心にして生きていけるように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
<適用>
「主は言われた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。』」 出エジプト記3章7節
「ねぇ聞いてる?」時々子どもたちから言われる言葉です。最初、子どもたちの話しを聞いていますが、何か別な事を考え始めるとうなずきながら聞いてないという事があります。子どもたちは、そんな親の態度を見逃すことはありません。子どもたちは、自分の声が聞こえていると安心するものです。
私たちの神様は、私たちの声を、思いを、聞いてくださるお方です。
Ⅰ;神は聞いてくださる
私たちの叫びは神様に届きます。その叫びを神様は、聞いてくださいます。
モーセは、ミディアンの地に逃れレウエル(イテロ)のもとに身を寄せ、その娘ツィッポラと結婚しました。そしてモーセは、ミディアンの地で羊飼いの仕事をしながら過ごしていました。実は、ミディアンの地での数十年は、モーセにとって必要な訓練の時となりました。使徒の働き7章のステパノの説教からするとモーセは、40年間ミディアンの地で羊飼いをしていました。羊は、とても弱い動物ですから羊飼いがしっかりと見守っていないと迷子になってしまいます。一度迷子になると羊は、自分では群れに戻ることが出来ません。ですから、羊に取って羊飼いはとても大切な存在となります。羊飼いとしての仕事は、モーセに群れを導く方法を教えたでしょうし、群れの一匹一匹に目を配るという方法も教えたでしょう。何よりもモーセは、羊飼いをしながら、イスラエルの神様の事を考え、自分がいかに傲慢であったのか、エジプトでイスラエルの苦しみを見た時にどうしたら良かったのか冷静に考える事が出来たのではないでしょうか。そしてモーセは、神様に祈りつつ、心の内側の思いを打ち明けていたのではないかと思うのです。まず神様は、モーセの心の内側の叫びをお聞きくださいました。そして神様は、自分の弱さを自覚したモーセを取扱ってくださったのです。
そしてもう一つ神様が聞いてくださっていたのは、エジプトにいるイスラエルの民の叫びです。モーセがミディアンの地に逃れてからしばらく経った時、エジプトの王は死にました。しかし新しい王になってもイスラエルへの苦役はなくなることがありませんでした。そのような奴隷状態が続く中で、イスラエルの民は、主なる神様に叫び、祈り求めました。
するとどうでしょうか。彼らの叫びは「神に届いた」と言われているではありませんか。しかも繰り返し言われています。2章23節「彼らの叫びは神に届いた。」、24節「神は彼らの嘆きを聞き」、3章7節「わたしは、・・・追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた」、9節「今、見よ、イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた」神様は、何度も「聞いた」、「届いた」と言ってくださっているのです。イスラエルの民の叫び、心からの祈り、苦しみの中からの泣き叫びは、天地を造られた主なる神様に届き、神様が聞いてくださるのです。
この約束は、今も変わらず私たちを慰めます。神様は、私たちの心の叫びを聞いてくださいます。私たちは、何か問題があったりすると家族に相談したり、友達に「ちょっと聞いてよ」と相談したり、「もう本当に嫌になる」のように愚痴を聞いてもらったりします。そのことは、私たちの心を少しは楽にするでしょうし、大切なことです。しかし私たちには、もっと確実な方法があります。それは、神様に祈ることです。私たちは、この世界を造り、支配している神様に祈ることが出来るのです。私たちは、私たちを愛し、良いもので満たしてくださる神様に叫び求めることが出来るのです。そして神様は、私たちの叫びを聞いてくださるのです。皆さん、これ程力強い事はありません。今、心に悩みがありますか?助けを必要としていることがあるでしょう?苦境に立たされているという様な事があるでしょうか。神様に叫び求めましょう。私たちの叫びは神様に届き、神様は聞いていてくださいます。
Ⅱ;神は見てくださる
私たちの叫びは神様に届きます。神様は、叫ぶ私たちを見ていてくださいます。
イスラエルの民は、苦役の中から、まことの神様に祈り求めました。神様は、耳を傾けて彼らの叫びを聞いてくださいました。それだけではなく、神様は、「見た」と言ってくださるのです。神様は、私たちの歩みを確かに見ていてくださるのです。
神様は、苦役に嘆くイスラエルの現実を見てくださったのです。そして、モーセに声を掛けました。40年前のモーセは、自分よがりで、傲慢でした。その時には、神様に用いられるという事はありませんでしたし、誰もモーセのすることを理解しないし、信用することもありませんでした。しかしミディアンの地で取り扱われ、打ち砕かれたモーセは、神様の御声を聞き用いられる準備が出来たのです。その時神様は、モーセにご自身を表わされました。
モーセが神の山ホレブにやって来た時、この山はシナイ山であると言われています。そこで、モーセは、柴が燃えているのに燃え尽きないという不思議な光景を目にしました。モーセは、吸い込まれるようにこの不思議な現場に近づいて行きます。その時神様は、モーセに声を掛けました。モーセは、神様に言われるままに履物をぬぎひれ伏します。この時神様は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とご自身を示しました。これは、アブラハムと祝福の契約を結び、イサク、ヤコブそしてイスラエル民族にその祝福をもたらしてくださる、永遠に生きておられる創造主なる神様という事です。これは、イスラエル人にとって、もちろんモーセにとって重要なことでした。神様は、モーセにイスラエルの現状を聞き、見ていると言ってくださいました。神様は、イスラエルの叫びを聞き、現実を見て、そして具体的に御手を指し伸ばしてくださるのです。
