<子どもたちへ>赤松由里子師
2か月間、新約聖書からイエス様の山上の説教を学んで来ましたが、今日から旧約聖書のお話です。イスラエルの人たちを約束の地カナンに入らせたヨシュアは、その後亡くなったので、イスラエルには新しいリーダーが必要でした。この新しいリーダーたちは「士師」とか「さばきつかさ」と呼ばれ、色々な人が順々に現れてきました。今日はその一人、ちょっと弱虫な「ギデオン」という人のお話をします。
これはギデオンの時代のイスラエルです。「キャーっ!助けて!」「大変だ!ミデヤン人が攻めて来たぞ!早く隠れろ!」イスラエルの領土に外国のミデヤン人が押し寄せてきました。人々は洞窟や山などに避難しました。畑に種を蒔いてもミデヤン人がやってきて、麦も野菜もみんな食べて盗ってしまいます。こんなことが何年も続いて、イスラエルはすっかり弱ってしまいました。
神様が与えて下さったはずのカナンの地なのに、どうしてこんなことになったのでしょうか?実はイスラエルの人たちは、本当の神様を忘れて偽物の神様を拝むようになっていました。それで神様がお怒りになり、ミデヤン人に苦しめられていたのです。人々はやっと神様を思い出して、お祈りしました。「神様、助けて下さい!」
そんなある日、ぶどうの踏み場に一人の人がいました。ギデオンです。ギデオンはぶどう酒を作る酒ぶねに隠れて、こっそり小麦を叩く作業をしていたのです。ギデオンはびくびくしながら、「ミデヤン人がきたらすぐ逃げなくちゃ」と思っていました。
そこに突然神様の使いが現れ言いました。「力ある勇士よ。主があなたとともにおられる。あなたがイスラエルをミデヤン人から救い出しなさい。私があなたを遣わすのだ」。ギデオンはびっくりしました。「わたしはまだ若いですし、そんな力はありません。」それはそうですよね。酒ぶねに隠れなければ仕事も出来ないほど、怖がりだったのですから。しかし御使いは言いました。「大丈夫だ、私があなたと共にいる。」
ここまで言われてもギデオンの不安は消えません。「お願いです。神様が一緒にいて下さるしるしを下さい。」とお願いしました。そして家から肉とパンを持ってきて岩の上に置き、スープを注ぎました。御使いが杖の先でそれに触れると…なんとそこから火が燃え上がりました!そして肉とパンを焼き尽くしたのです。「この人は本当に神様の使いだ。神様が私を選ばれたのだ。」ギデオンはそう分かって、勇気が湧いてきました。
神様から力を頂いたギデオンが角笛を吹きならします。ブオーっ!すると大勢の味方がギデオンのもとに集まってきました。全部で3万2千人です。この後も不安になったりしるしを求めたり、ギデオンは忙しいですが、でも選ばれたリーダーとして活躍していきます。
神様の働きをするのに必要なのは自信や自分の能力ではありません。例え力がなくても、共にいて下さる神様に信頼する人を、神様は用いて下さるのです。不安や心配がある人を、神様は見捨てたりしない、ということが今日のお話からわかります。新学期を前にして、色々心配がある人もいるでしょう。そういう人は神様にありのままをお祈りしましょう。神様は不安のある人に寄り添って、励ましてくださいます。神様が一緒にいて下さる、そのことが一番大きな恵みであることを覚えて、一歩一歩歩みを進めていきましょうね。
<祈り>
神様。私たちもギデオンのように不安になる時があります。でも神様が一緒にいて、守り励まして下さることを感謝します。自信や十分な力が無くても、神様に守られて前進していけるようにお導き下さい。これから始まる新学期の歩む新たな力も与えて下さい。御名によってお祈りします。
「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」 士師記6章12節
<適用>赤松勇二師
私たちは、誰もが一度は「あの時は良かったなぁ」と思う過去を振り返る時があるのではないでしょうか。私も時々、10代、20代の時のことを思い返して、「あの時は楽しかったなぁ」と思い出に浸ることがあります。適度に過去を思い返して、良い思い出を懐かしむならば良いかもしれません。しかし、「あの時は良かった」「この時も良かった」と過去を振り返ってばかりいると、「今」を見失う事があります。過去を美化しすぎると、「今」見なければならない状況を正しく判断することが出来なくなります。
士師記に登場するギデオンは、「今」を見失っていたと言えるのではないかと思います。今日は、「勇士よ。」と言われて戸惑うギデオンの姿から神様の憐れみと導きを学びましょう。
