2021年8月15日(日)礼拝説教 マタイの福音書7章7-11節 「求め 探し たたく」

<子どもたちへ>

 皆は、何か欲しいものがある時、困った時、助けが必要な時など、どうしていますか?恐らくお父さんやお母さんに相談したり、お願いをすることでしょう。その時のお願いは、どのようにするでしょうか。「絶対、これが欲しい。」「これをしてくれないと嫌だ!」「親なんだから子どもの言う事を聞いてくれるはず。」「どうせ無理だろうけど…。」などなどでしょうね。これらの態度は正しい求め方なのでしょうか。
 では僕たちは、神様に対してお願いする時(祈る時)どのように求める事が出来るのでしょうか。イエス様は、一つのたとえ話しを通して大切な事を教えてくださいました。

 ある日夜遅い時間、ピーターさん家に友人が訪ねて来ました。イエス様が過ごしていたパレスチナでは、昼間の気温が高くなり日中の移動が難しため、日が暮れてからの移動が多かったようです。だから夜に人が訪ねてくることがあったのです。
 「よく来たね。疲れただろう。さぁ家に入ってゆっくりしてくれよ。」ピーターさんは、遠くから来た友人を快く迎えました。「早速、何か食べる物を用意しよう。」ピーターさんがキッチンへ行くと問題発生です。友人に出してあげる十分な食料がありません。困ったピーターさんは、友だちのジョンさんの家に行きました。ピーターさんは、ジョンさんの家の玄関をたたきながら、「ジョン、こんな遅い時間ごめん。パンを三つほど貸してくれないかなぁ。実は友人が来ているのだけれども、出してあげるものがないんだよ。」さぁ、ジョンさんは何と答えるでしょうか?時間は真夜中です。既に寝静まっている時間帯です。
 ジョンさんは、「ピーター、申し訳ないけど、時間を考えてくれよ。こんな遅い時間に何かを上げることなんかできないよ。」と答えました。当然ですね。それでもピーターさんは、諦めません。ピーターさんは、ジョンさんの家の玄関をしつこくたたき続けます。ジョンさんは、ピーターさんのしつこさに負けて、「仕方ない」と言いながら、パンを三つ貸してくれたのです。イエス様は、このようなたとえ話をして「ですから、求めなさい。探しなさい。たたきなさい。」と教えてくださいました。今日の聖句をみんなで読みましょう。

 イエス様は、神様に祈り求め、願う時に大切な事は、忍耐強く、諦めずに求め続ける事、探し続ける事、たたき続ける事だと教えておられるのです。イエス様は、「求める者は与えられ、探す者は見出し、たたく者には開かれる」と約束をしてくれました。しかしここで注意点があります。それは、自分勝手でわがままな、神様を自分の思い通りに動かすような求め方をしてはいけないという事です。神様は、皆のことを良く知っているので、一番良い時に一番良いことをしてくれます。神様は、皆の求めに対して、「良いよ!」、「ダメだよ」、「今は待っててね」という答えをしてくれます。僕たちは、「ダメだよ」と言われると「えーどうして!!!」と文句を言いたくなるし、言ってしまいます。もし僕たちの祈りが間違った方向を向いていたら神様は「ダメだよ」と言われます。その時には、やはり忍耐強く「神様、どうしてダメなのでしょうか。どうしたら良いのでしょうか。」と祈り続ける事です。神様は、確かな方向を示してくれます。
 僕たちは、神様が一番良いことをしてくださると信じて、忍耐強く、諦めずに祈り求めましょう。その時僕たちは、神様からの素晴らしいプレゼントを受取ることが出来ます。

祈り
「愛する天の父なる神様。あなたの聖なる御名を賛美します。『求める者は与えられ、探す者は見出し、たたく者は開かれる』という約束を感謝します。僕たちは神様が、良いものを与えてくださると信じて祈ります。神様、僕たちの祈りを導いてください。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。」

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見いだします。たたきなさい。そうすれば開かれます。
                                       マタイの福音書7章7節

<適用>

 私たちが使っていることわざの中には、聖書から取られたものがあります。「目から鱗」と言うのは、使徒の働きに登場するパウロの経験が起源と言われています。「豚に真珠」は、マタイ7章6節「真珠を豚の前に投げてはいけません」が起源とされています。
 今日の言葉「求めよ。さらば与えられん」は、とても有名な言葉です。たぶんクリスチャンでなくても知っている言葉ではないでしょうか。この7、8節は素晴らしい約束の言葉で満ち溢れています。

