<子どもたちへ>
イスラエルにやってきたルツとナオミはどうなったでしょう。今日はとっても素晴らしいことが起こったお話をします。
ベツレヘムにやってきた2人は、どうやって生活していこうか考えました。ルツは言いました。「お母さん、私を畑に行かせて下さい。親切にしてくれる人のところで落ち穂拾いをしたいのです。」ナオミは言いました。「そうね、ルツ。そうしておいで。」その頃のイスラエルでは、貧しい人が刈り入れ中の畑に落ちた麦の穂をひろってよいことになっていました。でも中には意地悪に落穂ひろいをおいはらう人もいます。ルツはドキドキしながら畑に行きました。それはボアズという人の畑でした。
ルツが一生けん命働いていると、ボアズが来て言いました。「娘さん、あなたが神様を頼ってこの国に来たことは聞いていますよ。義理のお母さんナオミのために頑張ってきたことも知っています。この畑で安心して働きなさい。」優しく言われてルツは嬉しくなりました。お昼ごはんも出してくれるしお水も自由に飲めます。意地悪もされません。たくさんの落ち穂を拾って家に帰ることが出来ました。
家に帰ってナオミに収穫を見せると、ナオミは驚いて言いました。「まあ、こんなに!誰の畑に行って来たの?」「ボアズさんです」。ナオミは二度びっくりしました。「その人は、買い戻しの権利のある親類です。」昔のイスラエルでは、お金に困って土地を売る時、親戚に買ってもらうことになっていました。ボアズはその資格のある親戚だというのです。「ボアズがルツと結婚してくれたらいいのに。」とナオミは思いました。
畑の刈り入れがすべて終わったころ、ナオミはルツに言いました。「麦の打ち場で寝ているボアズさんのところに行って、これこれのことを言いなさい」。ルツは言われた通りしました。ボアズが寝ていると、何かが足に触れます。びっくりして飛び起きるとルツがいました。ルツは言いました。「あなたのマントで私をおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」マントで女の人をおおうとは、妻にすることを意味しました。土地を買い戻す時には、亡くなった人の奥さんも妻にする決まりだったのです。
ボアズは言いました。「ルツさん、私よりもっと近い買戻しの権利のある親類に聞いてみましょう。その人が役目が果たせないと言えば、私が果たしてあげましょう。」朝になるとルツはお土産を持たせてもらって帰っていきました。ボアズは町の門のところに行きました。広場になっていたのです。
そして、より近い買い戻しの権利のある親戚に聞きました。「エリメレクの畑を買って、モアブの女ルツを妻にしますか?」するとその人は首を横に振りました。「いいえ、私はできません。ボアズさん、お願いします。」それでボアズえみんなの前で言いました。「わたしはエリメレクのすべてのものを買い取りました。またルツを妻としました。皆さんはその証人です。」町の人たちは喜んで、ボアズとルツを祝福しました。間もなく元気な男の子が生まれ、オベデと名づけられました。この子はダビデ王様の先祖です。そしてもっと後には、イエス様もその子孫として生まれています。神様に信頼する人を、神様は大きく祝福して下さるのですね。
<祈り>
神様。あなたを信じて信頼する人を、あなたが祝福して下さることを学びました。いつも神様に喜ばれる歩みを選ばせてください。御名によってお祈りします。
「忠実な人は多くの祝福を得る。」 箴言28章20節
<適用>
皆さんはこのルツ記を何歳くらいから読んで来られましたか?私が始めてルツ記を読んだのは、15歳の時でした。そこから時を経ること○十年、年齢が上がると共にこの書に違った味わいを感じています。最初の頃はルツ目線で読んでいて、主にある結婚の導きの麗しさに目が向いていた気がします。今は段々とナオミ目線に変わってきたのか、なんと素敵な義理の娘なんだろう、こんなお嫁さんが来たらいいな、と思っている自分がいます。人間は自分の状況を投影しつつみことばを読んでいるのだなあと思わされます。
ルツ記は士師記と同時代の物語ですが、戦争や争いとは一線を画した美しい物語です。ある人は「世界のどんな詩人もこれより美しい短編を書いたことはない」と言いました。人物も歴史的にも重要な事柄が書かれているわけでもありません。それでもイスラエル人たちは、この物語を語り継ぐべきものと見なしてきました。何故でしょうか?それは、神さまの支配と信頼する者への祝福がわかる、稀有な麗しい出来事だったからでしょう。現代に生きる私たちがルツ記から学びとるべきことはなんでしょうか。3人の登場人物に目を留めながら、学んで参りましょう。
1.ルツの誠実と祝福(2章)
主人公のルツの名には「モアブの女」という枕詞がついてにりました。最初に登場する1章4節から4章まで、ずっとそう呼ばれています。モアブとは死海の東側に位置する国で、さばきつかさの時代にイスラエルを支配したこともある国です。飢饉伸びるため、エリメレク家族はそのような地に一時寄留していたのです。ナオミと共にイスラエルに来ましたが、守ってくれる人がいない上にモアブ人であることは、大きなハンデであったでしょう。言葉や文化、習慣も違う中で、言葉にできない苦労もあったことでしょう。
そのような中ルツは、「畑に行かせてください」と言って落ち穂拾いを志願します。落ち穂ひろいは畑の持ち主や監督者の好意にすがる、肩身の狭い立場です。ルツには2重の意味で厳しい現実が予想されたはずです。しかし姑を養おうとする誠実なルツは、その苦労をも進んで担おうとしたのです。
ここに神様の恵みの御手が伸ばされます。3節にはこうあります。「それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。」「はからずも」という言葉には「思いがけず」とか「偶然にも」という意味があります。ルツは畑の所有者を知りませんでしたが神様はご存知でした。決して偶然などではなく、エリメレクの一族の有力者者であり、ルツの後の夫となる人物と神様は出会わせて下さったのです。