Ⅰ;ギデオンの生きていた時代(1-10)
まず、ギデオンの生きていた時代(士師記の時代)がどのようなものであったか見る事にしましょう。士師記の時代、イスラエルの民は、「背信の罪と堕落→神様の裁き→イスラエルの叫び→神様の助け(士師による救)」というサイクルをくり返していました。イスラエルの民は、モーセの後の指導者ヨシュアのもと約束の地を着実に占領するこが出来ました。しかしヨシュアには、晩年気がかりな事がありました。それは、イスラエルの民が不信仰に陥り、まことの神様から離れカナンの神々を礼拝するようになるということでした。そこでヨシュアは、イスラエルを集めて告別説教をし、彼らの信仰を確認するのです(ヨシュア記24:14-31)。「『今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、あなたがたの先祖たちが、あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、主に仕えなさい。…。私と私の家は主に仕える。』民は答えた。『私たちが主を捨てて、ほかの神々に仕えるなど、絶対にあり得ないことです。』(ヨシュア24:14‐16)」その後のイスラエルはどうだったでしょうか。イスラエルの民は、ヨシュアが生きていた時、ヨシュアを知っている人たちが生きている間は、主に仕えました。しかしヨシュアを直接知らない世代になると彼らは、「主なる神様」を忘れるようになりました。彼らは、前の世代からこの世界を造り、愛を以て導いて、多くの祝福を与えてくださる神様のことを聞いて知っていました。けれどもイスラエルの民は、神様から離れて偶像礼拝に向かっていったのです。ギデオンの時代もそのようなスタートとなりました(士師記6:1)。その結果、「主は7年の間、彼らをミディアンの手に渡された。」のです。
こうしてイスラエルの民は、ミディアン人のために非常に弱くなっていました。ミディアン人は、アブラハムとそばめケトラとの間に生まれた第4子に由来しています(創世25:2)。遊牧民であるミディアン人は、アマレク人と東方の人々(アラビヤ砂漠の遊牧)と共にイスラエルの収穫物を奪い取っていくのです。彼らは、イスラエルを滅ぼそうとするのではなく毎年、収穫の時期になるとやって来ては荒らし、すべてを奪い尽くすと出て行くのです。そしてミディアンの連合軍は、次の年の収穫時期に再びやって来ては全てを奪うのです。イスラエルの民は、いつミディアン人たちが襲って来るのかという不安の中、山に逃げ、洞窟、洞穴、要害に身を隠して生活していました。
このようなことが7年間続いてやっとイスラエルの民は、主に叫び求めました。神様は、イスラエルの民の叫びに答えて、まず一人の預言者を遣わします(士師記6:8‐10)。預言者が語ったことは、すでにモーセを通して語られていたことです。「主は一人の預言者をイスラエルの子らに遣わされた。預言者は彼らに言った。『イスラエルの神、主はこう言われる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、奴隷の家から導き出し、エジプト人の手と、圧迫するすべての者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その地をあなたがたに与えた。わたしはあなたがたに言った。「わたしが主、あなたがたの神である。あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない」と。ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。』」
神様は、イスラエルの民を困難から救い出す前に、イスラエルの民が罪を悔改めることを願っておられたのです。イスラエルの民は、本来ならすぐにでも神様に祈り求めるべきでした。しかし彼らはそれをしませんでした。「しなかった」というよりも「出来なかった」と言った方がよいでしょう。イスラエルの民は、信仰が弱くなり、神様に信頼することもなくなり、神様から離れてしまったのです。ギデオンの生きていた時代は、この様な背景がありました。
Ⅱ;勇士ではないギデオン(11-18)