Ⅰ;祈り続けよう

 イエス様は、「求め 探し たたく」ように教えておられます。その時私たちは、誰でも受けることが出来ます。ですから私たちは、祈り続けましょう。イエス様は「求めなさい。探しなさい。たたきなさい。」と言われました。この言葉のギリシャ語には、「~し続けなさい」という意味があります。イエス様は、一度や二度祈って終わりではなく、「求め続けなさい。探し続けなさい。たたき続けなさい」と言っておられるのです。そうすれば私たちは、与えられ、見つけ出し、開かれるのです。神様は確かに与えてくださるのです。しかも「誰でも」です。今日始めて神様を知った人でも、クリスチャンとして人生を過ごして来た人でも、大人でも子ども、何の区別なく受けることが出来るのです。神様は一人一人の祈りに確かに答えてくださいます。

 それでは神様は、私たちの祈りで左右されるお方なのでしょうか。私たちが祈らないと何もできない神様なのでしょうか。神様は、私たちの祈りがないと、私たちのことを理解できないのでしょうか。決してそんなことはありません。神様は、この世界と人間を造られたお方です。神様は、私たちの全てをよく知っておられます。私たちが祈る前から、私たちのことを知っていてくださるのです。イエス様は、祈りを教えてくださいと願う弟子たちに「主の祈り」を教えてくださいました。その時に「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです(マタイ6:8)」と言われました。だから祈らなくてよいのではなく、イエス様は、「だから、あなたがたはこう祈りなさい」と主の祈りを教えたのです。その内容は、神様の栄光を求め、御心が地の上になされるように、私たちが神様の祝福の中を歩めるようにと言うものです。また罪の告白と誘惑から守られるようにと言う内容です。実は、私たちの祈りは、この主の祈りに要約されると言えるでしょう。

 神様が、私たちの必要を知っているならば、どうして祈り求める必要があるのかと思うかもしれません。皆さん、親と子の関係で考えてみましょう。親は、子どものことをよく観察して、ある程度何が必要かを知っています。でも親は、すぐに手を差し伸べることはしないし、必要なものを与える事もしません。それは、子ども自身が自分の必要に気づくためです。その必要のためにはどうしたら良いのかを学ぶためと言うこともあります。親が、先回りして何でも与えてしまえば、子どもは考えることも忍耐することもしなくなります。子どもは、自分で考え、そして親に助けを求めます。これが親と子のコミュニケーションだと言えるでしょう。親はすぐに求めに応じることもあれば、少し時間を置くことでさらに考えさせることもあります。そのような中で子どもは、求め続けますが、本当に自分に必要なことは何かを考え続けることにもなるのです。そして、与えられることが当然ではなく、感謝であるという事を学ぶのです。
 それと同じことを私たちは祈りを通してしています。私たちは様々な願いを持ち、計画を立てます。それを「祈り」という手段で神様に求めます。神様は、すぐに応じてくださる時とそうではない時があります。私たちは、祈り続けることによって、自分の願いと神様のお考え、神様が本当はどのように導こうとされているのかを思い巡らすことになります。ですから私たちの祈りは、私たちから神様への一方通行にはならず、神様から私たちへの答えを聞く(受け取る)というやりとりとなるのです。ですから、私たちの祈りは、一回限りの祈りではなく、祈り続けることとなるのです。

 イエス様は、私たちに求め続け、熱心に探し続け、そして堅く閉じられた戸をたたき続けるようにと勧めています。神様は、この様に求める誰にでも、必ず必要なものを与えてくださり、歩むべき道を見つけさせてくださり、人生の戸を開いてくださいます。
 その時私たちは、与えられることが当たり前ではなく、神様の恵みであることを知るようになり、私たちは神様への感謝の祈りへと導かれます。私たちが祈り求めるなら、その分だけ感謝が増えて行きます。皆さんの祈りはどうでしょうか。

Ⅱ;父なる神が与えてくださる

 イエス様は、「求め 探し たたく」ようにと私たちに勧めています。この祈りに答えてくださるのが、神様です。私たちの神様は、天の父なる神様です。私たちは、神様を「父なる神」と呼び祈るのです。イエス様は、「だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。(マタイ7:8)」と、とても大胆な約束を与えてくださっています。これは、何という恵み深い約束でしょうか。

 でもちょっと待ってください。神様は、私たちの祈りのすべてを聞いてくださり、何でも思いの通りにしてくださるのでしょうか。私たちは、様々な事を祈りますが、全てが私たちの願う通りにはならない事を知っています。決して神様は、ボタンを押したら希望のものを出してくれる自動販売機のようなお方ではありません。私たちは「誰でも受ける」という約束がありますが、その求め方には、注意する点があります。ヤコブ4章2-3節でその事が教えられています。
「あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。」