モーセは、神様の語り掛けを受けました。神様は、私たちの叫びを聞いて、現実を見てくださり、具体的に御手を差し伸べ、声をかけてくださるお方です。
子どもと親の関係からもう少し考えてみたいと思います。子どもは、どんな時にも親の視線を気にしているものです。家で静かにしているなぁと思うと何か悪さをしていたりします。ちょっといたずらをしようと思うと、「チラ、チラ」と親の様子をうかがいながら、すきを見て何かをしようとしています。それだけではなく子どもは、公園などで遊んでいる時にも、親が自分を見ているかどうかを確認しているものです。親が、しっかりと自分の遊ぶ姿を見ていてくれると安心して遊ぶことが出来るのです。なぜなら、子どもは、親が一緒に遊ばなくてもその場にいて見守っていてくれることだけでうれしいからです。見ていてくれるという事は、何かあったらすぐに親が駆けつけてくれると分かるのです。
皆さん、神様は、イスラエルの民を見ておられました。今も私たちを見ていてくださっています。という事は、神様の側では、いつでも御手を指し伸ばして必要な助けを与える準備が出来ているという事です。神様は、私たちの只中にいて、それをしてくださるのです。神様は、モーセにご自身を表わす時、燃える柴の中から語り掛けました。これは、モーセの生活の中に神様が現れて、語られたという事です。私たちを見ていてくださる神様は、私たちの人生の全ての歩みを見ていてくださり、その只中にご自身を表わしてくださるのです。
Ⅲ;神は知っていてくださる
私たちの叫びは神様に届きます。神様は、私たちの叫びを聞き、私たちを見て、そして私たちの状況を知っていてくださり、共にいると約束をしてくださっています。
神様は、イスラエルの苦しみ、痛みを確かに知っていると言われました。神様は、イスラエルの叫びを聞き、その現実を見て、そこにある痛みを知っていてくださったのです。神様は、イスラエルの民を苦しみから解放するためにモーセを選ばれました。神様は、御前にひれ伏すモーセに対して「わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ(10)」と命じました。これは、モーセにとって耳を疑いたくなるような言葉でした。11節のモーセの言葉は、彼の困惑をよく表現しているのではないでしょうか。11節の言葉を言い換えると「いやいや、神様、私は40年前に失敗しているのです。自分にはイスラエルを導き出す(救い出す)という力はないし、そんな資格はありません」となるでしょうか。モーセは、本気で自分は弱く、何もできないと考えていたのです。神様は、このモーセの心の内側もよく知っておられました。弱くへりくだり、謙遜になっているモーセだからこそ、神様は彼を選び、遣わすと言われたのです。
しかしモーセは、自信がありませんでした。そんなモーセに対して神様は、「わたしが、あなたとともにいる」と約束してくださいました。これは、天地を造られた神様が、モーセを守り支え、力を与えるという約束でもあるのです。なんと素晴らしい約束ではないでしょうか。神様とモーセのやり取りは、まだまだ続きますが、モーセは、神様による確信を与えられ、エジプトに行く決心をするのです。
先日、動画配信という形で聖会が行われました。講師の小山田先生は、御言葉を本当に嬉しそうに語っておられました。私は、多くの気づきを与えられました。その一つは、神様が御言葉によって約束している事柄は、そのまま信じるべきであるという事です。神様は、モーセにイスラエルの叫びを「聞くかもしれない」とは言わず、「聞いた」と言われました。「民の苦しみを見るかもしれない」とは言わず、「確かに見た」と言われました。そして神様は、「彼らの痛みを知るかもしれない」と言わず「確かに知っている」と言ってくださいました。さらに神様は、モーセに「わたしはあなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである」と言っておられるのです。
この神様の語り掛けは、そのまま信じるべきことなのです。神様は、私たちの叫び、祈りを聞いてくださいます。神様は、私たちの人生を確かに見ていてくださいます。そして神様は、私たちのことを全て知っていてくださるのです。私たちの叫びは神に届いているのです。そのことを感謝して全てを神様に打ち明けましょう。
私たちは、そのことを感謝するだけではなく、次の事も考えなくてはいけません。皆さん、私たちは、私たちの声を聞いて答えてくださる主なる神様の御声(聖書の言葉)を聞いているでしょうか。私たちは、私たちを見ていてくださる神様を信じて信頼しているでしょうか。私たちは、私たちの歩みの全てを知っていてくださる神様の御心を知っているでしょうか。
祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、あなたが私たちの声を、叫びを聞いてくださる確かな約束を感謝致します。それだけではなく、神様は私たちの歩みを見て、確かに知ってくださることを感謝致します。神様あなたを信じます。どうぞ私たちの日々の歩みを導いてください。私たちは、神様の助けと導きが必要です。どうぞ神様、私たちに御声をかけ、導いてください。
新型コロナウイルスの感染の拡大が続いています。神様、私たちを、そして世界中を憐れんでくださり、終息へと向かわせてくださるようにお願い致します。
今週も神様への感謝と喜びをもって歩ませてください。この祈りを、私たちの救い主、イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」