このようにまず神様は、イスラエルの民が、しっかりと神様に心を向け悔い改め、神様を第一として歩むように教えました。そして神様は、いよいよさばきつかさ(士師)を起こされます。その時のギデオンは、「勇士」とは言えない状態にありました。主の使いがアビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座りました(11)。この時、ギデオンは何をしていたのでしょうか。彼も他のイスラエルの民と同じように、ミディアンの連合軍から身を隠し、ぶどう踏みの中で小麦を打っていました。皆さん、ギデオンの様子をどのように見るでしょうか。彼は、ぶどうを絞って、ぶどう酒を作る場所に隠れて、ぶどうではなくて、小麦を打っていたのです。どうみてもギデオンは、勇士とは言えない状態です。神様は、こんな臆病なギデオンに声をかけるのです(12)。
「力ある勇士よ。主があなたとともにおられる」と言われ、ギデオンは、何のことだろうと思ったことでしょう。ギデオンは、「主があなたとともにおられる」と言われて一気に不満が爆発しました。彼は、「神様がおられるならどうしてこんなことになるのですか。神様の力強いみわざは過去のことで、自分たちは見捨てられている」と言うのです(13)。イスラエルの民にとって、そしてギデオンにとって、「主がともにおられる」ことは信じられないことでした。ギデオンは、「共にいる」と言ってくださる神様の言葉を信じる事が出来ませんでした。ギデオンは、イスラエルの民が主なる神様を離れてしまっていることを脇において、神様のことを非難するのです。
皆さん、この時のギデオンの気持ちを想像してみてください。私は、ギデオンの気持ちが分かるような気がします。ギデオンは、「昔は神様がいてイスラエルの民をエジプトから救い出し、荒野の40年は神様の力ある不思議なみわざで溢れていた。でもそれは過去のことで、今、神様は自分たちを見捨てている。神様なんかいないのではないか。」と訴えたのです。
私は、学生の時、テストの前に一夜漬けの勉強をして備えたものです。一夜漬けですから、頭に入る訳はありません。テスト前日に「ここが出るはず」と山を張って準備をすると見事にその部分が出ないという事があります。すると次のテストの時、私の心の中には「テスト直前に勉強したってどうせ良い点数はとれないから勉強してもしょうがない。一夜漬けも意味はない」という気持ちが沸き起こってきて、勉強をしないのです。しかし冷静に考えれば、おかしな言い訳ですよね。何が間違っているのでしょうか。私が、忘れていたのは、普段からしっかりと勉強して身に着けるということでした。私は、毎日学校での勉強を真面目に受けて(不真面目だったわけではありませんが)、予習復習をしっかりしていれば、テスト直前に戸惑うことはなかったはずです。
ギデオンに欠けていたのは、モーセやヨシュアを通して語られ、イスラエルの中で大切にされていた信仰を失っていたという事です。彼は、神様の祝福と「いつも一緒にいる」という神様の約束を信じることが出来ませんでした。そしてギデオンは、神様を忘れ、神様から離れている自分の罪に気づかなかったのです。ギデオンの時代は、いわゆる戦国時代で、民族紛争が絶えない時代です。弱い民族は侵略されてしまう時代です。弱気になり、落胆しているギデオンの言葉に希望もなく力もないのは仕方ないことなのかもしれません。そんなマイナスな気持ちのギデオンですから、14節の「あなたのその力で・・・」と言われ困惑するはずです。ギデオンは、イスラエルがこの苦しみから救われることを望んでいたでしょう。しかし自分がそのために動こう、立ち上がろうとは思ってもいなかったのです。あのモーセもイスラエルの救出のために召されたとき「私はいったい何者なのでしょう」と言って否定しました(出エジプト3:11)。イザヤも「ああ私はもうだめだ、私はくちびるの汚れた者で」と言って主の働きをするとはとんでもないと言いました。ギデオンもそんなことはできないと言います15節。
主は、「わたしはあなたといっしょにいる。」と励まし続けます。ギデオンはイスラエルの中でも小さな分団で、一番若く、イスラエルを救うことなど出来ないと思っていました。しかし主は、そんなギデオンをお立てになりました。この時のポイントは、神様の言葉です。神様は「主があなたとともにいる」「わたしがあなたを遣わす」「わたしはあなたとともにいる」と約束してくださったのです。ギデオンは、頑張って自分の力でどうにかするのではなく、ギデオンがするべきことは、「あなたとともにいる」と約束してくださる神様を信じて信頼して従うことでした。