ボアズのルツへの親切は驚くべきもので、そこにはルツへの好意が感じられます。ボアズはルツの誠実さを賞賛し、神の祝福を祈ります。12節「主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように」。これがルツ記の主題だと考えられます。
神様が与えられる人生はそれぞれ異なります。最近の若い人は「親ガチャ」という言い方で、境遇の良し悪しを運だと捉えることがあります。しかし人生は運だけではない。生ける神が人智を超えたご計画をもって導いておられるのです。苦労続きだったルツに転機を与えられた神様は、誠実に歩む者に祝福を備えて下さるのです。
まずはこのまことの神の翼のもとに、信仰をもって飛び込もうではありませんか。そして神様が報いて下さるとの信仰をもって、誠実に歩もうではありませんか。
2.ボアズの誠実と祝福(3章~4章)
3章ではナオミの計略によって、ルツがボアズに結婚の申し込みをする様子が書かれています。それは大胆なもので、大麦の打ち場で眠るボアズに真夜中に近づき、妻に迎えることを求めるというものでした。3章9節にある「覆いを広げる」とは、その女性を妻とすることを意味しています。買い戻しの権利のある親類としての決断を、ボアズに求めたのでした。
ボアズは驚きつつも理性的に対応します。10節で彼は「あなたは…若い男たちのあとを追わなかった」とルツを賞賛しますが、これは彼らの年齢差を示唆していると思われます。ルツと年齢的に相応なのは若い男性だと思われていたのでしょう。また彼は「結婚」ということばを用いません。あくまで「買い戻しの権利のある親類」として二番手であることを告げ、一番手が役目を果たさない場合に自分が動くことを約束したのです。
ここで目を留めるべきは「買戻しの権利のある親類」ということばです。ヘブル語で「ゴーエル」と言われます。イスラエルでは人が困窮して土地を売らざるを得ない時、親類はそれを買い取る権利と義務がある、というものです。さらに売主が未亡人ならその人を妻とし、最初の子は前夫の子とみなして財産を相続させることが求められました。ですからこの役目は、金銭面での犠牲と家族の扶養義務も受け入れることを意味します。ナオミは、夫の一族の中でボアズこそ買戻しの役目を果たしてくれる人だと見定めました。それはルツの幸せを願ってのことでもありました。
ボアズについてあまり情報がありませんが、彼は妻に先立たれ子どもがいなかったのかもしれません。有力者であっても家庭の祝福を味わってこなかったのでしょう。ルツとの結婚は魅力的だったかもしれません。しかし彼は神様の導きにすべてを委ねました。情熱や感情だけで突き進むのではなく、みこころを求める真摯な姿勢がボアズにはあります。これは結婚の導きを求めるすべての人に必要な姿勢であると言えるでしょう。
かつて大学生キャンプで講師をされた内田和彦先生が、ご自身の結婚の証しをして下さったことがありました。奥様との婚約中に、こう言われたことがあるそうです。「私はこの結婚を、私の開かれた手のひらに置きたいと思います。」すごいことを言う人だな、と思ったそうです。握りしめていれば誰にもとられません。しかし開かれた手のひらの上では、簡単に取り去ることが出来てしまいます。ボアズがこの3章で結婚を決めてしまっていたら、それは握りしめる結婚だったかもしれません。一番手の権利との関係で、後で法的な無効を宣言されたかもしれません。しかし4章でボアズは、一番手の意思を確認し、彼の辞退を受けて自分が買い戻しをすることを宣言します。ついに神の導きによる結婚が成就したのです。
ボアズのように神の主権と導きに委ねる姿勢が、私たちの内にあるでしょうか。そこに祝福の秘訣があることを心に刻んでまいりましょう。
3.ナオミの誠実と祝福(4章後半)
ボアズとルツの結婚で祝福を受けたのは、ナオミでもありました。間もなくうまれ男の子はエリメレクとマフロンの名を継ぐものでした。ベツレヘムの女たちはナオミのために喜びあいました。14節の「買い戻しの権利のある者」(ゴーエル)はボアズではなく、生まれて来た男の子オベデのことだと言われています。ナオミのために神様は2人のゴーエルを備えられ、その晩年に大きな希望と回復を与えられたのでした。
女たちはルツに「七人の息子にもまさる嫁」と最大限の賞賛を送っています。ナオミへのこの祝福は、嫁と愛し愛されて支え合って来たことへの、神様からの大きな報いだったと言えるでしょう。
ボアズと息子オベデは「買い戻すもの」(ゴーエル)として、聖書では重要な存在です。それは、イエス・キリストを指し示すひな型だからです。イエス様は、支払いきれない罪の負債を抱える私たちのために、ご自分のいのちという犠牲を払い、買い戻して下さいました。ルツ記の最後に系図が記されていますが、ユダ族のペレツの家系の中にボアズとオベデが記され、後の偉大な王ダビデへと続く、と明らかにされます。更にマタイの福音書の冒頭を見れば、このダビデの子孫からイエス・キリストへと系図が繋がっていくのです。モアブの女ルツの信仰と誠実な歩みは、ナオミに大きな祝福をもたらしました。それだけにとどまらず、後の時代に救い主を送り出すという世界中の人々の祝福の基になったのです。私たちもまたその祝福に招かれています。感謝をもって主への誠実な歩みに励んでまいりましょう。主は祝福して下さいます。
<祈り>
神様。ルツ記を通して、あなたに信頼して誠実に歩むことの祝福を教えて下さり、ありがとうございます。あなたの恵みの御手に、私自身をお委ねして参ります。どうぞ私を祝福し、また祝福の基として下さい。主の御名によってお祈りします。アーメン