 人類は、自分の願い通りにならないと争い、人を傷つける歴史を歩んでいます。私たちは、終戦から76年を迎えますが、世界から戦争や紛争がなくなることはありません。なぜなら、それぞれ自分たちの利益しか考えず、欲望のままに生きるからです。人間の欲望の恐ろしさを突きつけられているような気がします。ヤコブは、そのような人間の性質に触れ、求め方に注意するようにと教えているのです。ヤコブは、まず願わないと自分のものにならないと言います。けれども願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとしているからだと言うのです。ヤコブは、願い求めることが駄目だと言っているのではありません。問題は、私たちの願う心の動機です。私たちは、自分のことだけ、自分の利益だけを願い、自我や欲望が満たされることだけを願うことが戒められているのです。そのような求め方は、神様の存在を無視した自分勝手で一方的な求めです。私たちが祈る時、私たちの心の動機はどうでしょうか。

 ではどうしたら良いのでしょうか。その答えも聖書にあります。Ⅰヨハネ5章14節です。「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」
 私たちが、「神の御心にかなう願いをするなら、神様は聞いてくださる」のです。ですからもし皆さんが、祈り求めて願っても自分の願い通りにならないということがあったなら、立ち止まって考えることをお勧めします。その時考えることは、「自分は神様を無視した欲望のままを願っているのか、それとも神様の御心を求めて歩むことを願っているのか。」という自分自身の心の状態(祈りの動機)です。
 神様の御心とは、私たちが神様の導きの中を生きようと願うことであり、神様が自分に備えているもので満足するということではないでしょうか。「なぁんだ。結局いくら祈っても、それは自分の願いではなく、神様の願いでしかない」と思うかもしれません。では、自分の願うこと、自分の欲求が満足されることが良いことなのでしょうか。それは一時的には満足感を与えてくれるでしょう。けれども自分の欲望には、際限がありませんから、本当の満足はないのです。

 イエス様は、私たちの必要を与えてくださるのが、父なる神様であると言っておられます。そして神様は、良いものを与えてくださるのです。親は、自分の子どもに良いものを与えます。それは、当然のことです。とすれば、天の父なる神様が、私たちに良いものを与えてくださるのはなおさらのことです。マタイ6章ではイエス様は、「まず神の国と神の義を求めなさ。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えられて与えられます。(33節)」と教えておられました。「これらのもの」とは、「食べ物、飲み物、着る物」であり「健康やいのち」です。という事は、私たちの人生に必要な全てのものです。天の父なる神様が、それらのものを与えてくださるのです。それだけではなく、神様は、私たちに聖霊を与えて確かな道へと導いてくださいます。
 ある時、天の父なる神様に祈るという事で一人のクリスチャンと話したことがありました。彼の教会では新会堂を願っていましたが、より広い土地と交通の便の良い所が必要でした。けれども資金がありません。その人はこんなことを言っていたのです。「神様は、天にいてこの世を支配し、この世のすべてを所有している天の父だ。その天の父は、自分が所属する教会にとってどの場所が最適であるのかを知っている。だから自分は天のお父さんに、教会のための土地をくださいと祈っている。」私は、すごい信仰だと思いました。神様を信頼している大胆な祈りです。
 私たちが、神様を信頼して祈り求め、探し続け、たたき続けるなら、神様は必ず良い方向を示してくださり、私たちを導いてくださるのです。ですから私たちは、神様の祝福を受けて、喜びと感謝と賛美に溢れて歩めるようにと、何でも求めることが出来るのです。
 最後に聖書を一箇所開いて終わりにしましょう。詩篇55篇22節「あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して 正しい者が揺るがされるようにはなさらない。」
 私たちは、神様に信頼して祈り続けましょう。誰でも求める者は受け、探す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。神様は、私たちにとって一番良い時に、一番良い答えをしてくださいます。

祈り
「愛する天の父なる神様。あなたの聖なる御名を賛美します。神様、私たちには多くの願いがあり、求めがあります。イエス様は、求めなさいと教えてくださいました。私たちは、求め続け、探し続け、たたき続けます。主よ、私たちの祈りを導いてください。神様に喜ばれ、神様の御心に適った祈りへと導いてください。その事が私たちとって最善であることを教えてください。神様が、一番良い時に、一番良いことをしてくださることを信じます。
 神様、争いが絶えないこの世界を憐れんでくださり、平和を与えてください。父なる神様の御心が天で行われているように、この地の上にもなされるようにと願います。
 新型コロナウイルス感染を収束させてくださり、世界中に神様の励ましを与えてください。医療従事者を守り、感染している方々に癒しを与えてください。神様、私たちの健康と仕事、日々の生活をお守りください。
 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」