私たちはどうでしょうか。私たちは、今、何か困難があるでしょうか。何か直面している問題があるでしょうか。自分ではどうにもできないと力を落とし、道を見失ってしまうような事柄があるでしょうか。私たちは、そのような問題、困難などを見ていると、意気消沈してしまうものです。神様は、そのような中で、「わたしはあなたと共にいる」と約束してくださり、御声をかけてくださいます。神様は、私たちがどのような道を進もうとも、いつでも共にいてくださいます。イエス様も「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:20)」と約束してくださっています。私たちは、「ともにいる」と確かに約束してくださる神様を見上げて信じて歩みましょう。
Ⅲ;主の平安によって奮い立つ勇士ギデオン(17-32)
こうして神様によって励まされたギデオンは、主からの平安を与えられて奮い立つことが出来るようになりました。ただギデオンは、明かな確約が欲しくて「しるし」を求めます(17-21)。その結果ギデオンは、今まで話していたのが主の使いであったことを知り、神様の臨在を信じることが出来ました。とたんに主への恐れが襲って来ました。この時代、神を見た者は死ぬと信じられていました。出エジプト20:19、イザヤ6:5
主は「安心しなさい」と仰せられました。これは「平安があるように」ということです。主は平安を与えて下さり、恐れなくても良いと言ってくださいました。ギデオンは、その場に祭壇を築き、礼拝します。そしてそこを「アドナイ・シャロム」「主は平安」と名付けました。
神様は、早速なすべきことをギデオンに示しました。それは、自分の家にある偶像を取り壊し、主への礼拝をすることでした。当時イスラエルの民の中では、多くの人たちの家に偶像があり、町に偶像が溢れていたのです。ギデオンは、人々の目を恐れたので夜それをしました。町の人々は預言者の忠告があったのに神様に立ち返っていなかったのです。しかし、ギデオンの行動によって、父ヨアシュが主に立ち返りました。
ギデオンは、決して勇敢な人ではなく、「勇士」と言われるような人物でもありませんでした。彼は、気が弱く小さな存在でした。けれども神様の約束と臨在を信じた時、大きな力が与えられて勇気ある行動をすることが出来ました。その大きな力の源は、「あなたと共にいる」との神様の約束です。それだけではなく、ギデオンは、主なる神様から本当の平安を与えられ、心の内側から湧き上がる安らぎを得ることが出来たのです。
私たちは、「平安」「安らぎ」をどこに求めますか。ある人は、物に求めるかも知れません。沢山の物に囲まれていると安心出来ると言う人がいます。又ある人は、一時的な快楽、娯楽に求めるかも知れません。お金によって平安を得られると考える人もいるでしょう。けれどもそれらのものは、一時的なものでしかありません。私たちの心に本当の平安を与えるのは、私たちを愛し、いつも共にいると約束してくださる神様です。ギデオンは、決して勇士ではありませんでした。しかしともにいる神様の約束に励まされ、主からの平安を与えられて勇士として立ち上がることが出来ました。今でも主なる神様は、私たちと共にいてくださいます。そして神様は、私たちの心に平安を与えてくださいます。「アドナイ・シャロム」「主は平安」です。
祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。ギデオンは、決して勇士ではありませんでした。けれども神様は、ギデオンを選び、士師として任命されました。そして「わたしはあなたと共にいる」と確かな約束をもってギデオンを励ましておられました。
今でも神様は、私たちに「共にいる」と語りかけ力を与えてくださることを感謝致します。私たちは、神様からの平安に満たされて歩み続けることが出来ます。私たちは、直面する様々な事柄がありますが、神様の励ましと導きによって、その一つ一つに対処できるからありがとうございます。神様、どうぞ私たちの日々の歩みを祝福と平安で満たしてください。
新型コロナウイルスの感染をとどめてくださり、収束へと導いてください。医療従事者を守り、感染している方々を癒してください。日本中にそして世界中に平安と慰めを与えてください。紛争が絶えない地域にあって、神様からの平和が実現し、御心が天で行われるように地でも行われますようにと祈ります。
この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」